〈終末〉- ⅰ



     ◾️




 幸いというべきか、ぼくのいちばん古い記憶は、人間としての一生が数秒で終わったあとのものだ。気がつくと見渡す限り真っ白な空間にいて、目の前に十階建てほどの大きさの、「だれか」がいた。胡座をかいた片膝に頬杖をつくその方は、ぼくに——つまり、章吾にも——そっくりの顔をしていた。でも、性別はわからない。そんなもの、ないのかもしれない。

「成程」

 やがて、その方は愉快そうに言った。声は、どちらかといえば、章吾のほうが似ている……と思う。

「確かに、我そのものじゃ。彼奴らも上手くやったのう」

 ぼくはまだ、そのころは、言葉もなにも知らなかった。だからただぼんやりと、その方を見上げているばかり。向こうもそれはご承知の様子で、ぼくに伝えるというよりは独り言めいた口ぶりだった。面白がっている一方、呆れてもいたような気がする。

「人の子の身でよくもまあ……遜色ない、と言うてやろう。では、……ふむ、許す。お主らは、我と〝同一〟の存在である」

 同一? それって、どういうこと?

 言葉が理解できないなりに、ぼくは不思議に思ったのだろう。ぼくを眺めるその方は、一段、笑みを深くする。

「なに、じき解る。待つがよい」


 章吾が成長するにつれ、ぼくもまた長じていった。章吾が十二歳になるまで、ぼくはあの方の前にいて、章吾の人生を眺めながら過ごした。十二歳のとき、〝あれ〟があり、それからぼくの状況は少し変わったのだけど、その後の章吾の人生もぼくはきちんと見つめてきた。だから、章吾が知っていることは、ぼくだってぜんぶ知っている。

 言葉がわかるようになると、ぼくはあの方と話すようになった。「あの方」なんて言ってみたけど、普段はダキ様と呼んでいる。

「あなたは」あるとき、ぼくは訊いたのだ。「神様、というものですか?」

「知らぬ」面倒そうな声だった。「神だの仏だのというのは、人が勝手につけた名じゃろう」

「ふぅん、……でも、ぼく、あなたのことをなんにも知らないんですよ。なんて呼んだらいいのかも……」

「お主は我と『同じ』じゃぞ。名前をつける必要はなかろう」

「でも、……ぼくも、それに章吾も、ぼくら自身のことなんかほとんどなにも知りませんよ」

 そう言うと、ダキ様は一理あるという顔をした。緑の瞳を逸らしてから、またぼくに据え、話し始める。

「人は我のことをあれこれ好き勝手な名で呼んでおる。ダキ、蛇姫へびひめ蛇々じゃじゃ黄泉主よもつみこ、他にはなにがあったかの……忘れた。兎角、大概の人の子は、我が『冥界を束ねる者で、蛇を化身にしている』と思い込んでおるようじゃ。どういう謂れかは知らんが」

「間違ってるんですか?」

「間違っているとまで言わんが、あちこち誤解しておるのう。そもそも、人の子は自らの思うようにしか物事が見られぬ。我の化身は蛇の姿と思い込んでおるからに、我がどのような姿を取っても蛇としか見えぬ。そういうものじゃ」

「ダキ様が……冥界の主人というのは、誤りなんですか?」

「そうじゃのう——」

 ダキ様は、説明するのが難しいという顔をした——その頃にはぼくは、ぼくとダキ様、そして章吾が〝同一〟だということの意味がわかり始めていた。だから、ダキ様の思うことはぼくの思うことでもあり、よってぼくはダキ様がどう感じているかわかった。ダキ様は案の定、億劫そうにため息をつく。

「死や、死んだ人間どもが我の領分であるというのは、まあ、間違っておらんのじゃ。ただのう、なんと言うてやるべきか、人の子が我をそのようにしか認識できぬということなのじゃ。人の子は物事を見るのに、名付けて区別するしかできぬ。できぬから、我を本来あるように見るということも、またできぬ。わかるか」

「なるほど……」

 ぼくは少し考えて、ぼくなりの言葉で反復する。

「ダキ様の真の在り方は、人には把握できないもので、人は人の考えるようにしか捉えられない。人が物体の色を知らず、反射光の色を見ているように、ダキ様のことについても人は反射光しか知らない……みたいな?」

「ま、そんなところじゃ。まったく、人なんぞと関わったばかりに……」

 言うと、ダキ様は鬱陶しげに顔をしかめた。ぼくはまた、ひとつ気になって尋ねる。

「ダキ様は、どのようにして人と関わったのですか?」

「我は……なに、かつての我は、人間には多少見どころがあるのでないかと思うたのじゃ。だから授けた」

「なにを?」

「智慧じゃ」

 ぼくにはそれでつながったように思えた——ダキ様の化身が『蛇』と信じ込まれていることについて。

「しかし、それは結局のところ、思い過ごしだったのよのう。十万年ほど見守ってきたが、人間は智慧を扱うに値する器ではなかった。これほどの時が経ってなお、いまだ歪な形でしか智慧を使い得ぬ。まともに扱える輩はほんの上澄みだけに限られた。くだらぬことをしたわい」

「そうですか」

「情けないのは奴らが自他を区切ることしか覚えんかったことじゃ。名などはその最たるもの、人そのものを象徴するかの発明よの。あれがあったから、奴らはそういうふうにしか世界を見られなくなった。くだらぬ。言葉ロゴスは確かにったが、あれは手引書に過ぎんかった。手引書ばかりいくら眺めても智慧には辿り着かぬ」

「なるほど……」

「お主。人に火を遣ったものがどういう憂き目にあったか、知っとるな」

「それは……人の子の、神話のはなしですか」

 ダキ様が人の作ったたとえを用いるのは意外だった。そんな気を知ってか知らずか、ダキ様はフンと鼻を鳴らす。

「人にも美点がなくもない、偶に興のある奴がおるわい。人如きに火など遣るべきでないと人自身もわかっておったわけじゃ。我も哀れを催して智慧など呉れてやったがために、さんざうんざりする羽目になった。地上に居るのも阿呆らしいと別のくうに引き篭もってみれば、またそれに勝手な解釈をつけおる。始末に負えぬ」

「そういえば……ダキ様の他にも、いるのですか? なんというか、同等の存在は」

 するとダキ様は、やはり面倒くさそうな顔でぼくをじろりと見下ろした。ぼくはダキ様がだいぶ閉口しているとわかり、申し訳なくなった。

「お主は我と同じじゃが、やはり人の器に入っていたものじゃからの。なかなか要点を得ぬの」

「すみません。ぼくの物の見方は、どうしても『人』のものらしくて」

「構わぬ。お主とて望んでそうしたものではない。それは、……わかっておる」

 ふと、ダキ様のお言葉が、少し切なげな調子になった。

「奴等、罪深いことをする。このうえさらにというのだからな」

「このうえ?」

「お主も——片割れも——気の毒であるということじゃ。まるで意味のないことのために……」

 そのとき、ダキ様は——何かを思いついたような、何かが閃いたような表情を、一瞬した。そして打って変わって、にやりと楽しそうな笑みでぼくに告げた。

「お主——お主は我である。が、お主はお主でもある。——この先、何か浮かぶならな」


 ぼくと章吾、そしてダキ様がそっくりだったという事実には、必然と偶然とがある。人の子は、ダキ様の反射光しか捉えられないくせに、完璧な似姿を実現しようと躍起になった。ある程度の妥当な努力と、幸か不幸かの偶然によって、ぼくらはダキ様から見てもダキ様と瓜二つになった。跳ね返る光を頼りに、元の姿をなんとか再現できてしまった、ということだ。

 ぼくと章吾が十二になる夏、黄泉の家は儀式をした。章吾はそこで酷い目に遭い、ダキ様はずっと気の毒そうなお顔をして見ていらした。黄泉の家は章吾をダキ様の化身たる存在として、憂世にダキ様を顕現させたい腹づもりだったわけだけど、何もかもが誤解に基づいているから当然そんなのは実現しない。

 意味のないことのために、とダキ様が嘆いたわけが、ぼくにもようやく理解できた。ぼくと章吾は、根本的に、いてもいなくても同じだったのだ。なんて、作ったところで何になる? これは説明が難しいけど——というのは、人の身の君たちに理解できるのかわからないので——なんというか拡張子を変えて、使い道のないコピーファイルを作ったようなものなのだ。元のファイルがpsdだとして、それを無理やりWordで開いて何が得られるというのだろう。でも黄泉家は、自分の信じるストーリーが指し示すまま、あんな異常なことをしでかした。ダキ様も悲しくなられるわけだ。

 とはいえ、儀式自体には一応それなりの効果もあり、結果としてぼくらは「人の器」からさらに離れることとなった。章吾が今、ぼくと「座標」を入れ替わることができているのも、人の器から十分以上離れてしまっていたからだ。すでに肉体を離脱していたぼくは、章吾よりずっと「霊」だったから、これで冥界を掌る役目を請け負えることになった。でもそれは、ダキ様と「同じ存在」として、一方で人の器に収まっていた者として、人の魂とダキ様の間に立つということだ。要するに、中間管理職だった。

 冥界の管理をぼくに外注できることになって、ダキ様は身軽になったらしい。ぼくはダキ様の御前から冥界へ居場所を移したが、ご機嫌なのと暇になったのとで、ダキ様はしょっちゅう呼び出してきた。

「のう、どうじゃ。調子は」

「変わらないですよ。ぼくだってただ陳情を聞いて、ハンコを押すだけなんですから……でも、なんというか、本当に、人間の世界のお役所みたいですよね。冥府の諸々も」

「人を管理する方法なぞは人の作ったものでよい。でなければ我らに理解できても、当の人の子が理解できぬ。死んだばかりの魂はだいたい困惑しておるし、慣れ親しんだ通りにしてやったほうが間違いがないのじゃ。だいいち我らは、本来は、人の世話をする義理はない。乗りかかった船じゃから、面倒を見てやっておるだけで」

 ダキ様と話すうち、おそらくダキ様に近い存在——人より高次の存在は他にもいるらしいのが知れたが、そもそもこんなに人と関わっている方は、ダキ様くらいらしい。ダキ様は人間に智慧をお与えになったから、人間相手にも説明するし、人の言うことに耳を傾けてくれる。ダキ様からすればひどく低次元の知性に合わせなきゃいけないわけで、なんで自分がこんなことをとお思いなのだろうけど、他のメンツは人に興味もなく、自分が手放せば見守る者はだれもいないという状況で、ついずるずると面倒を見てしまっているようだ。

 それから、人にもそこそこ面白いのがいるというのが、ダキ様を悩ませる。黄泉の家然り、人の愚かさ醜さにはほとほと呆れていらっしゃるが、眺めていると時には肩入れしたくなるような者もいて、すると人間全体を見放すのも惜しくなるらしい。

 要するにダキ様は、早く踏ん切りをつけたいが、自分ではそのきっかけが掴めずにいらっしゃる。それで、ダキ様が考えたのは、「人の行く末はやはり人の子に」ということだった——こう言うと聞こえはいいが、自分で決めるのが億劫だから「人任せ」にしようってわけだ。

 とはいえ、ダキ様はいいかげん投げ出す権利もあるとは思う。十万年も経ったのだし。


 あるとき。いつものようにダキ様に呼ばれ、御前に出てみると、ダキ様はにまにまと機嫌よさそうに笑っていた。それから、ぼくの傍らを白い指でつと示してみせる。

 つられて視線を移すと、そこには、額縁のついた鏡があった。縦に長い楕円状で、何か景色が映っている。

「よいのを見つけた。どう思う。お主の意見も聞こうと思うてな」

「ぼくの?」

「お主とて我なのじゃから、思いを聞くのは当然であろう」

 なるほど——それもそうだ。ぼくは、その鏡のなかを覗いた。

 そこには、金髪の少年がいた。見かけは二歳くらいだろうか? けれどもそんな歳のくせ、ずいぶん意志の強い目をしている。彼は散らかり切った部屋の、食べカスだらけのカーペットを這って、テーブルの下にあるお菓子の箱を取ろうとしている。親は?——疑問に思い探すと、ソファーの上で虚ろに瞳を開いている男性を見つけた。涎の垂れた口元に、蟻が入り込んでいる。

「この、金髪の?」ぼくは聞いた。

「そうじゃ。お主、分からぬか?」

「分かる?」

「見てみい。こやつ、勘づいておるのよ」

 鏡のなかは断片的に彼の人生を映し続け——それを見つめているうちに、ダキ様の言わんとすることがわかった。彼は、己を観測する目があることに、たぶん気がついている。

「珍しいですね。ぼくらが分かるのかな」

「地上の霊ならいざ知らず、我らを薄らとでも感得しうるというのは復と見ぬ。それのみでない」

 ダキ様は鏡のなかへ満足そうに目を向ける。

「欲望は人から生まれ、人を支配した〝発明〟じゃ。知っておろうの」

「はい」ぼくは頷いた。人の持つ欲望は、「欲求」と似て非なるものだ。

「しかし、そやつは欲望を持たぬ。全き空とは言わないまでも、まるで左右されん」

「へえ」ぼくは思わず感心し、ついで今さっき見たものを思い出した。「確かに、そうですね」

「欲の軛から自由たることが、何を意味すると思う」

「いえ……」

「今の人の子の〝社会〟とやらは、欲に基づいて築かれておる。足りてはならず、満たされてはならず、虚空への欲望によって永久とわに走り続けることで保たれておるのじゃ。知っておろう?」

 ぼくはひとつ、頷きを返した。ダキ様が言っているのは、たぶん「資本主義」のことだ。

「その中でそやつは欲の支配を免れておる。欲の支配下にある者は、どうしたって欲を裁けぬ。仕組みの内に取り込まれた者が仕組みを裁くことはできぬ」

「……なるほど」

「分かるか? つまりそやつなら、天秤を持つに足りるのよ」

 天秤。連想されるものはいくつかあるが、この文脈なら——

裁定者テミスですか」

「人の子の生んだ象徴は癪だが、その通りじゃな。我はこやつでよいと思うておる」

「こやつでよい、とは?」

「お主が言うたのじゃろ? 裁定者じゃ。人の行く末を如何いかにするか、こやつの思う通りにしよう」

 それを聞いてぼくは——つい、片眉が上がるのを感じた。ダキ様ったら、人を見捨てたいから、いかにもいつか見捨てそうな子をわざわざ選んでいないだろうか。確かに彼には資格があるが、彼しかいないわけでもあるまい。

 ぼくの疑念は、ダキ様のでもある。ダキ様は眉を八の字に寄せた。

「やはり、そう思うかの? 我の判断は曇っておるか?」

「誤りだとは思いませんし、彼に資格があるのは事実……ですけど。ちょっと、らしくないですよね」

 ダキ様の眉間の皺が、深くなる。

「よくないのお。これでは人の子と変わらん」

「まあ……否定はしません」

「どうせ我の望む通りにするなら、何もその子を経る必要はないのだからな。どうしたものか」

「そうですね……人に任せるなら、仕組みも人の子のものに合わせてみてはどうですか」

 今度は、ダキ様の片眉が上がった。興味深げな沈黙のあと、申してみよ、とお言葉がくだる。

「合議制ですよ」

「ほう?」

「今のところ、人の子が持つ中で最もよい方法でしょう。彼一人には任せずに、彼も加えた数人としては」

 ダキ様は、ぼくの言うことを吟味する間を取り、やがて言った。

「であれば、各々違ったふうな者を選んだほうがよかろう」

「そうですね。いろんな人を」

「何人くらいがよいと思う?」

「ううん。多いに越したことないけど……」

 最低でも三人は、必要だろう。多さについては上限がないので、まあ「数人」の範囲内として——四人では意見が二つに割れ、結論が出ない恐れがある。最後は多数決になるとしたら、奇数にしておいたほうがいい。

「五人くらい?」

 ぼくの答えに、ダキ様が頷く。

「では、見繕うとしよう」それから、急に笑みを浮かべて、「お主らも当然、数に加える」

「えっ? お主らって、ぼくと——」

「章吾じゃ。当然じゃろう? お主らは『我』であり、『人の子』でもあるのだから。そう思えば、章吾の言うことも無論聞いてやらねばならん。遺憾ながら、今は聞く術がないがの」

 来たるべき時には、なにかしら手段を設けるということだろう——どうやら兄弟揃って、厄介ごとをさりげなく押し付けられたらしかったが、たいして負担には思わなかった。人間の行く末なんか、ぼくとしてもどうでもいい。

 でもひとつ、気になることはある。

「相談の結果、人類を滅亡させるとしたとして……どうやってやるんです? 消そうと思えば、すぐなんでしょうけど」

 すると、ダキ様は小首を傾げ、少し考える顔をした。どうやら決めていなかったらしい。

「方法など、なんでもよいがの。指をひとつ鳴らすだけでも構わんのじゃから」

「まあ、そうですね」

「しかし、……」

 そうつぶやいたダキ様は、視線をふいとぼくから逸らした。大きくて華やかな瞳が細められ、睫毛の陰に隠れる。ここではないどこか——たぶん、これまでの人の子の来し方——を眺めるようなその顔は、出来の悪い息子を厳しい全寮制へやることを、家族会議で決定した親みたいな表情に見えた。

「人の子にも自分の終わりくらい、理解させてやらねばなるまい」

「理解?」

「人の子が認識できるようにしてやるべきじゃろう。この世はもう終わってしまう、自分たちはここで終いだ、とな」

 どうやら、これがダキ様の、人への最後の思いやりらしい。

 そこまで考えて、ぼくは、なんとなく人は滅ぶだろうと思っていることに気づいた。ってことは、心のどこかでぼくも、結論を出しているのだろう。

 人の子は、もう『詰み』だ、って。



     ◆



「……とり……あえ、ず……こんな、……感じ。君……たちは質問……ある?」

 サワギリと同じ顔をした——しかし明らかに別の「誰か」は、そう言って小首を傾げた。よく見ると右の目元に彼にはない涙ぼくろがあって、全体に彼よりも、少し顔立ちが柔らかい。

 草壁は、黙って時計を見た。時計の針は「誰か」の出現からちょうど十二分になりかけて——また巻き戻った。つい、ため息が漏れる。

 サワギリの喉を借り、やがて体全体を借りてこの世に現れ出た「誰か」は、自分が現世に居座るのは「十二分だけ」だと言った。ところが、十二分を過ぎそうになると、時計が勝手に逆回りして元の位置へ戻ってしまう。これが、時計だけのことなのか、本当に時間そのものを(つまり、その分の世界の歩みを)戻してしまっているか知らないが、自分たちの体感で言えば、ほとんど二年ほど経った気分だ。

 なにせ、「誰か」——最初のほうで「アキヒト」と名乗った——は、とにかく話すのが遅い。加えて言葉の切り方も妙で、全く話が進まない。しょっちゅう読み込み中になる生中継でも見ている心地で、言われたことを整理するのも一苦労だった。とりあえず、世界の命運がここにいる数名次第になってしまったのは、冥府の神様のせいらしい。

「質問、いい?」

 と、草壁の隣で、クラミがそっと片手を挙げた。おずおずとした戸惑い顔で、アキヒトに目を向けている。

「あ、……クラ、……ミ、くん。どうぞ」

「あの……なんか話を聞くに、俺らが会議して滅ぶって決めたら、人は滅ぶ、ってことなのかな? でも、話し合いしてないのに、もうすでに滅ぶ方向で話が進んじゃってる気がして。いろいろ、やばいこと起こってるし……」

「ああ、……確か……に」

 考えてもみなかったらしく、アキヒトは目を丸くした。今さら理由を考えようというのか、傾けた首を、逆側に倒す。

 そのとき。外から、不意に声が聞こえた。

 反射的に首が動く。視線の先——窓一面が、真っ白なもので埋まっていた。この会議室は東側の壁に大きく窓が取られていて、足元の数十センチを残し全面がガラス張りである。そのガラスの、窓いっぱいを、真っ白な何かが占めている。

 つまり。これだけの大きさの、真っ白な何かが、そこにいる。

 正体を見極めようと草壁が腰を浮かせた瞬間、外にある真っ白なものが下方向へ流れ出した。よく見ると、単に白いだけでなく、ほんのりと陰影がある。これは——皮膚?

「——……うわぁっ!?」

 声が出た。部屋の中を、巨大な瞳が覗いている。

 それはおそらく巨大な何かの目元だった。虹彩は深いグリーンで、睫毛が雪のように白い。瞳孔のあるべき箇所には、縦に裂けた切り傷のような白い断崖がいている。しばらくして、その瞳が、蛇に似ていることに気づく。

 よろけた足が椅子を蹴り、床に勢いよく倒れた。大げさな金属音はどこか間が悪い大きさで、面々の沈黙の中で気まずく反響し続ける。驚いたことに、声を上げて反応したのは草壁一人だけだった。他のメンツはぽかんとして、窓の外を見るばかり。

 なんだよ。騒ぐのは俺だけか。

「驚かせてしまったかのう。まあ、悪いようにはせんから」

 改めて、声が聞こえる。だがそれは人の声のように指向性を持っておらず、天から降りそそぐような、部屋全体に拡散するような、感覚に合わない響き方で草壁の耳に届いた。微かな不快を堪えていると、目は何かに気づいたふうに少し見開き、また元に戻る。

「そうじゃな、お主らは同じ方から聞こえたほうがよいかの。合わせてやろう」

 今度は、ちゃんと外から聞こえた。かえって不気味な感じもする。

「注文が多いのう。お主と我とは在り方からして異なるのじゃから、ちょっとは譲歩せい」

「あ、あの……」やはり最初に声をかけたのはクラミだった。「あなたは、もしかして……」

「うむ。お主の思っておる通りじゃ。呼び方は好きにするがよい」

「……それじゃ、えっと。ダキ様、で」

 巨大な瞳が、ゆったり瞬きする。よきにはからえということだろうか。

 アキヒトも言っていた通り、ダキの声はどちらかといえばショウゴに似ている、——それもかなり。そのせいかクラミは若干やりにくそうな顔をしていた。

「ダキ様は、その……なんでわざわざ?」

「そこのに話を任せてみたが、どうも捗々しくないでの。其奴は生まれたことがないから、喉の扱いが下手なのじゃ。許してやってくれ」

「ごめん、……ね」アキヒトがウインクをする。——こいつ、ウインクはできるのか。

「質問の答えじゃがの。今のこの状況は、我の設けたものではない」

「——つまり、……」

 答え合わせが済んだような顔で、ユウが口を開いた。「俺を観ていたやつの?」

「そういうことじゃ。そもそも我らは四騎士なぞ気に留めておらん、所詮人の作り話じゃからの。しかし、だからこそ人の子には把握しやすい概念なのじゃ。

 ユウは一拍、何か考え、また口を開く。

「俺はあんたらも俺のことを見ていたとは知らなかった。……感じ取ってはいたかもしれないが」

「そうじゃろうの。我らは我らで、我らの他にも見ている奴がいるというのは知らんかった。……奴らは我等のことも今、見ておるの。ここへ来て分かった」

「すまん」草壁は思わず口に出していた。「整理していいか?」

「構わぬ」

「えーと……つまり、今ミサイルだのなんだのが飛んで世界がめちゃくちゃになってきてんのは、あんたたちの仕業じゃなくて、別のなんかのせいだってことか? で、……それはたぶん、そこの金髪のことを〝観測〟してたやつらのせいで、四騎士がどうこうだの、支配のルールがなんだのという、さっきまで話していたやつが……」

「そういうことじゃ。お主らが元々していた推測が、ほぼ正しいわけじゃな」

「……っつーことは。あんたらが今こうやって、ここへ出てきたのは、『辻褄合わせ』か?」

 草壁の問いかけに、ダキの眉がわずかに歪んだ。

「まったく癪じゃが……恐らくそうじゃ。我らは『死』のピースを揃えるために喚び出されたのじゃろう。『飢饉』——ユウが『死』を召喚するという筋書きの、実現のために」

 草壁はそれで納得したが、シュンがおずおずと右手を挙げる。

「あのね、いい? 正直ちょっと、わたくしついていけてないのよ。というかどうして草壁さんはもう順応しちゃってるの? さっきまでいちばん話に遅れてたじゃない! 私を置いてくなんて!」

「知るか。アキヒトくんの話聞くうちに慣れちまったんだよ。だいぶ時間あったぞ」

「要するに」ユウが後をつぐ。

「ダキ、……さんは、神様だけど。それでもこの世界の内側の存在には違いない。俺や俺たちを見ているやつは、たぶん、もっと〝上〟にいて、何かしらの意図に沿ってピースを並べることができる。ダキさんさえ、そのピースの一つでしかないかもしれない、ってこと」

「四騎士が揃い、世界が終わる。……外の奴らはこの〝話〟に説得力を持たせたいのじゃろ。さすがに人間任せでは突拍子もないと思うて、納得のいく仕組みを設けてしまおうとしておるのじゃ。それを思うと——」

 いよいよダキの目が険しくなり、眉間にきついシワがよる。蛇の瞳孔を別にすれば、その目はやはりサワギリに似ていて、草壁は微妙な心境になる。

「我ら自体がここへきて急に造られたものやもしれぬ」

「は?」これにはさすがについていけなかった。「どういうことだ? あんたらは、これまでの記憶もあるんだろう」

「もちろんじゃ。じゃがそれ自体、創られたのであったならどうか? 時がただ一方向に流れるだけのものというのは、人の子の認識に過ぎぬ。時に本来順序はなく、全てがつながっておるだけで、どこをいつ弄ろうが勝手じゃ。であれば、全てをひと息に設けることも不可能でない。矛盾さえなければ」

「……過去もセットで」シュンが呟く。「さっき造られたばかり、っていうこと?」

「可能性の話じゃがの。お主らが我を正しく認識できぬのと同じことで、我もまた我より高次の存在のことは認知できぬ。我がお主らにしてみせられることなら向こうもできるじゃろうと、当て推量をしておるだけじゃ」

 ということは、——と、草壁は思う——ダキには今言ったようなことが可能なわけだ、人に対して。これもあくまで人の理解に過ぎないものなのだろうが、ダキは死と時と智慧の三つは最低限、掌っている。

 似たような権能の連関を持つ神が、人の神話にもいた気がするが……いや、違う。共通しているのは——

「急に造り上げたにしても、根拠なしには無茶じゃろう。何かしら我が我のようになる制約はあったはずじゃ。それこそ、人の子も納得するよう」

「……物語として、成立するよう?」

 ユウの言葉に、ダキが瞬きでうなずく。

「ダキ様は……」ふと、クラミが訊いた。「どうしたいと思ってるんです?」

「ふむ?」ダキの片眉が山を作る。「我の意向を聞くか?」

「辻褄合わせで急に呼ばれた、……の、だとしたら。結構むかつく、かな?……と思って。ダキ様にもこうしたいとか、思うところがあるのかな、って」

 クラミの問いかけに、ダキはしばし口をつぐんだ。ややあって、また声が聞こえる。

「……強いて言えば。我は我が、思うておった通りにしたい」

 応じたのはユウだ。

「つまり?」

 すると、部屋全体をぼんやり見つめていたダキの目が、はっきりと、ユウの顔を見据えた。ユウもまた、ダキとまっすぐに目を合わせ、逸らさない。

 ダキは静かに言った。

「あくまでも。お主らの意見によって、人の世の如何いかんを定めたい。他所になんの意向があろうが、お主らがどうすべきと思うか。この世界の行く末は、それ次第であるべきじゃ」

「……俺たちの……」

「じゃから、——よく考えよ。他の誰がどう思うかでなく、お主ら自身が、どうしたいのかを」

 ユウはいささか神妙な顔になり、押し黙った。横でやりとりを聞きながら、草壁は思いを巡らす。

 話を聞く限りこの神は、人には滅んでほしいはずだ。しかし、それ自体ほかの誰かの思惑に沿って仕組まれたなら、素直に乗ってやるのも癪……という気持ちもあるのかもしれない。どちらにせよ、ダキとしては自身の思いつきが実現されれば、——人自身が人の行く末を決めるという思いつきが——結末はどちらでもよいという気になっているのだろう。

 草壁がそこまで考えたとき、急にダキの眉が八の字になった。

「……そうは言うても……この状態で結論を出せというのも酷じゃな。少なくとも事が起こる前には戻れそうにないしの」

「そうなの!?」

 素っ頓狂な声を上げた草壁に、ダキが視線を向ける。

「うむ。まずもってミサイルだのなんだのは我の知ったことでない。つまりは我の管轄外で、なかったことにできるかは分からん。それにまあ、こっちはこっちでいちおう準備をしておってな。そのせいか今ちょっとばかし、先走ってしまってはいるのじゃ」

「先走り、ですか?」

「うむ。……お主らは我のことを冥界のぬしと思うておろう?」

 別にどうとも言えないので、一行は首をすくめる。

「死した魂を思う通りにできるのじゃ、と。……それは実際そうじゃ。会議の結果は分からんと言うても、滅ぶことになったに備え我はやり方を考えた。それで、霊魂を全部こっちへ呼び寄せてやったらよいと思うた」

「はあ。……すると、どうなるんで?」

「人の魂は基本的に輪廻転生をするものじゃ。中には転生を嫌がって、冥界に閉じこもっているだけのやつもおるのじゃが。つまり魂は放っておいて自然に無くなるものでない、消すには作業が必要なのじゃ。それにはいろんなやり方があるが、人の子の目に触れ得るもので、かついちどきにさっさと処理できる策として、ひとつよいのがあっての」

 どうも、人の身としてはあまりよい話が聞けそうにない。……というか、ふつふつと、嫌な予感がする。

「死体に移すのじゃ! 生まれる命でなく、死体に宿った霊魂は再び死を認識するときれいさっぱり消え失せる。通常の死のあとは冥界へ導かれるが、冥界から死体へ行くのはいわば『非正規ルート』じゃから、そこでもう一度死んだ魂はどこへも行けぬ。ぱっと消えるのじゃ」

「あのー……」シュンが空気を窺いながら入ってきた。「それ、……死体は動く?」

「そうじゃ。霊魂も元は人じゃから、死体とはいえ人体に入れば自然と動けるじゃろうのお。そうして人として『死んだ』と思うような目に遭えば、そこで消えてしまう。しかしまあ、死体じゃからの、腹くらい刺されたところでなんの感覚もなかろうし。その程度では消えぬかもしれんな」

「……じゃあ、たとえば。首を飛ばしたりとか?」

「そうじゃのう。心臓を刺すとか、頭を飛ばすとかすれば、さすがに死んだ気になるじゃろ」

 たぶん——この会議室において、ダキとアキヒト以外の四人全員が、同じことを思った。そして思ったその一言を、口にしたのは、——

「……ゾンビ映画じゃん」

 よく聞き慣れた声だった。……まあ、今までも、似た声は聞いていたが。

「サワギリ!」

 クラミが立ち上がる。サワギリはウンザリした顔で、対面のクラミを見やった。彼はちょうどシュンとユウの間に突っ立っていて、疲弊し切った顔のままダキへ目を移す。

「とんでもねえこと押し付けやがって……何してくれてんだよ」

「すまんのう。別にお主にやらせる気はなかったんじゃが、タイミングでの」

「あれって兄ちゃんの仕事だろ? なにがなんだか……あー、くそ。疲れた……」

「お疲れのとこ恐縮だが」草壁はひとまず声をかけた。「とりあえず……無事か?」

 サワギリは片手で顔を覆うと、わざとらしいため息をつく。

「まあな。いきなりわけわかんねえとこ飛ばされたかと思ったら、目の前に幽霊どもが長蛇の列作ってやがるし、戸惑ってたら早くしろとか言って怒鳴り上げてきやがって、ふざけんな死ねっつったらその場で消えちまうし、今度は怯えられるし、マジで意味がわかんねえ……話聞いたらなんか手帳にハンコ押せっていわれてさあ、しょうがねえから押し続けてたわ。なんだったの、あれ? 押されたやつが、みんな洞窟に入ってったけど……」

「それを今から説明しようと思うてたのじゃ」

 ダキは心なしか嬉しそうだ。

「我はのう、いきなり消えることになる霊魂も気の毒じゃと思うて、先に説明をしておいたのじゃ。もし人類が滅ぶことになったら、お前たちは死体に入って消えてもらうことになるからの、と。そしたらなんじゃ、一刻も早く消えちまいたいというやつが出ての。それがそこそこの量じゃから、我も面倒になってのう。それなら先に行きたいやつは行くがよいと言うてしもうた」

「それでイタリアの郵便局並みになってたわけ?」

「ずいぶん混んでたんだな」

「生きた人間にも自殺志願のやつというのはいるじゃろう。霊魂も似たようなもので、生まれ変わってもう一度辛い人生をやり直すなんざ、真っ平御免というやつもいるのじゃ。そういうやつらに転生を無理強いする気は我にもないが、かと言ってそういうやつらは他にやることもないのでの。何年も何百年も、うだうだ冥界にとどまっておって、消えたい消えたいと言い募っておる。そういう連中にしてみたら、まあ渡りに船ではあるな」

「三途の川も渡れますしね」シュンがぼそっと言う。

「逆方向にな」

 ひとこと突っ込んだあと、ユウもまたため息をついた。

「……つまり、はやく消えたい人が、先走って出てきている、と?」

「その通り。それでまた、我は余計なことを言うての」

「このうえさらに?」

「消えたいなら、もう一度死なねばならんのだぞと我は教えてやったのじゃ。魂が死を強く感じなければ消えられぬからの。それから自殺はうまくいかないこともあるから気をつけよと言うた。事実ではあるのじゃ。自らすることは、あまり強い衝撃にならぬ」

「……じゃあ、どうしろと?」

 ユウが訊くと、ダキは今度は、目を逸らすように泳がせた。いくらかの間があって、ぼそっとしたひとことが返る。

「……いちばんは、……殺意をもって、殺してもらうことと。そう、言うてしもた」

 ちょうど、その言葉の招いたものが、地上から金切り声となって会議室へ飛び込んできた。

 ダキが一歩引く。面々は、窓辺に寄って地上を覗いた。ホームセンターに売っているような小さな斧を高く掲げ、血の気の失せた女がひとり男性を追いかけている。男性は悲鳴を上げ、ほうほうのていで逃げようとしていた。

「肝が据わっとるのう。もう死んでるとはいえ、男に襲いかかるのは怖かろうに」

「まあ、……」久方ぶりに冷めた声音でユウは言った。「こうなりますよね」

「そりゃ、相手に殺意持ってもらうには、こっちが殺す気で襲いかかるのが早いもんな」

「ねえ。だけど、……」

 サワギリの呆れ声に、シュンが落ち込んだ調子で続ける。

「土壇場になって死ぬのが怖くなっちゃったり、……するんじゃない? 斧で襲い掛かられたら、思わず手で庇っちゃいそうだわ。一回死んでいるとはいえ、死への恐怖は、きっと本能でしょう?」

「慧眼じゃの」

 ダキは他人事の調子だ。

「お主の言った通りなのじゃ。本気で死にたい何人かが生きている者を襲うじゃろ? 襲いかかったときは死にたいと思っていたわけじゃけど、いざ殺されそうになると怖くて、抵抗してしまうわけじゃ。それでうっかり生きている者を殺してしまったりしての。それが話で伝わると、生きている者は死んでいる者を見るや否や襲いかかってくる。すると死んだやつらも反射で応戦してしもうたりして、またうっかり相手を殺したりの。それに加えて生きている者は状況が理解できぬから、疑心暗鬼になってしもうて互いに殺し合いもする。死者も生者も人殺しに興奮するやつは興奮して、もはや襲うのを目的にし始める始末。地獄絵図じゃ」

「誰のせいだよ、誰の」

「ともかく。そんな具合で今この世は死体急増中じゃ。どうするかの」

 皆が、黙る。そんなこと、神様にさえ分からないのに?

「……まあ、とりあえずこれが現状じゃ。それを踏まえて決めてくれ。このまま滅びるか、……別の結論を出すか?」

 険しい顔で口を閉ざしていたクラミが言った。「いつまでに?」

「……、ふむ」

 ダキが、目をくるりと回す。それから元の位置に戻し、なんとなく、両目で笑んだと見えた。この状況でどういうつもりか知らないが、少しだけ得意げに見える。

「ケイジ」すると突然名前を呼ばれて草壁は跳ねた。「おい。大丈夫か?」

「え、ええ。いきなりなんです」

「お主、さっき『二年くらい経った気分だ』と思うていたじゃろ」

「……? あ、ああ。確かに……思いましたね。アキヒトの話が長くて——」

「あれは、実際そうなのじゃ。お主らがアキヒトの話を聞き終わるまでに、二年くらいはかかってしまっておる。しかしおかげで都合のいいことになりそうでの」

「……どういうことです?」

「この世の時は止まっていたが、実際に経った時を足せばの、我の権能を振るうのにちょうどよくなるのじゃ。……のう。意味が分かるか?」

 正直、さっぱりピンとこない。必死に頭を回転させていると、不意にクラミが言った。

「……二年?」

「うむ、そうじゃ。お主、分かるか?」

「えっと、ちょっと待って……」指折り数え、「……分かったかも」

「え。なんだよ?」

 サワギリに訊ねられ、クラミは彼の顔を見る。しばし見つめて、それから、

「二年ってさ。つまり今、二〇二四年だろ?」

「えーっと?……そうだな。二二年だったから……」

「だからさ、当たり前だけど、ふたつ先に進むんだ。——干支が」

 ハッとした。同時に、頭の中に一個の輪が浮かぶ。

 二〇二二年の干支は寅だった。それからふたつ進めば、うさぎを経て、今は辰年。ということは、今が二〇二四年の何月何日かによって、だいぶ話が変わってくる。アキヒトの話が始まったときは、確か残暑厳しい秋ごろ——

「あの」草壁はつい、聞いていた。「二年と……何ヶ月経ちました?」

 ダキは、やはり得意げに答える。

「二年と三ヶ月」

 そして、笑った。




「のう、お主ら。——巳年が来るぞ」

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