夏─|梔子《クチナシ》

  

 僕と彼女のあいだに咲く

 ──梔子クチナシ


 生まれる不安疑惑


 同じ空間に身を置き……もう何年?

 彼女と付き合いはじめた頃、考えるのは彼女との時間ばかりだった。

 仕事の合間も、私用時間何するにも。

 なのにいつからだろうか……。

 同じ場所に居るだけになった。

 

 互いの空気はギスギスすることなく、同じ空間に身を預け、時が流れて行くけどこのままは……。


 やはり、ダメだよね?

 

 気づけば働く時間も彼女のことばかり、そして仕事を終えた。


「おっ、今日も定時か?」

「今日は書類作成だけだからね」

「なぁ付き合えよ。この後」

「ごめん、ちょっと」

「彼女か?」

「フフ、どうだろう?」


 同僚の誘いを断り、意味有り気に吹聴させ僕は気になる場所へ足を急かせた。家に帰る前に行くところがある。

 実は……、

 今日は違う「カノジョ」に、会いに行くんだ。


 きちんと居てくれるかな?


 「カノジョ」と決めた待ち合わせ場所に僕は走った。道筋ながら横切る樹からは甘い香り、清楚で可憐な白花を翠に飾り付け揺らすくちなし梔子があった。


 甘い香り

 甘い抱擁

 甘い時間


 梔子─。


 あの子の大好きなものをしっかり手に抱え、足の速さを落とすことなく。

 部屋で僕の帰りを待つ彼女あいつがこんな僕を見て知ったら、どうするだろう。


 バッカじゃない?


 彼女の甘い声が耳を掠めた。

 アイツを考える僕は外で待ち合わす彼女に、見つかった。僕を見るやいなや、嬉しそうに口角を上げ、足早に落葉樹の枝を蹴りやって来る姿に僕は微笑む。カノジョの方から声を弾ませ、やって来た。

 僕は抱きついてくるカノジョを満面に笑み、両腕で迎えた。

「……

 と、小さい体が飛びついて来た。


 ん。と思うでしょ? 

 

 そう。

 「みぃ」と小さな声を上げ足早に、小さな足に纏わり付く木の枝を引っ掛け抱きついてくるカノジョは、


 白い子猫。


 これが可愛いんだ。

 全身が白なのになぜか、額にだけMの黒文字がある。

 それもお愛嬌、この額の文字部分を弄りたくて仕方がない。執拗に触ると前足で僕の顎を押さえ、「もうっ」と云わんばかりに腕をぴーんと張る姿は実に絶妙。


(実にかわいい)


 この場所は僕の家と公園のあいだにある、神社の境内。

 捨てられたのか、元ノラなのか。

 寂しく啼く聲に引かれ、見つけたのは一週間前。この子を見た時、僕が溺愛する彼女の泣き顔が浮かんだ……。

 か弱く、どこか危なかしく、泣きたくても涙を流さない眼差しが似ていた。

 あの子とは違う優しい温かさ、甘さに触れ、満たされている。


 アイツに触れたい。


 前よりも、仲良く在りつつと思うがいつ僕の手からすり抜けてもおかしくない。綺麗な髪、長い睫毛、細い手脚、滑らかな腰にまとわりつく白い肌に甘い息。


 それと眩しい笑顔。


 風が吹くと土の湿った匂いとともに、くちなしの芳香が鼻についた。

 目の前で戯れる白いモフモフを眺め、目線を斜め上に持っていくと真っ白な花弁が揺れていた。

 匂いと姿で、人を誑かす妖花の独占気概は僕に似ている。

 

 ……僕は欲が強い。


 実はここ最近、自分なりに気持ちを整理させるため敢えて禁欲してる。この間の一件以来、抑えられない衝動が沸々と湧き上がる。

 放したくないんだ。

 アイツといると壊したいぐらい抱きたい……。想いの矛先が欲情からだに向かうのはいかがなものかと、今更ながらな反省をしている。

 しかし僕の表現愛し方がこれしか思いつかない。


 アホだ、情けない。


 これじゃあ本当に愛想尽かれて終うかもと、反省の毎日の最中に出会った白い子猫。コイツと遊んでいる時は気が紛れるが家に帰りると。

 ……アイツを見ると、負の感情の芽生える。

 負と陽の連鎖が繰り返される。

 

 こので精神を落ち着かせている意味がない。


 よからぬ衝動、不純アンチ悲鳴こころ、淋しさ、欲求などなど。溢れる不安な気持ちを、この子に癒され──溜つくと、「にみぃ」と声が聞こえた。


「僕の物になるかい?」


 ……この言葉を向ける相手はもしかして、間違ってる?

 彼女の顔がふと過った、しかし目の前で触れた体温にかき消された。

 

 ……人馴れし始めているこの子をいつまでもここに、置いておくのは可哀想だ。


 彼女と一緒に可愛がるのも良いんだけどなと、缶の底にへばりつき飯を漁る子猫を見遣り物思いに深けた。

 カシカシと音立てる爪は刺さると痛そうだと、知人の話を思い出す。

 知人がベッドで事に耽っていると、飼い猫が爪をおっ立て大事な太棹目掛け「シュッ」と、刺さったらしい。


 あ然とした。


 痛さを想像し、青くなる僕はこの恐怖を頭の隅に追いやった。

 小動物子ネコが飛んでくるのはさておいて真面目な話、僕も彼女も仕事がある。家に帰れない時は放置だ。考えた末、浮かんだのが母と姪。

 姪っ子かぁ、最近会ってないが元気だろうか。

 以前、彼女と姪を会わせたんだが彼女アイツは勘違いしていた気がするんだけど、自惚れかな。

 だって彼女は意味ありげに表情を浮かべ、よく判らない笑みで僕を見てたんだ。

 姪っ子は可愛いが、妹みたいなもんだと説明したんだけど……。

 姪と会うたびに「今日はどこを教育するの」ってニタニタしてた。あの笑顔が意味するものはヤキモチであってほしいと、僕は思った。


 アイツが察っしてくれれば……。

 

「なぁ。お前?」


 ぼやく僕の目を、無垢な瞳が不思議そうに凝視していた。こうやって澄んだ眼を向けられると、お前を置いて帰りたくない。

 でも置いて行くのは「誰かが見つけてくれる」という、他人任せな安易な考えがあったからだ。


「ごめん」


 自分に言い聞かせた。


(母に電話しよう)


 猫缶を開けおかかを置き、この場にわざと釘付けさせた合間に胸ポケットから携帯を取り出した。

 ひっきりなしに呼び出し音コールが鳴ると同時に雲間に、細い閃光が走っていた。


「あっ母さん、頼みがあって」


 相手との遣り取りの中、周囲を大きな光が包んだ。驚愕するケモノは「電話をやめろ」、「今すぐ抱け」と云わんばかりに爪を立て、ズボンを登って来た。


(あいつもこう、素直に寄ってくれれば)


 ふと彼女が頭に過った。急いではがし抱きかかえると、ものすごく大きな稲光が空を劈く。

 ぷるぷる震える手のひらサイズの獣を抱え、リュックにギュッと押し込んだ。


「じゃあ、明日連れてく、頼むね」


 母との電話を切り、急いで場を離れた。辺りに反射し、落ちてきそうな光に気を配り走った。


 晩御飯は僕の当番だ。早く帰ろう。


 夕飯のおかずをマートで漁る。彼女の好物を物色し、僕の帰りを待っているであろうアイツの元に帰った。


 あっちの好物、こっちの好物、忙しいな。


 買い物中、鞄から小さいのが出て来たらと肝を冷やした。しかし背負う荷物はやたらと静かで……。チャックを恐る恐る開け、隙間から覗くと珍獣は心配とは裏腹に、ぐっすりと寝ていた。


 人の気も知らず、呑気なのはアイツソックリ。

 

 最近変わりつつある日常は彼女がきちんと、夕飯を待ってくれていること。 

 前は帰りが遅いと先に独りですませ、自分の部屋に籠っていた。

 ベッドは最初の頃から一緒だったから、なし崩しに同じ閨だ。


 ……することはしてるという、悲しいベッドの上げんじつ


 だがしかし──、怒りつつも必ずそこ一緒にいるアイツの姿が、僕には嬉しい。


 家に着くなり、僕は玄関の扉を勢いよく開けた。猫を背負っていることを忘れいそいそと、光り漏れる部屋へと向かった。




◇◆◇◇◆◇ちょっと小咄◆◇◆◇◆

 クチナシは未婚の女性に贈ると縁起が悪いと言われているんですって!

 言い伝えですよ?

 あと前回紹介した『源氏物語』六条御息所は葵の上も呪います。哀しい愛ゆえ……、興味ある方は読んで見てください。

◆◇◆ ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇ ◆

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