Report.26: 縁を築く刹那




 哺乳類:ピグミーミユビナマケモノ。

 別名『ヒメミユビナマケモノ』。

 中南米の広範囲に棲息する他の樹懶ナマケモノ類とは違い、限られた島のマングローブにしか棲息しない絶滅危惧種だ。


 ナマケモノ全般に言える事だが、身を護る為に彼らはとにかく動かない。動かなすぎて体毛に藻が生える。もちろんそれらは彼らの非常食になる。しかも食事量は少ない。体温調節すら環境頼りの超省エネ生物———それがナマケモノだ。

 こいつもそれ程に動かなかったんだろう。

 いやそれ以上というか。


 ゆっくりと持ち上がっていく、長く毛深い腕を見上げるそんな———3秒未満。


「この惑星ほしの怪物は、擬態が巧すぎると思う」

「うん、お前が言うんならそうなんだろうなー・・・けど」


 3本爪の長い腕が振り下ろされる。


 ゴォオオオン!!


「今言う話じゃ無ぇよな!?」

 プラシオの至極真っ当なツッコミ悲鳴。


 いやでも待って。本来ナマケモノって体長約40〜70cmのサイズなんだ。なのにこいつは3〜4Mある。背中や腕の体毛には藻や苔を通り越して草やシダが揺れているし、よく見れば地上を這うタイプの苗木まである。そんな奴の長い両腕を広げたら何Mなんて考えたくない———現実逃避くらいさせてくれっ。


 ぴし

 ぴし


 不吉な軋み音に冷や汗が止まらない。

「い、いやいや待って・・・まさか———」

 止せば良いのに分析立てる僕。


 1:一見安定して見える遺跡の瓦礫でできた水上の足場。

 2:レイヤー建築得意な地質学者プラシオ。

 3:が、判断した水没部分の超不安定な謎構造。


 4:そして加わる超衝撃。


 蘇る 食虫植物セファロタスの恐怖。

 サルドの指示が飛ぶ。


「緊急回避!!」


 ガラガラガラガラ!!


 逃げようにも音を立てて崩れる足場。

 誰一人成す術無く、轟音と共に青昏い水中へ引き摺り込まれた。


 どぶんっ、と水に落ちる感覚。

 視界を流れる水泡。

 でも息苦しさは無い。

 バックパックの防護機能のひとつ———水中活動用のバリアが自動展開してくれたようだ。そして水中活動用の機能にはもう一つ便利な物がある。


 トン、と背中から何かが離れていく衝撃———言う迄もなくアズリィルだ。水底方向へ潜ろうとする白い襟首を、僕は慌てて捕まえた。

「ちょっ どこ行くのアズリィル!?」

 水中でも構わず叫んだ。口元で小さな泡が立つ。バックパック装備者同士で行える会話機能———アズリィルの超簡易版にももちろん搭載されてる。まあこの幼女には必要無い気がするけど。

 ≪この辺りにまだ別の供物がある≫

 案の定いつもの電子通信コールが頭の後ろで響く。って、そうじゃない!

 ≪水に入ったのなら丁度良い。さっさと探して破壊を———≫

「駄目だ!———だって・・・っ!」

 ごぼっと聞こえた水が動く音に、幼女を問答無用で抱えて離脱した。

 すぐに巨塊が通り過ぎる。

 激しい水流。

 片腕でアズリィルをしっかりと懐に庇い、反対の腕で自分の頭を守る。

 ぐるんぐるんと視界が回る。

 水面の光が、水底の闇が、目紛しく入れ替わる。


 思い出すのは図鑑のページ———ナマケモノは大きく2種類に分けられている。見分け方は簡単だ。前足の指の数を見ればいい。二指のものか三指のものか。あいつは前足の爪が三つあった。つまり———泳ぎが巧い。


 ゴウッ と巨魁が襲って来る。まるで海流のように水がうねる。

 ていうか速くない!?

 あんなスピードじゃなかった筈なのに!


「ナマケモノって『動物園』じゃゆっくり動くイメージしか無ぇんだけど!?」

「それよりも アレって泳げるものなのですか!?」

 双子の悲鳴が聞こえる。

 見上げる程の巨体が、燕のようなスピードで泳ぎ回っていた。広いとはいえ縦横無尽に、しかもこの青の闇の中を、だ。何とか毛並みがキラキラ反射してて居所が判るけど、それも離れすぎたり瓦礫の影に隠れたりしたら見えなくなる。マジで怖い。

「泳げる奴もいるんです!」

 僕は精一杯声を張り上げた。

「流石にあれは速すぎますけど! 本物も陸上を移動するより三倍速い———絶滅した種類の中には、水中に適応した奴までいたって記述がありました!」

「マジかよっ」

 そう。本来なら時速120Mの三倍なんかたかが知れている筈なんだ。図体が大きくなった分素早くなったのか。それとも見た目が『ピグミー』に似てるだけで、地球では絶滅した水棲種なのか。

 どちらにしろ今の状況じゃあ脅威なのは変わらない。


「スコッチ殿」

 ガルデンに『ぐわしっ』と力強く掴まれた。あれっこのヒトさっきまで離れた所にいなかった?

「その絶滅種の話、詳しく……!」

 いったい何を言われたのかすぐに理解できなくて二度見する。まっすぐ僕を見る小豆色の目が爛々と輝いて見える。なんか目が座ってない? というか掴まれた肩が痛たたた!?

「ガル〜ッ お前駄目だぞ? 後にしろよ、な!?」

「そうでし、たッ!」


 再びの強襲。

 ガルデンが銃を構え発砲する———が、光線は銃口の先で光るだけで発射されず、不発に終わる。


 ———そうだ、水中では光線レーザーは使えないんだった!


 水中での戦闘を想定した訓練で、そんな事を教わったのを思い出す。

 しかし樹懶ナマケモノは「ぐぉあ!?」と唸って進路を変えた。巨体がうねって水底方向へ急転換し潜っていく。不発になったと思われた攻撃が、意外な結果をもたらした。


「どうして・・・」

「水中じゃあ光線レーザーは攻撃に使えないが、今みたいに目眩しには使えるんだよ。特にこう言う薄暗い所だと効果は覿面テキメンだろうなぁ」

 デュモンが樹懶ナマケモノから目を離さずに僕の所まで寄ってきた。プラシオやジラソルの所にも、それぞれの護衛が寄って行くのが見える。


「それより、あいつ随分怒ってるように見えるんだが———ナマケモノって、あんなに気性の荒い奴だったか?」

「昼寝の邪魔 しちゃったかなぁ……」

 現実逃避的な苦笑いが漏れる。「うぅぅううぅぅぅぅ」と歯を剥き出して唸る姿は、図鑑や『動物園』のイメージからかけ離れていた。くそう。何だってあんなトボけた顔で襲って来るんだよ。意味が分らない。ナマケモノの成体ってほとんど鳴かないみたいなんだけどなぁ。おかしーなぁ。


「それよりも奴の遊泳速度が常軌を逸している件の方が不味い」

 サルドの声が水泡混じりに聞こえてくる。サルドとプラシオがいる位置からは少し離れているのに、立ち話でもするような距離で話をしているみたいに鮮明だ。水中会話機能は距離もお構い無しらしい。

「『大きさ以外は普通の動物と変わらない』と言うのが対策の道筋を残していた。今回の件を皮切りに、常識の通じない正真正銘の怪物が出てきても可笑しくはない」

「いよいよファンタジーの世界にどっぷりって感じだな」

 デュモンの溜め息混じりの一言にどきりと心臓が跳ねる。アズリィルを抱える腕に力が篭った。


 ガルデンからサルドへ樹懶攻略の為の白羽が立つ。

「どうしますか、キャンティ殿」

「そうだな、策は無い訳ではないが———時にセルヴェージャ兄弟。貴様らは同時に何体ドローンが出せる」

「一応 同時3体までは出せます。ただ実戦でのシンクロ率はそんなに高くありません———撹乱くらいしか出来ませんよ」

「俺も似たようなもんだ」

「同時操作が出来るなら充分優秀だ。それで、シンクロ率が高いのは」

「俺は『ホエル』と『ウィーゼル』が同じくらいだな」

「・・・」

 ガルデンが黙った。何故か顔を逸らすおまけ付きだった。


「・・・おい あにージャ」

「あにーじゃ!?」

 つい素っ頓狂な声を上げてしまい慌てて口を閉じる。「こんなんでイラっとするなよなぁ」とのデュモンの呟き。どんなイラつき方してんの。

 口を歪ませ苦渋の表情の後、ようやく観念したガルデンが口を開く。


「……『クラブ』デス」

 明らかに隠密行動スパイ向きの形態。


「守衛部の方が良かったんじゃないですか?」

「この状況でそんな突っ込みできるお前がすげーよ…… 俺もそれ、言わないようにしてたのに」

 プラシオの声がごぼっと聞こえてきた。また思った事が口を突いて出てしまったみたいだやっちゃったか。

 いやいや待って。もしかしたら戦場で意外な活躍ができるかも知れない。

 地面を這って移動し、時に止まって岩と同化する姿を想像する。うん———やっぱ隠密しかないわ。前衛じゃないのは確かだよね。だってどうやっても活躍する姿が想像できないもの。


「そういえばガルのドローンって全部 海の生き物だったような……」

「意外な趣味ですね———そういえば、さっきもオニイトマキエイが空中を泳いでいましたが、あれは・・・」

 ジラソルの苦笑いで思い出す。登木中に足を滑らせたヴァージニアを受け止めた、宙を泳ぐガルデンのマンタの姿を。デュモンも思い出したのか、恐る恐る口を開く。

「あー……何で浮遊できるようにしたんだ」

「『携帯獣』知らないんですか!? 目から鱗ですよあれ!水属性が空を飛ぶ事によって、水中以外でも活動できるなんて! ———最高じゃんッ!」

 キッと両目が釣り上がったガルデンの迫力にデュモンが押されている。というか口調変わってない? さっき詰め寄られた事といい———そこまで好きなのか。

「それってゲームの仕様なんじゃないか?」

「ガルデンは海洋生物クラスタだからな……」

 ジラソルトエピードがこっそりと頭を寄せ合って話すのが聞こえてくる。これ以上無い水辺向きな好みだなぁ。

 まさにガルデンの四面楚歌。わなわなと震えた後、噴火した。


「一応おかでも使えるように、全部浮遊機能搭載してますからね! 防御力で蟹の右に出るのは亀と昆虫と貝くらいですからね!? そもそも貝と蟹で迷いましたし!」


 ———それは、賢明な判断だったと思うなぁ……。


 貝は一応 軟体動物にカテゴライズされている事は、言わない方が良いだろうか。


「良いじゃないですか、海の生き物! ———って! 今は僕の趣味なんて良いでしょう!?」


 ヴォオンッ!!


 くぐもった振動音と、次いで聞こえた「ギャッ!?」と言う樹懶の悲鳴。さらに轟音が響いて瓦礫が降ってくる。

 音が聞こえた方を見れば大量の泡で真っ白だ。その泡の塊からサルドが脱出してきた。プラシオを小脇に抱えている。

 泡が晴れるとさっきまで二人がいた辺りが崩壊していた。ゾッとする間も無くその崩壊箇所から樹懶がぬっと伸び上がるように現れる。歯を剥き出し歯軋りし、その長い腕で瓦礫をドンドン叩いて八つ当たりだ。


 この前見た拳銃を構えながら、サルドが指示を飛ばす。

「水中では光線は使えんからな———各自、音素フォノンモード」

「了解!」

『音素モード』は振動波を射出する弾丸形態だ。アナログとデジタルの中間にあるようなシステムで、熱線を放射して目標を焼く『光線』とは違い、純粋な『振動』が弾となっている。人の可聴領域の外にある振動を目標にぶつけるのだ。

 サルドが言った通り『光線』はその性質的に水中では使えない。故に『音素モード』は、通常の『光線レーザーモード』と合わせてすべての銃火器に搭載されている。こうして現代銃器は『光線』、『音素』、そして従来の『火薬』の3種類が状況に応じて使い分けられている。


「ヴァージニア!?」

 ガルデンの焦った声が聞こえる。

「何処ですか、ヴァージニア!」


 一体いつからなのか、水質班のヴァージニアの姿が何処にも見当たらない。


 我が事のように血の気が引いていく。一体何処にと僕も、上、壁、水底と、周囲の目に付く場所を片っ端から見回した。

 いない。

 いない。

 見つからない。

 青しか無い。

 見つからない人影に焦燥が募る———その時、後ろからぐいっと頭をねじられた。

「いっ・・・!?」

 突然の暴挙。首から鈍い音がした。頬や頭には小さな紅葉みたいな掌の感覚もある。

「何してんの!?」

 ≪あっちじゃ。瓦礫の網の目に隠れておる≫


 幼女への抗議が脳内に齎された情報で霧散する。

 そのまま顔を向けられた先へと目を凝らす。


 そしていた。

 確かに見つけた。今にも崩れそうな瓦礫の山の隙間に———て、何でそんな今にも崩れそうな場所に隠れてるんだあのヒト。

 僕は水を蹴った。

「レッド!?」


 水底より1階ワンフロア分は上の辺り。遺跡の隙間に折り重なった瓦礫の山へ泳ぐ。アズリィルの例えた通り、まるで網の目のようになった隙間へ僕は滑り込んだ。

 両肩を掴み、彼女がしがみついた柱から剥がそうと試みる。が、引き剥がせない。意外と力強ッ!

「ヴァージニアさん! 撤退しますよ!」

 声を張り上げ彼女の肩を思いっきり揺らした。首を振ってさらに柱にしがみつくヴァージニア。

「こんな事がしたいんじゃなかったのにこんな危険だなんて予測できない何故あのような危険な生物があり得ない解析できない対処法の情報不足です検索該当無し検索該当無し検索該当無し救援が到着するまでに全滅する可能性は———」

 駄目だ。聞こえてない。呪詛のように何かを小言で、高速に呟き続けている。

 しかも断片的に聞こえる限り、内容は不吉な方向に傾いていた。早めに止めさせないと。ここもいつ崩されるか分からない。


 ≪ふむ、怯えておるのぅ———過剰な程に≫


「アズリィルっ、何を———」

「ひっ・・・」


 まるで人魚姫が絶望の淵から掬い上げられた絵のようだった。

 アズリィルの紅葉のような小さな手が、ヴァージニアの銀の髪を梳いていく。


「よし よし 」


 まるで時が止まったようだった。

 ひと撫で毎に肩の震えは緩やかになり。

 ひと撫で毎に怯え切って焦点の合わなかった目に光が灯る。


「よし よし 」


 舌足らずなアズリィルの肉声が、戦場の緊迫感を押し退けていく。

 立ち上る水泡が 恐怖を水底から掬い上げる。

 そして天使は微笑んだ。


「おちちゅいたか?」

「あ・・・」

 さらりと揺れる陽光のような金の髪。

 ハチミツを溶かし込んだように甘い金の瞳。

 正気に戻ったヴァージニアに微笑んで、幼女が浮力に任せてゆらゆらとこちらに戻って来る。

「ヴァージニア」

 ガルデンが入れ替わりにそっと銀水晶の乙女に寄り添っていく。

 垣間見えた表情は、なにか憑き物が落ちたようだった。


 頭を撫でて、微笑んで。

 たったそれだけで、一人のヒトを恐怖から解放してしまったアズリィル。


 正に天使の成せるわざだった。


「落ち着いたようだな、アルマニヤク」

 サルドの低い声が降ってきた。

 ブォオン、ブォオン、と音波振動弾の牽制音がくぐもって聞こえてくる。瓦礫の隙間から、デュモンとエピードが入り口を固めてくれているのが見えた。

 樹懶ナマケモノは今なお瓦礫の山へ突進と撤退を繰り返している。しかしさっきまでの水の真ん中で襲って来た時とは違い、突進して来るのは今はもう前からのみ——— 一定だ。今にも崩れそうに見える瓦礫の集積地だったけど、上手く籠城できる即席の砦として意外な機能を果たしていた。


「ハイ———もう、だいじょうぶデス」

 しっかりとサルドと目を合わせて頷き返すヴァージニア。

 本当にもう大丈夫そうだった。

 力強い目の光が、それ以上の言葉も必要としていない。

 彼女の表情に、にやりと口角を上げるサルド。


「ならばとっととここを脱出するぞ」




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