Report.22: 巡る縁 後編




 自動ドアから廊下に出て、ホールに等間隔で並ぶ円柱の一つにたむろするプラシオと合流する。


 本当に戻ってきたばかりみたいだ。プラシオたちの装備には 汚れはもちろん、細かい擦り傷なんかがあちこちに入っているのがすぐに分かった。

 しかし彼らの装備の汚れや傷の具合とは対照的に、その表情は明るく晴れやかに見える。僕は無意識にも息を吐き出した。


「おかえりプラシオ。その様子だと成果があったみたいだな?」

「おう、まあな。それで、ちょっと見てほしいんだが———これ。多分苔の一種だと思うんだよ」

「いやカビだろ。どう考えても」

「石灰層の変異成分とも考えられるぞ」

 水質班のジラソルさんと、プラシオの地質班の先輩カーネルさんが口々に意見を述べる。プラシオが若干冷水を浴びせられたように乾いた笑いをした。

「———こんな感じで先輩たちと意見が割れてな……。専門家の意見を聞きたいんだが」

 そう言って腕の端末を操作して ここにいるみんなに見えるようにモニターを展開した。同一対象を複数人で分析するのに利用する共有モニターだ。今表示されているのは専門外の地質系解析データだけど、基礎的な数値は一応理解できる。例えばこの———硬度を示す値だ。

「うわっ 随分硬いなこれ。ちょっと待って簡単に見てみる」

 端末に収納している解析ソフトに掛ける。僕の端末から飛び出た小さなモニターで始まる解析。同時にプラシオが出したモニターには『Loading…』の文字が表示された。

 やがて弾き出されたデータが共有モニターに追加表示される。そこには、確かに僕の専門とする分野に関わる細胞が存在していた。


「うん、確かに苔だね」

 僕が答えると後ろにいるジラソルさんが「マジかよ」と呻くのが聞こえてきた。ほぼ同じくしてカーネルさんがプラシオを褒める。

「例のセノーテ?」

 セノーテは本来、中南米の特定地域にある陥没穴シンクホールの名称だ。けれど惑星探査が始まった現在では、類似地形のものも便宜上そう呼ぶようになった。出発前にプラシオから聞いたトリビアだけど、何だかもう 遠い記憶のように感じる。


「見つけたのは真っ暗な所だぞ。そんな所に苔なんか生えるモノなのか」

 ジラソルさんが尚も信じられないと言った風に身を乗り出してきた。

「うーん……そういう所のなら確かにカビの類って考える方が普通ですね……」

 なるほど。発見した環境からそう推測したのか。

 確かにその方が自然なのかもしれない。

 植物以外にも光合成をする奴は一応存在するけど……でも———

「でも、これにはしっかり植物系にしかない光合成用の物質が存在してます。もしかしたらどこかに光源があるのかも」

 その成分を含有する細胞は、今のところ例外無く植物にしか確認されていないのだ。宇宙は広いから いつかは例外が現れるかもしれないけれど———そんな事になったら常識が覆るなぁ。


「光源か……後で地形再現してみるか。気象班のハドレー殿かジーナ嬢に太陽軌道を割り出してもらおう。一定の時刻にだけ陽が差すようになっているかもしれない」

 これはカーネルさん。「手伝います」とプラシオが頷く。

 地形を再現するならこのあと二人は電空ラボだろう。電空でサンプリングした地形環境を丸ごと再現して、一定時間にだけ差す光を探し当てるのだ。

 だけど惑星探査が始まってからの近年の研究では、光源の候補は他にも発見されている。


「あとは太陽光に似た性質の光を発する微生物がいるのかもしれません。微生物の有無ならマリオンの分野ですから、彼女にも聞いてみてください」

「そうか……って、あー しかし彼女、今引っ張り凧じゃないか?」

 頷きかけたカーネルさんが、思い出したように難しい顔をする。釣られて僕も苦笑いだ。何せ 暇を持て余す僕とは対照的に、マリオンは引っ張り凧なのだから。


 理由はあの怪物にあった。

 怪物とはいえ生命体。おかしいのは図体だけで、そこに目を瞑り安全さえ確保できれば動作パターンは実際の生物と同じ———彼女の専門分野だ。なので彼女は怪物攻略の一翼を立派に努めている。

 マリオン自身は ちょっと複雑そうだったけど。


 プラシオが首を少し傾げつつ腕を組んだ。

「でもお前も割と動物学喰ってたろ。蔵書の中に専門書混じってなかったか?」

「あぁ あれは趣味。流石に本職のヒトには敵わないよ」

 幻獣の元になった生き物を調べるのに、ノリと勢いで蔵書に加えた現実分野の専門書は確かにある。大きいので図鑑———まあ古本サイトで見つけたデータの古い物だったから、マリオンに指摘された付箋メモが大量に付いてるんだよなぁ。安物も良し悪しだって学んだよ。


「君は趣味と仕事が一緒なのか。珍しいね」

「珍しい……んですかね?」

 カーネルさんにそう言われて今度は僕が首を傾げる。プラシオがウンウンと頷いた。

「珍しい珍しい。俺も門外漢だけどさ、お前ならマリオン程じゃなくても怪物攻略の役に立つと思うけどなぁ———つーかそこ積極的にアピールしたら良いんじゃないか? 今日も基地周りしか見てないんだろ」

「えっ そうなのか?」

 頷きながら年上二人からの視線の圧に腰が引ける。プラシオめ。ううっ……確かに事実だけどさ。

 ジラソルさんがずいっと前に出てくる。

「俺で良ければ君の調査に付き合うぞ———どこに行きたいんだ?」


 よく知らない年上の先輩からの申し出……!

 断り辛ッ!

 いやいやチャンスだろこれ!

 ようやく遠出するチャンス———いや言い辛いよッ!


 不意にラグナの顔を思い出した。

 確か言ってたなぁ———『遠慮してたら言いたい事も言えなくなる』、だったっけ?

 ああ〜 今まさに言い辛くなってるよ・・・。


「えっと、大樹の調査を希望してるんですが、まだ行けてなくて……」

「あぁあの……ふむ。確かあっちにはまだ見てない水脈が通っていた筈だな。道中サンプリングできそうだ———いいだろ、エピード?」

 挙動不審気味になりながら答えた僕に間髪入れず、ジラソルさんがテキパキと未調査らしき場所を呟きつつ振り返る。彼の視線を追いかけて初めて、プラシオたちの護衛が三人とも控えているのに気が付いた。


 柱を背にしてしゃがみ込み、暇そうにしているレイン。

 その柱の陰の、こちらからはほとんど見えない位置に寄りかかるサルド。

 そして腕を組んで斜に佇む、唯一見慣れない顔のヒトが一人。

 水質班の護衛の片割れ。エピードだ。


「アンタの行動計画にゃそんなの予定に無かったろ。いいのか?」

 ぶっきらぼうな彼は 実はちょっと印象に引っかかってた。エピードと彼の相棒ガルデンは、今回の探索隊で唯一苗字が被ってる———通称『双子』の片割れなのだ。

「俺のには無いが ヴァージニアのにはある」

「過保護じゃね?」

 ヴァージニア……水質班の女の子だ。怪物の一件で酷く怯えていたとマリオンが心配していた。そういえば彼女に共同調査の申し入れしたの、基地の裏の水場で調査やってた時だったな……。デュモンに言われるまでそこにいるの気付かなかったし、気付いたら気付いたで飛び上がるほど吃驚した。何せ彼女が座り込んでたその頭上で超危険な毒草トリカブトが涼しげに揺れてるんだもの。そんな所でぼんやりなんかされてたら、誰だってユウレイだって思うじゃんか。


「俺たちはそこそこ経験を積んできたが、彼女はまだ経験が浅いだろう。そりゃあ会話では気丈にしてるけどな。あんなモノに出会して———トラウマになっても可笑しくない。なんせお前の相棒が目の前で深傷を負ったんだし」

 深傷———そうだったのか。

 ヴァージニアを見かけた時 彼女の護衛のガルデンも一緒に見かけたけど、ピンピンしてるようだったから気付かなかった。

 いや、そこは医療班の成果なのか。医療ポッドの治療効果は覿面テキメンだ。そういやラドンって今 何処の部署にいるんだろう。無事に治療されたって言うならまだ別の部署にいるのかなぁ。


「確かにありゃあヤバかったが…… あぁぁ〜 わかったよ」

 目の前に来られるとちょっとだけ視線が上を向いた。プラシオと……よりは高いか。ああ、デュモンよりは低いかもしれないなぁ。


「レッド君、だったな。早速だが行動計画を練ろう。君の護衛はどいつだ?」

「サルド。戻って来て早々悪いがちょっと———あ」


 まさにデュモンの事を告げようと言うタイミングで本人が現れた。ナイスタイミングだよ。

「デュモン。ちょうど良かった。今調査に付き合ってくれるって———」


「ラガー・デュモン?」


 さっきまでの友好的な雰囲気が嘘みたいに一転した。

 対するデュモンは何かやらかしたような、叱られる直前のような顔をしている。この中では一番の長身なのに、まるで小さくなったみたいだ。


「ああぁ……そういやアンタの護衛ってこいつだったッスね」

 急に変わった雰囲気に戸惑っていると、退屈そうにしていたレインが頬杖を突きつつ口を開く。

 ますます訳が分からない。

 エピードとレインを見、デュモンを見て首を傾げた。

 頭の中が『?』でいっぱいだ。

 デュモンが僕の護衛だって事と、いったい何の関係があるんだ?


 乾いて引き攣ったような顔を浮かべてエピードが後ずさる。

「はっ はは あー・・・えっとその すまん。この話はやっぱ無かった事にしてくれ」

「えっ……?」

 せっかくまとまりそうな雰囲気だったのに一体どういう事なんだ。後ろにいるジラソルさんも理由が飲み込めていないといった顔をしている。


「悪いがそいつは信用できねぇんだよ」

 エピードさんは嫌悪を隠そうともせずにデュモンを顎でしゃくった。

「おいエピード?」

「アンタらは知らないだろうけど。こいつが要人警護でやらかして、護衛対象を怪我させたって話は戦闘職おれたちの間じゃあ有名なのさ。だから誰もこいつとは組みたく無えんだよ」


 空気が冷んやりと下がった気がした。


 ———このヒトは、何を言っているんだ。


 いや。分かってる。

 このヒトはデュモンの過去の話を持ち出している。

 たった一度の失敗をネタに、口撃している。

 なんて非道い。


 だが 次に続いたエピードの科白に、僕の心臓は勢いよく跳ねた。


「そりゃあ先日はたいそうな活躍をしたようだがなぁ。それも護衛対象に危険な役割押し付けてりゃあ世話ねぇわ。 変わってねーんだろ。今も———そんな奴に、背中なんか預けられるか」


 ———違う。それは僕が勝手に動いただけだ。


 否定したいのに声が出ない。

 口は意味も無くぱくぱくと開くのに。

 目の前がにじみ、あの日の事が昨日のようにフラッシュバックする。


 戦闘が終わった後にはアウインから一撃を貰った。

 帰還した後はノーマンからもしっかり叱られた。

 マリオンにだってたくさん心配をかけさせてしまった。

 僕がやらかした事だって考えてたから、これからは充分気を付けようって。


 だからそんな風に———ヒトに迷惑がかかってた事なんて考えもしなかった。

 僕の行動が デュモンにそんな不名誉を被らせてしまったなんて。


 ———でも。だけど。


「それでも行くってんならガルデンの奴にも声をかけてくれ。あいつになら背中を預けられるからな」


 そんな事は、にする理由になんてならない。

 そんな事は、本人の前で言うべきじゃない。


 拳を握る。

 肚が熱くなる。


「くだらない」


 言い返してやろうと口を開いた所で、地の底から響くような声が聞こえた。

「黙って聞いていればビービーと無駄に荒立つな。みっともない」


 サルドだ。

 プラシオが何故か僕の後ろに回って来た。

「やっべぇぞ。サルドさんがキレた」

 自分に向けられた怒りでないにも関わらず真っ青だ。てゆーかアレ?もしかして僕 盾にされてない? プラシオさん?


「その任務には当時 俺も参加していたが、駆け出しだった俺とこいつに回って来たのは、ついでのような身内の身辺警護だった。娘だったか。そいつが後生大事に残している傷跡は、その娘の我儘に付き合った結果だ。保護対象は擦り傷だった。貴様の論法で言えば、当時のこいつより先日の俺の方が大失態を犯した訳だが———どこがやらかしたのか言ってみろ」


 ———ひええ。


 エピードの蔑むような侮蔑の冷気とは一線を画す、絶対零度。

 プラシオが逃げて来た理由が判った。ちょっ そこ服じゃなくて腕の肉だよ痛い。


「そもそも俺達はただの護衛だ。なのに護衛対象の意向を無視し、あまつさえ駄々を捏ねるとは何事だ。貴様はプロだろう。どうしても嫌なら、上に異動を提出するんだね」

 エピードを伺うと完全に俯いた姿が目に映る。落とされた腕の先で、拳が握り込まれているのが見えた。


「スコッチ・レッド隊員」

「ハイィッ!?」


 急に飛んでくるフルネーム怖っ!

 返事が力いっぱい裏返ったよ!


「クミスと仲が良かったろう。自分は君達と行動を共にしても構わない」


 テンパりすぎて一瞬プラシオの名字が飛んだ。クミスだったそうだったと目が泳ぎかけ———すぐに何を言われたのか理解して頭の中が塗り替えられていく。思わずプラシオと喜びを突き合わせる程に。


「そいつの説得は君がするんだね———行くぞ」

 振り向きざまにデュモンを肘で突いていくサルド。

「あー 決まったらメールくれなぁ」

 ひらっと手を上げて言葉を置いたデュモンが、その後を追いかけていく。


「どいつもこいつも任務を何だと思っているんだか。職務に私情を挟むなんてくだらない。それで仕事を疎かにする方が評価に傷が付くだろうに」

「まあまあ」

「そもそも貴様がいつまでも未練たらしく引き摺ってるのが悪い。とっとと消せその傷痕」

「いやぁ これは俺の拘りだからなぁ———断る。つーかお前だって———」

 二人のやりとりが遠く離れていく。

 未だ不機嫌が続くサルドの迫力を物ともしない。むしろ自分の主張までちゃっかり返せるデュモンの姿は、まさに付き合いの長い同期といった風情だった。



「俺、あのヒト尊敬するわぁ……」

 プラシオの呟きに 僕は去っていく後ろ姿へ向かってゆっくりと頷いた。



   * * *


   # # #



 木漏れ日の溢れる林の廃屋の石積みの上で、デュモンは目を閉じ静かに待っていた。

 傍には黒銀の狼。

 獣の息遣いと時折降りてくる姿無き囀りの音を掻き分けて、重く沁みるような足音が近付いて来た。


「で、話とは何だ」

 かろうじて残っているような佇まいの、元は扉があったかもしれない石のアーチを潜ってサルドが姿を現した。彼の肩には煉瓦色の毛並みの 狐のような顔をした猿が一匹。サルドがアーチを潜るや、彼の肩から塀の上へするりと移動して行った。

「あーいやその……そうだ。さっきはありがとな?」

 この後に及んで言い淀むデュモンに、アーチの柱壁に背中を預けたサルドは鼻を鳴らす。

「女々しいな。俺は思った事を述べただけだ。礼を言われる筋合いなんてこれっぽっちもないね」

 言葉の刃にバッサリ斬られ、デュモンは「ほんと変わらないな」と苦笑いした。

「そんな事を言う為に声をかけた訳じゃないんだろう?———こんな手間までかけて」

 サルドが軽く宙でノックをするように手首をしならせる。


 コンッ


 まるで硝子の壁でもあったような乾いた音。アーチの中に幕が降りていた。銀鼠色の粒子がキラキラと波紋を描く。


 なおも何かを躊躇うような———言葉にならない声をうだうだと垂れ流す、イマイチ要領を得ない同期に、サルドは盛大に溜め息を吐いた。

「……いったい 何を視た」

 眼鏡越しの鋭い視線から逃げるような頃合いで目を逸らすデュモン。

 乱数ランダム設定された緑風が梢を揺らす。


 間。


「サルド」

 今一度目を閉じ、深く息をする。

 狼はサルドを見上げた。

 サルドは狼を見た。


「ドローンの幻覚って知ってる?」


 再び開いたまなこの色は———



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