Report.16: 嵐を越えるために



 食虫植物:セファロタス・フォリキュラリス。

 別名『フクロユキノシタ』。

 世界一小さな大陸の南西部海岸付近にのみ生息する固有種だ。特筆すべき特徴は俗に言う『落とし穴袋』の蓋の部分で、同じような落とし穴式のものが一度開いたらそのままなのに対し、ゆっくりだがパクパクと開閉する。大きさは平均3〜4cm程度と小さく、一番大きな品種ですらせいぜい10cm程度にしかならない種類だ。


 その『本来』小さな植物が今、見上げるような巨体で襲いかかってきた。


 迫り来る巨体。

 縫い付けられたように動かない足。

 アウインは巧く避けた。


「うぉおおおおお!」

 雄叫びと共に横からの強い衝撃で間一髪。デュモンが助けてくれた。


 勢い余ったセファロタスは、そのまま後ろにあった木へ轟音と共に衝突する。

 衝撃で地面が揺れる。

 幹がメキメキメキッと悲鳴を上げた。

 一瞬の静寂。

 戻ってきた音と共に倒れていく豊かな緑。

 再びの地響き。


 あんなの、喰らったら ひとたまりもない。


 み”ょいっ

 み”ょいっ


 バネがしなるような音を立てながら巨体が跳ねる。

 そのままそこでピョンピョンやってくれるだけなら離れれば良いのに、中央の部分がぐるぐると、まるで駒が回るように地面をかき回しながら進撃して来るものだから堪らない。


「あぶねぇ。一撃でも喰らったらアウトだな」

 ほうっと肩を落としたデュモンが呟くのを聞きながら、僕は半ば反射的に巨体の数を数えていた。

 1、2、3……。

 巨体は全部で6体。

 1体の大きさは目測だがおよそ4M。それが中央部にある主株から四方に伸びた蔓で繋がっている。主株からは槍の穂先のような葉までちゃんとあり、唸るように振り回されていた。形態だけは忠実なのに、動く事とサイズが化け物級だ。


 マリオンの恐怖が混じった叱責が飛んできた。

「レッドたち、しばらくここにいたんでしょ? 気付かなかったの!?」

「そんな事言われたって———さっきまで本当にただの岩にしか見えなかったんだ!」

 そう。

 色も模様も完全に岩と同じ色。

 さっきまでは確かにそうだった。

 それが今、その体表は茄子紺色に変色していて、文字通り唇のような形の落とし穴の口をこちらに見せている。


 僕らを確実に仕留める為に。

 完璧な擬態で待ち構えていたとでも言うのか。


 経験は浅いとはいえ植物学者ぼくの目をごまかせる程の精度で。


「そもそもこの品種は葉脈に沿って白くて長い産毛が———」


 その産毛が、本来生えている場所からご丁寧にブワッと生え揃った。

 出し入れ自由か。

 猫の爪みたいだな。


 その産毛がギラリと光沢を帯びる。


 背筋に悪寒が走る。

 セファロタスが大きく呼吸するように膨らむ。


「避けろ!」

 アウインが叫ぶまでもなく全員が各々木の陰へ飛び込んだ。


 コカカカカカカッ!!


「あっぶなっ・・・!?」

 まるでマシンガンだ。木の幹に着弾した産毛が大量に刺さっている———人体に刺さろうものなら無数の穴が空くだろう。

 別の個体に産毛が生える。

 巨躯が膨らむ。


 コカカカカカカッ!!


「おわっ!?」

 第二射も木の陰でやり過ごせた。今度は射出の瞬間をしっかり見たぞ。空気を吹き出す風船のようだった。


 ———産毛 怖っ!


 あのセファロタス。

 あの———


 はっ!


「待ってこのセファロタス! めっちゃいい形してる!」

「本当だわ———それにこの茄子紺色ってひょっとして!」


 それは、セファロタスの中で最も高級品種と謳われるお宝品種。

 何とこの恒星系の惑星にぴったりなその名は———


「エデンブラック!」


 マリオンと僕は嬉しさのあまりハイタッチを打ち鳴らした。

 そこに雷が二つ落ちる。


「冷静になれ、学者馬鹿どもが!」

 今時 旧時代式の鉄拳制裁。アウインは脳筋だ。


 彼女の眉がキッと釣り上がった。

「ラキシー隊員は本部に救援を! スコッチ隊員は他の調査班へ注意喚起!」


 その一言で、僕らはようやく平静を取り戻した。


 そうだった。

 こう言う時は『連絡』だ。

 一番近いのはプラシオのいる地質班。

 今日はここからほど近い岩場を調査している筈だ。逸る気持ちを抑えながら、震える手で腕の制御端末コンソール・ディスクを操作———


 ≪飛んでくるぞ! 隠れろ!≫


 脳天に直撃する声でハッと顔を上げると、再び巨躯を膨らませるセファロタスの姿が飛び込んでくる。いつの間にか回り込まれた。

 踵を返し、隠れられそうな木へ———間に合うか!?


 自動小銃がを噴いた。

 光線が産毛を焼く———産毛のみを。

 茄子紺色の体表は、無傷だった。


「チッ 焼けないな」

「デュモン!」

 間一髪。デュモンが自動小銃で攻撃を打ち込んでくれた。

 立ち昇るのは硝煙———いや、排熱による蒸気の煙。


 自動小銃AR-15:Type. EVパトリオット:タイプ.エネルギーガン

 同型の小口径自動小銃を進化・派生させた、多彩なカスタム能力を誇る突撃銃だ。真っ黒な銃身から別名を『ブラックライフル』との呼び名もあると言う。

 それがデュモンの武器。


「早く他の奴らに知らせてやれよ、レッド」

 ピヒュン ピヒュンと、光線銃フォトン・レーザー特有の音を立てながらデュモンが駆けていく。囮だ。

 セファロタスが標的をデュモンに変えて追いかける。


 端末をもう一度操作して、ようやく通信を繋いだ。


『レッドか!?』

 ノイズ音の後にプラシオの声が聞こえる。

 良かった、あっちは無事みたいだ。手が滑ってうっかりスピーカー状態になってるけど、連絡ができればもう何でもいい。

「プラシオ! 今こっちで———」

 言い終わる前に端末の向こうからプラシオの悲鳴が響いた。


『現在こっちでは巨大な化け物蜘蛛と交戦中! 何とか逃げちゃいるが追いかけてきてる!場合によっちゃそっちに合流するかもしれねぇ!』

「!?」


 通信はこの場の全員から言葉を奪った。


 巨大な化け物蜘蛛だって?

 それがプラシオ達を襲ってる?

 それってピンチじゃないか!


 ———助けに行かないと!


 いや、ダメだ。

 ここでも今、セファロタスとやりあってる。

 そんなモノと合流なんてしたら全滅してしまう。


 言わなきゃ。

 言わなきゃ!


「プラシオ! こっちも交戦中だ。こっちは巨大な食虫植物———合流は駄目だ!」


『ゴゴゴゴゴ!』

 端末から轟音が聞こえる。


「プラシオ!?」

 次いで遠くから同じ音が響いてきた。

 何か大きなものが崩れたような音。

 顔を上げてもパステルカラーの木の葉の枝と空しか見えない。


 血の気が引いていく。

 まさか!?


『なんっとかっ ———無事だ!』

 その一言で呼吸が戻って来る。

 けれどプラシオの申告だけが状況を知る手がかりで。


 音だけだから詳細が分からず恐怖ばかりが募っていく。


「ラキシー! 本部の救援は!?」


 ———アウインがヒトを呼び捨てた!?


 初めて聞いた。

 それだけ危機的状況って事なのか?


 不安が募る。

 グローブの中の手が汗でぐっしょりだ。

 マリオンの顔も青褪めている。


「ダメですっ! 本部も———いえ本部は無事ですが、水質班が海獣型の生物と交戦中で、救援に向かったばかりだとっ」

「次から次へと……!」

 アウインが苦虫を噛み潰した。


 今度は水質班?

 本部は先にそっちへ……

 こっちへ救援は来れないのか?


 どっと汗が吹き出る。

 なのに体は冷え切ったように震えてきた。


 到着してから今までの平穏が嘘のよう。

 何でこんなに。

 こんなに危険な所に———


『ジュスト——— こちらキャンティ・サルド』

 この危機的な状況に、場違いな程落ち着き払った声が聞こえてきた———声に聞き覚えがある。プラシオの護衛だ。


『おそらく本部は水質班の救援で手が回らんだろう』

 ザッと音を立てて、アウインが僕を背にして立った。

「ああ、我らで何とかするしかない。我々もそちらと合流できるように動く。位置を送ってくれ」

『了解。現在こちらはドローンを二体出して応戦中。何とか誘導する』

 通信が切れた。


 僕はアウインの指示を待つ。

 彼女は戦場を睨み 何かを考えているようだった。

 向こうでデュモンが一人で走り回っている。

 マリオンも、デュモンを援護するため二丁拳銃で気を引いている。

 セファロタスはその巨体をいくつも動かしながら突進や針での攻撃を繰り返している。


「・・・仕方がない」

 やがて何かの意を決した重い空気が彼女から発散される。

 顔を上げ、戦場の真ん中にいる『彼』に命令を下した。


「ラガー! 『ハウンド』を出せ!」

「は!? でもあれは———」

 そこで巨体がデュモン目掛けて体当たりで跳んで行った。

 ギリギリで避けるのが見える。

 デュモンもいっぱいいっぱいだ。


「躊躇している場合か! 責任は私が取る!やれ!」

「……了解っ!」

 苦しそうな返事。

 銃を構えるのを止めて走り出す。

 代わりにアウインが銃を構えて駆け出した。


 ———アウインは一体 何を指示したんだ?


「スコッチ! 撹乱しろ!」

「りょっ 了解!」

 向こうから飛んできたアウインの指示で我に返り、前に出た。

 デュモンとは反対側だ。

 マリオンはちょうど産毛針の攻撃から身を守るのに木の陰に入った。


 落ち着け。

 散々やった訓練通りだ。

 腹を括れ……!


 深く息を吸い込む。

 心臓がうるさい。

 震える手で腰の鞭を手に取りボタンを押し込む。

 編み込まれた1M程の黒いコードの先に銀色の粒子が集まってさらに2M。

 さらにカチカチとボタンを押せば、戦闘モードに切り替え完了だ。


 鞭とは、音を出す為の道具である。

 しかし打ち付けた時に鳴る特有の音は、実は何かに打つかって鳴っているのではない。

 そもそも鞭のコードの太さは持ち手側から先端に向けて徐々に細くなっていて。

 音が鳴るのはその先端———僕の鞭の場合だと切り込みが入ったように二股に分かれた部分。


 ぐるんと腕を回す。

 当てる必要はない———注意を引き付けるのが僕の役目。


 引いたら逃げろ。

 これは本番。


 逃げ遅れたら、死ぬ。


 腕を振り下ろす。

 振り下ろされた時の手元の速度は、鞭の先端に収束し。

 先端に収束した速度はその瞬間———音速を超える。


 空気を切り裂く『ソニックブーム』。


 それが鞭の音の正体だ。


 さらにダメ押しで数回。

 セファロタスの正面がこちらを向く。

 威嚇するようにパクパクと開閉する蓋。

 デュモンが戦線を離脱していくのが見える。

 怪物はこちらを向いたまま———上手く注意を引けたみたいだ。


 ———けど、訓練じゃこんなにがっつり注意を引く事なんて無かったな。


 訓練でやったのは、あくまで注意を引きつけてアウインやデュモンが巧く立ち回れるようにアシストする事だった。逃げる為の退路を確保する事や、倒せる相手の場合は攻撃を与えるための隙を作る事。

 今みたいにデュモンが完全に下がる事なんて無かった。


 葉脈に沿って産毛針が生え揃う。

 鞭を振って音を鳴らし木陰へ飛び込む。

 飛んでくる産毛———は、発射される前にアウインが光線で焼いた。


 そもそも『ハウンド』って何なんだ。

 アウインは、サルドとの遣り取りを経て何かを決心したように見えた。

 デュモンも指示を聞いて躊躇していた。


 マリオンが小拳銃から林檎大の白色エネルギー弾を打ち込む。

 アウインが巨体の足元に閃光弾を投げ込んだ。

 彼女に向かう槍の葉を鞭で払い、千切れた先端が力無くヒラリと宙を滑った。まるで鳥が風に流れるように。

 黒い炭屑のように変色しながら消えていった千切れた葉。

 その色を見て雑念が過ぎる。


 ———待てよ。ドローンの話をしていたな。


 でも、それって前に先導してくれたあのレイヴンだろ?

 何でためらう必要があるんだ?

 一所に留まらないよう駆け回りながら、チラッとデュモンの方へ視線を送る。


 彼は少し離れた所で片膝を付いていた。

 目を閉じて深く呼吸を整えている。


 左手で銃を抱きかかえ。

 右腕は肩の高さに水平に掲げられ。


 まるで何か大きな生き物の背に手を乗せるような姿勢で———


『先導なら狼もいるんだが、今はそこまで非常事態じゃないしな。それに足跡作っちまったら、黒姫殿に誤解させるかもしれないからなぁ』


 以前 僕が倒れた時の会話が脳裏を過ぎる。

「おおかみ・・・」


 セファロタスの巨体が迫る。

 鞭を枝に引っ掛けて長距離を跳ぶ。

 後ろで大きな音。

 振り返れば巨体が何本もの木を薙ぎ倒している。

 アウインが光線を撃ち込む。


 僕は顔を上げてデュモンを見た。

 黒い粒子がデュモンから吹き出す。


 ———まさか……!


 レイヴンを出した時よりもずっと多い。まるで身体をもう一つ造ってしまえそうな量だ。

 その粒子が掲げられた右腕の下で収束し、地面から伸び上がるように大きな塊を成形していく。

 変化の果てに、それは顕れた。



 黒銀の狼だった。



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