第十三話



    †



「どうしたよ、イーグル」

 声で誰だか分かった。だから、動かないまま見上げていた。薄灰色の曇天に、黒い影が舞っている。

「何見てる?」

 足音が近づいて、止まる。傍に立つ友に向かって、短く告げる。

「でけえ鳥」

「ん、」上着がごわつく音を立て、彼も空を見上げたのが分かった。

「ほんとうだ。でけえなあ。もしかしてお前じゃねえか?」

「俺?」少しして、合点した。「んな訳あるか」

 首を戻し、彼を見る。彼は空を仰いだままだ。

 俺のことをイーグルと呼ぶのは、この辺のやつに限られる。なんでも、エディEddieイーグルEagleで、イニシャルも字数もぴったりだそうだ。訊いたことはないが、もしかすると考えたのは彼かもしれない、と思っている。この辺りで辞書を読める奴というのが、彼くらいだから。

「なんか用か、ビリー」

「用がなきゃ話しかけちゃあいけねえのかよ?」

 ビリーはそう言ってこちらを見、ニッカリ笑った。

「ダチが突っ立ってるから、何してんだろと思っただけさ」

 俺は肩をすくめる。「冷えるな。寝床探さねえと」

「だなあ。また教会の世話にでもなるか?」

 大げさに身震いをしたあと、ビリーはからかう風に付け足した。

「けど、お前は転がり込む当てがあるんじゃねえの? あのお人形顔ドールフェイスのおぼっちゃまとか」

 俺は眉をひそめ、何も言わない。怖い怖いと口にして、ビリーは手を打ち振る。

「冗談だって。あの子、俺にも優しいぜ。この前スープ奢ってくれた」

「あっそ」

「なんだよ、やきもちか? お前はもっといろんなことしてもらってんだろが」

「俺が頼んだ訳じゃない。向こうが勝手にやってくるだけだ」

「つれねえなあ。あんなにアピってんだぜ、少しくらいは打ち解けてやれよ」

 またしても俺は答えずに、黙って橋を向いた。この街の名が冠された橋の下の冷たい河は、風と共に凍えるような冬の空気を連れてくる。やはり、今日は野宿は無理だ。どこか屋内で過ごさなければ。

「救貧院は?」ビリーに訊ねた。

「ああ! クリスマス近いしな、空いてるかも。行ってみるか」

 頷いて、踵を返す。先に立って歩き始めた俺に、ビリーは、悠々とついてくる。



    ◆



「だからねえ、どっちにしろいつか、お礼を言おうと思っていたんですのよ」

 岩盤に寝そべって、脱力しきった様子のシュンは、ゆるんだ声でそう告げる。

「あたしは復讐の実行の多くをお二人に任せてましたから。いえ、私が直接あなたがたを指定したんではなくってね、たまたまヒノさんがほとんどをあなたたちに振ったわけなんだけど。でも、嬉しかったのよ。初めてお会いしたとき、金王組の幹部のコロシを聞いたでしょ? アレ、興奮したわ」

「納屋のやつ?」シュンの向こうから、同じく寝そべるサワギリが訊ねる。

「そう! それね、こちらの都合ですけど、ちょっとした経緯があって」

 シュンは目を閉じたままはしゃいだ声をあげた。クラミはその隣で、つい、顔だけ横を向いてしまっている。岩盤浴などしたことがなく、いまいちリラックスしきれない。

 一行はシュンの行きつけだという会員制のスパへ連れて行かれて、ぎこちなくシャワーを浴びたあと各種設備を回ることになった。今は岩盤浴中だ。とりあえず三十分は入っているのが定石だという。

 寝そべるスペースが一列に、八人分並んでいて、足元の間接照明と壁の上部のそれのほかはさして光源のない部屋だ。シュンは定位置を決めているのか、端から二つ目にさっさと寝てしまい、仕方なく三人は空いたスペースに収まった。クラミがいるのはいちばん端で、熱源の位置のせいなのかなんだか少々暑すぎる気がする。シュンの向こう隣にサワギリ、その向こうに草壁がいるが、疲れもあってか彼は寝息を立てているように見えなくもない。

「正確にはあのコロシ、あたしが頼んだんじゃないのよ」

「?」ひとまず天井を見ていたサワギリも、訝しげに目を向けた。「どゆこと?」

「あたしの信者さんに、金王組の人がいたの。事件から一年ほどして組に入った人だから、あのビジネスとは無関係」

「ふぅん」

「それでね、その人は、ちょっと変わっててね。ふつうヤクザとか犯罪者とか、あとは過去に後ろ暗いところのある人は、うちには『悪』の側として加わろうとするものなのよ。お二人も、聞いたでしょ? うちの教義」

 話を振られ、クラミは曖昧に思い出す。確か、善も悪も必要で、それぞれが自分の特徴を発揮したって構わない、むしろそうするべき——とかなんとか。途中で飽きてしまったから、あまり詳細が出てこない。

「あなたがしたことはあなたの責任でなくて、あなたの性質がそうさせたのよ、と。その性質は世界が与えたものだから、仕方ないんだとね。まあおためごかしなんだけど、そう言ってもらえるだけでラクにはなるみたいなのよね。でもね、そのヤクザさんは、自分は善人だと思ってたの」

「なんか詳しく聞きたくねえな」サワギリが小さくぼやく。

「つまりね、自分が『考えたらずのバカ』とか、『親に心配かける非行のガキ』だとか、『欲望のままにパチだのやって他人様に迷惑かけるようなやつ』を『淘汰』するのは、善行だっていうのね。自分は形としては反社会組織に属しているけど、やってることは社会の浄化だ、って」

 シュンは指でダブルコーテーションを形作りながら話した。原文ママ﹅﹅﹅﹅の言い様だってわけだ。

「ともかく、だから彼としては、胸を張って『善人』としてうちに加わってきたわけね」

「それで?」

「当時、私は姉様の死にまつわることを調べてましたけど、誰がビジネスを提案したか、それが掴めてなかったの。姉様がアレに巻き込まれたのは、金王組がアレをビジネスにして、下っ端にノルマを求めるような構造にしたせいでしょう? だから、提案者は大いに責任アリ」

 二人とも何も言わなかったが、耳を傾けているのは分かるのか、シュンは話を続ける。

「信者さんの愚痴を聞くのも大事な仕事ですからね。彼の愚痴もよく聞いてたんだけど、彼がついてる上司っていうのが、どうも組の幹部で、彼としては、上司のやり方が気に食わないと。カタギを巻き込もうとするし、やり方がゲスだって。いろいろ言いたいことはあるけど、ともかくそうねそうねと聞くでしょ。すると、そのうち、その幹部ってのが、あたしたちの調べで候補者に上がってた男だとわかった。ビジネスの提案者のね。で、閃いた」

「何を?」

「あのね、あたしの嘘は、小規模であれば本当になるでしょ。だからもしかすると、彼にこの件をちょっとだけ話して、『本当に提案者であった者だけが死ぬ』と囁けば、実際にその通りになるかもしれないと思ったの。結果的に、死んだやつが、本物だってこと」

 シュン越しに、サワギリと目を見交わす。当のシュンは相変わらずゆったりと目を閉じたまま、柔らかな声で話し続ける。

「彼がキレるような要素はいくつかありますでしょ? なんたって彼は自分を正義の執行者だと思っているから、その方向にうまく乗せてあげて、候補者の名前を伝えたの。半死半生で置いといて、あとは運命に決めて貰えば、自ずと犯人がわかるはずだとね。似非シュレーディンガーのネコね。あれはそういう話じゃないけど」

「半死半生って、どうしたの?」クラミが尋ねた。「ホントに半々の確率で毒ガスが出るようにしたとか?」

「さあねえ、やり方は聞いてない。毒ガスなのかは知らないけど、装置か何か作ったんでしょう。実際のところはどうだっていいの、建前なり前提なりが満たされてれば、あたしの嘘は効く」

 クラミは納屋のあの男がどんな状態だったか思い出そうとした。ろくに観察もせず首をへし折ってしまったが、半死半生という形容がふさわしい状態ではあった。だがそれ自体はどちらかというと、逃亡を防ぐための処置であったような気がする。あの納屋自体に何か仕込んであったのかもしれない。半々の確率で、発火する爆弾とか。

 とすると、あの納屋が吹っ飛んでなかった時点で、アイツは本来生き残る側だったということになる。

「アナタも薄々気付いてそうだけど」シュンは、唐突に言った。

「え? 俺?」

「そ」シュンはそこで初めて目を開け、首をクラミへと傾けた。

「アナタ、納屋のひと殺しちゃったんでしょ。面白いことに他の候補者、六人もいたんだけれど、誰一人死ななかったのよ。一応、半々の確率で死ぬことになったはずなのに、六人全員無事だった。これはおかしい。あたしは嘘が効いたって思った。結果として死んだのは、アナタが殺した男一人」

「……他の六人は? 生き残ってるってなると、信者のヤクザ危なくない?」

 訊いたのはサワギリだ。シュンは律儀に、反対側へと顔を向ける。

「それがねえ、ミソで。彼、襲って仕掛けか何かするのは自分でやったみたいだけど、そのとき自分だとバレないように頑張ったのね。それで、死体処理を外注して、保険にしてたみたいなの。外注された人たちは、死体処理だと思って行くでしょ。で、生きてましたってなると、彼に連絡を寄越すわね。そこで彼は部下をたくさん引き連れてやってきて、あたかも幹部たちを助けに来たようなそぶりで、外注さんたちを殺しちゃう。罪をなすりつけてしまうの。だから、むしろ恩が売れる」

 赤外線でじんわりかいていたはずの汗が、急に冷えた。それって、——それって?

 俺たちめっちゃ、紙一重だった?

「彼がのちにアナタたちの現場を確かめたか知らないけど、少なくとも私は、アナタたちが殺しちゃったとは知らなかった。結局死んだのは一人だけ、彼が嫌ってた幹部だったって事後報告を聞いただけ。実際あとあと、提案者がその死んだ幹部だって証言も出てきたの。他の奴を殺したとき」

 シュンはサワギリに話し終えると、また、クルリとクラミを向く。

「お分かりになる? 私が、何を思ったか」

「……え?」

「あたし、感動したの。だって信者の彼の仕掛けは、作動なんかしなかったワケでしょ。ってことは、嘘を本当にしたのは、アナタたちだったのよ。正しい一人を裁いたのは、アナタなの。クラミさん」

 しばし、呆然とする。脳裏の焦点が合わなかった。やがてフリーズが解けてくると、視線の先で、サワギリが言う。

「……死刑﹅﹅……」

「あら、それ、ピッタリね」シュンが声を弾ませた。

「そうよ、クラミさん。アナタは死刑の執行者。私が望む裁きを実現させてくれた。だから私アナタたちはきっと特別なんだと思って、贔屓にしましたのよ。あたしの、刑死天使サリエル!」

 興奮したように顔を近づけたあとで、シュンは気恥ずかしげに身を引いた。

「あらやだ。キリスト教が過ぎる」

 クラミの頭はようやく落ち着きつつあったが、依然として混乱していた。草壁から聞いたこと自体まだうまく飲み込めてないのに、裏付けめいた新事実。『蔵未』は死刑の執行者——血の呪いなんて信じるタチではないけれど、この一致はなんだ? 偶然で片付けるべきか、それとも、作意を見るべきか。誰かが何かを仕組んでいる? 要素と要素を、恣意的につなげて。

 本来無関係のものに、つながりを持たせ、流れを作る。その営み。これは、つまり——

「あのさ」サワギリが唐突に言った。「このへんの話って、ユウさんも知ってんの?」

「はい?」シュンは首を捻って後ろを向く。「ええ、もちろん。あ、その辺りもお話ししなきゃ」

「マジお前俺らに話すこといくつあんだよ」

「何よお、聞きたいんじゃないの? だって、私がアナタたちに隠してたこと、まだ言ってないでしょ?」

「……そういえば」クラミも言う。「信じられないようなこと、だっけ?」

「……ええ」

 答えると、シュンは姿勢を戻した。仰向けに寝そべり、目を閉じて、数秒、脱力する。

 答えを待つ二人を置いて大きく深く呼吸したあと、シュンは、グイッと身を起こした。

「暑くなってきたわ、出ましょ。シャワーを浴びてから話します、——マッサージでも、受けに行く?」



    †



 カーティスとは救貧院で出会った。近隣の私立校に通う彼は慈善事業として、ある日救貧院にまでビスケットを届けにきた。その日、あまりの空腹に俺は仕方なく逃げ込んで、隅の椅子に腰掛けて出されたシチューを啜っていた。カートは何を思ったか俺を見かけると駆け寄って、断りもなしに向かいへ座った。

「お名前は?」第一声がそれ。

 俺が無視をしていると、ハッとしたように名乗る。

「僕はカーティス。あのね、この近くの学校に、通っていてね。ビスケット持ってきたんだ。ジンジャークッキーだよ。うちのひとたちと、一緒に作ったの。食べる?」

 相手をする気はない。だから黙殺していたのに、彼は一向にめげない。

「あのね、僕とメイドたちと、あと姉さんとで焼いたんだ。でも姉さんってばほんとうに、救い難いほど不器用なの。見てよ、これ。無惨だろ。人を模した結果とはとても思えない有様だよ。味もきっとおんなじ。でも僕、姉様が悲しむようなこと、言えないんだ。だから『これを食べてくれる人はこの世にいないよ』と言えなくて、袋に入れてきちゃった。見て」

 正直、ちょっと気になった。だが反応をするのが癪だ。意地になって無視をしていると、彼はゴソゴソと包みを開き、一枚つまんで差し出してきた。俺とシチューの、ちょうどその間に。

「う、」

 その形と言ったら——色ではなく造形だけで人の食欲をなくすというのは、確かに凄まじい芸当だ。口の中のもので咽せかけた俺は、何とか急場を凌いだあと、苦しさから彼を睨み付ける。

「なんだよ」

 彼は笑っていた。

「おかしいだろう? ね。食べてみる勇気、ある?」

 無言で引っ掴む。食いモンの選り好みなどしているような連中に、ずいぶん馬鹿にされたものだ。毒でも入っていない限り、なんでも食べてしまわないことにはこっちは生きていけない。なのに。

 頬張って、噛む。次の瞬間、俺は粋がったことを後悔した。

「ふふふ」

 彼は肘を突き、開いた両手に小さな顎を乗せる。

「君は僕よりいろんなことを知っているのだろうけど。姉さんの手料理の味は、僕のがうんと詳しいぜ」

「……人に、」どうにかこうにか飲み込んで、振り絞るように言う。「食わせるなよ。こんなもん」

「ごめん。どうしても気を引きたくて。でもほら、僕に、応えてくれた」

 恨みがましい俺の視線を、平然と受ける。「名前は?」

「……エドワード」

「へえ」彼は目を丸くした。「すごいね。君にぴったり」

「あっそ」

「エディって、呼んでもいい?」

 俺はシチューを掬った。答えずに、黙々と残りをかきこむ。食べ終えてから顔を上げると、彼は同じ体勢でいつまでも俺を待っていた。俺はなんだか脱力して、投げやりに頷き、席を立った。

「またね」



 宣言通り彼は街で俺を見かけるたび絡んできて、追い払うのが面倒なのと少なくともメシにはありつけるのとで、俺は多少相手をしてやることにした。あるとき、彼が家に俺を引っ張っていって例の姉さんに会わせた。彼女は、弟が友人を連れてきたことに感激し、パンケーキを振る舞ってくれた。ドブのネズミでも食ったほうがマシな出来栄えだ。カートは、苦行のように口に運んでいる。

「あなた、イーグルって呼ばれてるの?」

 俺らをニコニコ見守っていた彼女が、不意に尋ねてきた。

 俺は隣を睨む。カートは、パンケーキで青くなった顔に笑みを浮かべる。

「……まあ」仕方なく首肯した。「くだんねえあだ名」

「あらそう? 私は納得。あなた、少し醒めてるっていうか、一歩離れて見てる感じがするんだもの。こう、俯瞰してるような」

 彼女の手が掲げられ、鳥の視線を形作る。

「だからみんながあなたに鳥をイメージするのは、よく分かる。大きくて、カッコいいから、鷹か鷲よね。でも、鷹かな」

「どっちも変わんねえだろ」

「そう? 私は鷹のほうがかっこいいなって思うんだけど。カートは?」

「うーん……僕も、そうかな。鷲もいいけど」

「どうでもいい。ダチが勝手に呼んでくるだけだ」

 出された紅茶に口をつける。彼女はふぅん、とつぶやいて、また微笑む。

「まあ、どちらにせよ。私もあなたのお仲間なのよ」

「ハア?」思わず眉をひそめる。

「ほんとよ、カートに訊いてみて。ね?」

 すると彼女は、幼い弟にくすぐりを仕掛けるような顔つきで言った。

「私、お空を飛べるのよね?」

 隣に目を向ける。彼の青い顔は、今度は少し紅潮し、しかめられていた。

「もお、やめてよ……」拗ねた声で返す。「姉さんのいじわる」

「あら、信じてるのよ」

 彼女は柔らかな笑みをして、彼の頬へと手を伸ばす。

「あなたが言ってくれたこと。私、ほんとに、嬉しかったわ」



     ◆



「彼ええええ、とおおってもおおお、かあっこよくてええええ」

 マッサージチェアに揺られながらシュンは言った。一行はシュンからユウとの出会いの話を聞いたところだ。横一列に腰掛けて、全員が同じ状況なので、以下は振動の影響を差し引いて記述する。

「ひと目見たときにお友達になりたいなって思ったの。それで、グイグイ行っちゃった」

「押しつえーのな」サワギリが言う。「まあ、仲良くなったのはわかった」

「それで、俺らを誘ってきた理由って、なんなの?」とクラミ。

「ああ、それね……ねえ、ほんとうに、変なこと言うけど許してね?」

「お前の言うことがまともだったことのが少ねえ」

「あら寛大! じゃあ言っちゃうけど、」シュンはすうっと息を吸い、「皀が、燃えた理由。もしかしてお二人も関係してるんじゃないか、って」

 これには二人は眉をひそめる。草壁は聞いているのやら、うめき声を上げながらチェアに身を沈めている。

「いくらなんでも私一人の嘘云々では、規模が大き過ぎる。私一人の影響じゃなく、他の作用もあってのことじゃないかって思ったの。それでユウが調べてみたら、あなたがた二人、いろいろあるじゃない? 私とあなたがたが出会って、何か条件が揃っちゃったんじゃないかって話になって」

「いろいろって、」サワギリが訊ねる。「俺の家のこととか、知ってんの?」

「ええ。例の生贄が、あなたの家の依頼だったこともね」

 軽い衝撃——とはいえうすうす、それは二人にも読めていた。あまり、考えたくなかっただけ。

 タイミングが近すぎた。シュンの姉が飛び降りたのも、黄泉家の集団自殺が起こったのも十五年前。加えて麻理の話では、黄泉よもつ家は集団自殺の前は生贄を使おうとしていた。しかしそれが頓挫して、自決をせざるを得なくなった。集団自決があったのは、八月の頭で、サワギリの誕生日。シュンの姉が飛んだのはその年の春のことだ。順序としてもぴったり合う——麻理の話には一つだけ誤りがあった。正確には、『十三歳になる前に』ではない。『十二歳になる時に』が正しい。だからこそ惨劇はよりによって誕生日に起きて、サワギリの十二歳は最悪のスタートを切った。

 黄泉の家では、『六』は特別な数字だった。最初の完全数であり、最小の素数二つの積。宇宙全てを表す数字だと言って、全てを六の倍数で決めた。

 死んだ双子の分も足して、六足す六で、十二歳。その十二に六をかけた七十二人が、生贄の数だ。

「そんなら、俺を恨んでても、おかしくはなさそうだけど」

 サワギリが、ぼそりと言う。実際のところこの声も、チェアの振動に揺られているが。

 料亭での会合のあと、クラミがサワギリに語った一つは、その可能性だった。シュンの望む復讐に、サワギリの家や過去も関わっている可能性。

 焼死の話をしたとき、シュンは、自分の嘘が現実になったのだという言い方をしたが、どうもそれだけでないようにクラミには思われた。付き合ってくれる相手は自分たちしかいない、というのも。そうではなくて、はなからこちらを巻き込みたい理由があるんじゃないか——そう考えると思い当たる可能性は二つある。復讐の対象だということ。あるいは、この超常現象の、原因の一つと見做されていること——後者についてはサワギリは嫌な顔をすると思ったが、意外と神妙に聞いていた。普段、どれだけ否定していても、結局のところ自らに視える『死』が本物であることは、彼本人が誰よりもよく分かっているのだろう。

 もし皀が黄泉家と因縁があったとすれば、サワギリはシュンの復讐の対象であるのだとも、サワギリの持つ何かしらが死に作用したとも、考えられる。シュンの言う通り、シュンが信者に語った教義も大いに影響したろうが、それだけでなく合わせ技であったんじゃないかということだ。今になって思うと、どうやらクラミの存在も無関係ではないらしい。もし死刑を執行する役目をクラミが〝果たせてしまう〟なら、シュンの望みが依頼となり、クラミによって果たされてしまったというもある。何せ彼の教義では、〈業火〉とやらは刑なのだ。大いなる存在からの刑。その刑をくだす役目がサワギリ、執行するのがクラミ。だとしたら——

 まさに〈第一の刻〉を敷いたのはシュンだ。それらが起こり得るルールを、設定﹅﹅したのだから。

「——あれ、」

 そこまで考えて、クラミは、また何かに気づきかけた。が、一足早く、シュンが答える。

「あら、まさか。だってあなたは、姉様と一緒じゃないですか。黄泉家による被害者よ。共感こそすれ、恨むだなんて」

「……なるほどね。同病相憐れむって?」

「一緒にされちゃ癪かもだけど、私としてはどちらかといえば同志のつもりだったのよ。あの家のこと、あなただって、憎んでるでしょ? 酷い目に遭った。おんなじ立場なんだから、あなたに復讐なんかしない」

 草壁が、少し息をついたのが見えた。どうやら話は聞いているらしい。あれこれときな臭い言葉が飛んでいるはずだがついてきているだろうか。意味不明なところをいちいち正していてもキリがないから、傍観を決め込んでいるのか?

「ふぅん」サワギリは小さく返した。「まあ、分かった」

「あのさ、」クラミは掴みかけたひらめきを取り戻したくて、口を挟む。

「なんか今、俺、ちょっと気づきかけて。でも、なんだったかわかんなくなって」

「あら、どうしたの?」

「えっと、その——」

 考えを途中まで話すと、シュンが目を丸くする。

「あら、それは私たち、そうじゃないかと思ってました」

「どゆこと?」

 聞いたサワギリのほうを向く。「黙示録の話、したでしょ?」

「ああ、あれ? 四つの獣がどうこう」

「そうそう、それよ。クラミさんて、〝第二の獣〟になれるんじゃないかと。赤い馬に乗った第二の騎士、『戦争』を呼んだ獣よ。クラミさん、おめめが赤っぽいし、暴力の塊みたいだし、それに、牡牛座でしょ? 五月生まれよね?」

「うん。五月の十四日」何だか不名誉な言葉を挟まれた気がする。

「赤い馬の騎士を呼んだ二番目の獣はね、『牡牛みたいな顔』って言われてる。要件、満たせそうじゃない? だから皀は〝戦争〟兵器で燃やされたんじゃないかって思うの。私の言う〈業火〉は、文字通り火だけど、その火が兵器になったのはクラミさんの影響かもしれない。で、どうしてナパーム弾かといえば、たぶんベトナム。あの人ね、技能実習生の制度に関わってたの。報道があったわ。あの制度が酷い有様なのは、あなたがただってご存じでしょう?」

 そう言われても二人はよく知らなかったが、その場しのぎに頷く。ともかく、ベトナムのひとを虐げた者がナパーム弾に焼かれるというのは、なるほど因縁めいてはいる。ナパーム弾といえば、ベトナム戦争でアメリカが多用した殺戮兵器——多くの民間人と豊かな熱帯林を焼き、永い永い傷痕を残した、象徴的な爆弾だ。

 その惨さは、二人も知っている。なにせ映画を観た。『地獄の黙示録』——

「……あ?」

 サワギリが、何か喉に詰まったような、声を上げた。

「ちょっと待て。黙示録?」

「なあに?」

「お前の話してた教義って、その黙示録の四騎士にちなんだ〈終末〉なんだよな?」

「そうよお。支配、戦争、飢饉、死、ね」

「で、クラミは戦争かもしれないんだよな?」

「ええ」

「……牡牛座なのが、根拠だっけ」

「あら? うん。それだけじゃないけど」

「——あっ!」

 次に声を上げたのは、クラミだった。そう。思い出した。さっき、掴みかけていたこと。

「それ! 俺が言いたかったの」

「え?」

「黙示録の獣って、なんだった? 特徴」

「えっと……第一の獣は獅子に似て、第二の獣は牡牛のよう——」

 そこまで言って、シュンも止まった。

「……続きは?」

 草壁が、端から促す。久方ぶりに声を聞いた。

「……第三の生き物は人のような顔をしていて、第四の生き物は、飛ぶ鷲のよう」

「……あのさ……」

 クラミは、順に指を差す。まず、サワギリ。

「獅子座」

 次に自分。

「牡牛座」

 そして、シュン。

「……〝人のような〟って……『お人形顔』、って意味だったら、どう?」

 風呂上がりだというのに、シュンは顔面蒼白だ。

「でも、最後が」

 サワギリが呟く。するとシュンは、ふるり、と首を横に振った。

 それは、身震いなのか否定なのか、それともチェアに揺られてるだけか、判別できないほど微かで、しかしその怯えたような表情に二人は口をつぐんだ。ごくりと唾を飲み、シュンは、口を開く。

「……言わなかった、かしら? さっき」

 唇をわななかせ、声を振り絞る。

「ユウってね、あだ名——イーグルだったの」



    †



 知ってるやつは、知ってたろ? ちょうどいいよな。

 十三話﹅﹅﹅だから。

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