夏─紫陽花

 

 僕と彼女のあいだに咲く

 ─アジサイ。


 通い会う時間安らぎ

 彼女と何度めの梅雨が通り過ぎたろう。


 そんなことを考えながら、カフェで過ごす時間。


 ゆっくり流れる薫り。

 ゆっくり流れる会話。

 ゆっくり流れる騒音。


 なぜ喫茶店はこうも落ち着くんだ。


 好きな本のページをゆっくり捲り、カップに口つけるひと時。

 ……僕はこの時間が好きだ。

 まったりと、何もかもを忘れてしまうほっこり落ち着く空間。前は良く、彼女と来たけどいつからのことだろう……。

 気付けば一人で来ることが、多くなった。

 まあ部屋に帰れば彼女とは嫌でも顔を突き合わせるから良いやと思い、考えるのをやめた。

 共同生活をしているから互いの予定は概ね把握、しているしね。

 今日は、二人とも別用で完全に夜まで別行動。彼女の今日の行動スケジュールを頭で確認し、僕は本の中に潜っていく。


 店内ではカチャカチャと食器の磨れる音と、店員の掛け声が流れていた。そして周りの人達のガヤガヤと賑わう面白い声。

 この店は音楽を流すわけでもなく、有線を掛けるでもない。

 客の会話がBGM代わりと言って良いかもしれない。大きな声を出さない限り、会話の邪魔をする者はなくヒソヒソ賑わう。

 彼女もそこが良いと言っていたのにほんとうに……、いつから一緒に来なくなったんだろう。


 あ、まただ。僕はそんなに彼女と来たいのか?


 そんなことを考え、窓際のいつもの席でゆっくりページを捲る僕がいた。

 本当にここは静かで良い。自分だけの空間に身を預け、カップに手を伸ばし茶水に口を近付ける。

 ふと、外の風景の異変に気づいた。


 ───雨、だ。


 家を出る時、確かに曇っていたがもう降り出したのか。雨につられ、しんみりとなり始めた気分だったが、外に咲く紫陽花が塗り替えてくれた。


 紫陽花──。


 淡く咲く青を中心ベースとした、色とりどりの花が窓越しに。雨風にさらされ、ゆる〜く揺れていた。

 雨の粒は額の上に溜まり、葉へとすすぅと伝い落ちた。その様は雅な着物が床に擦れ靡く所作を、回視させた。


 雨音が静かに落つる。


 ページを捲るのも忘れ暫し、花に釘つけられた僕は何かを思い出す。ここで、この席で、本を開いたまま……そうだ、あるモノに見惚れていたんだ。


 そう、あれは一週間前の出来事。


 今は同じ席にいない彼女を、向かい側の席に腰掛けさせその時間を─、思い浮かべた。


 彼女もこの店の珈琲が大好きだ。

 

 棚に置いてある雑誌を席に持ち込んではテーブルに広げ、珈琲を楽しむ彼女。情報誌やファッション誌などを眺め、気に入ったコーディネート、モデルなど、様々な記事を見つけてはスマートフォンに収めていく。

 その姿が微笑ましく、読んでいたページを忘れ、彼女の様子を暫し眺めた。彼女は僕の視線に気づき、カメラを向けた。

 素早く切られるシャッター音に僕は、困惑したのを覚えている。


 撮るのは好きだが、取ら撮られるのが苦手。


 画面を覗き納得するアイツは僕と目が合い、満足気に微笑んだ。だが僕はあえて、不満気に苦笑して見せた。

 目線を逸らした僕の耳には時を留めようとするレンズ音が、耐えない。


 けど彼女の姿は見てて飽きない。


 僕は本を読む傍ら、目の前にいる彼女に手を差し向けクイッと招いた。不思議がる彼女は首を傾げ、おしぼりを僕に差し出したが僕は首を振りスマホを指差した。

 「ああ」と納得する彼女は微笑む。カメラ画面を開いたまま、僕に見せてくれる鮮やかな景色。

 

「綺麗だね」

「でしょう」


 そこには、庭に埋め尽くされて咲く紫陽花が切りられていた。額に水滴を乗せた紫色や青色が綺麗に映える。

 彼女の持つカメラスマホの中に残る、数枚の紫陽花。

 写真に満足した僕は、借りていた物を彼女の手に戻す。色とりどりに溢れる庭の紫陽花に視線を戻し、見蕩れていた。


「そんな眼差しで見られたら花もきっと照れるね」


 カップを口にあて、ぽそりと彼女は呟いた。「どんな眼してた?」と訊ねた僕に彼女は訝し、手にしていたカップを置いた。

 なぜか頬を赤らめプクリとさせ、文句を言う。

 「あなたモテる自覚ある」と訊かれ、「ない」と即答した。目を大きく見開いた彼女は「あっそ」と素っ気ない返事を返すと同時に、珈琲を一口啜っていた。

 なにが言いたかったんだろうと首を傾げた。

 彼女は何かあるとすぐ、頬を膨らます。まるでフグのようにプクリと。

 まぁ、そこが可愛いんだけどね。

 彼女は自分の癖に、気が付いていないらしい。


 しばらくコーヒーを口につけ、物々しく考えていた彼女がカップを置いた。そして僕に雑誌のページを見せ、相談してきた。

 「今度友達の式にね」と、彼女は平然と話すが僕はドキッとした。

 だって付き合って何年にもなるが結婚の「け」の字も出たことがない。周りからはよく言われるが僕も気にしたことがないのか、全くその話題には触れなかった。

 開かれた雑誌はウエディングコーナーだった。


 そう言えば紫陽花の季節は女の子の憧れの時季、でもあるんだったな。


 (彼女もそうなのかな)と、疑問が過った。雑誌を見せ、彼女は友達に招待された話を平然と僕にし始める。声の調子トーンはいつもと変わりなかった。

 ああ、別に僕たちがどうこうではないのかと思い、冷や汗を拭う。でも……。


 僕も真剣に考えた方が良いのか?


 少し考えさせられたが彼女は着ていく服で悩んでると言い、その下に掲載されている服のコーディネートを指でしている。

 遠回しに責っ付かれてるのかと勘違いした僕は焦り、内心の冷や冷やを隠しながらアドバイスしていた。

 これが……、一週間も前の話。


 ……う~~~~ん。

 今の時代、結婚せずに添い遂げるカップルもいるが果たして?


 二文字にもじを一緒に暮らす間、振り返ったことの無い僕はそれなりに考えないといけないのかと沸々、胸の中で煮やした。

 あの時の心境のドキドキを彼女には云えず、今も隠したままだ。


 ……残りの珈琲に手をつけた。


 カップが唇から離れた時、隣の席を片す店員に訊ねられた。僕のことを良く知る、男前の店員だ。


「彼女さんは元気ですか?」


 「元気だよ」とせせら笑う。伝票を手にし、その子に軽く会釈して席を立った。代金を済ませ、扉の鈴をカラカラ鳴らし店を出た。


 雲が黒いな。


 空から降る水量は増え、先ほど店内から見ていたものと違い勢いをましていた。ポケットに入れていた車のキィを取り出し、「こんな日に……」と僕はぼやいた。

 口から零れた言葉はアイツを思い、注いでたものだった。彼女は結婚した友達の家に今、お呼ばれに行っている。


 こうして空を見上げると─、あの日と同じだな……。


 仕方ない、迎えにでも行くか。と考え、止めてある車へ足を急かそうと一歩踏み出した瞬間、尻のポケットが小刻みに震えた。

 「はい?」と、透かさずポケットで振動していたスマートフォンを耳に当て、前に出した足を静止させた。

 彼女の友だちからだった。


 ここで電話をしていると以前のことを思い出した。あの日とまったく、同じ雨の色。

 あの時も、こんな感じで降っていた。


 アイツが参列していた、結婚式。


 大雨にやれやれと眉尻を下げ、空を見上げたんだ。今と同じように半眼で鍵を、眺めていた。

 そして今頃アイツ……と、考え悲嘆していたんだ。


 ……こうまで情景が一緒だと条件が揃いすぎ、嫌でも思い出す。

 彼女が招かれた結婚式、あの大雨の出来事……──。

 とある癖を持つ彼女を迎えにでも行くか。ふとそんなことを考えた矢先、携帯スマホが鳴ったんだ。

 出ると相手は彼女が参列している式の主人公新婦からだった。


 ……ほら、今と一緒だ。


 僕は雨の中、着ていた服の襟を頭に引っ掛け車へ走り出し、先日の出来事を反芻させた。

 駐車場から車を退かした。車窓の視界を遮る雨粒を退かすワイパーが忙しく、動いていた。

 降りしきる雨にも拘わらず白い飛沫の中、色落とすことなく力強く咲くアジサイの青さが目立った。


 青い紫陽花の花言葉は「力強い愛情」だったなと頭に過り、僕たちはどうなんだろうと考えさせられた。



◇◆◇花言葉◆◇ ◆◇ ◆

 紫陽花。

 (移り気、浮気、無常、家族、和気あいあい、団欒)

 ※アジサイは色でまた異なります。

(青、青紫は本文通り、力強い、辛抱強い愛、冷淡)

◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇

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