Report.29: 縁翳りて澄光煌めく




 いったい何が起きているのか、理解するのが遅れた。


「その子から離れるんだ、レッド」

 いや、理解したくなかった。


 デュモンがアズリィルに銃口を向けている。


 まっすぐ向けられる明るい青。

 黒狼と同じ、鋭い刃のような勿忘草色フォゲットミーノット

 まただ。

 またこの色。

 デュモンの瞳の色って、こんなに明るい色だったっけ。

 もっと暗い———瑠璃色じゃなかっただろうか。

 あれじゃあまるで、光っているかのような———


「は ね・・・?」


 呆然とした声にハッと振り返る。

 エピードだ。その傍には彼の貂熊クズリが同じようにこちらを向いている———そして彼の瞳の色もさっきまでの黒から、より明るい、若草のような色に見えていた。

「はっ いやでも・・・ え? 頭のそれとか———ここは電空じゃないんだぞ?現実リアルだ———おかしいだろ」

「エピード?」

 エピードの様子に困惑するガルデン。

 そのエピードがゆらりと立ち上がりふらふらと2歩、3歩と前に出てきた。

 思わず数歩下がる自分の足。


「その子、 何なんだ?」

「その 子?」

 僕が数歩下がったのを見て立ち止まったエピードは、代わりと言わんばかりに銃を抱える手に力を込めた。見据えてくる目には怒りに似た感情が見え隠れしている。

「その女の子だよ。お前が預かってるって言う———有り得ないだろ、その羽!」


 その指摘に肩が揺れる。ハッとアズリィルへ振り仰ぐも、自分の背中にいる幼女は見えない。アズリィルは戦いがあった後、羽や光輪を仕舞わずそのままにしている事が多い。誰にも見えないからと言って。


 なのに見えてる!?

 どうして。

 僕以外は見えないって言ってたのに・・・!


「『ドローンの幻覚』」

 ここにはいない筈の声に、僕の肩がもう一度跳ねた。


「無事だったんですね、サルドさん!」

 プラシオが喜んで駆け寄っていく。瓦礫を踏み鳴らして頭から流れる血を拭いながら現れたサルドの姿が見える。

 そう、サルド。プラシオの護衛で———さっき怪物の攻撃で気絶した筈の人物。遺跡に降り注ぐ僅かな光の加減なのか、ゴーグルが外れた目は通常の落ち着いた赤茶色ではなく、明るい灼焔の色に光って見えた。


 サルドが炎のように揺らめく目をエピードへ向ける。

「シリカノイドの戦闘タイプなら、一度は耳にした事があるだろう———ドローン越しに見える『幻覚』の話は」

「げん、かく・・・?」

 その声には明らかな困惑の色が乗せられていた。

 ジラソルがガルデンへと振り返る。

「ガル、どういう事だ」

「……ドローン操作中に稀に視えると言う『実態の無い視覚のバグ』です。遭遇したヒトにしか見えない『幻覚』。幻ですから当然、映像記録はありません」

「ガルデン、お前は見えてないのか?」

 エピードに問われ、ガルデンの僅かに開いた小豆色の両目が静かに伏せられて。その首がゆるゆると横に振られてしまった。エピードの顔が動揺と絶望に染まる。


「馬鹿正直に報告しても虚偽報告として罰が下る。故に暗黙の了解として見て見ぬ振りされるのが実態———だからこその『幻覚』だ」

「じゃあ前にレインが言ってた噂って———」

 そこまで言ってプラシオは慌てて自分の口を抑えた。デュモンは眉毛をハの字にしてふっと笑った。

「……自分が理解できない事は『嘘だ』って判断すんの簡単だよなぁ」

 俯くプラシオ。ヴァージニアが静かにその頭を撫でた。


「では弟には———いえ、そのご様子だと貴方方もですね———今、何らかの『幻覚』が視えている、と言う事なのですか?」

 すっかり項垂れてしまったエピードからサルドへ顔を向け、ガルデンが問う。そして頷き返すサルド。

「稀に視えると言ったが、実の所 条件は暗黙に知られている」

 彼は指を立てながら説明を続けた。


 1. 複数体のドローン操作が可能な事。

 2. 操作シンクロ率が80%を超えている事。

 3. ドローンの視覚を中継ライブで共有する事。


 サルドの説明を聞いて息を呑んだ。

 戦闘が始まった頃にされていた、彼らの会話を思い出す。


『時にセルヴェージャ兄弟。貴様らは同時に何体ドローンが出せる』

『同時操作が出来るなら充分優秀だ。それで、シンクロ率が高いのは』


 あの台詞は、二人が『ドローンの幻覚』を視認できるかどうか、推し測る為だったのか。


 エピードが俯きがちにボソリと呟いた。

「確かに俺もガルデンも複数同時操作はできる———だけど!」

 ぎゅっと握られた彼の拳。勢い良く上げられた冷や汗の止まない顔———そこには雄弁に『信じられない』と書かれて見えた。

「それなら俺だってガルデンと同じ———シンクロ率は低い方だって言ったじゃねぇか! 俺だけ視えるようになってんの可笑しいだろ!」

「簡単だ。その『ウィーゼル』のシンクロ率が戦闘中に上がったんだろう。帰投してから再計測してみると良い———超えている筈だ」


「では彼のドローンもシンクロ率が高い……?」

 ガルデンが今度はデュモンへと顔を向ける。

 その答えもサルドから齎される。

「所有ドローンのシンクロ率平均80%———特にその『ハウンド』に至っては95を超えている」

「95!? デタラメじゃねーか!!」

 悲鳴を上げるエピード。


 僕はデュモンたちが持ってるドローンの事なんて、当然詳しく知らないけど、エピードの悲鳴でとんでもない数値だと言うことは伝わった。


「そしてこれが、俺たちが視ている景色ものだ」

 サルドが、デュモンが腕の制御端末コンソール・ディスクに手を伸ばす。

 電子音と共に展開されたエア・スクリーンは2枚。


 一枚はデュモンの『狼』の視点。

 もう一枚は———この上から・・・?


 すると片方のスクリーンの映像がブレた。上からこの場所を映した物だ。ぐんぐん地上が近づき視点の主が着地する。位置は———右・・・!


 バッと音を出す勢いで振り向いて、足元を走る影をやっと捉える。

 スルスルと地面を駆ける影。白と茶色の縞模様が入った、やけに長い尾が後を引く。

 それはとても軽やかに主人の元へ走り寄り。

 軽やかに主人の体を駆け上り。

 主人の背中に落ち着いた。

 肩越しにこちらを見るその黒い口元をした獣は、西インド洋に浮かぶ島に棲息する固有種。

「ワオキツネザル……」

「本当に詳しいな、スコッチ。動物学もいけるんじゃないか」

 僕は思わず顔を逸らしてしまった。


「状況は、一応飲み込めました。ですが問題があります」

 ガシャリとガルデンが銃のレバーを引く。

「今、本当に『ドローンの幻覚』が発生している状況なら、立証できる術がありません。映像記録に残らないのですから。後で確認しようにもこの状況は、自らの護衛対象を脅しているのと同じ———キャンティ殿、ラガー殿」

 ゆらりと上がる彼のライフル。

「貴方方の方がむしろ隊律違反ではないですか」

 しかとサルドを見据える目が冷たい。


 だがサルドは怯まなかった。

「その心配は無い。この状況は現在、ガスパール総隊長並びに各部隊長たちへ共有されている」


 ドローン視点の中継・・・!

 さっき言ってた、『幻覚』を視る為の最後の条件。ガルデンがやれやれと微笑んだ。

「この場の方以外の証言も確保済みですか———恐れ入ります」

 

———このままじゃ駄目だ。


「待ってくれ———ください!アズリィルは別に、僕達に危害を与えようとしている訳じゃあ———」

「やはり貴様はが何なのか知っていたな、スコッチ」

 ギラリと睨まれ、思わず口を噤む。

「報告すべきを怠り、正体不明の身柄を匿った。さらに先程の戦場での有様から、何らかの協力まで行っている事実———始末書では済まんぞ。貴様が軍に所属していたなら軍法会議ものだ」

 大きな声で怒鳴られている訳でも無いのに心臓が縮こまる。


 ≪もうよい≫

 途端に軽くなる背中。足元のアズリィル。

 ≪己は己の命を大事にせよ≫

「それならアズリィルだって———!」

 電子通信コールに思わず言い返す。向こうでプラシオやヴァージニアが息を呑むのが分かったけど構うもんか。

 ≪言った筈じゃ。深入りすぎれば、身を崩すと———かつての人の子の二の鉄は踏むでない≫

 その言い草に、勝手に口が閉じてしまう。


 ———そんな言い方、ずるいじゃないか。


 ≪それに大丈夫じゃ。貴様には言うておらなんだが、この体は地上で活動する為に作った仮初。壊れても本体に差し支えは無い———此処にある『個』が無くなるだけなのじゃからのう≫

 まるで他人事のような知らせだった。


 ———それって、ここにいる『アズリィル』は死ぬってっ事じゃんか。


 ドクン、ドクンと心臓の音が煩い。

 覚束ない足取りの小さな足。

 袖にすっぽり隠れて見えない手。

 輝くような金の髪。


 ———どうすれば良いんだ。


 アズリィルが歩いていくのがスローモーションに変化していく。

 浅くなる自分の息遣い。

 狭くなっていく視界。

 己の無力の結果を見てられなくて目を瞑り———飛び込んできた音。


 ごきっ


 場違いな鈍い音が背後から立ち上った。

 全員の動きがピタリと止まる。


 ごきごきっ ごりっ


 ゆっくりと振り返る。


「———なんだ、この音・・・」

 音が鳴る度に怪物の腕が、足が、ビクンビクンと痙攣する。

 何が起こっているのか、脳が理解を放棄する。

 認識を阻害する。


「骨格が・・・」

 それでも誰かが絞り出した呟きが嫌な程に木霊した。

 骨格が『整え』られ、二足歩行できない筈の生物が立ち上がる。

「おいおいおいおい」

 頭部の一部が筋状に盛り上がり、そこから夥しい血液が噴き出す。

 爪のような湾曲した角が生え揃う。


 あ”ぁ”あ”あぁ”あ”あぁぁあ”あ”ああ”ああ”あ”!!!


 さらに背中から、肩から、腕から。

 至る所から赤黒い角が突き出す。


「勘弁してくれよっ」

 光線レーザーによる一斉射撃。

 しかしそれは、怪物の一震いで全て弾かれた。

 巨大な腕が大きく振りかぶられ———斜めから振り払われる。


 光の粉が視界を過った。


「『物理防御。cord:029=大気硬化』」

 耳を打つ少女の声。

 グイッと地面に引き倒された。


 無様に地面に倒れ込むも顔を上げ、目を見張る。

 アズリィルが左手をかざした向こうに、空色のハニカム模様が半透明の壁を作っていた。


 ドォオンッ と空気が震える音。


「アズっ!?」

「何をやっておる! 退がれ馬鹿者!」


 ピシピシピシッ


「!?」

 嫌な音と共に増えていくヒビ。

 限界を超えて一気に割れた。

 光の壁が硝子みたいにガラガラと崩れていく。


「今のを壊すとは———完全に属性が付与されておるのう……!」

「属性!?」

 完璧にファンタジーじゃんか。


「次元上昇最中の試練とは思えんな———『battle missions fileを呼び出し』」

 アズリィルが両手を振るうと、小さなエア・モニターに似た何かが大量に現れた。

 そのうちの一つに触れ、モニターをタップする。


「『file:03より召喚。捕縛結界。cord:036=水精ノ蔓』」

 四方から怪物に向かって水の蔓が襲いかかった。

 片方の腕を封じられた怪物が、一声鳴いて別の蔓を阻止しようとまだ自由な腕を振るう。

 その隙に水の蔓が今度は足を、さらに首を———やがて手も足も胴も身動き取れないように縛り上げた。


 少女の手が再び、別のモニターをタップする。

 怪物の頭上に、さっき幼体が出したような大きな円盤が出現した。

 さっきの物と違うのは、その模様が幾何学模様に変わり、色は白金に輝いている事だ。

「『cord:05=雷霆』!」


 命令した瞬間迸る真上からの雷光。

 高密度の光で目が焼けそうだ。


「———ッ『cord:022=カサネノ砦』」

 瓦礫が寄り集まって壁が伸び上がる。

 いや壁なんてものじゃない。ドームだ。瓦礫のドームが組み上がった。


 そこに強烈な一撃が炸裂する。


 ゴロゴロと地鳴りする遺跡。

 パラパラと砂埃や破片が落ちてくる。

 攻撃を防いだ瓦礫は固定されている訳ではなく、常に頑丈な物と入れ替わる。攻撃に合わせて瓦礫の密度が変化し、その瓦礫に重なるように橙色のハニカム模様が浮かび上がる。


「今のでまだ動くのか……っ」

 ジラソルの悲鳴。

「そもそも妾は攻撃術が苦手じゃからのう」

「アレで!?」とはプラシオのツッコミ。

「羽で攻撃してたじゃんか」

 さっき『核』を仕留めた羽の攻撃。呪文?まであった。クルクル回って正確に『核』を撃ち抜く魔法———アレを攻撃術と呼ばずに何と呼ぶんだよ。

「あれは真那マナの塊に拠る物理攻撃じゃ」

「出たっ似非四次元!」

 前にも聞いた上位次元の話———真那が四次元なんて認めないぞ僕は。


「うん、やっぱお前余裕だろ……」

 こんな時にプラシオが茶々を入れてきた。デュモンまで。

「痴話喧嘩は他所でやろうなぁ」

「違うから!」


 ぼぉぉあああっ ぼぉぉあああっ


 次第に激しさを増していく攻撃。

 腕が折れるのも構わず———もうめちゃくちゃだ。

 振動で剥がれ落ちてくる破片も増えていく。

 頑丈な瓦礫が減っていく。


「あ〜……防御は大丈夫なのかね、お姫様?」

「防御だけなら。攻撃には手が足らん。自爆するなら話は別じゃが」

「サラッと自爆って言った!?」

 思わず声が裏返る。デュモンもそれを聞いて「天使ってのは物騒だなぁ」と呟く。

 そこでアズリィルの横顔がふわりと微笑んだ。幼女の時に見た『らしからぬ』顔。少女になろうと変わらない。

「と、言う訳じゃ———できればもう一仕事、助力を願いたい所じゃのう、石の仔らよ」

 サルドが微笑み返す。ただし目は笑っていない。

「既に一仕事終えている俺たちに第三ラウンドを所望か。何とも傲慢な天使がいたものだ。しばらくここで暮らしていたなら、こちらの事情も解っているだろうに」

「稼働限界とやらか。それは何方が———むっ」

 アズリィルが天を仰ぐ。


 バリィィ———ンンッ!


 硬質の何かが割れた音が遺跡内に木霊した。

 一瞬 防御が壊されたと思ったが違う。

 天使の視線を追いかけて、見上げた僕らが見たのは人影。


 鳥の羽ばたく音が聞こえ、その人影が怪物の向こうに着地する。


「あれは・・・っ!」

 白銀の髪。

 白銀のコート。

 その背に背負う———つるぎのような六枚の光の羽根。


銀糸の女王ミルキー・クイーン!?」


 背中にはアズリィルの物とよく似た銀の円環。

 耳元を飾る一対の羽。

 くるぶし羽搏はばたく二対の羽。

 どれも根本から先端へかけて桜色から藤色へ色変わりした光の羽だ。


「じゃま———そのまま」

 言葉少なくも伝わったのか、防御の壁が前方に密度を増していく。


 細身の刺突剣が水平に構えられる。


「刺突一閃———」



 視覚を白く塗りつぶす。

 澄んだ銀光が炸裂した。



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