第2話 父親
田中一義は、一階の1番日当たりの良い部屋で介護用レンタルベッドから窓の外をぼんやり眺めていた。
霞んだような頭の中では、時々、息子の義雄が誰だか分からなくなる。
妻の由紀子を40歳の働き盛りの時に、病で亡くし、父一人息子一人で暮らしてきた。息子が大学を出て、社会人になり、ずっと勤めていた中小企業にも、シルバーまで働き退職した。
70歳の時だった。自分が知らない町にいて恐怖で足がすくんだ。
幸い、自宅から隣町で買い物に来ていた近所の奥さんに声をかけられ、自宅に帰宅できたが、会社を早退した息子と病気へ行く。
「どこも悪くないんだ!さ、さんぽをしていたんだよ!」
プライドから息子にきつく当たり、病院では気がつくと周囲の人々がこちらをチラチラ見るほどの大きな声をだしていた。
「認知症です。薬である程度は抑えられますが、お父様はご年齢もあるので・・・」
医者の言葉に、また腹が立ち怒鳴っていた。
「まだ、俺は70だ!認知症になるわけがないだろう!」
イスから立ち上がり、震える声で怒鳴ると、服の袖を息子の義雄がひっぱり、瞳には涙をためていた。
「父さん、とりあえず薬だけでももらおう」
息子は、無言で医者に頭を下げた。
その日を境に、体のあちこちに不調をきたし、最後は家の中を歩いているだけで、右足を骨折。
這って電話があるリビングまで行き、救急車を呼んだ。
「父さんを家に独りでは置いておけない」
息子が会社を辞めたのが40歳の時だった。
情けなさと怒りと虚しさで混乱した一義を昼夜問わず息子は、何度もなぐさめてくれた。
いつの間にか、息子の顔から笑顔が消え、認知症の薬が聞いているせいか、病気が進行しついるせいか、日中はベッドからぼんやり外を眺める事が、多くなった。
レンタルベッドも一義の年金から出ているが、安いものではない。老人ホームに入ると息子に言ったが、今はどこも満床で、親父の要介護では、入れないと言われた。
息子が40の手習いで始めた料理も、最初はしょっぱいやら甘いやらで、食べるのも辛かった。
「ごめんな、失敗ばかりで」
うつむいて夕食を食べる義雄が、哀れで何も言葉を選べずにいた。
「美味しいよ、母さんの料理が1番だったがな」
そう言うと、息子の義雄はかすかに笑った。
5年前に風呂場で転び、同じ右足を複雑骨折してしまい、それから風呂介助のヘルパーが来るようになった。
最初は、娘くらいの年齢のヘルパーに半裸をさらす事が屈辱で何度もことわったが、一人で風呂場に入るたびに転び、受け入れた。
「由紀子、義雄に何も出来ず役立たずの私は、生きている意味がない。早く由紀子のもとにいきたい」
一義は、独り小さく呟くとまどろむように、日向にとけるように眠ってしまった。
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