〈第一の刻〉



    ◆



 世界が終わり始めている。

 一斉に鳴り出したスマートフォンのアラームに、一瞬、顔を見合わせた四人は、即座にテレビのほうを向き、サワギリがリモコンを掴んだ。まもなく映った画面にはニュース速報が流れている。アナウンサーが状況を伝える。だが話が頭に入ってこない。映し出される信じ難い光景——

 世界各国でミサイルが勝手に発射され続け、またそのどれもが自国内の工場やインフラ施設に落ちている。人々は避難を始めているが、全体の被害はまだ推定も出せない状況だ。不思議なことに、発射されたミサイルに核弾頭の積まれたものはない。また、一説には、核弾頭付きのミサイルは発射自体ができないように機構が自壊しているらしい(これはSNSや掲示板に流れ始めた話で、真偽不明)。同じように原発施設も軒並み稼働をやめていて、破壊の被害はない代わり、全く使えなくなっている。

 まず今現在の被害だけで、かなりの長期間電力と食料供給に難が出ることは明らかだ。何しろ特定の国だけでなく、およそ戦争兵器を保持する全国家に起こっている事態なのである。収拾がつく気はしないし、映像を見ても、フェイクに思える。

「ウソでしょ……」

 何分、ぼうっと観ていただろうか。やがてシュンが呟きを漏らした。

「ほんとに? 馬鹿げてる。日本だけで起こるならともかく、世界各国でなんて……」

「でも、お前が利用したのは『ヨハネの黙示録』だろ。キリスト教圏全体に起こってるとすれば、相当な範囲だぜ」

「だったらどうしてイスラム圏にも降っているの? 中国だって被害を受けてるみたいよ」

「知るかよ。どうせキリスト教圏全体に起こせるんだったら、世界規模にしちまうのだって一緒なんじゃないの」

「あのさ」

 口を挟んだのはクラミだった。シュンとサワギリは、黙って彼を見つめる。

「今の事態って……例えばの話カルトに染まった、高いレベルのハッカーとかがいたら、人為的にでも起こし得る騒動なんじゃないのかな。そんな組織があるとしたらぜったい核を落とすはずだから、その時点で違うんだろうけど。つまりその……」

 相応しい言葉を探すクラミの隣で、シュンがポツリと応える。

「実行の難易度で言えば……もとよりそこまで高くはない、と?」

 言葉を吟味したあとで、クラミは頷いた。サワギリが座り、頬杖をつく。

「なるほどな。そこまで起こすのが難しくないから、お前程度の影響力でも全世界カバーできちゃうってワケ?」

「さあ……雲をつかむような話ね。でもその説明は頷けなくもない」

「だとしたら世界ってホントに綱渡りなんだなあ」クラミが呆れたように言った。「それで、どうしよう?」

 応える者はいなかった。また四人、黙り込む。

 ニュースは繰り返しに入っている。あらゆる工場、あらゆる施設。あらゆる国が、燃えている。

「この爆撃は」草壁が口を開いた。「何が目的なんだ?」

「え?」

「人を殺そうっていうんなら、もっとやりようがあるはずだろ。この状況で死者数がゼロだってこたぁなかろうが、少なくとも、爆撃自体で人を殺す気はないように見えるぞ。だったらそれこそ住宅地とか、繁華街に落とすだろ?」

 残る三人は改めて、ニュース映像を見つめた。なるほど爆撃の映像は、閑散とした平野が多い。

「無人施設が先に爆破されている、ってのも、ほかの施設の従業員が避難できる間を設けるため? とすると確かに、人を殺す目的でこの事態を起こしてるんじゃないのかもしれない」

「けどインフラを潰してんのは殺意高いぜ。こんなことしたら、じきに力ずくで奪い合う羽目に——」

 言いかけて、サワギリはやめた。他の全員が、次に彼が言おうとしていたことを察していた。

 代わりにクラミが言う。

「そういうことかも。次に人々が奪い合い、争い合うことになるための舞台を整えている。これは、」

「——〈支配〉」

 シュンが、息を吸い込んだ。テレビを見据えたまま。

「〈第一の刻〉よ」



    ◆



「よく分かんねえなあ」

 ラーメン屋のカウンターで、アズキヤは箸を割りながらぼやいた。目の前には湯気の立つ丼が置かれている。チャーシューのたっぷり入った豚骨。

「結局、今の状況って、その〈第一の刻〉とやらなんですか?」

「説明を無理につけるなら、それじゃないかと思うねえ」

 ユウはオーソドックスな醤油ラーメンを啜り込み、水を飲むと言った。

「もともとシュンの教義では、〈第一の刻〉というのはこの世のルールが変わっちゃって、その結果が世に出始める段階のことだ。でその結果っていうのが、新たなルールのもとに下される刑罰——〈業火〉の形になるって話だね。そこ行くと、今世界中で起きてるミサイル墜落こそが〈業火〉、という説明はつく。僕らの信者さんとかは、疑わずに信じてくれるんじゃない?」

「めちゃくちゃこじつけですけどね。根拠ゼロだし」

「宗教なんてそんなもんじゃないか。その人の中で信じるに足る論拠があれば、なんだっていいのさ」

 また、一口啜り込み、ユウはもぐもぐと顎を動かす。アズキヤもそれを横目にスープを掬った。れんげをパクリと含む。

「あとまあ、これは予想だけど……皀の自然発火がすでに〈業火〉の端緒だったとしたら、法則性が見出せなくはない。あの人はたぶん自らの悪事の代償として燃やされて、その死に方はナパーム弾に焼かれるような形になった。ベトナムからの技能実習生を搾取したからだ。となるとさ、ほんとシンプルに、」メンマを頬張り、飲み込む。「『自業自得』、じゃない?」

 アズキヤはしばらく考え、やがて、軽く頷いた。

「確かに。ひとんちに撃つつもりで買った武器、自国に落ちてんすもんね」

「そういうこと。防衛のためって口実で、人に絶えず向けていた銃口が自分を向いてきた。まさにばちが当たったってえ感じだね、……これ、日本的かな?」

「俺よりあんたのが外国文化には詳しいでしょうよ。少なくとも」

 そっけない一言を最後に、しばし二人はラーメンを啜った。無言に咀嚼の音が続く。半ばまで食べ終えたとき、アズキヤが不意に声を発した。

「なんか、結構意外っつーか」

「うん?」ユウは箸を止める。「意外?」

「俺、ユウさんて何に対しても熱くなんないタイプと思ってたけど」

「そう? そうね、あまり熱心さはない」

「でも、キレることもあるんすね。怒りとかの感情、あったんだー、って」

 ユウは、目を丸くしてアズキヤを見つめた。アズキヤはそちらを見ずに、再びラーメンに没頭している。

 いつまでも視線が向かないので、ユウは答えた。

「キレる? 僕が?」

「そっすよ」

 口をもぐもぐとさせつつ、うまい具合に音を出さずにアズキヤは言った。

「めっちゃキレてるじゃないですか。なんつーか——世界に、対して?」



    ◆



 ビーッ、と勢いよくジッパーが閉まる。キャリーバッグに片膝で体重をかけながら、シュンは淡々と話す。

「ルールを変える……その場を掌握するってことが〈支配〉の本質だとしたら、環境を都合よく変えちゃうのは、最も顕著な例よね」

「あれ? どんなつええキャラがいても、運営がナーフしたり使用禁止にしたら意味ないみたいな」

「そんな感じね」

「よくわかんないよ」

「あれだ、スポーツであるだろう。すごく速い泳法をある選手が思い付いたのに、次から世界大会ではその泳法は禁止ですってしちまう。するとその泳法ができない奴が有利になって、できるやつは丸損なわけだ」

「そっちなら、まあ。……つまり今、誰かにとって有利な形に世界は変わっているのかな?」

「有利なのか、『都合がいい』なのかは分からないけどね。文明社会を機能停止にさせたい事情があるんでしょう」

 なんとかジッパーを一周させたシュンは、ほうっと息をついた。夜中に急に出てきたにしては随分な荷物だ。

「お前、心当たりねえの? ユウが原因だとしてさ」

 とっくに荷物をまとめていたサワギリが、シュンに訊ねる。

「心当たり?」

「世界を滅ぼすにあたって、社会の文明レベルを下げるとこから始める理由だよ」

「うーん、そうねえ……」

 キャリーバッグをベッドから下ろし、シュンは軽く宙を見つめる。

「普通に考えたら、四騎士の手順をしっかり踏むためのプロセス——でしょうけど、そういうことじゃない気もする。そもそも、世界を滅ぼす、動機……」

 数秒の沈黙。やがてシュンの顔に、閃きが走った。

「あ」

「なに?」

「そういえば昔、ユウと話したことがあった。世界が終わるんだとしたら、どんなふうに終わるのがいいか」

 何かを思い出す間のあと、シュンは続きを継ぐ。

「ユウは、核戦争を起こすのが一番現実的だって言ったわ。現実的な上に簡単だって。一発どこかが落としちゃえばほとんどおしまいなんだから。でもそれは、ありそうな話って意味で、さして面白くはないわよね。私が不満げにしてたせいか、彼、君ならどんな滅亡がいいのかって訊くの。それで私、少し考えて——」

「……なんて言ったの?」

 クラミが顔を上げる。シュンは彼の目を見た。

「ゾンビ」

「なんで? キモくね?」サワギリが声を上げた。

「だってえ、いちばんなんとか生き延びられそうな感じしたんだもん。サメが湧いてくるのは嫌だし、虫とか奇病もキモいし、自然災害はもう絶望だし」

「サメが湧いてくるのはやだけど、サメ相手のほうがまだ良くない?」

「それはあなた、人間の驕りよ。サメのほうが生き物としてのスペックは数段上ですから」

「っつーことは、なんだ? ゾンビ映画が実際起こるくらいまで、文明レベルを下げようとしてるってことか? この状況」

 手帳を開いていた草壁が、言う。そこに視線を落としたまま。

 三人は、目を見合わせた。ゆっくり互いの目の色を確かめ、それから、草壁に目を注ぐ。

「それじゃん」

「は?——何が?」

「今アンタが言ったことだろ。ゾンビ映画が成立する状態にしようとしてんだよ」

「いやでも、ゾンビ映画は別にミサイル落下から始まらないだろ」

「普通に考えて」シュンが二人に割って入った。「ゾンビ映画はゾンビ映画だからパニックになりうるのであって、現実の今の文明レベルで似たようなことが起こったとしてもそう簡単に混乱はしないわ。銃器は嫌ってほどありますし、理に適った閉じ込め政策だって取れるでしょう。そりゃあ〝愛する家族〟だとかがゾンビになっちゃったりなんかして、キツイ事態は頻発しそうだけど、そもそも今のネット社会じゃ話が周知されるのも早い。避難誘導や隔離はもっと早い段階で起こるはず」

「……それが立ち行かないようにってことか」

「そこまで考えて言ったんじゃねえの?」

「いや、こう、口から咄嗟にだな」

「そういうことってあるわよね」

「あるかァ?」

「まあ、もういいじゃない」

 宥めるように両手を動かし、なあなあに済ませると、シュンはパチンと手を叩いた。つい皆、そちらに注目する。

「で、これからどうします?」

 また、全員が沈黙する。数分前の再演のように。



    ◆



 赤い暖簾、どころか店の入り口から腰をかがめてくぐるユウの横で、アズキヤは少々仏頂面に暖簾の下のほうを払った。道へ出るとユウは右手のビルを見上げる。件の雑居ビルだ。

「おいしかったねえ。最期の晩餐にしては、ちょっとチープな感じしたけど」

「やめてくださいよ。俺は生き残る気満々すから」顔を顰めて言い返す。と、そこでアズキヤは、何かに気づいたように反対を向いた。

「どうかした?」

 ユウも後に続く。改めて神経を凝らすと、何やら揉めているような声音が遠くに聞こえてくる。

「騒がしいね」

「なんすかね」つぶやき、アズキヤは二、三歩進んだ。「コンビニ?」

 視線の先に目を向ける。見慣れたロゴの立て看板がT字路の角にあり、壁のデザインも見えた。白とブルーとグリーン。この配色にそっくりの国旗がアフリカのどこかにあったなとユウがぼんやり思っていると、プラスサイズの女性が視界にひょいと出てきた。角の向こうで誰かに突き飛ばされたらしい。女性はカッとなった様子で、激しく怒鳴り返している。

「どうしたんだろう」

「なんすかね——」応えつつスマートフォンを開いたアズキヤが、あ、と声を上げた。「食糧かも」

 ユウが覗き込むと、画面をむけてくる。SNSのUIだ。

「スーパーとかコンビニとか、今すげー並んでるって。ひとまず食糧とか電源とか確保しようってことすかね」

「みんなが同時にそう考えて殺到したら、まあ、そうなるよね」

「あそこのオバチャンと誰かの喧嘩もそれじゃないすかね。順番抜かしたとか、そういうやつでしょ」

 ユウは次第に激しくなる女性の金切り声と、音量が上がるにつれて届き始めた男性の胴間声とをしばらく聞いた。それからもう一度アズキヤのスマホを眺め、ふむとつぶやいて、自らのスマートフォンを取り出す。

「せっかくだし、最後に一仕事するかな」

「なんすか?」

「僕、小遣い稼ぎにさ、世論形成に加担しててね」

「は? ああいや、予想はつくけど」

「各種SNSにアカウントを数百単位で持っているんだ。入力した文章をさまざまな語調、文法に変化させて無作為にバリエーションを作るAIを組んでてね、それをボットに繋げて生成した文をつぶやかせる。同時に呟くとバレるから、時間差をつけるようにして、あとは互いに拡散しあえば、特定の意見の形成は簡単だ。デマの流布も」

「インターネットの悪用法のお手本みたいなことしてますね」

「まあ僕のは規模がでかいだけで、やってること自体は簡単な話なんだけどね。それを活用するか」

 スラスラ説明を述べたあと、ユウは片手で文章を入力し出した。アズキヤは反対側から覗き、見づらかったのかユウの側へと移動してくる。

「デマの内容はなんすか?」

「今回はデマじゃない。ただ進展を速めるだけだ」

「進展?」

「遠からず確実に起こる事態を、不安感たっぷりに喧伝するのさ。自然状態でもゆっくりと進行しただろう状況に、触媒を投げるだけ。大したことじゃない」

 指の速度が上がる。アズキヤは入力されていく文章を目で追った。話が見えてくるにつれ、感心するやらドン引きするやら、思わずユウの横顔を見上げる。

『ヤバい。俺んちの周りのコンビニ、水全部なくなった。実家は上水道止まってるらしい。彼女のアパートも水は出るけど、ドロドロのサビで濁ってるって。水、飲めないとヤバいよな? 食えなくても十日は保つけど、水は三日も保たないんだろ』

「どうして物が足りなくなるか分かる?」

 基本の文章を送信したあと、AIがさまざまなバリエーションに言い換えていく様を見ながら、ユウは訊ねた。

「え? 需要が供給を上回るから」

「わあ、正解。いっぺんで出されちゃつまんないな」

「だってそういうことじゃないですか、基本」

「その通り。何も資本主義に限った話じゃない。全てそうだ」

 文章はさまざまな人間の語調に変換される。アニメオタク、映画通、コンサル風の男、キャバ嬢、美容垢、ミニマリスト、アイドルオタク、サバゲー界隈、ゲーム界隈、ポエム界隈、写真好き、本好き、絵師、歌い手、配信者——

「本来は足りないからこそ欲しくなるのが順当だ。だから太古の貿易は単純な物々交換だった。余ってるものを足りないものと交換する。なんの不足もない。ところが、あらゆる物が有り余るこの現代社会では、逆転現象が必要になった。そしてそれは成立している。資本主義社会になってから、ずっと」

 練り上がった文章が、次々に、投稿され始める。ユウの口角が上がった。

欲しいから足りない﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅

 同時に、——ユウのスマートフォンが、通知バナーを表示し始めた。絶え間なく更新されていくバナーをしばし見つめると、パーソナルモードを設定し、通知を止める。それからあっさり画面を切ってポケットに入れた。

「効果出るかなあ」

 いつもの薄笑いで、ユウは再びコンビニの角へ目をやった。いまだに諍いは続いている。傍らの彼の顔を見上げて、アズキヤは、ふと思い出した。


 そういや、この人。〈飢饉〉だったな。

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