第1話

 『アブソリュートウェポンズ』

 アメリカの新興ゲーム会社であるガリアインターナショナルが製作したフルダイブ型対戦格闘ゲーム。

 世界中のありとあらゆる武器を使用可能で、その武器を使って対戦する格闘ゲームだが、特徴的なのは大昔に使われていたコマンド入力方式を操作に取り入れたことである。

 それまでのフルダイブ型対戦格闘ゲームは、システムアシストがあるとは言え、何らかの格闘技やスポーツなどを行っていた人間が強い、と言う定説に対するアンチテーゼとしてコマンド入力方式を採用し、コマンド入力を間違わなければ小技から大技まで自在に操ることができ、格闘技経験者以外でも強くなれる、と言うことからフルダイブ型対戦格闘ゲームでは空前のヒットを記録した。

 バトルフィールドも種々様々なフィールドが用意されており、純粋に戦闘技術だけではなく、フィールドの特性を理解した上での戦術を要求されることも格闘技経験者以外の人間でもそうした人間に勝てると言うことを証明してくれる一端となっていた。

 また発売前からスポンサーを募り、世界大会を開くこともアナウンスされており、プロゲーマーはもちろんのこと、賞金目当てに多くのユーザーがアブソリュートウェポンズを購入したことからもヒットを後押しする原動力となった。

 一件複雑そうに見えるシステムだが、コマンド入力はプレイヤーの利き手の側に常に表示されているタッチパネルで行い、小技なら簡単な入力で技を出せるため、格闘ゲーム初心者であっても入りやすいシステム構成になっていた。

 そしてアブソリュートウェポンズの最大の特徴は使用する武器が、使用する技や使い方によって独自に開発したAIが『進化』させることにあった。

 これによりプレイヤーはほぼ自分だけのオリジナルの武器を使用可能になり、スキルもその進化の度合いによって獲得するものが異なり、やりこめばやりこむほどオリジナリティに溢れたプレイスタイルを取ることが可能になっている点もアブソリュートウェポンズが発売から3年経った今でもフルダイブ型対戦格闘ゲームでは一線を画すほどの人気を博している一因だった。

 フルダイブ型VRゲームと言えばMMORPGと言われるほどのゲーム市場にあって、アブソリュートウェポンズは対戦格闘ゲームながら長きに渡って愛されているゲームのひとつとして認知されていた。

 そんなアブソリュートウェポンズに魅せられ、世界ランカーにまで上り詰めた少年、麻生深紅は今日も今日とて幼馴染みの来栖弥生に朝から布団を剥ぎ取られていた。

「ちょっと! 深紅! もう朝よ! 起きなさい!」

「んん……、後5分……」

「マンガの主人公みたいな定番のセリフはいらない! とっとと起きる!」

 明るい茶色の髪をポニーテールにしたセーラー服姿にエプロンをつけた弥生にベッドから引きずり下ろされ、ドスンと深紅は床に落ちる。

「いってぇ……。やっちゃん、もう少し優しく起こしてよね……」

「こうでもしないといつまで経っても起きないでしょ。もう朝ご飯できてるんだから、早く着替えて下りてきて」

「ふえーい……」

 大欠伸をしながら枕元に置いてあるVRゴーグルを見る。

 昨日も夜遅くまでアブソリュートウェポンズをやっていて寝るのが遅かったからやたら眠い。また床に寝転がって寝そうになるところを何とか立ち上がってパジャマ代わりのジャージ姿から詰め襟の制服に着替えると階下のダイニングに下りる。

「おはよう、やっちゃん」

「おはよう、深紅。ほら、ちゃんと朝ご飯食べて」

「ふえーい」

 ダイニングのテーブルにはトーストにベーコンエッグ、生野菜のサラダ、そしてちょうど深紅が下りてきたタイミングでコーヒーが出てきた。

「いただきます」

「はい、召し上がれ」

 はむっとトーストにかじりつくとたっぷりと塗ったマーガリンの味が口いっぱいに広がる。ベーコンエッグには塩こしょうを振りかけて一口囓ったトーストの上に乗せて豪快にかぶりつく。ベーコンエッグとトーストを同時に食べながら、たまにシーザードレッシングのかかったサラダを摘まみ、10分もしないうちに全ての朝食を平らげたらコーヒーで流し込む。

「ごちそうさまでした」

「お粗末さまでした」

「いつも悪いね、やっちゃん」

「いいわよ、これくらい。深紅のお父さんとお母さんには深紅のこと頼まれてるんだし、それにこうでもしないと朝ご飯も食べないで学校行くでしょ」

「牛乳くらいは飲むよ」

「朝ご飯は1日の活力。しっかり食べないと一日保たないわよ」

「へーい」

 気のない返事をするが、深紅は弥生には感謝している。

 毎朝起こしに来てくれて、朝ご飯まで毎日作ってくれる頼れる幼馴染み。家が隣同士で考古学者をやっている深紅の両親が家を空けがちなのを知っていて、来栖家にお世話になることは多々ある。その中でも弥生は同い年の幼馴染みとして何かと深紅の面倒を見てくれる、まるでお母さんのような存在だった。

「パソコンは鞄の中にちゃんと入ってる?」

「昨日帰ってから出してないから心配いらないよ」

「呆れた。宿題もやってないの?」

「宿題なんて出てないよ」

「ホントにぃ?」

「ホントだって。まぁ出てても誰かに写させてもらうけど……」

「何か言った?」

「いや、何も?」

「はぁ、まぁいいわ。じゃぁ歯磨きして、寝癖直して、身だしなみを整えたら学校行くわよ」

「へーい」

 いつもの朝の光景。いつもの時間。いつもの弥生。

 アブソリュートウェポンズで身を削るような対戦をしている身としては、この何でもない日常があることがなんとなく嬉しい。

 弥生に言われた通り、洗面所に行って歯磨きをし、顔を洗って、寝癖を水をつけた手で撫でて直し、唯一伸ばしている後ろ髪だけをゴム紐で括ったら準備OKだ。

 一度2階にある自分の部屋に戻ってノートパソコンが入っているだけの鞄を手に階下に下りると玄関ですでに靴を履いていた弥生が待ってくれていた。

「準備はいいみたいね。さ、行きましょ」

「おう」

 くたびれたスニーカーを履いて先にドアをくぐった弥生の後を追って深紅は玄関の外に出た。


 2053年5月12日(木)


 深紅と弥生が通う市立葉山高校までは歩いて約20分ほどの距離にある。

 学校へ行くまでの間に深紅は弥生と何でもない話をしながら歩くのが日課だった。

「昨日は道場の日じゃなかったの?」

「あぁ。昨日は師匠も師範も出掛けてね。稽古は休みだったんだ」

「ふぅん。それで帰ってからずっとゲームしてた、と」

 じっとりとした目で見上げられて、まるで母親に叱られる子供のように肩を小さくする。

「い、いいじゃん、たまには。ほぼ毎日稽古に出てるんだし、たまの休みくらい好きなことしてたって」

「好きなことってどうせゲームでしょ? いくら深紅がゲーム好きだからって言っても、晩ご飯ができたから呼びに行ったときまでゲームしてるなんておかしくない?」

「おかしくねぇよ。誰だって好きなことに熱中してたら時間を忘れるだろ」

「それはそうかもしれないけどたかだかゲームになんでそこまで熱くなれるかなぁ」

「何言ってんだよ。せっかくのフルダイブ環境だぞ? それを楽しまなくてどうするってんだ」

「そりゃそうかもしれないけど、ゲームってそんなに面白いものなの?」

「もちろんだ! フルダイブ環境だからこそ味わえる臨場感のある対戦! 血湧き肉躍る駆け引き! フィールドを最大限活用した戦術! これぞアブソリュートウェポンズの醍醐味!」

「はいはい。もうそれ耳タコだから」

「なんでやっちゃんはわかってくれないのさ。やっちゃんだってやってみれば絶対にハマるって」

「あたしはやらないわよ。ゲームする時間があるなら予備校のオンライン講義受けてるから」

「せっかくのフルダイブ環境をそれだけに使うのはもったいないって! ライセンスならオレが買うから」

「いいよ。あたし、ゲームには興味ないから」

「そんなぁ。ちょっと触るだけでもいいからやってみようぜ」

「はぁ……、深紅のハマってるそのアブソリュートなんとかってゲームのことになるとすぐこれだもん」

「アブソリュートウェポンズな」

「はいはい、わかったから。でもそんな他人にライセンスあげられるお金なんてあるわけ?」

「去年の世界大会の賞金がまだ残ってるから」

「いくら残ってるの?」

「ほとんど手つかず。あれからずっとアブソリュートウェポンズしかやってないから新しいゲームとか買ってないし」

「無駄遣いしてないところだけは褒めてあげる」

「そういうとこは褒めなくていいからやっちゃんもやろうよ。弓道部の副部長でレギュラーなんだから絶対やったらハマるって」

「だから部活に予備校と忙しいんだからゲームしてる時間なんて……」

「おーい、おふたりさーん!」

 その声にふたり組で話していた登校中の生徒が残らず振り向く。

 声の主はショートヘアの、女性にしてはごく平均的な身長の女子生徒だった。

「杏ちゃんだわ」

「一ノ瀬か」

 声の主の目当ての人物は深紅と弥生だったらしく、深紅と弥生は立ち止まって声の主が近づいてくるのを待つ。他に振り向いた生徒たちは目的の人物が違うことがわかって再び話しながら歩き始めた。

 少し待っていると声の主--一ノ瀬杏がやってきて、深紅と弥生の肩を軽く叩く。

「おはよう、おふたりさん。今日も仲良く夫婦で登校ですかいな」

「誰が夫婦だ」

「ちょっと杏ちゃん!」

 何故か顔を真っ赤にして弥生は杏の胸を叩く。

「痛い痛いって、弥生」

「杏ちゃんが変なこと言うからでしょ」

「わかったから叩くのやめて」

「もうっ」

 弥生の行動が理解できずに不思議には思うものの、大したことではないのだろうと思ってスルーする。

「改めておはよう、おふたりさん」

「うん、おはよう」

「よう」

「香里奈ちゃんは一緒じゃないの?」

「香里奈は今日日直だから先に行ってるよ」

「そう。それで今日はひとりで登校なんだ」

「そゆこと。で、深紅はんは眠そうだねぇ」

「寝るのが遅かったからな。ちょいと寝不足なんだ」

「立ち話もなんだし、歩きながらで行こう。遅刻したら大変だしね」

「そだね」

 そう言って杏が加わって登校を再開する。

「そんで、寝不足の原因は何? 隣に住んでる幼馴染みの美少女のいけない姿を想像していやらしいことでもしてたの?」

「なんでオレが弥生をそんな目で見るんだよ。ゲームだよ、ゲーム。ゲームしてたら遅くなって寝不足なだけだ」

「ほほぅ、さすが世界ランカーともなると対戦相手も引きも切らずにやってくる、と言うわけかな?」

「まぁな。少しでもランクを上げたいヤツはいくらでもいるからな。そいつらを相手にしてたらいつの間にかってヤツだ」

「ハマってるねぇ。うちらにはよくわからない世界だけどね。ねぇ、弥生?」

「そうね。あたしもよくそこまでゲームに入れ込めるのか不思議でならないわ」

「ふたりとも夢がないなぁ。フルダイブ環境だからこその体験とかあるだろうに」

「うちはたまに環境型のゲームくらいならやるよ。アクアリウムとか、実際に水族館にいるみたいな体験ができて楽しいよねぇ」

「そんなんじゃ刺激が足りなくないか?」

「別にうちはゲームに刺激を求めてないもん」

「もったいないなぁ。人気のあるVRMMORPGくらいやってみようとか思わないわけ?」

「だってめんどくさそうなんだもん」

「楽しいから人気があるんだろうが。予備校だの環境型だのしかに使ってなかったらせっかくのVRゴーグルが泣くぞ」

「そうは言っても深紅は逆にやり過ぎ。寝不足になるまでゲーム漬けって言うのはよくないと思うよ、あたしは」

「げ…」

 この流れはお説教モードに入る流れだ。この流れを断ち切るためには即座に話題を変えたほうがいい。

「さ、さぁ急ごう! 遅刻すると大変だからな!」

「あ、こら! 深紅!」

 早足になって先立って歩き出した深紅に、弥生は少し頬を膨らませて追いかける。

「あ、ちょっと待ってよ、ふたりともー」

 突然歩調が早くなって置いていかれそうになった杏も続いて、深紅たち3人はせかせかと学校までの道を歩き始めた。

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