Report.17: 嵐を駆ける狼




 地面に接地した四つの脚。

 銀に輝く黒曜の毛並み。

 鋭い牙を覗かせる大きな口。


 西洋では家畜へ被害を与える事から 悪の化身と呼ばれるそれ。

 東洋では畏敬の念を込めて 大いなる神と呼ぶ場所もあるという。


 ≪ふむ、鴉ではなく狼であったか。これは興味深い≫

 脳裏でアズリィルの声が聞こえてきた。


「出撃準備———完了」


 ウウウゥゥオオオオオオオオオ!


 遠吠えひとつ。


 それだけで場の空気が全て塗り替えられた。

 狼の空色の瞳がギラリと光る。


み”ょいっ

み”ょいっ


 食虫植物セファロタスが向きを変える。

 槍の葉をうねうねとしならせ、落とし穴の口をぱくぱくと鳴らして———まるで獣が相手を威嚇しているようだ。


 デュモンが空色の双眸で前を見据え銃身AR-15を構える。

 狼が牙を剥き足を掻き鳴らす。


 先に動いたのはセファロタスだった。

 槍の葉が迫る。

 左右に散った一人と一匹は、戦場へ突撃した。


「なに、あれ・・・?」

 マリオンのキラキラとした黒真珠の目が釘付けだ。そういえば犬が好きだて言ってたっけ。もしかしてこんな状況じゃなかったら抱きついてた?

 そんな彼女の様子に、アウインが珍しく少しだけクスリと微笑んだ気がした。


「あれは『シリカノイド・ドローン』———ナノマシンでできたシリカノイド専用の行動支援機獣アニマロイドだ。状況に応じて幾つか種類があってな」


 飛翔して上空から偵察する『アーヴェス』。

 対象に張り付いて諜報する『ゲッコー』。

 水中での潜航補助には『ホエル』や『セラーチ』がメジャーだとか。

 そして現在の状況で最も力を発揮するのは、使用者の手足となって戦場を駆け回る『フェリス』か『ハウンド』等の四足獣。

 ならば今 デュモンが呼び出したのは———


「あれが奴の『ハウンド』さ」

 アウインの誇らしげな解説に応えるように、戦場を駆け回るデュモンと狼。


 デュモンの死角から迫る巨体を狼が襲い。

 狼の頭上から降る巨体をデュモンが撃ち落とす。

 時に目標を見もしないで銃を向けているではないか。


 お互いに掛け声を、合図を出してもいないのにぴったりと息が合う。


 一人と一匹。

 たったそれだけで、いったい 何役熟しているんだ。


「ぼーっとするな!———ラガー隊員を殿しんがりに、地質班と合流する! 奴の飛び道具に注意しろ!」

 アウインの指示で我に返った僕は、急いで鞭を手元に戻して輪っかにした。

 まだ戦闘モードは解かない。

 これはまだ使える。いざとなったら長距離を飛んで移動するんだ。


「走れ!」


 号令で迷わず駆け出した。

 訓練を思い出し、木々が自分の盾になるようにジグザグに走りながら、暴れるセファロタスを盗み見た。産毛針が時折飛んで来てヒヤリとする。次の槍の葉は狼が喰い千切った。


 やはりどう見ても植物。なのにまるで、動物のように動き回っている。

 なのに千切れたパーツは炭屑になって、幻のように空気に溶ける。

 実際には存在し得ない生き物。

 まさに書物で語られるような、空想上の魔物のような。


「ねぇ、これってひょっとして例の『供物』?」

 背中のアズリィルに声をかける。

 小さな声だったけど、向こうにはしっかり届いたようだ。

 背中の板を足場にして肩紐に捕まる幼女の、大人な声が聞こえてきた。


 ≪ああ、これはまさしく『天秤の試練』じゃ。しかし———想定していたモノより高度じゃのう≫

「そうなの?」

 アズリィルは電子通信コールだからいいけど、僕は舌を噛みそうだ。この辺りは木の根元の土が深く侵食していて、根の一部が地表に露出している。苔も多くて油断すると転びそうだ。ぶっちゃけ超走り辛い。


 ≪ああ、あの外見は『殻』が身を守る為に形成した『鎧』じゃ。『核』から供給される真那マナで作られておる。あの勝色狼が『鎧』の真那に攻撃を与えておれれば『殻』どころか『核』も一緒に壊せようが———ふむ?≫


 そのとき、狼がセファロタスの一体に噛み付いた。

 蓋の付け根部分———本体へ伸びる蔓の根元部分だ。

 頭を揺らし。

 牙をむき出しにして。


 ついに噛み切った!


 断末魔。

 すかさずその場を離脱する狼。

 噛み千切られて本体から分離した一体が動かなくなる。


「やったわ! 一体倒した!!」

「いや……」

 マリオンの歓声とは反対の、アウインの険しい声が聞こえる。


 み”ょっ?

 み”ょっ!

 み”ょっ み”ょっ!


 知能が在るのか無いのか。

 どちらかなのは分からないけど、残りのセファロタスたちがこちらへ襲いかかるのを止め、千切れた仲間に群がっていく。

 やがてバリボリジュルリと生々しい咀嚼音が辺りを埋め尽くした。生理的に嫌な不快音に、痺れたような寒気が背中をなぞり上がる。


「共喰い・・・?」


 誰かの呟きと共にブチンッと一際大きな音がした。

 ちぎれた個体に繋がっていた蔓だろう。それをしゃぶしゃぶと喰むように飲み込んでいくのが見える。

 逃げなきゃいけないのに———その光景がおぞましくて足が竦む。


 と、本体の株が震え出した。


 にょきにょきと新たに槍のような葉が生える。

 二枚の新たな槍の葉が。

 その葉先がどちらもどんどん大きくなり———膨らみ。

 やがて袋を形成していった。


「元通りかよ」

 ジャキンと銃を構え直すデュモン。


 巨体が7体になる。

 再びこちらに狙いを定めるセファロタス。


「走れ!!」

 アウインの声でようやく再び飛び出せた。

 脳裏に再びアズリィルの声が聞こえる。


 ≪やはり足りんな。『核』は妾が仕留めねばならんじゃろう≫

 僕は唇を噛み締めた。


 ———マナが扱えないと、本当に怪物は倒せないんだ。


 そこで僕は恐ろしい事に気が付いた。

 体が膨らむのを視界の端に捉えて木の陰へ飛び込む。


「アズリィル」

 心臓の音がうるさくて、アズリィルの返事が遠い。


「さっきマリオンが、水質班も何かの怪物に襲われてるって言ってた」


 水質班の調査区域は本部から一番遠い。あの班だけは毎回、防衛部隊の空の守護者———空哨班が送迎していた筈だ。あっちに救援に向かったって言ってたのは、ちょうど帰投時間が近付いてたから準備してたのもあっただろう———多分そこを襲われたんだと思う。

 デュモン一人でもあんなに凄いんだ。

 きっとあっちはあっちで凄いヒトが向かっただろう。


 でも———


「これから合流するプラシオたち地質班は良いとして、水質班の所に向かったヒトたちは大丈夫なのか?『核』を壊せなかったら、怪物はどうなるんだ?」


 前にアズリィルが言っていた。

『供物』の破壊は『核』と、それを守る『殻』を壊さなければならないって。

 これがその半物質の『供物』なら、僕らだけじゃ倒せない。

 今まさにあんなに凄いデュモンが、倒せない所か目立ったダメージすら与えられていない。


 ≪ああ。『核』を壊せねば、この魔物は際限なく復活を繰り返す≫


 ———やっぱり……!


 ≪あの魔物の生命源である真那マナを浪費させられるなら希望もあっただろうが、真那を操れぬ貴様らには叶わぬじゃろう———現にあの狼も、攻撃は形ばかりで本質の真那にまで届いておらん≫


 僕らにマナは扱えない。

 だからデュモンだけじゃあ『足りない』のか。


「あいつはアズリィルがいるから何とかできるんだよね?」

 ≪『核』さえ露出すれば、この距離なら外さぬ≫

「じゃあ水質班の方は?」

 電子通信コールの向こうで難しそうな気配がした。

 もしかして、無理なのか?

 水質班のヒトたちは、じゃあ———


 木の根を抜け、天然の土手のようなすり鉢状の場所に避難する。

 セファロタスとの距離を測る為、木の陰から戦場を伺う。

 マリオンは10M弱程離れた同じような場所へ入って行くのが見えた。戦場からは僕より若干遠い。彼女は大丈夫そうだ。

 アウインは僕よりもマリオン寄りの中間地点で銃を構えている。支援射撃の光線を時折唸らせながら、自らも身を隠しつつ後退を続ける。

 デュモンは狼と奮戦していた。表情は険しい。押されてはいないみたいだけれど、はっきりした戦果も無い。一進一退。


 でもそれは、『核』を壊せば終わる。終われる———アズリィルがいるから。


 けれど水質班は?

 あちらにはアズリィルがいない。


 片手でも余る程しか顔を合わせていないけど、だからと言って蔑ろにして良い訳なんか 無い。


 ≪我が二対の翼のうちの一対を、向こうへ向かわせれば遠隔で破壊の一助もできようが……しかし≫

「だったら、それでお願い」

 まさに天啓。アズリィルの示してくれた提案に、僕は飛びついた。


 なんだ、そんな事ができるのか。

 だったら本当に後の問題は、あいつを倒すだけだ。


 ≪しかし、遠隔はこの身体を無防備に晒してしまう。そうなればぬし———≫

「なら、アズリィルは僕が守るよ」


 言い澱むアズリィルを遮って宣言する。

 確かに力を割いたら、アズリィルは思うように立ち回れないのかもしれない。

 けれどこっちにだって頼れるヒトたちがいる。

 それに僕だって戦闘職程じゃ無いけれど、体力のある現地調査フィールドワーク系タイプなんだ。アズリィルひとり背負って駆け回るくらいなら僕にだって———


『なかなか骨があるようだな』


 そこで第三者の声がして肩が揺れた。

 いつの間にか足元にずんぐりと丸々太って見える長毛の猫が鎮座していた。両目の位置が頭の高い位置にあるこの種類は———


「マヌルネコ・・・?」

 体毛の色は茶トラ色だけど間違いない。

 大陸中央部の標高の高い岩場などに生息する固有種だ。

 それがなんでこんな所に?

 猫の口元が開く。

 まさかこの星に棲息して———


『だが、無茶は感心しない』


「喋った!?」

「余所見をするな。死にたいのか」

 頭の上からマヌルネコと同じ声が降ってきた。


 見上げるとそこに、赤土色の髪の眼鏡の男が立っていた。背は僕とそんなに変わらない。けど一目見て分かるがっしりと付いた筋肉が、眼鏡の奥の鋭い眼光が、只者でない事を物語っている。

「キャンティ・サルド、さん・・・?」

 プラシオの護衛だ。という事は———

「レッド、無事か?」

「プラシオ……!」

 少し遅れてプラシオが茂みから現れる。

 マヌルネコはくるりと踵を返してプラシオの周りを一回りし、軽やかに木の上へ駆け上って見えなくなって行った。


「今のは・・・?」

 あっけにとられている僕にサルドの声が入ってくる。

「『フェリス』だ。ラガーの『ハウンド』よりは小柄だが小回りが効く。猫だから高低差のある場所は得意分野でね。重宝している」

「キャンティ殿! 来てくれたか!」

 そこでアウインが僕らに気づいて引き返してきた。マリオンも後ろに続いてやってくる。アウインはさすがにまだ平気そうだけど、マリオンはもう息が切れている。それでもここに新たに加わった面子にほうっと息を吐くのが見えた。


「フン。助かるかどうかは、奴次第だがな」

 しかしサルドは銃を構えて向こうへ振り返った。

 ガサガサと茂みの向こうが騒がしくなる。


「来やしたよ、たいちょー!」

 気の抜ける台詞で茂みから飛び出し走り抜けていくデュモンと変わらない長身。砲金色ガンメタルグレイの髪に赤白黄色のメッシュを入れたチャラ男、ラオ・レイン。

 その後を体長約1.6Mのアモイトラが追いかけていく———ってあれ? あれが怪物じゃないんだよね?あれが『フェリス』なんだよね? なんか思いっきり虎に追いかけられてるようにしか見えないけど!?


 ザグゥッ……!


 地面に鋭く突き刺さる細長い八本の脚。

 黒光りするまん丸な腹の上部には朱色のも斑点模様が見える。


 地質班を襲った巨大蜘蛛の登場だった。


「ら、ラトロデクタス……!?」


 蜘蛛目:ラトロデクタス・トレデシムグッタトゥス。

 別名『ジュウサンボシゴケグモ』。

 欧州南部に生息する毒蜘蛛だ。この種類を含めたゴケグモ類は、メスの方が大きい事や、時にオスを喰い殺す事などから『ブラックウィドウ』とも呼ばれている。

 本来 大きくても体長15mm程度。なのに今襲って来てる奴は5Mある。本体だけなら2.5Mちょい位だけど———いやでかいよ! こんなの噛まれたらひとたまりもないよ!


 サルドが人差し指を口元に当てた。息を呑んで僕らもその場で硬直する。

 後家蜘蛛ラトロデクタスは長い脚でザクザクと這い回っていた。追いかけていた目標プラシオたちを見失ってくれているようだ。


 ふと、鉄のような匂いがして目を落とす———プラシオの腕に、黒い布が巻かれていた。

「プラシオ! その怪我!?」

「ああ、さっきちょっと掠っちまってな———大丈夫。あんまり痛くなかったし」

 そう言う彼の額には玉のような汗が浮かんでいた。よく見れば顔色が悪い。さっきから何回喉を鳴らして———!


「あいつ『雌』……!」

 ラトロデクタスのメスには毒があるのだ。

「腕を出してプラシオ。 今、血清を用意するから」

 駆け寄って来たマリオンが拳銃の端末を操作する。マリオンの武器———特に左拳銃イヴの方は、救急ソフトとその為の薬品が収納されている。これで血清剤を投与するのだ。

「いや平気だぜ、これくら”い……」

 眉をしかめて、汗を拭う。どう見ても痩せ我慢だった。

「ダメよ! あの蜘蛛は噛まれてすぐは症状が無いけど、ちゃんと治療できなきゃ数日後に命を落とす事もあるのよ!?」

「現にプラシオ 今、汗だくになってないか? あちこち痛んできたんだろ———症状が出始めてるんだよ!」

「これ以上動き回ったら毒が回るわ。だからちょっと休んでて」

 マリオンの展開したモニターに『生成中』の文字が躍る。


「ありがたいが君ら、そう悠長にもしてられないぞ」

「フェニー先輩……」

 地質班のフェニー・カーネル。プラシオの先輩だ。ゆるくまとめられた、僕よりも明るい夕陽のような赤毛が今は煤汚れていた。


 そうだ、僕らを追いかけて来てる食虫植物セファロタスも すぐそこに———


 そのセファロタスが集団でラトロデクタスに襲いかかって行った。

 毒も何もなんのその。ギギギギと耳障りな苦鳴をあげて蜘蛛の巨体が茄子紺の群れの向こうに消えていく。


「セファロタスが……」

「ふぅ 怪獣映画だな・・・」

 顔を上げるとすぐそこでデュモンが肩で息をしていた。その側に狼はいない。何処に、顔を上げ———いた。セファロタスから目を逸らさずに、その周囲を跳ねるような速さで駆け続けていた。と、その狼が通り過ぎた樹上に、さっきの茶トラ色のマヌルネコを見つけた。同じようにセファロタスの捕食シーンを、睨むように見届けている。


 やがて完全に大蜘蛛の姿が見えなくなった。

 ほぼ同じサイズとは言っても、脚の長さの分だけ本体の小さいラトロデクタスの方が、部が悪かったようだ。

 ただ、咀嚼音がえぐい。

 大きいからその分 音もでかい。

 ちょっと訓練で飲み込まれたのを思い出さないでもない絶対喰われたくない。


「グッジョブじゃん食虫植物!?」

 レインが力一杯サムズアップした。隣でその『フェリス』のアモイトラが、独特の幅広で短い縞模様の腰を落ち着けている。欠伸かわいいな。デュモンとサルドはまだ警戒を続けてますよぉ……?


 プラシオが汗を拭った。

「・・・あれって そう言うもんなん?」

「うーん 実際には棲息域が全く合わないから実現しないと思うよ。サイズも違うし」

 セファロタスは世界一小さな大陸にしかいない固有種で、あのラトロデクタスは欧州南部に生息域がある。まあ 夢のデスマッチが実現して、セファロタスに軍杯が上がったと思えばいい・・・のか?


 そこでピーンと明るい電子音がしてみんなの目がマリオンに集まった。血清が出来上がったらしい。

「プラシオ腕を出して」

「あっ…… ああ」

 これでプラシオはひとまず大丈夫だ。後は帰ってノーマンの所で再検査すれば全て元通りになるだろう。僕は胸をなでおろした。


「とにかく敵は減った。少しは回避しやすくなるだろう」

 アウインが未だ食事中のセファロタスから目を離さずに銃身を下ろす。


 蜘蛛と食虫植物を同時に相手取る必要がなくなった。

 さっき巨体が一個増えてたけど———こっちも人数が増えたし、セファロタスだけなら何とか———


 ≪いや。 不味いぞ≫

 アズリィルの電子通信コールが冷や水のように被せられた。



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