Report.30: 大樹の陰から




 怪物がサラサラと炭屑になって崩れていく。

 たった一閃。その一瞬で決着を見た戦闘に、僕らは息をするのも忘れていた。


「良い腕じゃの」


 アズリィルの伸ばされた手の先に、最後の瓦礫の一片とハニカム模様の幕が見える。彼女が作った防御の『壁』が、最後に防いだ物を見て「ヒェッ」と声が出た。

 銀色の髪の少女が突き出した刺突剣。その先端がアズリィルの手先の僅か10cmも満たない位置で『壁』に阻まれた格好で停止していた。アズリィルが防いでなかったらどうなっていたのか。そういえば攻撃直前に一言あった気もするけど———いや、あんなんじゃ伝わんないよ普通は。迷いなく突撃して来た方も人外じみてるけど、防いだアズリィルも人外だ。いや人外だった。


「光栄」

 言葉少なに剣を下げた銀の女性は、『フォッ』と一振り風を斬って鞘に収める。まるで騎士のようだ。

 おしゃれに散らした銀の髪。左右で長さも模様も違う白いブーツ。白衣のようなパリッとした高襟のコート。その下に着た、見覚えのある探査隊の銀色のスーツにようやく気付いた頃———


「まさか———『銀糸の女王ミルキー・クイーン』・・・?」


 デュモンが呟いた一言を皮切りに、エピードとガルデンの二人も息を呑んだ。

「カニーニャ・ミルク———本物ッ?」


 カニーニャ・ミルク。

 今日到着する筈の、恒星エデン第四惑星探査隊第二陣のひとりだった筈だ。つまり、僕らと同じシリカノイド。だったら何で———


「は、ね・・・?」

 隣にいるプラシオの震えた声。よく見ればジラソルやヴァージニアまでその顔を驚きで染めている。


 ———他のヒトにも天使の羽が見えている……?


『もぉおお〜 速いよミルクちゃん。本体が全然追いつけないじゃない〜』


 困惑する僕らを余所に、緊張感のカケラも無い呑気な声が降ってきた。一斉に顔を上げた先にはしかし、は無かった。人型が無いのに驚きはしたけど、小さな獣の影が降下して来るのは見えた———『アーヴェス』と『フェリス』のようだ。

「アイリス」

 銀糸の少女改め、ミルクがそのドローンの持ち主らしき名を呼ぶ。猫の頭が目線の高さまで降りてきて、ようやく逆光でよく見えなかった全貌が見えてくる。

 鷹? いや目の周りのあの隈取模様は隼か。それが猫の襟首を掴まえて必死にバサバサしてる。掴まえられた猫の方は青みがかった銀色に黒い斑点模様が美しい。何て言う種類がモデルなんだろう。襟首を掴まれて空中に手足が『でろ〜ん』と投げ出されてなければ、多分綺麗な猫だと思うんだけど。色々残念だな。

「・・・待ってたら間に合わない」

『だとしても待っててよ〜』

 隼じゃなくて掴まえられた方の猫が喋ってる。どう言う構図?


「その声———貴様、シャンパーニュか」

『むむ〜? その声は』

 バッサバッサと羽音を立て、ふよふよと隼がこちらに飛んできた。正確にはサルドの方か。

 と言うかその猫重いんじゃない? その隼、必死すぎてなんだか無様に見えるんだけど。凛々しいイメージがガラガラ崩れていく。色々残念だな。


『おやおや、サドっちじゃないですか。相変わらずの仏頂面だねぇ』

 ぶふっ

 吹いた声が重なった。もう一人はプラシオだった。ギロッとサルドに睨まれた僕らは揃って「ゴメンナサイ」と小さくなる。そして生暖かい周りの視線。なにコレ居た堪れないコレ。

 ジラソルがデュモンの側に寄る。

「知ってる奴?」

「どちらさまでしょうか?」

 彼に続き、ヴァージニアも頬に手を添えコテンと首を傾げた。そんな二人の姿に口元を緩めるデュモン。


「シャンパーニュ・アイリス。俺らの同期だな」

 隼と猫が今度はデュモンの方にふよりと飛んできた。近くに来た事で猫の額の特徴的な模様が目に入る。

『よう、デュモルッチェ。貴方もいたんだ』

「相変わらずの独特な渾名アダナだなぁ……」


 きぃいいい?

 きぃいぃぃ?


 か細い鳴き声にサッと背筋が寒くなる。

 和みモードが霧散し、さっき対峙した全員に緊張が走った。

「さっきの———!」

「待て」

 アズリィルが片腕を上げてガルデンの銃口を制した。

 その向こうにいるミルクも剣を鞘に収めたまま微動だにしない。


 ヒトの頭よりも大きい毬藻マリモのような樹懶ナマケモノの幼体たちは、僕らに目もくれず怪物のいた場所に集まって行った。攻撃を受けた胴体はほとんど消炭となって既に崩れ、腕も折れた場所から消し炭に変わっていく。


 まだ形を保っている巨体の頭の部分に、幼体たちは群がって行った。


 きぃいいいい

 きぃいぃいぃ


 動かなくなった顔を見上げて止めどなく泣く仔。

 血を流す鼻面や頭の部分を必死に舐める仔。

 何匹かが腕のまだ残った部分によじ登り———炭屑に変わって足場を失いぽたんと転ぶ仔まで。


 その光景に僕らは言葉を失った。

「これって・・・」

「原生生物」

 ミルクの一言で全員がハッと息を呑む。注目を集めた彼女は腕を組み佇んで、静かに目を伏せた。背中から光の羽が消える。

「『供物』の犠牲者」

 俯き胸に手を添える姿は悼んでいるように見えた。

「そうじゃな———親は、手遅れじゃったが」


 やがて巨体の全てが消え尽くして、幼体たちの悲哀を唄う合唱が始まった。


 アズリィルがゆっくりと前に出る。

 幼体の一匹が彼女に気付き、「しゃぁあああ!!」と威嚇してきた。それは周りに伝播して1匹、また1匹と増える。

 彼女はそんな幼体たちの様子に構わず膝を付き、一番前で牙を剥く1匹に手を差し出した。

 威嚇されるのも構わず、ゆっくりと。

 アズリィルの手が幼体に伸びていく。


 そして触れた彼女の手が、するりと幼体の頬を撫でた。


「よし よし」

 アズリィルの声が静寂に染み込んだ。


「よし よし」

 一撫で毎に威嚇していた幼体から怒りが消えていく。


 幼体の頬を撫でる手は、いつの間にかさっきヴァージニアにしたように頭を撫でていた。


 ひとつ。

 ふたつ。

 ゆっくりと。


 やがて周りの幼体たちも泣きながら彼女に寄っていく。

 あるモノは撫でられている幼体に縋り。

 あるモノは彼女の膝に。

 背中にしがみついて泣くモノまでいる。


 真ん中にいるアズリィルが、朧げに光っているかのようだ。

 神々しい光景に僕らは言葉を失っていた。


「死の天使『アズラエル』は」

 僕は弾かれたように顔を上げた。


『アズラエル』。

 アズリィルの———天使の名前だ。


「『治癒者』ラファエルの眷属———特に、死別の嘆きを癒す者」

「よく知っておるの」

 名残惜しいかのようにゆっくりと立ち上がるアズリィル。反してミルクは目を逸らした。

「あのお方に聞いただけ」


 アズリィルが立ち上がった事で、1匹、また1匹とその場を離れていく幼体たち。わらわらと壁や柱に取り付いて、上階の方へ去って行くのを僕らは見送った。



『さて、そろそろ良いかな』


 ここには居ない筈の人物声。

 瓦礫の上に座った灰色の猫の鼻先に、エア・スクリーンが展開していた。ヴィルヘルム・C.ガスパール総隊長の顔が映されている。彼は僕らの顔を一人一人見回した後、最後にアズリィルへと視線を定めた。


『アズリィル嬢———それとも天使殿とお呼びした方が?』

何方どちらでも構わぬ」

『貴殿のお話を伺いたい。貴殿が一体何者なのか。何故、我ら人類に接触してきたのか。その全てを洗いざらい———彼の処遇にも関わるのでね』

 チラリと視線を寄越されて、全身を痺れたような衝撃が襲う。さらに何か言われないかと身構えるも、あっさりとその視線は外され、アズリィルへ戻った事で全身から力が抜けた。早鐘のように鳴る心臓を置き去りにして。


『先だって受け取った遺跡発見の報を受け、そちらにテキーラ嬢を向かわせている。間も無く到着するだろう』

 そこで彼は、今度はミルクの方へ顔を向けた。

『そちらの彼女も同じヘリに乗せた筈だが———何かとんでもないがあったようだな』

 ニヤリと笑うガスパールに黙礼するミルク。『君からも話を聞かねばならんようだ』とスクリーン越しの総隊長が顎を撫でる。


 アズリィルは無言でスクリーンの総隊長を見据えたまま動かない。

 誰かの喉がごくりと鳴る。

 そんな彼女の様子に気付いたのか、ガスパール総隊長はそこで目を伏せ、ふっと微笑んだ。

『なに、悪いようにはしない。ただ話がしたいのだよ———付き合ってくれないかな、お客人』

 幾分か柔らかくなった口調。だがそこには、有無を言わせぬ迫力は保たれていた。

 その幾分か柔らかくなっただけの総隊長の微笑みに、アズリィルもまた目を細めて微笑み返す。


「良いだろう。何処へなりとも連れて行くが良い」


 天使を招き入れた史上初の会談が、ここに成立した。



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