第七話



    ◇



「『呪い』って身勝手ですよねえ」

 はあ、と声が出た。民俗学者だというこの男はイメージ通りの変わり者で、取材を快く受けてくれたはいいものの、どうも話が見えない。

 謎に包まれた『ヨモチ/ヤモツ』家の教義について探るため、民間信仰に詳しいという学者を探した。地方の大学で教授の職に就く彼は俺を研究室に招き、生徒の姿もない、本にまみれた個室で、夕焼けを背に話をしている。

「あ、身勝手って、呪い本体じゃなくてね。『呪い』の設定者が、というか。こういう話聞いたことないです?」

「いやあ、どうも。俗な雑誌記者で……」

「まあ最近の理論ではあるんですけどね、こういうの。要するに、『呪い』だの、怪異だのの元にされるのって、社会的弱者ばっかりなんです。女性とか、子供とか、障害者とか」

「ははあ」なんとなく読めてきた。「虐げられる上に、悪者わるもんにされると?」

「そういうことです。罪悪感ですね。そこから恐れが生まれてくる。自分たちが酷いことしてる自覚が、やっぱりあるんですよ。だから、恨まれてるんじゃないか、もしかして復讐されるんじゃないかって想像する。人形なんかが怖がられるのも同じですよね。こっちとしては、相手の意思を無視していいようにしてる、と想像しちゃう。人形は物ですから、科学的には意思とかないでしょうけど、そういう想像を喚起しやすいってわけですね。生身が相手でも、あんまりやることは変わらない」

 なるほどと頷きながら、しかし首を傾げる。

「でも、弱者ゆえに、恨みを溜めるような目に遭うってところもあるわけでしょう。恵まれた強い立場の人が、そんな人を呪うような目にはなかなか遭わないわけじゃないですか」

「それはもちろんそうです」民俗学者は頷く。「だから、相互作用なんですよね。現実があって、必然性が生まれる。必然性があるから、想像力も働きやすい。するとますます対象は『異化』されて排除対象となる。弱者ってのは個人に限らないですよ。都会に対する田舎とか。因習モノとかね、未開﹅﹅の、まだ文明が行き届いてないような、自分たちとは違う文化圏では、とても恐ろしく理不尽なことが起こっても不思議じゃないという、一種の蔑視だね。もちろん全部が全部じゃないけど、ホラーは、何かを自分たちとは異なる脅威﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅と見做すことからなかなか自由になれない。そういう側面が、どうしてもある」

 話は呑み込める。興味深い視点でもあった。だが、なぜその話をされているのか、それがいまだにピンとこない。

 気づいた風に民俗学者は言った。

「草壁さんの仰るおうちね、それもその筋かと思ったんですよ」

 それから彼は、俺が渡した資料をめくった。A4のコピー用紙数枚を綴じたものだ。

「僕は地方民話が主で、神道は専門じゃないけど。でもこの二つは繋がってるし、察するところもあってね。例えば、土蜘蛛とか知ってます? 両面宿儺とか」あるいは、と告げる。「仏教における阿修羅とか」

 アスラのほうは知っていた。「元はインドの神でしたか?」

「そうそう。でも、要するに、侵略的に他を呑み込んだ力が、『神話』を書き換えたわけですよね。暴れてたのを懲らしめて、改心して味方になった、なんて筋書きにしちゃったり。あるいは自分たちの神様の要素に丸ごと吸収しちゃったりさ。デカい神話には、だいたいそういう側面があります。神道だってそうですよね。現在のお上に通じる朝廷だのなんだのってのは、要するに最初は一地方の有力者でしかなかったわけでしょ。で、統一する上で、覇権争いをしたわけです。そのとき敗れた者たちもいる」

「土蜘蛛だの、スクナ? だのってのは、その手のものなんですか」

「です。朝廷に従わなかった人らのことなんですよね。結局、彼らは退治すべき怪物みたいにされちゃった。両面宿儺は地元じゃまだ割と信仰対象みたいですよ。確か兄弟だったそうで。まあ、そういう話です。『まつろわぬ神』とかさ」

 出てきたワードを書き留めつつ、頷く。「要するに、『ヨモチ』、あるいは『ヤモツ』家の信仰対象もそういう、メインストリームから下ろされちゃった神様だ、と?」

「話聞いてるとね。そんな気します。だとしたら今の日本だってそりゃあお嫌いでしょうしね。隠れるように信仰を続けてきたのも、なんとなく分かる。案外日本沈没とかが至上目標かもしれませんよ。充分、ある話」

 的外れではないだろう。彼らの起こした事件、つまり集団自決には、どこか怨恨じみたものを感じる。この事件に漂う不気味さは、少なくともその儀式が前向きな取り組みではなかったことを感じさせる。

 いや、世界救済を目指して自決されても、それはそれで困るが。

「あとまあ、日本の信仰なら……字だなあ」

 つぶやくと、学者は用紙に目を凝らした。「これ、なんて書くのかは分かんないんですよね?」

「苗字ですか? ええ。仮名書きは出てきたんですが」

「この家は、戸籍を残してないんですよね? とすると、いま文献に残ってるものは又聞きっていう恐れもある。これね、昔の名前にはよくあることなんですけどね」

 言うと彼は机の引き出しを開け、メモパッドとペンを取り出した。

「昔は字をちゃんと知ってる人のが珍しかったでしょ。音や意味からちゃんと正しい字が書ける人ばっかりじゃなかった。だからぱっと見似てるけどぜんぜん別の字が書かれてたり、この音でこの字なわけがないのにとか、いろいろ誤記も残る」

「ははあ」

「加えて日本うち、おんなじ音で読む字がすんごいたくさんある。そのうえ無数に苗字もあると来る。だからこのへん、誤表記の宝庫で。んで誤表記がさらに誤読されて、まったく違う名前になっちゃうことだってあるのね」

 学者は紙をこちらへ向けて、器用に反対側から書いた。少し震えたマーカーペンがまず『朝倉』と書く。それを次は『アサクラ』とし、続いて『浅倉』と書く。そこからもう一度矢印が引かれ、最後は『センゾウ』になった。

「ね。まあこんなことがよくあるんですよ。伝言ゲームだね。正確に伝わるほうがおかしい」

 もらってもよいかと言うと、手振りで許可された。遠慮なくメモを拾い、手帳へと挟む。

「『ヨモチ』『ヤモツ』も、誤記があるかも、と」

「です、です。センゾウの例ほどでなくとも、多少のアレコレはありそうです。だいいち二つか三つだか、バリエーションがあるのが変でしょ。どちらにも読める名前だったのかもしんないけど」

 いい手がかりが見つかった気がした。礼を言い、部屋を辞す前に、リップサービスも込めて、先の話題に触れる。

「先生。ホラーは問題点を孕んでるっていう話でしたけど、でもホラーだって、社会派に作ることもできるし、一つの芸術作品ですよね。これからのホラーは、どうしていったらいいんですかね」

 民俗学者は動きを止め、それから天井を仰いだ。うーん、と声を出し、口を開く。

「僕は文学とか映画とかの研究者じゃないからね、あくまで僕の立場からの話しかできないですけど。要するに、それは誰のための『物語』なのかを、気をつけるっていうことじゃないですか」

「誰のための?」

「そう。その話の中で異化されてるのは、排除されてるのは何なのか。誰がそうしたいのか、何のためにどう描いたのか。そういうことに創る人も観る人も気を留める、ってことじゃないかなあ。だって全部が無くなっちゃったらつまんないしね。ホラー映画に救われる子どもだっているし」

「なるほど」

 席を立ちかけると、学者は、ぼそりとつぶやいた。

「ホラーに限んないけどね」

「はい?」

「今の話。『物語』は全部そうだから——『物語』には、気をつけないとさ」



     ◆



 集会後、指定された住所へ向かうと、そこはどうやら料亭だった。入り口がどこなのか大変わかりにくい造りで、クラミとサワギリはしばらくのあいだ、スマホを片手にうろちょろした。やがて見かねたのか時間だったのかすっと和服の女性が来て、案内してもらい、ようやく中へ入った。

「帰るとき平気かなあ」個室の座敷でクラミが言う。「俺、出ていける自信ない」

「一緒に出れば平気っしょ。ユウさんとシュンさんは、ここ、行きつけみたいだし」

「高そうな料亭なんて初めて。どんな料理が来るかな?」

 いちおう仕事の打ち合わせだがクラミは飯にしか興味がない。まあ分かりきっていたことだ。それに、何も考えていないようでその実、クラミは異様に鋭い時がある。サワギリも気づいていない相手の悪意に勘づいて、平然と裏を掻いたりするのだ。考えて見抜くというよりは、悪意のセンサーがあるらしい。

「こんなところでもてなされるとか気が滅入るわ」サワギリは嘆息する。「ぜってー厄介な話」

「まあなあ。でもさ、割に合わないなら受けなきゃいいし」

「それはそうだけど、こんな外堀埋める感じで圧かけられて断るの、憂鬱だろ。相手はカルトだぜ」

「ああー……ちょっと怖いかなあ、確かに」

「聞いちまったら後に引けねえ案件って感じ、めっちゃする」

 そう。断ればどうなるか、既にうっすら脅されているようなものだ。

「できることだといいね。多少損する内容でも、受けといたほうが無難かな。身が危ないなら逃げるとして」

「だなー……あーマジ、何を言い出すやら……」

 と、遠く、静かな足音がした。三人ほどの足音がこちらへ向かってくるのを、ふたりは、息を潜めて待った。



「お待たせしましたね。今日はありがとう」

 ラフな普段着に着替えたシュンが向かい側にいる。その隣にはスーツ姿のユウだ。二人を案内してきた仲居は礼をして襖を閉めていった。

「や、別に。マジで居ただけですけど」

「でも興味もない話、聞くのうんざりしちゃうでしょ? 長話してごめんなさい。ああいうのは話がそもそも長いってのにも効果があるの、まじめに最後まで聞くひとは、その時点で『見込みアリ』だから」

 うふふ、と頬に手を当てる。

「聞いているうちに、きっと混乱するし」

 シュンは先ほど、着てきたブルゾンを脱いで、仲居に預けていた。以前見たマリンルックとも、集会での和装ともまったく違う装いだ。中のTシャツはデヴィッド・ボウイで、どこのブランドの商品だったかサワギリは必死に思い出そうとしている。

「早速ですけど、お話って?」

 クラミが訊くと、シュンが笑った。

「あら、気になる? そうですわよね。でも先にご紹介させて? あたしの隣にいるのが、タカミユウです。右腕なの。いろいろ厄介で面倒なことを引き受けてくれて、頼もしいのよ。僕の幼なじみ」

「どうも」隣でユウが微笑む。

 凄まじい長身なのは、入ってきた時点で分かった。サワギリもなかなかのものだが、ユウは目算でそれ以上だ。ほとんど二メートルではないか。金髪碧眼の派手な顔立ちはハリウッドスターめいている。

「これまでも依頼でお世話になりましたね」ユウは如才なく言った。「助かってますよ」

「お世辞はいいっすよ」サワギリは言った。「正直、かなり警戒してるんで。何させるつもりなんですか?」

 シュンとユウは、顔を見合わせた。ユウは顎に手を置いて考え込み、シュンはふたりに困り顔を向ける。

「あのね、そりゃそうですわよね。でもね、変な話じゃないの。ああいや、大いに変なんだけれど、問題は変だってだけで、危なかったりヤバかったりはしないと思うのよ。ねえ?」

「そう……」ユウが考えながら継ぐ。

「ひとまず安心してほしいのは、僕らは二人に迷惑かける気はないんです。いや、すでに迷惑かもだけど、そこは抜きにしてもらってね。嫌だったら断ってもらって構わない。ただいちおう、他言無用ってことで頼みたい。受けてくれるなら要望は聞くし、報酬だって弾みますよ。でもねえ、……」

 ユウは口籠った。電話の時とは違い、実際に言いにくいようだ。

「理解できないかもしれないからね。今から言うことは」

「ええ……」サワギリは声を漏らした。「ますます不安ですけど」

「まあ、まあ。とりあえず。話してみるしかないわ。お食事がもうすぐ来ますから、つつきながら聞いてちょうだい」

 食事と聞いて隣のクラミは嬉しそうな顔をする。和食の繊細な味なんて、サワギリには、分かりっこない。



「皀吾郎の件はご存じ?」

 透き通った白身魚の刺身を箸で取りながら、シュンは唐突に言った。

「ああ。あの超キナ臭い火事すか」

「そうそう。近頃はあのニュース、騒がれてますものね。そろそろ下火のようでもあるけど」

「いまだに情報がねえんで」サワギリは茶碗蒸しを頬張り、飲み込んでから言う。「マスコミも報じようがないんじゃないすか。ネタがねんだから」

「きっとそうよねえ。あの現場のこと、あなたがたお聴きおよびですか?」

 一瞬、視線を交わす。クラミが答えた。「噂程度には」

「あらそう? やっぱり、出回るのねえ。私ね、警察の方にもね、信者さんが少しいらっしゃるの」

 シュンは白身魚を口に入れ、本当に頬に手を当てた。「すっごくおいしい」

「じゃあ、もしかして、表に出てないことを何かご存じなんですか」

 クラミの問いにはユウが答えた。「監視カメラの映像があってね」

 そして、しばらく考え、おもむろに小型タブレットを取り出す。

 いくつかの操作のあと、こちら側へ向けられた画面を、クラミとふたり覗き込む。もちろん4Kとはいかないが、そこそこ鮮明な映像だった。画角からして天井付近のカメラだろう。画面中央に皀がいる。その目の前には床に正座をさせられている男が一人。これが、巻き添えを食った秘書か。

 皀は何が気に入らないのか、ゆっくり歩いてみせながら、ぷりぷりと何か怒っている。秘書はひたすら恐縮し、項垂れてばかりいる。と、突然、ユウが声を出した。

「こっからです」

 皀は秘書の目の前に戻った。拳を振り上げ、何事か叫ぶ。が、その途中、ぴたりと止まった。背を振り返るような仕草。肉のついた首は、しかし、十全に回らない。

 その後の光景を、サワギリは知っている。

 次の瞬間だった。皀の背から、火が見えた。それは一瞬で彼を覆う。慌てふためき、くるくると回るが、すぐにその場に崩れ落ちる。秘書は、呆然とし、まだ逃げ出せない。

 成り行きを見守って、二人は画面から身を離した。

「びっくりでしょ」ユウはタブレットをしまった。「一体なんだろうね」

「なるほどなあ……」クラミは呆気に取られている。「だから、ナパーム弾……」

「ナパーム弾?」

 シュンが聞き咎め、首を傾げた。サワギリはクラミを睨みそうになったが、クラミは平然と返した。

「いや、後輩から聞いていて。まるでナパーム弾で焼け死んだ人の遺体みたいだった、って」

「なるほど」ユウが薄く笑う。「後輩から……」

「そうだったのね」シュンは気に留めてないようだ。「言われてみればだわ。あの燃え方、ナパーム弾にそっくり」

「でもねえ。もちろんだけどあの場にそれを撃ち込んだわけじゃないじゃない? この現象、説明つきますか?」

「俺には分かんねえすけど……」サワギリは返した。「警察がいま必死になって調べてるんじゃないんすか? どうやってあんなことしたのか」

「それはね、そうだと思うわ。でもね、僕たちは疑ってる」

 シュンの青い目が、ゆっくりと、またたく。

「科学で説明つくのかしら、って」

 そのとき、クラミとサワギリの表情は対照的だった。かたや楽しげに目を開き、かたや嫌そうに眉をひそめて。

「ぐええ」しかも声に出した。「オカルト? マジ、勘弁してよ」

「でもさ、お前だって視たんじゃん」

 クラミの声にサワギリは弾かれるように振り向いた。コイツ、面白そうだからって、秒で俺を売りやがった。

「ハア?」

「あ、コイツね、視えるんですよ」クラミは正面の二人を向いている。「この事件の話聞いたとき、どうも変なことが起きてるって、気になって。コイツを現場にね」

「あら!」シュンが嬉しそうに身を乗り出した。「あなた霊能力者?」

「ちげえ!」即答する。「変なもん視えるだけ! 視える以外はマトモなの、俺は。霊とか信じねえし、超常現象もナシ」

「不思議だな」

 声が割って入る。そちらに、自ずと目を向ける。

 ユウはあからさまに笑っていた。

「それってさ。自分の眼で視たものよりも、外の常識を信じてるってことですか? サワギリさんは」

 沈黙。——サワギリただ一人の。

 クラミとシュンは二人して何やら話を弾ませ始め、一方で、ユウはやはり、サワギリを見ている。冷たいエメラルドブルー。

「……逆に聞くけど」サワギリは低く返した。「アンタはそんなに自分のことを信用してんの?」

「経験則でね」

 さらに返そうと口を開いたとき、クラミが言った。

「でも、お二人って、皀と繋がりあったでしょ? 最初の依頼、あそこの事務所の秘書の始末でしたよね。名刺でわかっちゃって」

 シュンはしばし口を押さえ、こくりとものを呑み込んで言った。

「そうよ、そうそう。でもそれが、私にとっては大いなる野望、目的の途上でしたの」

「野望?」

「野望——いえ、違うわね。野心じゃないのよ。誓い、かしら」

 シュンは箸を置く。その手元に、目を落としたまま告げる。

「復讐よ。私の目標は、アイツにこの世の地獄を見せて殺すことだった。それなのに……」

 ぐす、と鼻を啜る音がして、サワギリはギョッとする。うつむいた顔が涙ぐんでいるのか、そうではないのか、目では分からない。

「途中であんなふうにあっさりと……ええ、まあ、結構きつい死に方だとは思うわよ。でも、一瞬じゃない? 苦しんだのがあんな一瞬なんて、あたし絶対に許せない。もっともっと長い間、たくさん苦しんで、惨めにズタズタに、ボロ雑巾のようになってから死んで欲しかったのよ、だってのに、そうなのに、なのにぃ……」

 シュンはそのまま肩を震わせ、やがて目元を擦り始めた。ユウが黙ってその肩を抱き、うんうん、と頷いている。

「もしかして……」サワギリは呆れと、嫌な予感を、等分に抱きながら訊く。

「復讐を頓挫させられたから、その犯人を捜してほしいってこと?」

 シュンが顔を上げた。

「よく分かったわね!」

 その目は少し赤かった。マジで泣いてたのかよ。

「わあ、大変そう! でも、面白そう。長期の依頼ってことですよね?」

「そうそう。報酬も色をつけるからさ、ちょっと付き合ってくれないか?」

「ええー……だってさあ。人間のしたことか、怪しいとかって思ってんでしょ? なに? 呪術師とか? 漫画じゃねんだぜ」

「そう言わず。もちろん、科学的なギミックがあって、現実的に説明できる犯人ならば、それもいいの。でも、そうじゃない可能性も視野に入れてほしいのよ。というのも——」

 言葉を止めたシュンは、気まずそうに目を逸らした。何事かと皆が口をつぐむと、黙って、ふきのとうの天ぷらを頬張る。ゆっくり、咀嚼する。

「早く言えよ!」

「私もちょっとアレなのよ」小さな声が返った。

「超能力者、じゃないけどね。ほーんの少し、変なところがあって……」

 変人かそうでないかで言えばアンタは相当変だけど、とサワギリは思った。意味が違うのは知ってる。

「これもね、長い話だから」シュンはボソリと言った。「ちょっとばかし、付き合ってくださる?」



     ◇



 話は二十年前に遡る。

 当時、十にも満たない子供だったシュン——カーティス——は、遠い英国、大邸宅の廊下に立って背の高い窓から外を見ていた。彼はこの家の長男で、いずれ伯爵となる身の上だ。

 外は雨だった。この国で、雨そのものは別に珍しくない。だが今日は一日中晴れという予報だった。外壁を洗う大雨に、シュンは流れる景色を眺める。考えているのは昼間のことだ。

「雨が降るそうだよ」

 シュンは嘘をついた。あまり明るくない小部屋には、家に仕えるメイドたちが数人——確か七名ほどいた。普段あまり立ち入らないメイド部屋をわざわざ訪れて、シュンは束の間の休憩をしているメイドたちに告げた。

「今はかんかん照りだけど、午後から急に降るんだって」

「本当ですか、カーティス様?」

 問いかけたのは三十代のメイドだ。確か洗濯係。

「だったら洗い物を取り込まなくちゃあ」

「予報じゃ一日中晴れだって話だったけど」別のメイドが応えた。

「急に変わったのかもしれない。突然雲ができたとか」

「そういえば頭が痛い気がする」

「私もちょっとだるい。気圧に弱いの」

「雨かあ、いやんなるな。けっこう降るんですか?」

 シュンは内心感心したのを押しとどめて、にっこりと返した。「うん」

「ならそのつもりで動かないと」

「庭の土が崩れるかね」

「やだあ、水やりしちゃったよ。奥様の植木、部屋に戻さなきゃ」

「せっかく予備のシーツを洗う日にしたのに。ついてないな」

 メイドたちは口々に言い合い、やがて部屋を出ていった。ひとりになり、少し埃のにおいのする部屋でシュンは小首を傾げた——ふしぎ。ぼくはひとこと嘘を言っただけ。そのあと何も付け足してないのに、勝手にみんな信じていく。

 シュンがただ思いついただけの真っ赤な嘘のはずだった「雨」は、午後からほんとうに降り始め、今やどしゃ降りと化している。シュンは実験をしていた。自分は、どうやら人より簡単に嘘を信じてもらえるらしい。そして自分がついた嘘は、どうも後から現実となる。

 現実となるのは、毎回じゃなかった。大きな嘘ほど叶いづらく、ちょっとした嘘はよく叶う。自分の記憶を辿るに、どうも、そのとき嘘を信じた人の数によっても左右される。もしかして、と思ったのは、大きな嘘が叶ったからだ。

 自身の誕生日パーティーに集まった子どもたちを前に、ケーキに挿さったロウソクの灯のほか何もない真っ暗な部屋で、シュンは、ふと嘘をついた。

「そういえば、幽霊ってほんとうにいるよ」

「ええ! なに、急に?」ひとりの女の子が声を上げる。

「ぼくは見たことがあるの」

 つらつら、口から出まかせを言った。

「わるい人じゃないよ。すこしパパに似ていて、でももっとおじいさんなの。ぼくのお父さんのもっともっと前のお父さんだと思う。ぼくが夜中にお手洗いに行こうと部屋を出たりすると、たまにいて、ぼくに気づいてにっこりしてくれる。話したことはないけど、優しいよ」

 シュンが語ると、ほとんどの子どもたちはそれを信じたようだった。だが、ひとりひねくれ者がいて、その子は鼻で笑った。

「まさか。幽霊なんざいるもんか。前から思ってたけど、カート、お前よく嘘をついてるな?」

 シュンは驚いた。信じてくれていないことにも、今までの嘘がバレていたことにも。だが次の瞬間、目の前のケーキのロウソクがふいに消えた。きゃあっと何人か悲鳴をあげ、驚いた家のメイドが電気をつけると子どもらは落ち着いた。だが、嘘を指摘した少年だけは、深刻な顔でテーブルを見ていた。

「どうしたの?」

 シュンが声をかけると、彼は「どうやった?」と言った。意味が分からず首を傾げれば、黙って手前の皿を指す。彼の隣の子がまた悲鳴をあげた。シュンが立ち上がり、近寄って覗くと、思いがけないものがあった。

 ラズベリーソースで書かれたメッセージ——〈ほんとうだよ、坊や。〉


 そんなことがあってなお、少年はシュンが嘘をついたと確信していたが、言った嘘がほんとうになることがあるという話のほうは、あっさり信じた。そちらは嘘でないとはいえ、なぜ信じてくれたのかシュンは不思議だった。

「お前が嘘をついていたのはぜったいだ」

 少年は言った。

「でもあのメッセージについて、ほんとうに知らない顔だった。嘘のつもりで話してたけど、いきなりほんとうになったってなら、話は通る」

「それでいいの? どっちもありえそうにないことでしょう」

「俺は嘘かどうか分かるだけだ。本当かどうかなんざ、知るか」

 シュンはそれまで、その子のことが気になってはいたが、すごく親しいというわけじゃなかった。だがこの一件で距離が縮まり、何かにつけてひっつくようになった。はじめのうちは鬱陶しそうにしていた彼もやがてほだされ、今では無二の親友だ。——少なくとも、シュンはそう信じている。

 さて、メイドたちに嘘をつき、その結果を眺めていたシュンのもとに、彼が現れた。彼はシュンへ歩み寄りながら、手にしていた携帯をポケットへしまった。

「どうやらここだけらしいな」彼は言う。「ウェザーリポートを見てみたが、町には晴れのマークが出てる。だが地図を拡大すると、ここだけ雲がかかってる」

「ここだけって、お屋敷だけ?」シュンは振り向いて尋ねた。

「そう。今、お前のいる、このバカでかい屋敷にだけだ」

「ということは、ぼくのついた嘘は、叶えられる範囲で叶うということだね」

「かもな」隣に立った彼は、同じように窓の外を見遣った。「しかし天気まで変わるとは……何人に喋った?」

「七人」

「七人で天気か」からかうような口ぶり。「なあ、大勢を騙せたら、もっとでかいことができるな?」

「そうだね」シュンは首を傾げた。「でも、今のとこ、したいことがないけど」

 答えながら、シュンはちょっと不満だった。別に人を騙そうと思って嘘をついているわけじゃない。こんなことがあったら面白い、と思いつきを口にするだけで、信じた人が悲しむ嘘はついていないはずだ。いや、わからないけど。

「まあな」したいことがない、の一言に、彼は頷いた。「思いついたらやれよ」

「どうして勧めるの?」

「面白えだろ?」

 彼は笑う。

「お前のくだらねえ気まぐれで、世界が滅びたら、気分いいね」



    ◆



「……は?」

 話を聞いた二人は、ただただ固まっていた。いくらかの時があり、ようやくサワギリが応える。

「……え? つまり……」

「そう……」

 シュンは首を傾けた。目を逸らしたまま、困ったふうに、眉で八の字を描く。

「あのね。カルトの御多分に洩れず、うちにも終末思想があるの。でね。あとで詳しく話すけど、うち流のアポカリプスにも、独自の、その、段階があって。聞くだけでオカルトじみているから、みんなに話すわけじゃないのよ! 結構深くのめり込んでる人にだけ、選んで話してたの。でも……」

「……はあ……」

「率直に言うわね」

 シュンは、意を決したように——だが目をぎゅっとつぶって——言い切った。


「終末、起き始めてるかも。信者、——増やしすぎた、かも!」

 

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