第九話



    ◇



 二年前——



 取材相手のいるS県へ向かう途中、車内で俺は、以前の取材結果を話して聴かせていた。民俗学の教授の話は取材抜きにも興味深く、そのあと関連の書籍や論文をいくつか読んだ。その成果を、ドライブ中の沈黙の代わりに運転手と共有している。

「民話も分析されるんだな」煙草を吸い終え、窓を閉める。「よく、神様に捧げるのに、『その村でいちばん美しい処女』を選ぶとか、あるだろ?」

「あるねえ」応える〝コウイチ〟は、今日もサングラスをかけている。「神ってみんなロリコンなわけ? ついでに処女厨とか」

「さあねえ。まあ結局、『神』だって人間が生み出した装置なわけだろ。いろんな都合を押し付ける相手だ」

「うん」

「で、神の名の下に、この子は殺されちまう。だから、見下されてるやつだけじゃなくて、崇められたりしてる人たちも、ある意味立場の弱い人間なんだ、って見方がある」

「ふぅん?」

 コウイチがバックミラーを見た。視線を合わせ、話を続ける。

「『若くてきれいな処女の女』ってのは、全部外から価値をくっつけられてるわけだよな。若いこと、きれいなこと、〝処女〟なことに価値を見出すのは、本人よりは他人だろ? 特に男。で、社会の中心ってのは、男になるようにできてるから、その価値観で物が動く」

「まあ、うん」

「すると、共同体の中で、その子は異物になるんだな。『俺らとは違う』んだと。そんでこういうタイミングが来ると、その権威づけと価値づけを理由に犠牲にされちまう。『この子は俺らより優れてるから、死んでもいい』ってわけだな。勝手に〝特別〟にしておいて、それを理由に殺しちまう。そう考えると随分な話だ」

 コウイチは黙っていた。いささか神妙な顔をしている。

「綺麗なヤツは、殺されてもいいって?」

 やがて、静かに尋ねた。

「そういう理屈だな」

 俺は当時、何の気なしにその言葉を受けた。そして彼を見ず、車道を見ていた。クソ面白くもない景色から、すぐに視線を戻したとはいえ。

「『綺麗だから』も『ブスだから』も、言ってることは同じだろ。『俺らと違うから』だ。それで褒めたり貶したり、挙句に殺したりするわけだ。何かのターゲットになるのはいつも『特別』なやつってしとけば、つべこべ言ってる『普通』のやつらはみんな無事でいられる」

 コウイチが、浅く頷く。俺はもう一本煙草を出すか、迷ってやめた。

「ミステリもそうだな。犠牲になるのはきれいな若い子。神様も殺人犯も、『俺ら』のことは選ばない。話の中で殺されるってのは、どういう理由にせよ、そうやって死んでも『構わない』って見なされてんのと同じだよ。だから、……なんだろうな、どうしてそうされたか、考えてみてもいいってことかと思ってな。誰の都合なのかと」

 俺はふと思いつき、バッグから手帳を取り出した。ズタボロのそれをペラペラめくる。コウイチは、まだ黙っている。

「学者さんに言われたよ」俺は頭を掻きながら言った。「〝物語〟には気をつけろ、って」

「物語?」

「詳しく言われなかったが、どうも引っかかる言葉でね……」

 それまで学者の話をどこか他人事のように聞いていたのに、去り際に告げられた警句だけが、いやに尾を引いた。物語。それは自分と無関係じゃない——物語と無関係の人間なんていないだろうが——とりわけ自分には。そういう予感だ。だから取材の最中さなかだというのに、直接的には関係のない資料を読み込んだりしたんだろう。

「作り話、とかいう意味で言ったんじゃないと思うんだ。もっと大きな範囲っつーかな」頭皮を掻く。この暑さで、毎日洗ってもむず痒い。「歴史とか、言い伝えとか、その手のも言ったら『物語』だろ? どうもこう、引っかかっちまって」

「あのさあ」

 ふと、コウイチから言葉が漏れた。意図が分からず、俺は目を細める。

「カベっちの話聞いててさあ。なんか俺、思い出したんだけど——」

 そのとき、何度目かの料金所に入った。彼は現金のレーンを選び、片手間に紙幣を渡す。

 そういえば、コイツはどうして頑なにETCを使わない? その理由はあれこれと浮かぶが、まとめれば身元がはっきりしないか、させたくないかの二択だろう。どっちにしたってロクなものじゃない。「コウイチ」というも本名なのか怪しいところだ。おおかた偽名だろう。偽名、——

 釣りを受け取って窓を閉めながら、アクセルを踏み、彼は続ける。

「事故で息子が死んだって人が、ずっとさ、自分のせいだって思ってたり、すんだって」

 別のことを考えていたせいもあったが、それは唐突に響いた。彼がミラー越しにこちらを見る。

「んなわけないじゃん? まともに考えて。原因とかって意味だったら、轢いたか墜落おちたか脱線したヤツか、点検サボったヤツか、ソイツのやべえ上司か、それか本人のせいじゃん。強いて言えば」言葉を切り、俺の反応を窺う。

「でもその人は、その朝自分が送り出さなかったら、引き止めてたら生きてたんだって、思っちゃうんだって。だから自分のせいなんだ、って。……これって、『物語』でしょ?」

 ゆっくり、咀嚼して、うなずく。俺の頷きを見て取ると、彼はミラーから目を外した。

「分かりっこねえし理由なんかねえしそうでしかねえ﹅﹅﹅﹅﹅﹅ようなこと、そうでしかねえんだって受け止めるの、難しいらしいよ。だから理由とか、因縁とかなんかしら作って、無理やり把握しようとすんの。自分が納得できそうな感じにしちゃう、みたいな? そういうこと、あんだって」

 コウイチが言った話は、俺も読んだことがある。ある作家が書いた新書で、実際に彼女が聞いたエピソードとして紹介されていた。同じ本を彼も読んだのか、似た話を聞いたのかはわからない。だが、今の話の流れで出されると、少し、腑に落ちるものがある。

 一定の権力を持つ誰かの書いた筋書きや、大衆が好むシナリオ——のみならず、ごくごく個人的な出来事にも『物語』は適用されるかもしれない。コウイチの話で言えば、それは処理不可能な悲劇をどうにか咀嚼する試みであり、納得しようとすることであり、もっと言えば、納得できるような形に落とし込む﹅﹅﹅﹅﹅ということだ。

 罪ではないだろう。一方で、それはやはりある種の誤魔化しでもある。

「お前にしちゃ含蓄があるな」

 照れ隠しもあってそんな言葉を投げると、ミラーのなかでコウイチは呆れた顔をした。

「あんたが俺の何を知ってんだよ」

 ぐさっ、ときた。彼の口調は、非難めいたものじゃなかったのに。

「だから、なんつーの? そういうのって、おかしいっつーか、『ホント』と違うじゃん。『ホント』のことと違うのに、分かりやすいようにしちゃうのって、やっぱマズイってことなんじゃない。大なり小なり」

 次第にコウイチの口調は、面倒くさそうになっていく。「そういうの、考える意味ある? 考えたところで変わんねえじゃん。人はどーせそういうことするし、そういうこと考えたこともねえのが九割くらいでしょ。自分ひとりで悩んでもさあ」

「うーん……」

 俺は煮え切らない返答をした。何がしか引っかかったのだ。すると彼は、舌鋒鋭く、彼らしい言葉で、その躓きを突く。

「ってかそれ、責め出したら、カベっちってまさに﹅﹅﹅じゃん。話、作んのが仕事でしょ?」

 その通りだ。

 うすうす気づいてはいた。自分の仕事は、実在の事件に背景をつけ、色をつけ細部を描き込んで、なんらかの画を作ることだ。そこには物語ストーリーがあり、つまり、嘘がある。この嘘というのは、虚偽というのとは訳が違う。この『嘘』はすべての『話』に少なからず存在するものだ。それこそ、ノンフィクションにさえ。

「そうなんだよなあ……」

 思わず呻くように言い、頭を抱える。「そうなんだよ……」

「ええ……」

 コウイチはミラー越しの様子に引いたように仰け反ってみせた。が、それは結局、物理的には、俺との距離を縮めるだけだ。

「マジ? オッサンの感傷に付き合うつもりないんだけど?」

「そう言うなよお」

 我ながら情けない声だ。抱えた頭を深くする。もはやコウイチがどれほど引いた顔をしているか、目に入らない。

「おっしゃる通りだ。記者ってのは、事件に勝手な解釈と取捨選択した情報を塗りたくって売ってんだ。売らんかなでロクでもないこじつけをすることもありゃ、大勢が喜ぶような筋書きに持ってって、知らん顔してることもある。まさに、だよ。そりゃ、そうなんだけど……」

「なに落ち込んでんの? そんなの、百も承知でやってんじゃないの」

「お前にとっちゃヨゴレ仕事同然なのかもしれんけどな。俺は一応、志があって、この業界に入ったんだ」

 うずくまるように、膝の上を見つめた。そこにはボロボロの手帳がある。リフィル式の。中身を入れ替えて、もう何年も使ってる。これまでに探った事件はすべてファイルにとってある。記事にできたものも、できなかった、ものも。

「報道しなけりゃ『真実』は、どこにも残らずに消えちまう」

 茶々が入るかと思ったが、それはなかった。鬱陶しいオッサンの、歳に見合わぬ、青臭い吐露。

「この世にあるべき仕事だと信じて入ってきたんだよ。やる価値がきっとあるはずと、……白けるだろうけど、俺はまだジャーナリズムがこの世にあると信じてんだ。お前みたいなのに、ドン引かれてもな」

 しばらく、車内は静まっていた。変わり映えしない高速の景色が、延々と、のんびりと続く。

 このまま話が流れるのかと思ったちょうどそのときに、コウイチは口を開いた。

「カベっちは、……今の事件、なんで調べるの?」

 いつかも訊かれたことだった。だが、意味合いは違うだろう。

 俺は答えた。一言で。

「やっちゃいけないことだったからだ」

 また彼の目が、俺を覗く。サングラス越しの大きな瞳。色合いは隠れて分からない。それでも、視線は合っている。

「理由があって、背景があって、経緯があって、因果があった。だとしても、あってはならなかった。そのことをちゃんと検証したい。二度と起こさないために、どうするべきか考えたい。……そのためだ」

 コウイチは答えなかった。だが閉じられた口元は、俺の言葉を少なくともバカにはしていないようだった。受け止めるような間のあとで、彼は言う。

「ホント、流行りそうにないよね。あんた」

 にやりと曲がった唇に、舌打ちを返す。この話題はそれでおしまいだった。

 あのとき、彼はなぜ笑ったか。今なら少し、想像がつく。



     ◆



 サワギリはずっと、このうえなく、かなりの度合いでイライラしていた。ただでさえコロコロ機嫌の変わるところがあるといえ、この不機嫌は最強クラスだ。どう考えてもこの記者のせいだ。この記者——草壁にクラミが会ったのは、二年前のたった一度。それもちょっとの間だった。会う直前にお湯を入れたカップ麺が、話し終えてから食べ始めたらちょうどよかったから、たぶん二、三分。

 クラミたちの事務所の受付で交わしたあの短い会話で、草壁は決定的な何かを得て、出て行った。後からそれを知って、悪いことをしたかと思ったが、そもそも勝手にクラミの名前を借用していたショウゴが悪い。全く知らない名前をでっち上げると、反応できなくて嘘がバレると思ったからだと彼は釈明した。でもそもそも「コウイチ」だなんてこっちは呼ばれたことがない。どうも腑に落ちない。

「……ハアー……」

 思い切り不満げな声が、隣から聞こえた。

 いま四人は、——つまりクラミとサワギリ、草壁と国会議員は——K県のとある埠頭、コンテナの中で対峙していた。明かりは天井に取りつけられた電池式のライトだけ。夏の湿気は当然ながらこのコンテナにも籠もっているが、仮に扉を開け放ったところで外の湿度も大差ない。クラミとサワギリはパイプ椅子に腰掛け、他の二人は向かい合うように置かれたそれに縛りつけられ、こちらの様子を窺っている。尤も、議員のほうは猿轡をされて口は利けない状態だし、外された股関節も、まだうまく嵌っていない。

「説明してくれる?」

 腕も脚も組んだサワギリは、上になった右の手で左腕をトントン叩いている。内側に込み上げるものを抑えつけようとする仕草。面倒なことになったこと、状況がまだ吞み込めてないこと、少なからず好意的に見ている人物がバカをやってること。どれに一番ムカついているのだろうと、クラミは思う。

「そりゃ、こっちのセリフだ」

 しかしあろうことか草壁は、ため息まじりにそう返した。サワギリの眉がひそめられ、クラミの肝は縮む。

「どういう意味?」

「なんでお前らがあんなとこにいたんだって聞いてんだ。というか、待ち伏せてたのか? コイツを?」

 軽く顎をしゃくり、隣の議員を指す。サワギリはぶすくれた顔だ。

「立場分かってる? 俺たちの事情とか訊く権利あると思うわけ」

「記者だからな」

「その記者サンがなんで議員の私用車のトランク詰め込まれてんの? しかもボロボロにリンチされて? 何してたんだよ、マジ」

 これには返す言葉がないのか、草壁は答える代わりに身をよじり、いてて、と零す。確かに殴打の痛みに加え、長時間拘束されてトランクの中にいたのだろうから、節々軋んでいるはずだ。

「大体察しつくけどさ。あんた、今度は何調べてんの?」サワギリもまた苛立たしげに、議員に向かって顎をしゃくる。「コイツに用があったんでしょ。危うく始末されかけるくらい。それはなんで、って訊いてんの。説明して。最初から」

 そこで気づいた。もしかしてこの不機嫌は、演技かもしれない、——二割くらいは。もちろん口には出さないが、たぶんサワギリは記者の目的がクラミたちと同じだと見ている。まずは察されないうちに、彼に情報を出させたいんだろう。

 草壁は、苦い顔をしている。その表情を徐々に深め、やがて、深いため息をつく。

「これ、解いてくれ。手帳を見たい」

 鼻息で応え、サワギリがクラミを見た。

「いい?」

「いいよ。解いたところで、俺らから逃げ切れそうにない」

 小さく頷いて、サワギリは立った。草壁の後ろへ回り、ナイフで縄をちぎる。

「どうも」解放された手首を振って確かめながら、草壁は言った。

「で?」席に戻ったサワギリが改めて訊ねる。「何の取材?」

 草壁はまだ縛られている下半身をもぞもぞと動かし、何とか尻ポケットから黒い手帳を取り出した。いや、元は黒だったのだろうが、褪色と擦り切れで周囲は緑がかっている。それをペラペラとめくり、大きく前へ屈む。

「きっかけは、甥っ子でね。兄貴の息子なんだが、いま大学一年生だ」

 どうやらサワギリの要望通り、最初から話すつもりらしい。

「まあなんだ、Z世代ってヤツだ。環境保護とかそのあたりの運動に興味あるんだと。ないよかマシだと思うがな、ヤツの場合はステータスに酔ってる感じはあるな、まあ、よくある学生のアレだよ」

「分かるような、分からないような」クラミはぼんやりと合いの手を入れた。

「ともかく、春からの新生活で浮つきまくった甥っ子が、去年の夏、俺に連絡してきた。チェーンのカフェに呼びつけられて仕方なく行ってやると、ビラやらパンフレットやらを手に熱心に説明してくる。NPOだかなんだかで、甥っ子はすっかり感化されて、大学内の同好会を通じて運動に参加してんだと」言葉を切り、額を掻く。「どっからどう見ても怪しい」

 聞きながら、ある予感が、どんどん色濃くなるのを感じる。隣のサワギリも同様らしく、その表情は苛立ちから、「辟易」に移行しつつある。

「その場は適当に話合わせて、ちょっと調べてみたわけだ。そしたら、案外に根が深い。集まりに参加したりしてみると勧誘を受ける。怪しげな健康食品を紹介されたり、オンラインサロンに誘われたりな。こりゃ典型的だ、と思ってはいたが、関連団体が多すぎる。もう少し掘ることにした。折よく誘われた集会で、根っこの団体が分かった」

 草壁はページをめくる。

「『三界青論教会さんかいせいろんきょうかい』。通称、三青さんせい教。教祖——ではなく、自称の肩書きは指導者らしいが、とにかくそいつは三青俊みあおしゅんと名乗ってる。だがどうみても西欧人だ。もちろん西欧系の日本人だっているんだが、コイツはきな臭い。あと、もう一つ引っかかる。この俊ってやつだがな、似た顔を見たことがある」

 へえ、と思う。似た顔を見た?

 しかし草壁は、そこでこめかみに手を当てた。かえって具合が悪くなるのではと思うほど、ぐりぐりと揉み込む。

「記者だからな。人の顔と名前は覚えてるもんだ。しかしどこで見たのかが思い出せん、どうも古い記憶らしくてな……ともかく、それで周辺を調べてたら、また妙なことに気付いた」

 クラミが横を向くと、サワギリもまたこちらを見ていた。目を交わす。うだつは上がらないが、取材力のある人なのかもしれない。サワギリは二年前、一夏いっしょにいたわけで、そのあたりはよく知ってるんだろう。

「どうもこの頃になって金王組の関係者が次々死んでいる。関係者ってのは組の人間もだし、繋がりのあったロクでもねえ金融会社とか、半分詐欺の連中、といっても一般人もいる。なんでまたこんな相次いで死んでるんだとリストアップしたら、噂を思い出した。十五年前——」

 草壁が、ちらりとサワギリを見る。サワギリは少しも表情を変えない。

「金王組とその周辺が、ヤバい『ビジネス』をやってたって話があったろ。その事件は結局、何かのきっかけでバレそうになって畳まれたって話だった。当時俺は自分の取材の合間に噂を聞いただけだったが、詳しく調べてた記者仲間がいたのを思い出した。そいつにアポ取って、近々会おうと思ってたら……例の火事だ」

 草壁は舌打ちした。「怖気づいちまってよ、アイツ。まあ無理もない、俺もビビった。まさか一斉に焼死とはね」

 クラミもここへ来て、さすがに考えた。迂闊なことは言えない。草壁がリストアップした犠牲者のうち何人かは、おそらく俺たちが殺した連中だ。依頼者だって見当がついてる。依頼側も実行側も、お互いを知ったのは、つい最近だったとしても。

 不意に記憶が脳裏を駆けた。冬枯れの山中。納屋にいた男。

 あれも、そうか。知っているわけだ。

「援護が見込めねえからな、当たりをつけてみるしかなかった。全員があのビジネスに関わってたって仮定したんだ。仮説をもとにグイグイ突っ込んだら……どうやら嗅ぎ回ってるのがバレたらしくて」

 自由になった左手で、隣の議員を指す。「取材を持ち掛けたら、このザマだ」

「マジでバカ?」

 サワギリは、呆れというか感心というか、そのどちらでもあるような声で言った。話を聞き始めるまで纏っていた苛立ちは、今は鳴りを潜めている。

「不用意だったとは思ってるよ。でもまさかこんなにすぐに荒業に出ると思わなくて」

「フリーの独り身ジャーナリストなんて速攻消せるの分かんない? ましてバレたら一発で人生終わりの案件でしょ。ただでさえ反社と繋がってる国会議員が、大人しくするワケ——」

「悪かった、悪かったよ! 考え足らずだった! 十以上も歳下のくせに説教すんのやめてくれ」

「十以上も歳下のやつに説教されるようなことすんな」

 正論だ。少なくとも、草壁もそう思ったらしい。

 しかしやっぱり、彼は記者だ。この状況でなお、彼はこちらに眼光を向ける。

「で、お前らは。こいつらに、何の用だった?」

 なかなか感心だ。しかし、困った。

 なんでもない、とはまさか言えない。あれほど派手に銃声を鳴らして、トランクの中の彼にだけ聞こえなかったとは思えない。この議員を、それこそリンチ前提で拉致るつもりだったのは、もうバレてる。問題はその用件だが、草壁と同じなのだから、不用意に言えない。どうしたもんか。

 クラミはサワギリを見る。サワギリは静かな顔で、黙ったまま考えている。

 トン、トン。また彼の指先が、彼自身の腕を叩く。先ほどよりはゆっくりと、彼が、思考を巡らせる速度で。

「前提として、」やがて、口を開いた。「俺らはあんたらを簡単に消せる」

 草壁の身が引き締まる。議員は、びくりと強張った。

「でも、まあ。議員サンはともかく、俺にはカベっちを消す理由は、あんまない。カベっちが、俺らのほうにつくってんならな。もう見当ついてるだろうから教えてやるよ。俺らが追ってんの、カベっちが追ってんのとおんなじ件。十五年前のビジネス。もっと言えば、それが何と、どう繋がってんのか」一息つき、組んだ腕を解く。その腕を軽く振った。

「あんたが俺らを雇うなら、俺は協力してやってもいい。こっから先はマジで俺らが必要だぜ、——生きてたいんならな」

 草壁は険しい顔でサワギリを見ていた。じっとりと汗が額を流れ、顎に落ちる。

「……金ねえぞ、俺」

「期待してねえよ貧乏人。報酬は情報でいい。俺らは〝こういうこと〟についてはほとんどなんでも知ってっけど、取材とか調査とか、それほど得意じゃねえし」彼がこちらを向く。「なあ?」

「そうだな」素直に頷いた。「俺ら、どっちも目立つし」

「それはそうだな……」

 草壁は少し笑った。「分かった。っつーより、選択肢ないな? 協力しなきゃ生きて帰れねえだろ」

「察しいいじゃん。その通り」サワギリも笑う。「じゃ手土産に、こっちのカードを一つ教えてやる」

 まるで他にも何枚か手札があるような言いぶりだ。だがサワギリは自信たっぷりに、その『カード』とやらを裏返す。

「ビジネスが潰れたきっかけな。十五年前の飛び降りだ。或る雑居ビルで、ハタチそこそこの女が飛んだ。変なとこがたくさんあったのに、ただの自殺で処理されちまった。金王組は慌てて店を畳んだ。でもコッチの世界のヤツは、あれは自殺じゃなかったって知ってる。……逃げたんだ。聞くところによると留学生で——」

「ああ!」

 ガタン、と音がした。草壁が、立ち上がりかけてバランスを崩し、慌てて腰掛けている。自分の足が縛られているのも忘れるくらい衝撃だったらしい。

「いきなり何?」

「思い出した。それ、」

 草壁がサワギリを指差したままそう言ったとき、クラミの懐で、携帯が鳴った。

「ごめん」

 取り出して、液晶を見る。ギョッとした。げ、——シュンさん?

「なに。だれ?」

 サワギリは困ったようにこちらを見た。黙って液晶を見せると、こちらも表情が変わる。クラミは焦って呟く。

「うわー、どうしよ。ええー? 出る?」

「ちょい待ち……あ、まだ切んなよクラミ」

 彼も焦った顔で答える。すると、また草壁が、ガタンと音を立てた。

「ちょ、」先程のリプレイのように座り直す。「クラミ?」

「へ?」草壁に目を向ける。スマートフォンはまだ鳴っている。「あ、はい。クラミコウイチ、ですけど……」

「……クラミ?」

 草壁は呆然とした様相で繰り返した。一体なに? 正直いま、それどころじゃないんだけど?

「すまん、その、クラミくん。名前、なんて書く?」

「ええ? なんでそんな、」

「頼む!」切羽詰まった声だ。「重要なんだ!」

 訳が分からない。戸惑ったまま、答えを返す。

「……あの。昔の大きな家にあるような、あの『蔵』に……未来の『未』、です」

「所蔵の蔵? それで、蔵未?」

「そうです……」

 サワギリも理解できない様子で二人を交互に見る。草壁は、愕然として呟く。

「なんてこった。『蔵未』? 蔵未家の子か? だとしたら、そんな——」

 一度、着信が切れた。

 次の瞬間、掛け直したようで、またけたたましく鳴り響き始める。その主はやはり三青俊。スマートフォンと、草壁と、そしてサワギリとを順々に見つめる。どういうこと? 俺、どうしたらいい?

「ああ、もぉ〜!」

 思わず不満が声に出る。

「いろんなこと、いっぺんに起きすぎ!」

 二秒、着信だけが聞こえた。次の瞬間サワギリが、クラミの手から、スマートフォンを奪った。

 


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