第三話
「それで依頼って、その人がパン買うのに付き合うことなの?」
森林を行くワンボックスの中、助手席でクラミが言った。
「らしーよ」サワギリは鼻息をつく。「昨日の件も、依頼主おなじ。深くは聞かなかったけど」
「こんな山奥に住んでるなんて、どんな人だろ」
Y県T川上流域。緑の深い山道を二人は目的地へ向かっていた。陽を透かす葉の青さ、樹間に差し込む光の帯。クラミは滅多に来ることのない朝の森林を楽しんでいる。クラミの記憶にある森は、常に暗い。この辺りで何人か埋めた気がするが、土へ還っただろうか。
「おいそれと外に出れないんだと。で、外に出ると、危ない目に遭うかもだから、一応護衛しろって。念のためっぽいけど」
「ふうん」クラミは延々と続く杉の木を見つめる。「ラクそうでいいね」
ワンボックスは山を登っていく。話によれば依頼人は、いちばん近いバス停までは降りてきているとのことで、そこで拾うという段取りだ。カーナビと睨めっこをしていると、正面を見ていたクラミが「あ」と声をあげた。
カーブの先にバス停があり、細身の人物が座っていた。マリンハットにマリンボーダー。黒のスキニー、コンバース。小さな顔へ目を凝らす。——女か?
「あ?」
近づいていくにつれ、思わずつぶやく。どっちだ?
間近まで来て車は停まる。標識はすっかり錆びて、退色したペンキから駅名は読み取れない。今にも砕けそうな、傷み切った木のベンチから立ち、その人は会釈する。
そして、スライドドアを開け、乗り込んできた。
「こんにちは」
「どうも」
クラミは振り返って応えた。サワギリも倣う。
その人はサングラスをしていて、顔は半分しかわからない。と、気づいたように懐から取り出したマスクをつけるから、見える面積はほぼなくなった。頰まで覆うサングラスを少し整えて、また頭を下げる。
「はじめまして、ミアオシュンと言います。今日は変なことに付き合わせてしまって」
シュンか。男?
「いいよ。金でるし」
サワギリはふと隣を見た。クラミは気にしていないようだ。いつものようににこやかに話しかける、
「今日はどこに行くんです?」
そこでハッとしたように、窓を少し下げた。
「俺はクラミです」
「俺サワギリね。よろー」
「クラミさんとサワギリさん」シュンは復唱した。「よろしくお願いします」
「で。どこ?」
サワギリが重ねて訊くと、そわそわとシートを掴んでいた手が、自然にシートベルトへ伸びた。後部座席の着用義務は律儀に守るタイプらしい。
「まずは世田谷に出ていただいて、三宿のほうに進んでいただければと」
「タクシー乗ってるみてえ」
「だいたい同じじゃない?」クラミが受ける。「分かりました。三宿ですね」
サワギリは車を発進させた。何度か切り返してUターンすると、カーブの山道をくだり出す。どことなく楽しげに外を眺めるシュンに、声をかける。
「パン買いに行くんでしょ? どんなパン?」
「バゲットサンドです」シュンは顔をサワギリへ向けた。「バターとチーズとハムをはさんだもので、その場で作ってくださるんです。とってもおいしいですよ」
「ええ、いいな」クラミがこぼす。「俺も食べたい」
「ついでに買やいーじゃん。んなバカ高いもんじゃないっしょ」
「現金のみですけれど、五百円あれば買えますよ」
「あ、そのへんはねえ、だいじょぶ」サワギリは手を振った。「俺ら現金至上主義だから」
「クレカ使えないだけだろ」クラミは返し、肩越しに目を向けた。「ちょっと、身元がね」
シュンから微笑む気配がする。
「僕も似たようなものです」
そこで、会話が途切れた。車はしばらく道なりに進む。
無言の車内は気詰まりだが、話題を探すタイプでもない。隣のクラミがちらちらと視線を遣るのを受け流し、黙ったまま車を転がす。左側から吹いてくる風に、サワギリはどうしてクラミが窓を開けたのか考えた——俺たちが喫煙者だから? シートにヤニは染み付いているのに、ちょっとくらい窓を開けたところで変わるモンかね——と、三つ目のカーブを曲がるころ、シュンが訊ねた。
「雑談はお嫌い?」
「え?」
クラミは驚いて返す。「ううん、嫌じゃないです。なんで?」
「ああいえね、無理に付き合わせるのも。だけど道中長いでしょう」
「こっちはさ。聞きてえことは山ほどあるけど?」
サワギリはルームミラーへ目を向けて、そのまま強く細めた。昼に差し掛かり日が眩しい。ダッシュボードのサングラスを探り、かけながら続ける。
「でも言えねえこともあるんじゃね? お互いそうじゃない?」
「そうですねえ」シュンは首を傾ける。
「でも私、特に隠してないけど」
「そうなの?」
クラミがそわそわと言い、彼を振り返る。サワギリが傍観していると、ためらいながらも尋ねた。
「じゃあ……シュンさんはその、どうして、あんなとこに?」
「どうして——」
シュンは首を傾けたまま間をとった。数秒、置いたのち、首を戻す。
「地の利かしら」
「は?」
サワギリがつぶやくと、シュンはサングラスを外した。
思わずぎょっとする。色の違いじゃない、——なんつー青さ! これ、ホンモノ? まるでガラスだ。
「東京にもね。窓口はあるの。でも、ほら、こういう、本拠地って言うの? そういうのが俗なところにあると、信憑性がね。信者のみなさんも、特別っぽいところのほうが没入できていいでしょう? 何か神秘的な体験をしている気分になれますし。私おかしくなっちゃうんだけれどここって霊山ですのよね、修験道とか言ってね、山岳信仰があって、でも私のところってベースがキリスト教と浄土真宗ですの、宗教チャンポンもいいところよね、皆さんお気にならないのかしら? あ、それにね、アクセスが悪いから、外から誰か来ると分かるのよ。それが便利。警察にしろ記者にしろ、物見遊山のおバカさんにしろ、見つけやすくて嬉しいのね。だから、はい。あそこにいます」
二人はぽかんと口を開けた。そういうことを聞いたんじゃない。
返す言葉が見つからないまま間ができる。なんとか、サワギリは言った。
「武将かよ」
聞いたシュンはころころと笑う。
「そうね。
隣でクラミが困惑している。無理もない。もしシュンのビジネス、つまりマルチや、恐らくは「カルト」についてあれこれと尋ねてみたら、今のように聞いてもいないことまで話してくれるだろうか。態度からしてそんな気もするが、それにしては、市井に情報がない。
昨日サワギリは、ヒノと話をしたあとそのままクラミのアパートへ行き、この依頼の概要を伝えた。その際、知り合いに噂を聞いたが、その存在さえ気づいていない奴がほとんどだったことも話した。もちろん上のほうの人間はとっくに気づいているだろうが、それなりの規模でビジネスを動かしているに違いないのに、いくら下っ端ばかりとはいえ誰も噂を知らないのは妙だ。そんなことが可能なのか。だとしたら、どんな方法で?
当の本人はあっけらかんと、少しだけ身を乗り出してくる。
「お二人のことも、お聞きしても? 《家事代行》って、何をなさるのかしら」
今度は二人、顔を見合わせる。さて、言える話は、どれだ?
「ほんとうに?」
シュンはけらけらと笑う。
「そんな冗談みたいな話、あります?」
「マジなんだって」
サワギリは呆れ顔で言った。
「落語かと思ったぜ。あったよな、そういうの?」
「うん。あるよ、有名なの……」
クラミは呟きながら、また周囲を見回す。平日昼間の商店街は賑やかとまでは言わないが、それなりに人がいる。中央に車二台が通れるか否かの車道があり、両脇に個人商店が立ち並ぶつくりだ。八百屋、居酒屋、住居、ペットショップ、それからやけに多い古着屋。老いたシーズーを連れた女性が一行の脇を通る。シーズーは一瞬クラミの足元を嗅ぎ、興味なげに去っていく。
シュンが笑いを収めながら、二人に返した。
「『近日息子』でしたかね。死ぬはずだって触れ回って……」
「ピンピンしてんだもんなあ。こっちは掃除って聞いてたわけ、ビビった」
サワギリが選んだのは、半年ほど前にあった事案だった。もちろん依頼主については伏せている。と言っても普段の依頼からして、サワギリたちに詳細が伝えられることはほぼなかった。組絡みならこちらとしても自然と察してしまうのだが、政財界が相手となると、本当に何も分からない。
「それで、どうなさって?」
「それな。悩んだ。実際」
当時を思い出し、サワギリは顎を撫ぜる。
「余計なリスクしょいたくねえじゃん? なんかの折に俺らのせいにされちまったらたまんねえわけ。でも、よくよく考えたら、依頼主はそいつを殺ったつもりで俺らに処理を頼んできたわけでしょ。で、まだ生きてるってのは、その場にいる俺らしか知んない」
「ふむ」
「じゃ、黙って辻褄合わせたほうが安全かもなってゆー話」
「かもしれませんね」
シュンは頷いた。
「下手に相手に知らせたら、それこそリスクが高まりそうです。追加料金かなにかを取って実行を請け負うにしても、実行犯だと知られてしまうデメリットには変わりない。なら、ちゃちゃっと
「そーゆうこと」
クラミは黙っていた。サワギリはあえて
それは冬枯れの山中、過疎地の集落の一角で、長らく空き家になっている廃業農家の庭でのことだ。依頼主によれば、死んだ男がその納屋に入っているとのことであったが、さて引き戸を開けてみると、中から転がり出てきた男は虫の息ながら生きていた。しかし、それを目にしたのはクラミひとりだった。そしてこういうとき、クラミはあまり深く考えない。
「死体、あった?」
「今できる」
今?
とサワギリが問うのと、クラミが男の顎と頭に手を添えて右に捻ったのとはほぼ同時だった。脊髄の折れる音がして、サワギリは急いで駆け寄ってきた。ふたりを見つめて言う。
「生きてたの?」
「え、うん」
「なに殺してんの」
「死んでないと困るじゃん」
「は? いや、え? なに?」
「え? だめ?」
「ちょい待ち……」
事が起きた後に考えたってどうしようもないがサワギリは考え、すぐに結論を出した。
「まあいいわ」
「いいの? なんだよ」
「いいけどお前が殺したってこと依頼主に言うなよ。バレっから」
「うん? うん。あ、なるほど?」
「なんだかんだベストなんだけどさー、事前に相談とかできないわけ? マジ……」
サワギリはブツブツ言いながらなおもスマホを操作する。そもそもクラミと一緒に納屋を開けなかったのも、これで調べものをしていたからだ。目当てのものが見つかったのか、サワギリはスクリーンショットをとった。
「町のほう降りてって、ビニールハウスが並んでるらへんにたくさんあるっぽい」
「ふぅん。分かった」
「小分けにして分散すりゃいいっしょ。ちゃっちゃとやろーぜ」
「それはいいけど、手作業で砕くの?」
「機械使ったら残るじゃん。証拠」
その後、二人は長い時間かけて男を解体し、ミンチにした。そして帰りに車を止め止め、民家のコンポストに少しずつ捨てた。
トマトが有名な土地だったから、その県のトマトを見るたびにこのときのことを思い出す。心なしか養分を吸って肉厚なように感じられ、冷やしトマトにして食べたくなる。ビネガーベースのドレッシングにオリーブオイルとバジルを添えれば、この季節にはぴったりだ。
「お腹すいちゃったなあ」
クラミは思わずぼやいた。
「あ、お前また物食うことしか考えてないわけ? 他になんかねえのか」
「悪いかよ。日々の楽しみなんておいしいご飯くらいしかないだろ」
「そうですか? お洋服とかは?」
「俺あんま興味がなくて……コイツは詳しいですよ」
クラミが親指で隣を指すと、サワギリは肩をすくめる。
「そうなんですね。このあたり、良い古着店がいくつかあるの。古着はお好き?」
「ブランドヴィンテージは買うけどな。その手の?」
「ええ、そう。ノーブランドもいいのよ。ブランドは昔の型も素敵ね」
「むしろ最近のよりいいんじゃね? 結局デザイナー次第だしさあ」
また自分には分からない話を振ってしまった——クラミは後悔した。車内でもうっかりシュンに趣味の話題を振ったせいで、他の二人にしかわからないゲームの話に興じられた。なんでもFPSとかいうオンラインゲームをやるそうだが、十全に扱える機械は調理家電のみというクラミに、その手の話題は荷が重い。
三人は商店街を抜け、住宅街となった車道をさらに進む。人の数は減り、たまに散歩中か、駅へ向かうと見られる者とすれ違う程度になった。話によればこのまま進むと目当てのベーカリーに着く。
「もうすぐですよ。また少し、お店があるあたりに出ます」
シュンが前方を指さす。確かにポツポツと個人店が見える。南北に車道があるようで、前のほうからも車の音がうっすらと聞こえてくる。
印刷所と軒に書かれた家屋の前を行き過ぎるとき、突然、クラミが立ち止まった。
「あら?」
一拍おいてシュンが声を上げ、サワギリも振り向く。クラミは後方を見つめていた。何もない。アパートや一軒家が両脇に並んでいるだけだ。だがクラミは明確に、一点を凝視している。
入口が二つある、三階建てのアパート。外壁はベージュのタイル張りで、入口の上部がアーチ型に装飾されている。そのアーチに沿ってアパート名が貼り付けられた手前の入口は、ここからはちょうど死角だ。クラミはしばらくそこを見つめ、やがて、つかつかと歩み寄る。
左へ曲がり、入口をくぐる。ギャッと、短く声があがった。
残った二人は顔を見合わせ、それから少し早足に向かう。奥まった入口を覗くと、隣家との境のコンクリート塀に、誰かが宙吊りにされている——黒のウインドブレーカー、下もトレーニングウェアだろう。浮いたスニーカーのすぐ下に小ぶりのナイフが落ちていた。クラミは、左手で青年の顎を掴んで、まじまじと見ていた。
「お知り合い?」
シュンを向いて尋ねる。シュンはサングラスを外し、青年をよく観察した。
青年はクラミの手を剥がそうと必死に引っ掻いていたが、全く効果がないようだった。そのうち、煩わしく思ったかクラミが握る手を強め、彼はくぐもった悲鳴をあげる。顎がミシミシと軋む音がして、シュンは控えめに言った。
「クラミさん、緩めてあげて。砕けちゃうと、いろいろ訊けません」
「あ、そっか」
つぶやくと、クラミは手を放した。同時に視界を何かが駆ける。
それは凄まじい速さで眼前を横切り、青年が落下する前に彼を塀へと叩きつけた。瞬間、鈍い音がして、シュンは咄嗟に口を覆う。青年を塀に釘付けにしたのは、鳩尾に刺さったクラミの膝だ。
冗談みたいな音、——まるでオノマトペ。ほんとうに、『ドゴッ』て鳴るのか。
「痛そう」
哀れみの声が出る横で、サワギリはクラミが蹴ったナイフを拾った。
「シュンさんを狙ってたんだよね? 俺ら、この人に見覚えないし」
膝をどけてクラミが言った。青年は床に倒れ込む。確認はなかったがサワギリも異論ないらしく、拾ったナイフを尻ポケットにしまった。シュンは地面にしゃがみ込み、吐いた消化物と胃酸に咽せ込む青年をさらに観た。覚えがあるような気もするが、はっきりとは分からない。正面から顔が見られれば少し違うか。
「失礼しますね」
シュンは青年の前髪を掴み、顎に手を添えて持ち上げる。痛みに歪んだ顔は涙とその他体液にまみれていたが、顔貌が分からぬほどではない。見覚えの由来を探り、やがてシュンはピンときた。
「
青年がシュンを睨む。正解のようだ。
「イイハラ? だれ?」
「ウチの教団のひとです」シュンは一瞬、サワギリを見上げる。
「女性のね、信者さん。熱心な方で、寄進をよくなさって」
「何がなさってだ」青年が唸る。「お前が騙くらかしてんだろ」
「あら」
シュンは心外そうに目を見開いた。言葉がつるつると滑り出る。
「ウチは、寄進をすすめてません。そんな余裕はないという方も、たくさんいらっしゃって、みんな平等ですよ。お金のあるない、時間のあるない、力のあるない、知恵のあるない。それぞれ違いますから、それぞれの形で、ウチを助けてくださってます」
青年は拳を握った。振るわれる気配はなかったが、クラミの靴がざりっと鳴り、青年は咄嗟に手を緩めた。
「だったら」押し殺すように言う。「母さんを返せよ」
「返せ?」
「分かってんだろ。洗脳を解けよ。あんたらと付き合ってから、もう話通じないんだよ。家の金持ち出して、ひとんち周って布教して、めちゃくちゃだよ。あんたらのせいだろ」
「変ね」
シュンはゆっくりとマスクを下ろし、下ろしながら、首を傾けた。
「僕、『信じてほしい』だなんて、一度も言っていないわ」
「は?」
シュンは視線を地に移す。青年の傍らに、彼が吐いた時に剥がした、汚れたマスクが落ちていた。シュンの唇に笑みが浮かぶ——恐らく刺す気はなかっただろう。ただ少し脅しつけ、
あんなチャチなナイフで。
「ウチは、抜けるも抜けないも、全く自由にしてるんです。すべて信者さん方の意思です。信ずるのをやめるというならそれは信者さんの勝手、信じ続けるというのも同時に信者さん方の勝手です。みなさん当然、自由意志で、己が正しいと信ずることをお続けになるでしょう。それをとやかく言う権利は、僕にはありません」
「お前、」
「信じるのをやめろ、と言えと? ええ、言ってもいいですよ。けれどもね、お母さまは、信じたいから信じているの。僕が『信じろ』と言うからでなく、お母様が僕を信じたいの。お分かり?」
青年は押し黙る。シュンはいっそ、嬉しそうにさえ見える。
「あのね。『話が通じる』って、なあに? それってお母さまがあなたの謂を
青年は黙ったままだ。問いかけに応えがないのは織り込み済みらしく、シュンは笑みを深める。
「お母さま、空しかったんですって。あなたやお父さまに何か話しかけても、鬱陶しげにあしらわれるばかりで、ぜんぜん相手をしてくれない。なにか考えを言っても、
そして、目を細めた。
「知らなかった?」
青年の、怒りに歪む顔に、ほんの少しだけ戸惑いが浮かんだ。反論の言葉が、なぜか出てこない。
サワギリは二人を見下ろして首筋を撫ぜる——狡猾だ。自由意志に任せている、というのは嘘ではないだろう。だが放っておけば確実に転ぶと分かっている人間を、彼らは故意に選んでいる。自身を認めてくれるコミュニティを持たない、それを心底欲している者を選んで認めてやるだけで、あとは勝手に依存して悪化していくと知っている。だから、引き止める必要もないのだ。
今の話で言えば、「騙されている」と認めることは、彼女にとってそのまま自分が愚かであることの肯定になる。認めれば、元の惨めさが一層増して還ってくる。当人はきっと必死になってシュンを——己を——庇うことだろう。そしてますます頑なになる。
強い束縛をしない代わりに追及をうまく逃れている。去っていく者にこだわらず、大勢を浅く、長く吸う——。
勉強になるなと見ていると、クラミが寄ってきて耳打ちした。
「これって、この人も引き込もうとしてるの?」
同じく小声に返す。
「あわよくば? 今ので罪悪感湧いてんならワンチャンあるっしょ」
「引っ掛かったらラッキー、ってことだね」クラミは頷いた。「詐欺ってそうやるんだ」
「いろいろめんどそうだけど、思いついたらやってみっか」
「うまくできる気しないなあ。俺ら、行き当たりばったりじゃない?」
それはおおかたお前だけだろとサワギリは思ったが、言い返す前にシュンが立ち上がった。
「お話が済みました。おまたせしましたね、行きましょう」
「もういいの? それ」彼の足元を指す。
「ええ。あとはご自分でお考えになるでしょうから。僕らはこれで」
シュンは元通りサングラスを付けた。マスクも上げて、位置を整える。サワギリは先に歩き出しさっさと車道へ出てしまった。クラミも行きかけると、シュンが思い立ったように呼び止める。
「そういえば、さっきの」
「はい?」
「ほら、『近日息子』の。〝親父〟がね、死んだんだって触れ回ったの、どこの組の方?」
「え? あー……」クラミは記憶をたぐる。
「俺らも詳しく知らないけど、確か、
「そう——」
つぶやく彼の表情は、全く分からなかった。
「ありがとう。ふふ、ちょっとね。気になっちゃったもんですから」
シュンはそのまま暗がりを出る。後ろへ続こうとして、クラミは、ふと立ち止まる。
今の、おかしくないか?
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