夏─蓮

 

 僕と彼女のあいだに咲く

 ──蓮。


 細く淡く、真っ直ぐ伸びる芯の先に開く花弁は、夜の帳の中ひっそり閉じる。


 巡らす醜穢視覚


 月を浴び光悦さす白さは妖艶に、閨で衝動を突き動かす肢体を思い浮かべさせ……


 ──頭が灼ける。


 燦々さんさんと照りつく陽射しは熱気を帯び、道路に陽炎を映す。じわじわと攻める暑さで狂いそうな僕はただひたすら、目的地に向かった。


「ただいまー」


 西瓜を片手にガララと立て付け悪そうな戸の音をさせ、僕は実家の扉を開いた。


 ここは涼しいな。


 玄関にトンと腰を下ろし、靴を脱ぎ揃えた。起ち上がろうとした僕の斜め後ろに、ちょんと坐る白い子がいた。

 僕の姿をまじまじと確認し「ミァ」と、ひと声上げた。僕を細目で眺め、カシカシと耳後ろを搔き上げ、それが終えると満足そうに立ち去った。

 

 白猫は家族の一員として振る舞い、尾を優雅に揺らせていた。

 慣れてきたなと感心する僕の耳に、スリッパを擦り合わせパタタと近付く足音がする。

 この音は母だ。


「なんね。帰りぁうなら言いやぁ、なんもないがね」


 おかしな方弁を口走る母がいた。


「スイカあるよ」


 買ってきた丸い西瓜を渡すと、


「こんなんご近所さんがくれるわ、もっと気の利いたもんはないがね?」


 じゃあ、とリュックに忍ばせていた保冷袋の酒を見せたら。


「そうそっ、こういうのぎゃぁね。はよう出しぃ」


 酒を手に取る母の偉そうな口振りに、僕は微笑した。

 緑の丸玉だと怒られ、酒は褒められる。しっぽり縁側で飲もうと思っていたのに……ふぅん。

 酒瓶を抱く母の後ろを付いて歩き、この吞兵衛がと言いそうになる自分を抑えた。

 綺麗に磨かれた通路の床は足を置くたび軋み、年季を感じさせた。


「今日彼女さんは?」

「沖縄」

「あれ、独りで。あぶゅなーね危ないよ

「いや、友達とだから大丈夫」


 ほんと、わが家だ。


 腕を伸ばし、背筋を上へ。

 居間に入らず欄間に手を添え突っ立ち、身体をほぐした。後ろから母の気配がし、せっつかれた。


「背ェばかりデカぁなって、邪魔がね」


 罵倒され「あァん」となるも、黙って母を見た。

 そこには背の低い母がいた。


(小さな……こんなだったか)


 見下ろしていると、「ほらっ置かんね」と手にある物を見せびらかす母に、早く席付けと顎で指図された。

 母の手によって運ばれるお盆には、先ほど渡した酒と下ろし醤油の豆腐、ししゃもの天ぷらがあった。


「まだ昼」

「何言いおぉすかね、呑む気満々でとぉ癖に」

「まあね」


 母の言葉は耳にうるさいが、心地良い。安心するのは気が許せる家族、だからだろう。


「今日は泊まるんかね」

「酒加減かな」

「ほうかね、今日はお父さん、出張しっちょうで帰って来うへん」

「へえ、どこに」

「京やね、千枚漬け買うこおて来てって頼んだわぁ」

「僕のは」

ありゃあすかあるもんかねまったく」


 ポンプのように溢れ出る遠慮ない言葉が、落ち着く。

 

「茄子、オクラ、ちくわ、海苔」


 酒を嗜み、つまみ天ぷらの催促をした。


「なんね。この子は」


 ブツブツ文句を零し、動く母の後ろ姿が少し彼女と重なり口が開いた。

 彼女と一緒に過ごす中、たまに気遣うのを忘れ、このようにポンポン言う自分を思い出した。


(良いことなのか悪いのか)


 フフと笑み、酒を注いだ。

 ししゃもをふわんと囓り、腹部分の粒を歯で確かめ冷酒と喉に流し込む。


「クゥッゥウウ、美味い」


 グラスをテーブルに置き、箸を進めると、バサッアと数冊の写真台紙が目の前に置かれた。重ねられた紙の隙間から、綺麗な女性の艶姿が窺えた。


「あんたがなかなか彼女連れて来んき、別れた思うて」


 見合い写真かよ。

 勝手に別れさすなよ、そして何を勝手に貰てくる。台紙をチラ見し、呆れ返った。

 ふと床に付いた手に、フワッと柔らかく優しい質感が触れた。手の先を見遣り、フッと頬が綻んだ。

 油の匂いに誘われたのか、みひぃと喚く子が傍に来ていた。

 お強請りだ。

 子猫に気づいた母がハイハイと小言を零し、台所にせかせか戻っていく。

 可愛く坐る猫の前に母は腰低く屈み、皿に盛った鰹の小間切れを差し出していた。

 ここにも手間を掛けさせる子がいるが、


(鰹だと? 僕の分は?)

 と、僕は眼で訊ねた。


「猛獣二匹やぃね」

「!!」


 僕は気づいた。母の口調、ぼやき加減、時折、彼女に小言を零す僕の姿は母を想起さす。

 僕は方言訛りはないけど話し方が、母に似ているんだ。

 親子なんだ。

 注文した天ぷらを片手に酒を注ぐ。鼻歌交じりで好物の茄子の感触をホクホクと楽しむ僕に横やりが入った。

 グラスを差し出す母の姿があった。

 キョトンとしていると、グラスをぐいぐい前に押し出し「なんね注がんね」と言われた。


「ああ、一緒に飲むんだ」


 母は、青い硝子輝く綺麗なお猪口を丁寧に差し出し、トトトと、音立て注がれる般若水を嬉しそうに見入っていた。口造りいっぱいに膨張し、溢れそうな御神酒をゆっくり口手前に引き寄せていた。グイッと景気よく口からこくこく、喉にそれを流し通す母の姿があった。

 喉が焼けるのを確認した母は「プハァ」と、息を吐いた。頬を少し赤らめ開口一番、質問してきた。


「で、あんたら結婚は」

「ブッ」


 今まで僕が出すのを躊躇っていた「け」の字がよもやここで、出てくるとは。

 「げん」の発端を作った自分を今更悔やむが、かといって放っておくと見合……は、勘弁だ。

 まあ、確かに気にはなるだろうし、最近ご近所さんは「孫」で溢れている。近所付き合いの多い母は困っただろう。

 知人は赤ん坊を抱いている、でも自分は……と。


「ごめん」


 胡坐を掻いた姿勢のまま僕は首を下に垂らし、母に顔を伏せた。謝る僕に母は明るい声と笑顔を向け、ぼやいた。


「まぁ、こればかりは」

 と、酒をガブッと煽る。

 そんな母は躊躇した僕の気を見破り、額を素速く叩いた。


「気ぃなるなら早う孫作りゃ-せ」


 母はグラスの中身をぐいっと空けては僕に、振り翳した。催促する母越しに縁側があり、視線を更に奥へ向けた。

 時は夕刻を迎えようとしており、向こうに見える景色は黒い翳りが落ち始めた。

 差し込む影に、一輪の白花が覗けた。


 実家に帰って来た今回の目的はあの花を、拝むためだ。


 母はその附録に過ぎない。 

 庭で透き通る白さを放つ植物は昔、爺さまが気まぐれに青磁器に水を張り投げ入れた根っこらしく。ソコから芽生え、花が育つまで正体は誰も知らなかったんだ。


(綺麗に育った)


 視覚に頼る匂い。

 視覚に溺れる触感。

 視覚により芽生える気持ち。


 蓮───。


 神々しく、洗練された輝きは闇夜に艶めかしく薫っている。

 暑さの所為なのか朦朧とする意識の中浮かぶ花咲は僕の眼球に醜穢しゅうわいに映り込み、幻覚させた。

 彼女の柔肌に溺れた感覚が手に、胸に、下腹部の下へと熱く巡る。


 ふむ、酔いが廻ったかな?


 縁側に坐り、とある観賞物を眺め一人しっぽりと酒を味わう。冷蔵庫に冷えていた鰹の刺身をちゃっかり持ち出し僕は舌鼓、満足している。

 ちびちびと酒を嘗める僕の脳裡に、彼女アイツの美しい裸体が浮かんでやまない。

 

 神聖な蕾はまるで……。


 不浄を想い描く僕は、どうかしている。

 でもコレを初めて眼にした時、僕は興奮を覚えた。あまりに神憑ってるコイツを、どうしてやろうか。


(切り刻むか折ってやろうか、それとも─?)


 彼女と出会い、僕の中でコイツはますます女体へと変貌した。

 僕の思考はアイツの所為で危ない奴へと、化してしまった。だって、月光に晒された白長い蕾はアイツの嬌姿きょうし、そのもの……だ。


 アイツがこの白い蓮なら、僕はその色香に惑わされた蝶。


『変態──』


 いるはずがない彼女の甘い囁きが、耳に痛く刺さる。

 一人嘲笑する僕は端から見ると、変なやつだ。ケの文字を持ち出した母が悪いのか、実家ここに来て彼女のことを振り返る自分が馬鹿らしくて。

 ─……、恥ずかしい。

 そんなつもりで来たわけではないのに……。

 気づくと縁側で一夜を過ごし、蚊に刺された肌の痒さに無性に腹が立つ自分に、呆れた。



◇◆◇◆◇花言葉◆◇ ◆◇ ◆◇

 蓮(ハス)

 「清らかな心、神聖、離れゆく愛、雄弁」

 白い蓮 「清純な心」

 これも色で異なりますが。ここでは白だけ上げました。彼の心は─想像にお任せします。スミマセン。

◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇ ◆◇

 

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