第十四話



 人間、自分が慌てているとき、自分以上に慌てている人を見ると不思議と落ち着くものだ。お化け屋敷なんかも、隣の人間がビビり散らしているとなんとなく平気になるものらしい——まあ、俺はそもそもああいうの、ビビんないけど。

「おちおちおちおおおおお落ち着いて考えましょう」

 サワギリは向かいのシュンを見つめて、ヨーグルトを飲んだ。売店で風呂上がりに相応しいドリンクを買った四人は、とりあえずスパに併設されたホテルに移って部屋に籠もっている。

「いやお前以外の全員落ち着いてんだよ。ちょっとしっかりして」

「一応、話は聞いてたがなあ……」草壁が後頭部を掻く。「こっちは『何言ってんだ?』って感じだぞ。本気になることか?」

「貴方さまは分からんでしょうけど、こっちはそれどころじゃないワケよ。だいいちあなた皀のイカれた死に方も知らないくせに!」

 相変わらず蒼い顔のシュンはそう叫び、ゴクゴクとフルーツ牛乳を呷る。

「俺、説明しとこうか?」

 スポーツドリンクを片手におずおずクラミが右手を挙げたので、サワギリは短く「頼むわ」と言った。

「シュンさん、映像とか送っといてもらえる? 俺ら窓際で話すから」

「ああ、ええ、はい、そうね、お願いします」

 場の了承を得て、クラミが席を立つ。部屋の大きなテーブルから窓際のソファへ移った。一人がけソファはもう一脚あり、草壁もしぶしぶ後を追う。これで、テーブルにはシュンとサワギリだけ。

「あなたこういう話、キライよね?」

 少し平静を取り戻したのかこちらを気遣うシュンに、簡単に答える。

「平気。もうそれどこじゃない」

「……何かあった?」

「さっき、鏡あったろ」

「鏡?」

「風呂出たとこに」

「ああ」思い出したふうにシュンは頷く。「あったわね、こう、向かい合わせの。スキンケアするブースでしょう?」

 あれやっぱ、そのスペースだったか。こういうところに来るようなやつは肌にいろいろ塗るのだろうか——かく言うサワギリも昔からあまり肌が強くなく、特に日差しに弱いので種々のケアは必要だった。今回は急だったので備え付けのトナーを取って、鏡を見た、そのときだった。

「俺さ」

「うん」

「自分の顔よく分かんねえんだよ」

「どういうこと?」

「写真でしか顔見れねえの。なんつーか……鏡見ても、誰映ってるか分かんねえんだよな」伝っているか確かめるように、シュンを見る。「映ってる顔もよく見えない。っつーより、見えてんだけど、パーツごとにしか見れなくて、結局どういう顔かってのがピンと来ない。生まれた時からな」

 相貌失認という症状がある。人の顔を全体像として認識できず、従って上手く区別がつかない障害のことだが、サワギリは自分の顔にだけそれがあった。しかも、鏡で見た時だけだ。写真に写る自分ならどういう顔か分かるのだが、鏡で見た像が頭にないから、他人のようにしか思えない。「どうやらこの顔が俺らしい」という曖昧な意識で生きてきたので、正直なところ自分の「美貌」の程度も自分では分からない。だから視線が、余計薄気味悪い。

 気の毒そうな表情を浮かべるシュンに「それはいんだけど、」と続ける。

「さっき見たとき、分かったんだよね」

「え?」

「鏡の顔。俺だって」

「……あら、それは……」

「でも、よく見ると、違った」

「は?」

「あれ、俺じゃない。兄ちゃんだ」

 シュンが絶句する。ややあって、応える。

「死産の?」

 サワギリは頷く。鏡に映っていた顔。自分にはない位置に、黒子があった。それに、あの微笑。

「確証はねえぞ。当たり前だけど、俺兄ちゃんの顔知らないし……」手元のヨーグルトをもてあそぶ。「でも、俺にそっくりで、そんで俺じゃない顔ってさ、兄ちゃんしかいないだろ。双子だったらしいから」

「産まれてすぐ死んだ兄様が、大人の姿で映ってたの?」

「うん。もしかして」蓋を開け、一口飲む。「いたのかも。ずっと」

 シュンは軽く握った手を、口元に当てている。

「お兄様のお名前、なんでした?」

章人あきひとだっけな。俺と同じ字」

「ああ、章吾の章ね。お兄様、どんなお顔で立ってらした?」

「んー……なんか、笑ってた。俺と違って優しそーで、なんかフワ〜ッとしてる感じ」

「それじゃ貴方を恨んでるわけじゃあないのかしら」

「知らねえけど。あんまそういう感じはしない」

 ふんふん、と小刻みに頷き、それからシュンは首を捻る。

「どうして今、現れたのかしら? 何か言われたわけじゃないのよね」

「それな。でもまあ、意味あんでしょ。これまで一度も出なかったわけだし」

「伝えたいことがあるとして、それはいったい何なのかしら」

「分かるかよ……話したこともねえのに」

 兄らしき誰かは、黙って微笑んだあと、数秒してからふっと消えた。消える直前に口を開こうとしていた気もしたが、分からない。だが少なくともサワギリは、この認めたくない現実をいい加減認める気になった。あるいはそれが狙いかもしれない。

 もういい加減、覚悟をしろと。

「死んだ兄貴が黄泉よみだかなんだか知らねえが向こう﹅﹅﹅にいるとして」サワギリは続ける。「俺はそっちと繋がってるってことなんだろ。いろいろ考えるに。でなきゃ死んだヤツのことばっかこんなにあれこれ視えるわけねえ」

「お兄様とあなた、対なんだわ。双子でしょう? 双子は鏡像の象徴よ。お兄様も鏡に出たのよね」

「うん。……俺と、入れ替わりたいとか?」

「分からないけれど……悪意がないんなら、そんなつもりもないんじゃない?」

 話題が他人のことになっていよいよ落ち着いたらしいシュンは、フルーツ牛乳をまた開ける。

「あたし、ちょっと考えたんだけど。四騎士の役目、あったでしょ?」

 黙って頷く。シュンはテーブルの上を探し、メモを一枚破り取るとペンを握った。

「〈第一の獣〉は獅子、〈第二の獣〉が牡牛、第三を……仮に人形として、第四は鷲。繋げると、」パッと描いたにしては出来のいい四つのマークの下に、これまた器用に四人の似顔絵を描き、線でつなぐ。「こうなるわよね?」

 向けられた絵を見て、サワギリは頷く。〈第一の獣〉がサワギリ、〈第二の獣〉がクラミ。〈第三の獣〉がシュンで、〈第四の獣〉が、ユウ。

「でも、これじゃ噛み合わない」

 続けてシュンはメモを反転させ、何かを下へ描き足した。これも四つのマークだ。手、剣、天秤、ドクロ。

「獣たちが呼んだ四騎士は、それぞれ役割を持っていた。〈支配〉〈戦争〉〈飢饉〉〈死〉。この役目を私たちに当てはめるとしたら、どう?」

 サワギリはメモを睨む。「〈支配〉はお前?」

 シュンは頷く。「たぶんね、そう。だってそういう話したでしょ。私は、ルールを敷けるから——」手のマークと自分とをつなげる。「他は?」

「……クラミは〈戦争〉だな。アイツが喧嘩で負ける気がしねえ」

「およそ物理的な争いごとで彼が殺されるビジョンないわね」シュンも頷き、線を足す。「あなたは?」

 目を見る。もう、彼のほうには答えがあるだろう。こちらとしてもこの二択では、認めざるを得ない。「……〈死〉」

「でしょうね。あなたは〝根の国〟の、跡取り様だもの。——文脈の上じゃ」

 必然的に、〈飢饉〉はユウだ。新たなマークも全てつながる。

「見て」

 描かれた図を改めて見て、顎をさする。「なるほどな」

 結びつく獣と、騎士が違うのだ。サワギリを獅子と見れば〈第一の獣〉のはずだが、〈死〉と見るならば四番目。シュンも同様で、獣としては第三、騎士としては一番目になる。ユウも第四と三番目でずれ、一致するのはクラミだけだ。

「このズレはちょっと気になるわ」トントン、と人差し指で叩く。「あの子、どうする気?」

「そんなのお前以外分かるかよ。俺らあの人のこと知らねえし」

「彼のこじつけの上手さったらほとんど詐欺師よ。なんとかして、説明を見繕ってくるはず。聖書読み直そうかしら」

「それで言ったら俺、もう一つ疑問あんだけど」

「なあに?」

「ここ」

 サワギリはユウと天秤のつながりを指す。「これ、説明つく?」

「……あ、そっか」

 サワギリは一瞬、シュンが自らの見落としに気づいたのかと思ったが、直後にそうではないと悟った。シュンが知っていて、こちらが知らない事実があるのだ。彼はそれを話そうとしている。

「確かに〈飢饉〉って役割としても曖昧でヘンテコですけれど、天秤と思えば説明はつくの」

「天秤?」

「〈飢饉〉の騎士は秤を持っていて、それで食糧を量ってね、人々に与えないようにしちゃうの。いえ、与えないというのはわたくしの解釈ですけれど、ともかくヨハネの黙示録では秤を持ってると描かれる」

「ハハン?」と、急にサワギリは、得意げな顔でチェアに凭れる。「読めたわ」

 シュンは途中で説明をやめる。こちらを見つめる彼の顔に、サワギリは指を鳴らし、人差し指を向けた。

「つまり、お前じゃなくってさ。俺らと同じパターンってワケでしょ?」

 シュンは、少し考えた。そしてサワギリが言わんとすることを察すると、顎を引く。

「そうね。あなたの言うとおり、同じだわ——獣のとき﹅﹅﹅﹅と」



     †



 ダークウッドの扉には、金属製の数字プレートが打たれている。508。その傍らにスーツ姿の小柄な男が立っていて、退屈そうに前方を見つめ、時折左右を確かめる。長く続く廊下にも、前方の窓にも、特に変化はない。中から少し物音がする。足音が近づく。

「参った参った」

 ドアをくぐるようにして、長身の金髪が現れた。自身の右手に渡していた、金色の何かを確かめる。

「これ要る?」

 差し出された手を見て、アズキヤは顔をしかめた。

「なんすか、それ」

「拳にキッチンのスポンジを当てて、それをロレックスで留めてるのさ」

「見れば分かりますよ。用途を聞いてんです」

「クッションを巻いておかないと殴るときに痛いじゃないか。でも相手に当たるほうは硬くしておきたいからね。こうすれば、一石二鳥」

 アズキヤは訝しげに、彼の右拳を覗き込む。ロレックスの表面が赤いしずくを弾いている。

「誰のすか?」

「中のおじさんの」

「おっさんのロレックスでおっさん殴ったんすか。ひでー」

「そりゃあそうでしょ、誰が自分の時計なんか使うの? 割れちゃうかもしれないのにさ」

「もらっていいんすか」

「うん。捌くのもめんどいしね。使う?」

「こんなダセエの誰が使うんすか。後輩に流します」

 受け答えに肩をすくめ、ユウは留め金をパチリと外す。血で濡れたままのロレックスを受け取り、アズキヤはスーツで拭いた。

「そのやり方、自分で考えて?」

「うん? ああ、思いついてね。『ボクたち助かる、あなた怪我する』さ」

「最低の売り文句っすね」

「真似するかい? 特許は取ってないよ」

「いや、いいっす。クラミさん直伝のがあるんで」

 ユウは少し興味をそそられたが、あえて聞かないことにした。代わりに、ふと思いつき、別の質問を投げる。

「アズキヤくんはさ」

「はい?」

「もしも世界が終わるなら、どんな終わり方がいい?」

「ええ……」引いたような声を出し、しばし考える。「そっすね……」

 ユウからの突拍子もない雑談には慣れているからか、アズキヤはさして不思議がらずに思案を巡らせた。ややあって口を開く。

「相手は問わないんすけど。バトルものがいいすね」

「バトルもの?」

「なんか、エイリアンでもゾンビでも、何でもいいんすけど、こっちで相手しなきゃいけねえやつ。大地震とかその手のは、ちょっと。テンション上がんねえし」

「ふぅん」ユウは興味深げな声を出し、彼に目をやった。「ゾンビか……」

「なんでんなこと聞くんすか?」

 答えぬまま、スポンジを部屋へ投げ捨てる。ドアを閉めるとユウはカードキーを受け取り、ポケットにしまった。

「ちょっとね。ありがとう、参考にする」

 ユウはあることを思い出した。五年以上も前のことだ。



 地面から湧き出たサメに若い男が喰われたところで、カートが髪を拭きながらリビングに現れた。すでにシュンと名乗っていた彼は、まだ小さかったテレビを見て、呆れたふうな声を出す。

「またヘンテコな映画?」

「和むんでね」振り向かずに答え、音量を下げる。

 カートが冷蔵庫を開けて、飲み物を取り出す音がした。プシュッと鳴ったのは炭酸水だろう。それをグラスに注ぎ、瓶を仕舞ってから、グラスだけ持って彼はこちらへやってきて、ソファの背後に立った。口をつけ、一口飲む。

「どんなお話?」

「話らしい話もないな。ある日突然でかいサメが至る所に現れ出すんだ」

「それは困ったわね。サメによる死亡事故の例は年間でも数えるほどしかないのに」

「ねえ。サメだって好き好んで人とか食べないと思うけど。あっでも、案外旨いのかな? クマは病みつきになっちゃうって言うだろう。人の味覚えてさ」

「クマがゲテモノ喰いなのかもしれないわ」答えると、カートは隣に座った。「音、戻していいわよ?」

「いいんだ。どんな音量で見ても、さほど内容に変わりない」

 カートは肩をすくめた。画面を眺める。見窄らしい出来のCGが、後付け丸出しの音響とともにサメの来襲を描いている。

「痛そう」小さく眉をひそめる。「サメに喰われるのいやぁねえ」

「やだなあ」俺は半笑いで続けた。「ねえカート」

「なに?」

「カートはさ、世界を確実に終わらす方法ってなんだと思う?」

「世界を?」聞き返し、うーん、と唸る。「こういう映画みたいに?」

「そうそう。でも、いろいろあるだろ? 世界滅亡のシナリオって」

「そうねえ……」しばし考えて、カートはこちらを向いた。「隕石じゃない?」

「隕石?」

「それか、太陽の膨張。これはもう今の人類じゃ全くどうしようもないわ。他のあれこれは何だかんだ対処ができちゃいそうですけど、天体系は無理でしょう」

「なるほど」

「エディはどう思うの?」

「僕?」カートの手からグラスを取って、一口飲む。「核戦争」

「まあ」カートは呆れた顔だ。「リアリストね」

「いちばんありそうで、いちばん止めようがなさそうだろ? ちょっとミサイルを何発か用意するだけでいいんだぜ」思わず、笑いで喉が鳴る。

「先の戦争の原爆ですらあれほどの犠牲を出したんだ。現代の核兵器がどれほどのものか、誰に分かる? 一九五四年時点の水爆は、百六十キロ先の漁船を被曝させて犠牲者を出した。実験現場は吹っ飛んで周辺さえ今も人が住めない。それほどのものが出来てなお、今まで開発をやめてないはずだ。ひとたび銃を突きつけあえばもう止めることはできないからな。今のレベルの兵器なら、いったい半径何キロが飛ぶ? もしかすると爆破の衝撃で地震や噴火が誘発されるかも。放射能だってより凶悪に改良﹅﹅できているかもしれない。そんな兵器を各国が、計何個持っていると思う。世界中の保管庫目掛けて何発か打てば世界滅亡さ。核を発射する必要もない」

 俺が調子よく喋るのを、カートは黙って聞いていた。ぽつり、と言う。

「なぜ笑ってるの?」

 彼の顔を見る。彼は少し、怒っているような表情カオだった。

「……僕はさ」彼のグラスを、また奪う。

「みんなが。そんな状態で平気なのが、可笑しくて堪らない」

 カートは口をつぐむ。俯く彼の横で、俺はごくごくと中身を飲む。

「凄まじい綱渡りだぜ。でも誰も危険を考えない。いや、考えてる奴はいるな、けど聞く耳を持たないんだ。ほんの些細なきっかけで一瞬で全て終わるのに、そんなことになるまでずっと続けてきたのが、理解不能だ。馬鹿なんじゃないか? なのにこの先も、無事でいられると思ってやがる——」

 半分まで減ったグラスを、カートに返す。彼は受け取り、その中身を見つめた。

「おめでたいのが、面白いの?」

「そうだね」

「なるほどね」そして、口をつけた。「だったら、分かる」

 俺は、カートの横顔を見た。少し落ち込んだその顔に、声を投げる。

「カートが思う、理想の滅亡って、どんなだい」

「理想の?」首を傾げ、口を尖らせる。「滅亡の時点で、理想も何も」

「どうせ終わっちゃうんなら、せめてこういうのがいいな、って」

「うーん……」

 カートは終わりかけの炭酸水をちびちびと啜り、やがて答えた。

「そうねえ……サメはイヤ。だって痛そうだもの。おんなじ理由でエイリアンもイヤだし、虫とか出るのもキモくてイヤよ。感染症は疑心暗鬼になるし、核戦争もすごく……イヤ。人間なんてバカと知ってるけど、死ぬときに人に絶望するの、やるせなくって悲しい。隕石や自然災害も、滅ぶレベルだと『終わった〜』って感じで、なんかこちらの工夫のしようがないのがやだわ。だから、そうね——」

 俺は頬杖をつく。カートは、C級映画を眺めて、言う。

「ゾンビかな。ワンチャン、ありそうだし」

 俺は微笑んで頷いた。ゾンビか。ふぅん。

 参考にしよう。



     ◆



「オッサンはついてけねえなあ」

 草壁は後頭部をわしわしと掻き、席についた。クラミからの説明が終わり、二人はまた中央のテーブルへ合流している。

「なんとか信じられそう?」

「どうかね。オッサンが生きてきた年月からするとキツいもんがある」

「まあそれも分かるけど」サワギリはヨーグルトを飲み切ると、容器をゴミ箱へ投げた。「俺もいよいよ逃げてらんねんだよね」

「なんかあったの?」クラミが聞いた。

「さっき、お風呂上がりに、お兄様がお見えになったんですって」

「え? お兄様?」

「死産のはずだろ?」

「だからその死んだ兄貴が映ってたんだよ。鏡に」草壁に返す。「俺の顔そっくりだけど、俺の顔じゃなかった。口に黒子あって」

「へえ……はあ、……マジか? それ……」

「人殺してまで冗談言うとでも思うわけ」

 その一言には、草壁も黙る。昨日の出会いから少なくとも四人が死んだ。うち一人は国会議員だ。

「ヨハネの黙示録……」低く呟く。「お前らが、四騎士だって?」

「実際にどうか、ってことじゃないの」シュンは言う。「当てはまり得るのがまずいのよ。あたしが『そういうこと』にしたせいで、条件が揃うと始まっちゃう」

「たぶん、ユウさんは始めたいんだよね?」クラミが首を捻る。「なんでかな……」

「ってかさ、」そこでサワギリが口を挟んだ。「始まっちゃうも何も、もう始まってんじゃねえの? 皀は焼かれて死んで、金王組も同じだろ?」

「でも……逆に言えばそれきりよ。そのあと今日まで目立ったことは起きてないでしょ?」

「どこかで止まってる?」

「かもな。起動しかけてるけど、なんかが引っかかってんのか」

「完璧に対応させるには、まだ問題が残ってるわ。そこが解決しなければ、話は進まないのかも」

 三人は、同時に黙り込んだ。残された草壁は、居心地悪そうに見回す。

「……なんかなあ。俺だけ蚊帳の外っつか……」

「いや」サワギリが目を上げた。「何言ってんの」

「は? だって、俺だけ特に役目とかないだろ」

「ガチ? 気づいてないの?」

「なに?」

 訊いたのはシュンだった。マジかコイツ、と言いたげな視線で、サワギリはシュンを見る。

「せめてお前は気づいとけよ。状況からして分かるだろ」

「ええー? ごめんなさいね察し悪くて」

「俺も分かんないや」クラミがぼそぼそと言った。「なんかある?」

「あのさあ、これは誰の書だよ」サワギリは呆れ顔で言う。「『ヨハネの』黙示録だぞ。記録係が要るんだろうが」

 草壁を指差す。

「ヨハネだよ」

 全員、一拍置いて、納得した。次の瞬間、部屋が揺れる。

「おわ、」

 下から突き上げるような揺れが大きく起きて、すぐに止んだ。沈黙が降りる。クーラーの音だけが、聞こえる。

「…………」

 この部屋の誰もが思っていた。今の、なに? 今のは、偶然?

「あの……」

 クラミは口を開きかけ、途中でやめた。三人の視線が集まる。だが、続きを言う気になれない——段階、進んじゃったんじゃないよね——口に出したら〝そういうこと〟になりそうだった。思うだけでもまずい? いや、それはないよね。だって、そんなのは誰にも分からない。

 分からない、はずだろ?

「分からんのは……」

 草壁が、呟いた。

「ユウとやらの目的と、理由。滅亡するとして、その段階。それから必要な条件——ってとこか? どうも疑問なのは、そのユウとやらの役割なんだが、〈飢饉〉ってどう叶えるんだ? 自分が〈飢饉〉になるために、奴は何をしそうなんだ」

「あ、それね」シュンが言う。「言い忘れてたわ」

 咳払いをしたシュンは、どこか得意げな顔をした。クラミと草壁が訝しむなか、シュンは逸話を披露しはじめる。

「ユウって本当の誕生日が分からないのよ。気づいたときには、親御さんはそばにいなかったから、自分が何月何日に生まれて物心つくまでどうしてたのか、何にも知らないのね。名前は、なんとなく頭にあったそうだからたぶん呼ばれてたんでしょうけど、他の細かいことは一つも。で、それじゃつまらないからって、二人で決めたの」

「決めた?」

「だから、誕生日!」シュンはクラミに答えた。「九月二十八日」

「九月末……」草壁は繰り返し、ああ、と言った。「天秤座か」

「そ! 天秤といえば、聖書の中の〈飢饉〉の騎士が持ってるものでしょ。それで当てはまる」

「……ちょっと待てよ」

 草壁はそう言うと、急にポケットに手を伸ばした。例の手帳を引っ張り出し、ペラペラとめくる。

「俺、お前らの誕生日も信者に訊いて調べたけどな、」

「え! いつの間に?」

「けっこう前だよ。取材の過程でな」書かれた文字を睨む。「誕生日、違うぞ?」

「え?」シュンがきょとんとする。「ユウのが?」

「おう。お前さんのは、三月三十日。これは事実か?」

「ええ。あたし春生まれ」

「ユウとやらのは六月だとか……あ、なんだ? 十月ってのもあるな」

「毎回違うの言ってたんじゃねえ? 情報明かすの嫌いそうだし」

「や、違うな」スペースがなかったのだろう、小さな字で刻んだものが自分で読めず、目を細めている。「信者に聞かれたとき、毎回違うのを言ってたってのはそうらしい。でもバレるだろ? 誰相手にもやってんじゃ」

 三人は頷く。草壁は前のめりになる。

「それで『どうして嘘を』って聞くと、『誕生日、ないんだよ。孤児だったからさ』と言っていた、と……」

 視線が、ゆっくりシュンへ集まる。

 彼は戸惑い顔だ。

「だから、……それが方便なんじゃ? 自分の情報、人に言わないための」

「いや……」サワギリが答える。「そもそも嘘なんだろ? だったらそれを使ってりゃいいじゃん」

「……大事だから、言いたくなかったとか……」

「……あのさ」

 クラミが、恐る恐るというように——首を縮めて、シュンに問いかけた。

「誕生日、二人で決めた、って……もしかして、シュンさんだけが、……あの、……」

 はっきり訊かれたわけじゃなかったが、意図を正しく捉えたようでシュンはテーブルをパンと叩いた。例によって激しい動作ではなく、立ち上がるついでに手を突いてしまっただけであったが。

「そんな!」大きく声を上げる。「わたし、確認したわ!」

「お前さ」サワギリが冷たく見上げた。「それって何年前の話?」

「十五年前」

「そのあと、使った?」

「使ったわよ。あたし毎年、その日にプレゼントあげたもの」

「当のユウさんは気づいてたのか? 誕生日のつもりで、物あげてるって」

 沈黙。

「あんたのことだから、どうせ何かにつけてプレゼントとかしてたんじゃねえの? あの人のこと大好きじゃん。そういうのとの違い、ユウさん、分かってた?」

 シュンは唇をひん曲げている。三人はもう察していたが、さて、どのように伝えたものか。

 結局、ふたたびおっかなびっくり、クラミが告げた。

「あのね。傷つくかもしれないけど——」

 シュンが恨めしそうに見る。クラミは、困ったように苦笑した。


「ユウさん、気づいてないんじゃないかな。自分が——天秤座な、ことに」

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