Report.19: 嵐を超えて 後編
怪物は『殻』を守る『鎧』と幼女は言った。
『鎧』は『核』から供給される
その『核』は『殻』に守られている。
『核』を壊すには『殻』をまず壊さなければならない。
そしてその『殻』は、アズリィルには壊せない。
———まさか、それが『殻』!?
怪物の巨体を動かす『供物』は、幼女の両手と同じサイズだった。
巨体を動かす原因がこんなに小さいなんて。
思考に空白ができる。
めきめき ピキッ
不穏な音にハッと足元を見れば、さっき薙ぎ払った筈の茎の先がゆっくりと持ち上がっていた。まるで蛇が首を
「脱出するよ!」
我に返ってアズリィルを抱え上げる。
≪待て 先にこれを壊してからじゃ≫
僕は無視して主株の中から躍り出た。
途端に飛んでくる槍の葉。
縫い止められる足。
茄子紺の巨体が出口を塞ぐ壁のような位置で奇声を上げる。
なんで———いや、戻ってきたのか。
引き返そうにも後ろからは柔毛の生えた茎が迫ってくる。
鞭を振りかぶった。一振りで細い茎が再びあっけなく千切れる。
けれどそれもすぐに元に戻ろうと断面がうねうねと持ち上がる。
もう一振り。二振り———退けて、今度は外を舞う槍の葉を薙ぎ払った。
が、今度は鞭と相殺して弾かれてしまった。
こっちはもう思ったように怯んでくれないみたいだ。
だったら———
再度迫ってくる蔓に鞭の先端を飛ばし、巻き付けた。
僕の鞭の待機状態の長さはおよそ1M———今は伸びて計3Mある。伸びた部分は一見白くて平らな
けれどこの部分は、グリップを強く握り込む事で 鞭を形成する電子を瞬間的に放出する。
———くらえッ!
ほとばしる紫電。
電気ショックの振動が腕を伝う。
蔓が焼け落ちる。
出来上がった空間へすかさず鞭を振り下ろす。
先端が巧く木の枝に巻きついた。
アズリィルを抱えて地面を蹴る———と、すぐにがくんと静止した。空中で。
「はっ!?」
信じられない事に、アズリィルはまだあの『殻』を掴んでいた。『殻』に繋がった茎も張り付いたままだ。槍の葉がその茎を補強する蔓ように巻き付いていく。
槍の葉が増える程に強くなる張力。
負けじとアズリィルを抱える腕を引き寄せるがほとんど動かない。
アズリィルが掴んで離さない『殻』。
その『殻』を掴んで離さない無数の蔓。
両手で支えたくとも片手は鞭腕———塞がっている。
こんな状態で怪物と力比べなんて悪夢だ。
腕が。
肩が。
悲鳴を上げる。
駄目だ。
アズリィルを抱えた腕が離れていく。
グローブ越しに鞭の
でも離さない。
離せない!
離したく ない……!
ドンッ!
横からの衝撃。
やられた!?
違う。助けられた———サルドだ。
傍らにはマヌルネコ。
「蛮勇は感心しないなっ と」
走り出そうとしたアズリィルを彼が引き留める。
———そうだ『殻』は!?
顔を上げた先に果たしてまだそれはあった。
地面を跳ねる蔓にくるまった『殻』。
幸か不幸かマヌルネコの前脚の下。
しかし手を伸ばすより早く蔓がぶるりと脈打ち猫から逃れ、本体へ引き摺られて跳ねるように戻っていく。
あっという間に『殻』が見えなくなる。
み”ょごごごごおごごごごごご!!!
荒々しい咆哮。
巨体の体表が茄子紺から柘榴の
主株は今や内部に張り巡らせていた茎を体外へ露出。主株を覆った白い茎が寄せ集まり、山のように丸くなった様は最早別種の植物———まるで白い
こんもりと山のようになった白い塊の下から、元の槍の葉を補って余る程の蔓も生えてきた。威嚇をするように振り回し、周囲を激しく叩きまくる。
完全にご立腹だ。
もうあの懐へは入り込めそうにない。
僕は、千載一遇のチャンスを逃した。
隣でサルドが声を張り上げた。
「ラガー! 見えたか!」
「見えた!まだ活きてると良いが———」
向こうで片膝ついたデュモンが端末をタップする。モニターが展開され、通常の
「———ッし! 使える!」
「座標を共有しろ!発見したら合図を」
「了解!」
タンッと何かを実行するデュモン。
けれど何も起こらない。
何をしたのか判らない。
「ぼさっとするな。君はその子どもと離れていろ」
サルドがアズリィルを僕の背中に座らせ、離れるように促してくれる。後ろ髪を引かれつつも、僕は樹上へ避難を始めた。
鞭は———さっきの引き合いで枝に巻きついたままだ。枝伝いに回収しに登る。
一体何をしようとしてるんだ?
デュモンとサルドのやりとりに付いて行けない。
移動していても意識はデュモンとサルド、二人のやりとりばかり考えてしまう。ちゃんと離れなきゃいけないのに。断片的で理解できない会話が思考を惑わす。何をやっているのか、関心ばかりが募ってしまう。
答えは意外にもアズリィルから齎された。
≪アレの中で動き回るモノが現れた≫
「え?」
振り返ってみるものの、あいにく背中のアズリィルの顔は僕の視界に映らなかった。
≪小さい———ああ蔓の上に移ったな≫
「蔓って」
さっき怒り出した時に一斉に増えた蔓。
何本あるかなんて数えられそうにない槍の穂先のようなアレ。
「めっちゃうぞうぞ振り回してるけど!?」
怪物の全体を見渡すも、アズリィルの言った『小さな物』が、蠢く巨体の群れ群れの何処にいるかなんて見当もつかない。
≪ほれ、巨体と本体をつなぐ蔓じゃ≫
アズリィルの声に導かれてそちらへ目を移し———いた。
チラッと見えた。
本体と巨体を結ぶ蔓を疾る影。
すぐに見えなくなった。
≪さっきので何か気付いたか。『殻』は彼奴らが破壊してくれそうじゃ———貴様は全体を見渡せる場所までもう少し距離を取っておけ≫
「っ わかった」
言われた通り枝を移動する。鞭を回収し、移動する———チクリと何かが刺さったような胸の痛みを振り払うように。
下の戦場からはサルドとデュモンのやりとりが届いてくる。
「まだか!」
「もう少し……!」
サルドの撃った光線が
マヌルネコが巨体の足元を縫うように走り回って翻弄する。
デュモンが眉間に皺を寄せ、片手をゴーグルの横に添える。
狼が踵を返してこちらに飛んできた蔓を噛み千切る。
「あった!」
デュモンが喜色の声を上げる。
幼女はそれを待っていた。
≪飛翔翼・No.4を離脱。形態変更。攻撃待機。目標設定『laminam gulae』≫
誰かが「はっ!?」と驚きの声を上げる。
「ラガー!」
サルドの叫ぶ声にデュモンへ目を向けた。
見えたのは蔓に捕まった彼の姿。銃は取り落とされ、離れた所に転がってしまっている。丸腰———いや、胸の辺りからナイフを引き抜いて、巻きつく蔓を切断しようと試みるのが見える。
けど、どんどん巻きつかれていく。ついにナイフまで取り落とされ、体が浮き上がった。べちん、べちんと腕に脚に頭に———そして首に。蔓がデュモンの体を覆っていく。
抵抗しながら運ばれて行くその下は———
「デュモンッ!」
思わず叫んだ僕は見た。
蔓に巻きつかれた彼の右腕が、ふるふると左腕の端末へ伸び———触れる。
刹那 左腕から噴き上がる黒い粒子の渦。
太い嘴の大鴉が翼を広げ。
デュモンの口元が不敵に歪む。
「くらえ———」
クワッッ!!
図体に似合わぬ甲高い音。
轟音が衝撃波となって波紋を描く。
レイヴンの一声が何十倍にも膨れ上がった音響爆弾。
怪物に隙が生まれる。
振りほどいたデュモンは、落ちた先の白い
「やれ!!」
蹴り上げられた蔓の塊。
茎は千々に千切れて空気に
何か張り付いている。
黒い———あれはトカゲかヤモリか。
下から蔓も伸び上がる。
三方からの一斉射撃。
そのうちの一筋が いち早くそれを撃ち抜いた。
硬質のモノが割れる甲高い音が響く。
間髪入れずその場所を金色の光翼が貫いた。
宙を通過しただけの筈のその刹那———目に見えない『何か』が砕ける音を、確かに聞いた。
「っっしゃああああ!!」
その音とほぼ同時にレインが雄叫びを上げる。声を見上げれば、岩の上に斜めに立つ彼の姿。彼の後ろには眉尻を下げたカーネルさんもいる。どうやらレインは木に掴まったカーネルさんに、ベルトを捕まえられている状態のようだ。あんな体勢で撃ったのかあのヒト。
「ったく。銃の腕だけは良いから困ったものだ」
サルドが呆れたように嘆息して銃を降ろすのが見える。
僕はするすると木から降り、地面に立った。
まるで土人形が水分を失いひび割れていくようだ。
崩れて砂のようになった土塊は、焼け焦げていくようにドス黒く染まり、空気へ消えていく。
やがて最初からそこには何も無かったかのような静寂が訪れた。
完全に怪物の姿が無くなってほうっと息を付いた時———
ゴッ
頰を打つ衝撃。
地面に倒れ込み、訳も分からず相手を見上げる。
「アウイン さん……?」
拳を振り落とした格好のアウインの姿があった。向こうからプラシオが走って来るのも見える。
衝撃のあった頬に触れればじくじくと痛む。殴られたのか。
アウインは訓練でも見た事が無いくらい怒った顔をしていた。地の底をも凍てつかせるような絶対零度の迫力。
「褒められたものでは無いな。君たちのしでかした事は危険極まる———が」
そこから一転、困ったように眉尻を下げアウインは微笑んだ。
「無事でよかった」
そう言い置いてアウインが去っていく。
そこで僕は 今回どれだけ自分が危ない事をしたのかようやく顧みた。
顧みる事ができた。
怒られる筈だ。けどそれ以上に———たくさん 心配をかけさせてしまったと落ち込んだ。
勝利の余韻がするすると薄れていく。
≪不器用な娘よの。後でしっかり謝まってやる事じゃな≫
「アズリィル、頭のやつ消えてないよ」
≪構わんじゃろ≫
小声で教えてみるも、幼女はどこ吹く風だ。と言うか今僕殴られたよね? 何で無事なのひょっとして逃げた? 得意げに腰に手を当て胸を張る幼女の頬を引っ張りたい衝動が湧いてくる。
≪さっきも言ったが貴様以外誰にも———≫
「———みひゃっ!?」
急な幼女の悲鳴。顔を上げると、アズリィルの頭にデュモンの手が伸びていた。いつの間にやって来たんだろう。
艶やかな金色をさわさわと撫で回している。その腕が動く度に頭上の光輪をすり抜けていて、さっきまで余裕だった幼女の顔がみるみる青褪めていく。
「デュモン?」
「ん ああ……。お姫様に怪我が無さそうで良かったと思って」
ああ、アズリィルの無事を確かめに来てくれたのか。そう言えば『殻』を握って掌が傷だらけになってた筈だ。
「アズリィル、ちょっと手を見せて———アズリィル?」
すっかり青褪めた表情の幼女は、硬直したまま動かない。そう言えば翼には感覚あるって言ってたような。光輪にもあるのか感覚。僕はデュモンを仰いだ。
「デュモン、アズリィルの手当がしたいんだけど……?」
「んー……」
生返事。頭を撫で撫で、背中を撫で撫で。そんなに心配してたのか。本当に幼女に甘いなぁ。
けどその割にはその表情が抜けて見える———あれ、デュモンの目ってこんなに明るい色してたっけ? まるで
「———!?」
デュモンが急に静止した。その手を逃れてアズリィルが僕の後ろに回り込痛い痛い!何でそこで叩くんだ 八つ当たりやめろこら。
「ふわふわぁ〜! ラガーさん凄いわ!この仔大人しい!」
声に振り向けばいつの間にか降りて来たマリオンが、デュモンが出した狼に抱きついていた。彼女と並ぶとやはり『動物園』で見かけるものより一回りは大きいのが判る。たっぷりとした毛並みの黒銀の狼は、腰を落ち着け空色の瞳でこっちを向いたまま されるがままだ。
「っ そりゃあな。 一応AIだから」
なんだろう。さっきからデュモンがおかしい。
後ろでチラチラとレインが「こっちの方がデッケーですよ。ほらっ」とか言って再び出した虎をアピールするが、マリオンは狼の方に夢中だ。
「名前は? モデルは? このサイズ———アラスカ? シベリア? それともツンドラだったりするの?」
全部寒い地域縛りか。いや確かにあったよ?寒い所の程でかくなるって話も。確かにちょっと狼にしてはでかいけど。でもあれ 色違うんだよなぁ。まあマリオンが言うんならそうなのかな。
「まあな。その、———黒姫殿? そろそろ戻して良いかな」
「ええええ? もうちょっと……」
とても名残惜しそうだなマリオン。
「いや、そろそろ俺がやば——— あ・・・」
突如デュモンの巨体が糸を切ったように傾いていった。同時に狼が形を失くす。マリオンが悲鳴をあげるのが聞こえたが、側にいたプラシオが支えてあっちは大丈夫みたいだ。
「デュモン!?」
問題はこっちだった。慌てて手を伸ばしてみるも、デュモンが重すぎて支えきれない。身長差と、脱力のせいだろう。決して僕が非力だからではない。断じて。
「ふむ。稼働限界だな。3体はキツかったか」
アウインがデュモンを覗き込んで苦笑する。
「あ〜〜 こんなに出したの久しぶりッス・・・」
「だろうな」
フォン フォン
余韻のある反響音が聞こえてきた。
確かこれは、輸送ヘリの
「本部の救援が来たようだな」
ふとアウインが耳の端末に手を添える。数回頷いて彼女はほっと目を
「水質班はうまく撤退できたようだ」
その知らせにこの場の全員もまた胸を撫で下ろした。
撤退。
そうか。逃げられたんだ。
よかった。
そうだよ。安全確保が最優先なら逃げても良かったんだ。
僕は無意識にほうっと息を吐いた。
「自分が先導しよう」
サルドが
「キャンティさんは大丈夫なんですか?」
デュモンが倒れたから、同じだけ動き回っていたサルドを心配しての事だろう。僕もサルドを見上げる。
「自分はこいつほど動き回っていないからね。さっさと仕舞わないこいつが悪い」
ピッという電子音で右肩に鳥が現れる。茶褐色の羽毛の胴に星のように散りばめられた白い斑点模様———ホシガラスのようだ。
「俺は大丈夫ですよ。こっちの仔はどうです?」
「もうヘリが来るからまた今度ね」
向こうでレインが虎と一緒にサムズアップ。マリオンはそれを微笑みであしらい、レインが撃沈する。
一方こっちではサルドとデュモンの静かなやりとりが始まっていた。やりとりと言うか、サルドの説教だよねコレ。
「だいたい装備を喰われるとは何事だ。戦闘中の余所見も良くない。無駄に自分の身を危険に晒して。こちらの戦力を減らしたら戦局に支障が出るんだぞ。貴様その辺懲りたんじゃなかったのか。幸い装備が活きてたから良かったものの、そんな幸運頼りではこの先も———」
「うぅぅい……その小言、ヘリん中でたっぷり聞くから。後にしてくんない?」
デュモンは具合悪そうに顔を手で覆っている。すっかり脱力していて、一向に立ちあがろうとする気配が無かった。そのデュモンを支えてるから、僕も一緒に説教を受ける形になっている。地味に辛いので後にしてほしいと僕はコクコクと頷いた。
「駄目だ。ヘリが来るまでたっぷり聴け———ヘリではうちの尻軽に説教する」
「ひぇ!?」
あっちからレインの悲鳴が聞こえてきた。飛び火か。
「サルドさんの説教か……長いんだよな」
プラシオが遠い目をした。もちろん助けてくれる気配は無い。無慈悲か。
「お前のは大丈夫か。毒を喰らっていただろう」
そのプラシオの体調をカーネルさんが心配してくれる。
「ありがとうございます! マ、じゃない。ラキシー隊員のおかげで今はずいぶん楽になりました」
ビシッと直立してプラシオが答える。え、何。地質班の関係性が分からないんだけど? 優しそうなヒトだけど?
「レッドも怪我は無い?」
「あ、うん。僕は大丈夫……」
マリオンが優しくて目頭が熱い気がする。
いや実際はいつの間にか付いた擦り傷がヒリヒリしてきてる。怪我が危機的状況から脱した後で思い出したように痛くなるって話は本当だったらしい。
———でも一番痛かったのは、最後の一撃だったな……。
張本人のアウインが空を見上げた。
「数名負傷あるいは行動不能になったようだが、あの怪物たちを相手に全員生き残れた事を祝おう」
フォンフォンと再びエンジン音が近付いて来る。
その音波に煽られ草木のざわめきが大きくなる。
僕らは最初の戦いを乗り越えた。
そう、最初の———戦いを。
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