第3話



 街灯がない高台。緑化計画の一貫だったか、芝生の敷かれたエリアがある。駅もバス停も遠く、車で来るのが一般的。咲奈の要望は『ここで星が見たい』で、緋成は有無を言わさず車を出すことになった。


 対向できるぎりぎりの細さの道を通り抜けた先、駐車場とは名ばかりのスペースに車を停める。誰もいない、貸切だ。


「はー、ありがとう! さすが緋成くん」

「それはどうも」


 勢いよくドアを閉めたかと思えば、芝生へと駆け出す。そしてすぐさま寝転がり、空を仰ぐ。そんな咲奈の後をゆっくり追った。


「汚れるよ」

「汚れてもいい服着てきた」


 黒のTシャツにデニム。いつもよりラフな理由はそれか、と緋成は一人頷く。


「この前、時計直してもらったじゃん」


 そう言った咲奈の目線は空。緋成も合わせて見上げる。視界いっぱい、満天の星。


「うん」

「そのときに、あー羨ましいなって思っちゃって」

「……何に対して?」

「時計」


 暗くてはっきり見えないとわかってはいたが、咲奈の表情を伺わずにはいられなかった。そんな緋成を気にする素振りはなく、淡々と答える咲奈の様子は、冗談という訳ではなさそうだ。


「何で時計?」

「私もこのまま止まりたいなーって。っは、言葉にするとほんと馬鹿みたい。安直だよね」

「でもわかるよ」


 そう言いながら、緋成は腰を下ろした。咲奈は目線を変えずに長い瞬きをする。


「今が楽しいならそれだけで幸せだけど、生きてくと勝手に時間過ぎるし、年取るし。これは譲れないってものがあっても、ある程度周りに左右されちゃってさ。何にしても延長線上なんだよね。はー、悲しいな」


 眠っているだけでも朝が来れば日は昇り、時間が経てば沈んでいく。体も確かに老いていく。価値観も人それぞれだからこそ、他人の考えを知ると揺らぐ。それらが虚しく感じることは緋成にもある。咲奈は続けた。


「時が止まった世界で流れ星に願いを3度復唱する、それは意味を持たないのか?って言われても、私はただただ綺麗なものに祈る行為は何かいいなって思うし、願い事もすると思う」


 星に向かって手を伸ばす。そしてその手をぎゅっと握りしめて、掌側を自分に向けて見つめた。


「私が願ったから何か叶ったみたいな、そんな伏線なんていらない。キャッチボールはめんどくさい。私が今やりたいからやっただけじゃん。……でも、伏線が綺麗な物語のほうが、私もすっきりするんだよな」


 徐々に弱くなっていった声が切れたと同時、解いたその手を力無く下ろす。それと反対に、緋成は徐々に傾けていた体を起こして、咲奈の顔を見つめた。側にいることはわかるが、何せ芝生の範囲には街灯がない。駐車場の入り口の光が、人影だけをぼんやりと浮かび上がらせていた。


「緋成くんはさ……」

「ん?」

「死ぬほど好きだなって思ったこと、ある?」

「何を?」

「何でも。人でも物でも」


 突然の問いだったが、浮かんだものがあった。


「本、かな。今この仕事をやれてるのはそれを読んだおかげだなーって、思える本がある」

「そうだったんだ。えーいいね、素敵」


 表情は見えなくとも、咲奈の声色が明るくなったことは伝わる。


「何かを経て感情を抱いて、それで成長していくことって、とんでもなく尊いなって思う。わかってても自分に強制できないんだよね。ありがちだけどさ、私は私にしかなれないし、好きなものは変えられない。好きじゃないものを、何にもなしに好きになれない」


 緋成に聞いてほしくて言ったのか、咲奈が自分に言い聞かせているのか、もしくはそれ以外。答えを知ることはできない、が、何というか。不確かだけど、力強い。


「そもそも好きってなんなんだろうね! 私にはめちゃくちゃ難しいな」


 その言葉を最後に、しん、と鎮まりかえった空間で、緋成は耳をすませた。幾分か長く生きてきた身として自分の意見を伝えることはできるが、それはきっと咲奈の望みではない。


 咲奈の言う『キャッチボール』。他人と関わることを避けては通れないだけではなく、『1人なんておかしい』とさえ言う人が存在する世の中、一方通行が物寂しいこともあれば、関係を断ちたくなることだってある。少なくとも、緋成にはあった。


 経験を糧に、これからを描く。それは、戻れない過去と、迫り来る未来。



「……咲奈、泣いてる?」

「泣いてないよ」


 そう答えた咲奈の声は、ほんの微かに震えていた。





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