助手はもう、死んでいる。

15番目の桜

第1話 Bye my beloved world and hello my detested world

「君―――私の助手になってよ」


その言葉から、彼女との物語は始まり……名探偵の目覚めと共に終わりを迎える―――はずだった。だが、今も奇妙な日常は続いていて――


「――いや、そんな事はどうでも良いですね」


私は、今一度自分の手の中にある物を見る。それは一枚の写真だった。写っているのは、仲睦まじく笑い合う四人の女性の姿と一人の青年。

その写真には、満面の笑みを浮かべる黒髪の女性と左目に眼帯を着用している少女。

もう一人は、白髪の女性に引っ付き、満面の笑みをした金髪の女性。

そして最後の一人は――


「…………」


写真に写った少女達の姿を見つめながら、目を細める。この写真を取ったのは五年前だったが、写真の中の彼女達は、皆一様に笑顔を向けている。まるで、この時が一番幸せだと言わんばかりに……。


だが、そんな風に笑う彼女たちの中でただ一人だけ、他の二人とは少し違った表情をしている者がいた。口元には小さな微笑みを浮かべているが、目元はどこか寂しそうな眼差しをカメラに向けている。


しかし、それでも彼女は、確かに笑っていたのだ。

なぜならば、その視線の先にいる四人の友人の姿を、しっかりと見据えていたから……。


写真を持ったままま立ち尽くしていると、背後にある扉が開かれた。振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。


女性の名は『加瀬風靡』。


「―――よぉ、クソガキ。元気だったか」


「えぇ、相も変わらず元気でしたよ。元気すぎて世界中の事件を無償で解決してしまうぐらいには」


そう言って部屋に入ってきた風靡さんは、手の中にある写真を見て、僅かに眉根を寄せた。


「……まだ引き摺っていたのか」


「別に引き摺ってはいませんよ。ただちょっと懐かしくなっただけです」


そう言うと、俺は手に持っていた写真をテーブルの上に置き、椅子へと腰掛けた。

すると、風靡さんも同じように向かい側の席に座る。


「それで? クソガキ、お前は何か分かったか?」


「…………」


私は何も答えずに、目の前に置かれている紅茶を一口飲む。


「はぁ……相変わらずだな。まぁいい、こっちはこちらで勝手に調べさせてもらうぞ」


「えぇ、どうぞご自由に」


そう言い放つと、私は再び紅茶を口に含む。すると、不意に風靡さんの目が鋭くなった。


「……本当に良いんだな?」


「何がですか?」


「これから起こる事に対して、何も干渉しないということだ」


その問い掛けに対し、俺はカップをソーサーの上に置く。


「何度も言っているじゃないですか。俺は……私は名前を捨てた、此処にいるのは君塚君彦などという人物では無い。私は――」


一呼吸置いて、私は告げる。


「――名無しの探偵です。依頼されれば関わりますが依頼されなければ関わることなど無い」


そう言った瞬間、風靡さんの目つきが変わる。


「……相変わらず可愛げのない奴め」


「お互い様ですよ」


私がそう返すと、風靡さんは何も言わずに立ち上がって扉の方へ踵を返す。


「あっ、そうそう。言うの忘れてましたが……」


部屋から出て行こうとする背中に向かって声をかけると、風靡さんは無言のまま足を止めて顔だけをこちらに向けてきた。


「――彼女達の意思は私の朽ち果てたものと違い、生きている。今や、彼女らの存在は調律者であっても無視できないものにまで大きくなっています、気をつけてください……まぁ《特異点》である私が言うのも何なんですがね」


私がそう言うと、風靡さんは鼻を鳴らしてから扉の向こう側へと消えていった。


一人残された部屋の中で、私は天井を見上げる。


(まったく……本当に不器用なのはどっちなんだか)


私は自嘲気味に笑いながら、目の前で深く眠る彼女の柔らかい白髪を撫でる。


「……じゃあな、俺の愛した世界。そして、こんにちは、私の忌む世界」


誰にも聞こえない声で呟き、ゆっくりと目を閉じた。


「あー、もう!依頼が多すぎる!」


ここは都内某所に存在する探偵事務所。その二階にある事務室にて、一人の女性の声が響き渡った。


女性の名前は『夏凪渚』。


この探偵事務所の主であり、かつてこの世界を救った一人でもある。そんな彼女は現在、デスクワークに追われていた。

というのも、ここ最近立て続けに依頼が舞い込んできたためだ。


「そもそもこんなに忙しくなるならもっと前から準備しておけば良かったかも。うぅ、まさかこんな事になるなんて……」


そんな事をぼやく彼女の手元には、大量の資料があった。それこそ、彼女が先程から文句を垂れている原因でもあったりする。その資料というのは、とある事件の調査報告書だった。


そして、その調査対象というのが、この探偵事務所に勤めていた青年―――『君塚君彦』についてだ。彼はかつて、この世界に蔓延していた組織を壊滅させた立役者の一人でもあり、また、数々の難事件を解決してきた人物でもあった。


そんな彼だったが、シエスタの心臓に根付いた《種》だけをもう少しで破壊できるといった所で、突然失踪してしまったのだ。それ以来、彼の行方を知る者は誰もいない。そして、彼が消えたと同時に、今までと比にならないほど強力な敵が現れた。


それが、今回の事件の発端であった。


「ほんと、なんでこうなっちゃったかなぁ……」


そう言いながら、彼女は机の上に積まれている書類を手に取る。そこには、これまで起こった事件についての詳細が書かれていた。


ある時は、とある富豪が殺された。

ある時は、とあるテロリストが逮捕された。

ある時には、とある詐欺師が捕まった。


そんな風に、様々な犯罪に関する事件が記されているのだが、どれもこれも、本来であればそこまで騒ぐ必要の無いものばかりだった。


しかし、全ての事件に一つだけ、共通点が存在した。


それは――


「―――全て『名無しの探偵』が解決したって、本当なの?」


そう、どの事件にも必ずと言って良いほど、『名無しの探偵』の名が書かれているのだ。それもただ事件に首を突っ込んだのではなく、まるで最初から犯人を知っているかのように的確に、迅速に謎を解き明かしていくのだという。その場にいた人物は挙って、まるで未来でも見えてるんじゃないかと口を揃えて言っているらしい。


「……ねぇ、どう思う?」


「えっと……何のことですか?」


そう言いながら部屋に入ってきたのは、一人の少女だった。ピンクと白の髪の毛のメッシュ、そして左目の眼帯が特徴的なアイドル―――斎川唯だ。


「いや、なんでもないよ。それよりも、今日はどうしたの?」


「えっとですね、今度出演するドラマの撮影が一息ついたので……ダメ、でしたか?」


「全然大丈夫だよ。ちょうど私も休憩しようと思ってたところだから」


「よかったです」


そう言って微笑んだ彼女は、そのまま私の隣へと腰掛けた。


「そうだ、唯ちゃんは知ってた?『名無しの探偵』の事」


「名無しの探偵……ですか?いえ、初めて聞きましたけど」


「そっか……まぁ、そういう反応になるよね」


「どういうことですか?何かあったんですか?」


「実はね……」


私は彼女に、これまでの経緯を簡単に説明した。すると、彼女は少し驚いたように目を見開いた後、すぐに納得がいったのか小さく何度か相槌を打っていた。


「なるほど、つまりその『名無しの探偵』っていう人が全部一人で解決しているんですね」


「そうなの。しかも、その事件はどれもこれも普通じゃありえないような内容ばっかり。それに……」


私はそこで一度言葉を切り、手に持っていた資料の中から一枚の写真を取り出して、それを彼女に見せつける。


「これを見てみて」


「これは……写真、ですよね」


「うん、でもただのカメラアングルじゃないの」


そこに写っているのは、どこかの路地裏のような場所だった。その中心には一人の人物が立っており、その周囲には無数の銃弾やナイフが突き刺さっていたり、壁や地面が破壊されていたりなど、一目見ただけでも凄惨な光景が広がっていた。


そして、その人物とは……


「まさか、これが『名無しの探偵』さんなんですか!?」


「うん、今の所、断定は出来ないけど、十中八九間違いないと思う」


その人物の顔には、目元の部分のみを覆うような仮面をつけており、顔立ちは解らないようになっている。だが、その身体つきは男性のように思えるし、何より、その人物の手には見慣れた銃が握られていた。もちろん、それが君塚が使っていたものと同じである保証など何処にもないのだが……だが、それでも、私はこの男『名無しの探偵』が『君塚君彦』である可能性が極めて高いと思っている。


「そんな人がいるなんて、知らなかったです……」


「まあ、知名度で言うならかなり低いだろうし、そもそもこの写真を撮った人もたまたま見かけたんだって話だし。あと、この人は事件が解決したらその場から消えるみたいに居なくなるらしくて、警察もお手上げ状態らしいから」


「へぇ~、なんだかすごい人ですね!」


「あー、うん、確かにそうなんだけど……」


目をキラキラと輝かせている彼女を横目に、私は苦笑する。


実際問題、この『名無しの探偵』は謎が多い。彼が『名無しの探偵』と名乗って活動を始めたのは、今から約二年半前の事だった。君塚が失踪した時期と数ヶ月違いではあるが、重なる。

また、彼が『名無しの探偵』として活動を始めるまでの経歴は一切不明であり、彼がどこで生まれ、どのようにして育ってきたのかすら分からない。そんな正体不明な人物を、どうして警察も野放しにしているのか。それは、彼の推理力によるものなのか、それとも他に理由があるのか……。

だが、この問題は対して重大ではない。一番の重大事件は、何故『名無しの探偵』は眠り続けるシエスタを拉致していったのか。それが何よりも重要であった。


「まぁ、それよりもシエスタさんの件についてはどうなったんですか?」


「うぅん……それが、まだ何も掴めてなくて……シャルも個人で探してるらしいんだけど尻尾すら掴めないって」


「そうですか……早く見つかるといいですね」

「そうだね」


そう言って私は、手に持っていた一枚の紙に目を落とす。それには、『名無しの探偵』がシエスタを拉致したという事が書かれていた。


「本当に……どこに行っちゃったんだろうね、君は」


誰にも聞こえないように呟きながら、私は手元の資料に再び目を落とした。

そこには、今回の事件に関係ありそうな情報が記されていた。まず、最初の被害者は、とある富豪だった。その人物は、世界でもの資産家であり、あらゆる業界の企業を束ねる程の権力を有していた。

そして、その富豪が殺された理由は、どうやら金が目当てだったようだ。富豪の家は莫大な財産を有しており、その遺産は莫大で、相続すれば一生遊んで暮らせるほどの額になるらしい。

そのため、一部の関係者は犯人を捕まえるべく警察は捜査に乗り出したものの、犯人の目星は全くついていない……というのが現状だった。

だが、この事件も迷宮入りするかと思われた、その時『名無しの探偵』が動き出したのだ。『名無しの探偵』は、警察に一切協力を求めず、たった一人で事件を解決してしまった。

その結果、事件は無事解決したものの、犯人は逮捕されずに忽然と姿を消してしまったのだ。それからというもの、『名無しの探偵』は様々な場所で事件が起きるとすぐに駆けつけては、瞬く間に解決してしまうという行動を繰り返してきた。そのたびにマスコミは騒ぎ立て、世間ではちょっとした有名人になっていた。

しかし、それも当然と言えば当然だ。なぜなら、今まで解決出来なかった事件を簡単に解いてしまう謎の人物が現れたら、誰だって興味を持つだろうし、自分もその恩恵を受けたいと思うだろう。私だってそうだし。

だから、この『名無しの探偵』という人物には、それだけの力があるのだと思う。だが、それと同時に私の中には疑念が生まれていた。それは、あまりにも謎が多すぎるという点についてだった。

確かに、これだけの謎があればミステリアスな存在に見えるかもしれないが、逆に考えればこれほどまでに情報を隠しているという事は、何か後ろめたい事があるのではないかと勘ぐってしまう。

そして、もしその疑惑が当たってとしたら……


「……さん、渚さん」


「えっ、ああ、ごめん、なに?」


「いえ、あの……大丈夫ですか?なんだか、難しい顔をされていたみたいですけど」


「……うん、平気だよ」


心配そうな表情を浮かべている彼女に、私は笑顔を見せる。今は、そんなことを考えていても仕方がない。私は、私の出来ることをやるだけだ。


「さて、じゃあ次は……っと、もうこんな時間じゃん!そろそろ帰らないと……」


時計を見ると、時刻は既に午後六時を回っていた。


「あっ、本当ですね……じゃあ今日はこの辺にしましょうか。資料、ありがとうございます!」


「いいよ、これくらい。それより明日は朝一でシャルに会いに行くからね」


「はい、分かりました!」


彼女は元気よく返事をし、荷物をまとめて立ち上がる。


「それじゃあ、お疲れ様でした」


「おつかれー」


彼女が部屋を出ていくのを見送ると、私は再び椅子に座りなおす。


「ふぅ……これでやっと終わりか」

なんだかどっと疲れた気がする。まあ、ここ最近色々とあったから無理もないのだが。


そして、私はデスクの上に置いてある写真を手に取る。


「……あれ?」


すると、そこに写っているはずの人物が消えていることに気付いた。私は慌てて周囲を見回すが、やはりいない。


「……まさか、ね?」


私は苦笑しながら、もう一度写真を覗き込む。そこには、変わらず君塚の姿が映っていた。


「ほんと、君塚は何処にいるんだろうね……」


そう言いながら、写真を元の場所に戻すのであった。

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