第2話 とある街の日常と、とある二人の日常
日の本という国は島国で御座いますので、海に面した場所は多く御座います。
必然、港町というのも多くありまして、今回、海老蔵と白蘭が訪れたのは、今で言うところの島原、島原半島の辺りで御座いました。
一応の目的は御座いますが、それよりなにより。
前年に起こった佐賀の乱を忘れる為に訪れた次第で。
佐賀から程よく遠く、温泉も御座います。
そして、この海老蔵と言いますのは、長崎の廻船問屋の若旦那でして、その取引先もこの島原温泉の辺りに御座いまして。
そこに顔を見せがてら、骨休めをしようという算段でした。
都合よく、その大店である取引先からも、相談事があるとの報せを受けておりまして、それならば、と。
参った次第ですな。
後々になって考えてみれば、昨年の出来事で心身共に疲弊していた故の迂闊さ。
油断がこの旅を選択させたと海老蔵は懐古する旅路で御座います。
はてさて、そんな旅路を同道するのは美女・白蘭。
香り立つような色気を漂わせながらも、獣のような猛々しさを纏う女です。
旅装束とはいえ、彼女の魅力を封じ込めることは敵わず、擦れ違う男どもを魅了しております。
そのとばっちりを食うのは海老蔵。
擦れ違う男達の視線の痛いこと痛いこと。
「もう少し何とかならんものかね?」
「別に悩殺するような格好はしてないんだけどねぇ」
そう言うと、しゃなりと白蘭は動いて魅せます。
嘘か真か、昔は花魁をやっていたとも語る女の魅せるシナの破壊力はすさまじく、ここらで一息と立ち寄った茶屋のご主人が陥落してしまいました。
「護衛が色気をまき散らしてどうする…」
払いを済ませ、足早に茶屋を後にしながらそう女に囁くと、女は心外だと言わんばかりに海老蔵を見ました。
「個人の自由でしょう?そういうのが流行と聞いているわ」
個人の自由とな。
思わず立ち止まり、ふむ、と一考。
そして、女の隣に追いつきます。
「ああ、そういう概念があるそうだな」
「こういう話に乗ってくるところ、好きよ」
五月蠅いな。と一声返すと、二人は街道を進みます。
追々と会話を楽しみながら。
「しかしながら、お前はあちらの価値観とは馴染まないのでは?」
「馴染まないというか、使い勝手が良いか悪いかよね。宗教なんてものは遙かな昔から統治の手段にさえなるものだし?」
「ああ、そういえば、教祖様もやってたな…」
「予言者、或いは、代弁者だけどね」
「参考までに聞くが…何故そんなことをしたんだ?」
「仕事だから」
「仕事を選ばんのは、いや、俺も美徳だとは思うがな?」
「そういう貴方こそ、大人しく店で跡継ぎ様やってれば良かったのに」
「人には向き不向きがあるんだ。お前が一所に留まれんようにな」
「それにしても…島原かぁ」
おや、と海老蔵は思いました。
自ら話を振っておいて、こうまで強引に切り上げるのは彼女らしくない。
そう思っていると、ふと、白蘭が足を止めました。
つられて海老蔵も少し進んだところで立ち止まり、振り返ります。
「なんだっけ、この辺って最近は物騒よね」
幕末から今まで物騒でない時がないのが九州なのですが、今現在で言えばー。
「敬神党か?あれならもう少し向こうだな。その問題でウチに泣きついてきたという線も無くは無いが…」
ああ、と言葉を返すと、満足そうな笑みを浮かべて白蘭は歩を進め始めました。
「大店も大変ねぇ。暖簾分けした後も面倒みてあげるなんて」
「まあ…支店のようなものだしな。何より、この辺りの港を失うのは惜しい」
それはそれとして、と海老蔵は隣を歩く白蘭に顔を近づけました。
甘い香りが鼻を擽りますが、それに構わず口を開きます。
「妙なのがついてきてないか?」
「随分と若旦那も鋭くなられましたね」
微笑む白蘭に苦笑いを返しました。
鋭くも何も、わざわざ立ち止まって振り返らせたのは白蘭。
先程振り返った海老蔵の目には、百メートルほど後ろに五名ばかりの男達が映りました。刀こそ帯びていませんでしたが、あれは…。
「敬神党とは限らんだろうが…今の佐賀にあの類いはいないからな」
「悲しい話だけれどね」
むしろ嬉しそうに白蘭はそう言いますと、街道沿いにある館を指さしました。
この辺りでは一等大きな館でした。
「少しばかり寄り道致しましょうか」
初めからそこに寄るつもりだったようで、館の警備についている連中も白蘭を素通りさせていました。
ただ、その面々が白蘭を歓迎しているかというと、むしろ逆のようで。
皆、青い顔で眼を伏せている。
銃を持ち、サーベルをぶら下げた御仁達とは思えない姿に、海老蔵は失笑を禁じ得ませんでした。
しかしながら、その手にある銃がウインチェスターであることを認めると、海老蔵の表情が曇りました。
「此処は…」
「維新志士様のお住まいですわ」
だろうな、とは返しませんでした。
まるで我が家の如く勝手気ままに進む女を眺め、海老蔵はため息を零しました。
その脳裏に浮かんでいたのは、先の年にあった惨劇。
「全く…ままならんな」
呟き、海老蔵も後に続きました。
胸の内に押し寄せる思いに押しつぶされるほど、若くも無く、そして、それほどまで感傷的にもなれないのだな、と自らを思いながら。
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