File.Th: The First Encounters

Report.14: 嵐の前の静かなひととき




 目標の位置に到着した僕は、腕の端末を操作してスキャンソフトを走らせた。


 現在地上10M地点。枝が細くて密集した木だ。鞭を引っ掛けるには適さないけど、幹は大きく捻れたような木肌になっているので登りやすい。

 ほどなくしてスキャン終了の電子音が鳴り、物理サンプルとなる数枚の葉が付いた枝を採集。花を摘むのも忘れないようにしないと。自家受粉か他家受粉か———おそらくこの花の形なら自分で花粉をやりとりする自家受粉かな。けど常識はあまり考えない方がいい。今 僕らがいるのは未知の惑星なのだから。


「うーい そろそろ降りて来いよ、レッド」


 下からのデュモンの声に「もうちょっと待って!」と半ば叫ぶように返事を返す。


 エデン第四惑星に到着して5日目。

 明日はいよいよ研修日だ。


 研修日が過ぎればいよいよ待ちに待った単独調査や混成班での探索が始まる。今の所は目立った脅威も報告されていないから、各自思い思いの計画に沿って回る事になるだろう。そろそろ調査可能範囲も広げられる筈だ。

 まだ僕には誰からも声がかかってないけど・・・。なんでだ。


 少し離れた枝に腕を伸ばそうとして、肩に軽い違和感のような負荷が掛かる。それで少し手前の枝へと目標を変えた。アズリィルを背負った分、移動速度は初日よりも少し控えめになっていた。

 そう、ラグナが改造してくれたバックパックは、恨めしいほど完璧だった。

 こうしてアズリィルを背負ったまま調査ができている。今も幼女は当然のように背中にくっついているし。追加された機能は、それはもう不具合なく作動しているようだ。不具合———起きてくれないかな意外と重い。


 ≪ここ数日貴様の仕事を見ているが———≫

 頭の後ろでアズリィルの声が響いた。


 電子通信コール———本来なら専用端末を通さなければならない声の受け取りにも、この数日で残念な事に慣れてしまっていた。聞こえてくる大人バージョンの声は、今は幼女の姿が視界の外にあるので違和感を感じない。幼女を背負う間の唯一のメリットだった。


 ≪その蒐集用の術は、ずいぶん無駄な構造をしておるのう?≫

「無駄?」

 その大人の女性の声が疑問の色を帯びる。

 ≪一度に蒐集する情報が多い。妾には時間と精度を犠牲にしておるように見える———貴様は植物学者じゃろう。ならばその植物に纏わるデータのみを蒐集する方が効率的ではないか?≫

「ああそれは、他のヒトとデータを共有する為だよ。探査隊で使うサンプリング用のスキャンソフトは同一規格なんだ」


 ヒトによって多少バージョンが違ったりもするけど、スキャンソフトが読み取るデータは一律だ。だけどそこから必要なデータをピックアップして分析するソフトは専門毎に違う。


 例えば今サンプリングしたこの『木』のデータ。

 このデータを採る為にスキャンソフトを起動すると、対象を中心にした一定範囲をスキャンするようになっている。この場合の対象とはもちろん『木』の事だけど、表面に付着した生物、水分、土、その他の物質もすべてスキャン範囲だ。

 アズリィルはこの『木』以外のデータが無駄だと言った訳だけど、このスキャンデータは僕だけが使う事を想定している代物じゃない。この木を育てる土がどうなっているか調べるにはプラシオの地質解析ソフトが必要になる。空気中の成分なら気象班の、この木は違うけど水生植物なら水質班の解析ソフトが必要になる。それぞれ専門の違う人による意見を柔軟に織り交ぜる事で、調査や議論が凝り固まるのを防ぐのが目的だ。


 混成班はこのデータを現地で直接やりとりしてその場でさらに議論を深める為のものだ。異なる専門範囲が交わった調査は、単一で行うそれよりも遥かな速度を以って進められていく。

 そして同じ場所にもう一度出向いて同じものを見つけられるとは限らない。相手は自然現象なのだ。その一瞬を逃せば、次はいつ遭遇できるか分からない。


 一通り僕の説明を聞いたアズリィルがふむと頷いた。

 ≪ならばその辺で測量をやっとる連中にサンプル採集は任せてしまえばよかろうて≫

「ああ、それね」

 思わず声が乾く。

 測量を行なっているのは防衛部隊の一部だ。足でマッピングする他に、上空に散布した超小型測量ドローンによる空撮も取り入れているらしい。そこにアウインやデュモンみたいな護衛班のヒトたちが、データを元に安全ルートを割り出したり、逆に補完していく感じだ。


 確かにこの測量班のヒトたちにサンプル採集を全部やってもらえれば、一番安全ではあるんだけれども。そもそもその道に明るくないヒトが、普通に動き回るとどうなるか。僕の目は泳いでいた。


「スキャンソフトができた頃はやってたらしいよ。それで———残さなきゃいけない貴重なサンプル消失させた事あるんだって」

 ≪それはまた・・・やらかしてしまったのう≫

 天使の声も引きつっていた。


 そんなやりとりをしている内に物理サンプルに良さそうな花の側に着いた。なるべく太い枝に足をかけて体を固定し、端末を操作する。そこから引き抜くように手を動かすと蘇芳色の小さな小型ナイフが形成された———ナノマシンナイフだ。サバイバル道具などはこうやって衣服や装備に同化させる形で持ち運んでいる。僕の場合は蘇芳色の二の腕まで覆うアームカバーや足を覆うズボン型のチャップスがそれだ。これで目に見える荷物は最小限に抑えられる。

 ナイフを手にして改めて採取する花を見た。

 この樹木の幹と葉の形状、そしてこの花———地球の柘榴に似ている。この星ではこれまで色違いの物が多かった中、この花弁はよく知られる朱色をしていて逆に新鮮な感じだ。


「もうレッドったら。またアズリィルちゃん背負ったまま木登りしてるの?」

 下からマリオンの声が聞こえて花を摘む手元が狂いそうになった。危なっ。


 見下ろせば、デュモンがアウインに向かって敬礼しているのが見える。

「もう帰投時間でしたか」

「ああ、いや少し早いくらいだ。ゆっくりすると良い」

「うーい。みんな待ってるってよ!」


 ———デュモン……意外と図太いな。


 摘んだ花を腰のポーチから取り出したトランプ大のケースに格納する。

 ただしここからケースをポーチの中に戻そうとして手を滑らせ、2、3回お手玉して何とかキャッチ。そこで思ったよりも後ろに体が逸れ、どきりと心臓が跳ねてとっさに枝を掴んだ———ひゅうぅと大きく息を吐く。


「ちょっと大丈夫!?」

「だいじょうぶ! 今降りるよ!」

 大声でマリオンに返事を返して平静を装う為にも大きく手を振る。

 そして声を落として後ろに小言を向けた。


「また心配させちゃったじゃないか。なんで毎回付いて来るんだ———そもそもアズリィルって自分で飛べるんだろ? 高い所なんて珍しくないんじゃないか?」

 アズリィルを背負うようになってから、得意の木登りで失態続きだった。もちろん原因は判ってる。幼女の分だけ重心が背中に集中しているせいだ。いつものように登り降りしていると、ふとした瞬間にバランスを崩す———木登りって こんなに気を張るものだったっけ。こんなにヒヤヒヤするものだったっけ。


 ≪高いと言ってもまだ地面が見える位置ではないか。ここはまだ高い内に入らぬわ———それにこんなに枝が密集した障害物の多い場所では、飛んだ拍子に翼が触れてしまうじゃろうが≫

 アズリィルの返しに瞬きする。

「あの羽って実態があるのか?」

 ≪体内の真那を練って現出させる翼じゃ。感触は無いが感覚はある。こういう枝が密集する所ではどうしても避けらなくての。擦り抜けるとぞわぞわするんじゃ≫

 背中の体温が身震いしたようにもぞりと動く。重心もまたちょっと後ろに逸れかけた。うーん、やっぱりマリオンの言った通り次から降りててくれないかなぁ? 危ない。

 ≪それに背負われておると、己で飛び回るのとはまた違った感覚でなかなか興味深おもしろいぞ≫

「あっそう・・・」

 この幼女は背負われたままの木登りをいたく気に入っているらしい。次回以降も背負ったまま木登りする事になりそうだ。

 ため息をこらえて木を降り始める。降りる時こそ登る時よりも慎重にならないといけないんだ。一人なら適当な位置から飛び降りても良いけど、今は幼女を背負っている。慎重に。確実に。


 気をつけて降りて行くとはいえそこは慣れ親しんだもので、どうしても考え事を始めてしまう時だってある。


 それにしても『感触は無くて感覚はある』かぁ……。

 歯医者さんで麻酔されてる時の感覚みたいな感じかなぁ?


 ≪唯一 不満があるとすれば———≫

 そこに神妙な声が聞こえてハッと身構えた。


 相手は予想の斜め上をいく話題提供に定評がある(情報源:僕)暴発天使アズリィルだ。慣れていきたとはいえ身構えて損はない。


 ≪貴様の尾が時折顔にかかる事かの≫

「お?」


 本当に予想の埒外の話が始まった。

 ナニ、『お』って。まさか『尾』?

 ヒトにそんなもの生えてる訳ないじゃん。


 ≪これじゃ≫

「おわ!?」

 急に思いっきり頭を引っ張られてバランスを崩す。

 そのまま背中から地面へ真っ逆さまだ。


「おっと」

 衝撃に身構えた所で他のヒトの声とともに受け止められる感触。そのまま地面に足が着陸した。

 デュモンが受け止めてくれたみたいだ。

 助かった・・・。


 背中からふわっと重さが消える。

 幼女がマリオンの元へ駆け出していた。


「ちょっとレッド。 しっかりしなきゃダメじゃない」

 自分のもとに駆け込んだ幼女を膝をついてよしよしと迎えるマリオン。とても微笑ましい姿だけど、状況的に居た堪れない。


 ———結局 マリオンに怒られた・・・。幼女め。


 とりあえずギンッと幼女を睨んでおいた。


「あー ……今のはお姫様が悪いな」

 と、ここでデュモンが助け舟を出してくれた。

「ええ?」

「髪の毛引っ張るのが見えたぞ、なあお姫様?」

 金色の頭を思いっきりぐしゃっと撫ぜるものだから、艶のある輝くような髪がくしゃくしゃになった。幼女の足元もふらつく。どんな力で撫ぜてるんだろう。豪快だ。


「とはいえずっと邪魔そうにしてたもんな———レッドお前、髪切る気はないのか?」

 デュモンはいつも殿を務めている。つまり僕の後ろだ。道中ずっとアズリィルと相対しているような状況だったんだろう。

 水を向けられた僕は思わず自分の髪に触れた。

 今は後ろで一つにまとめているが、解くと実は肩より下———胸の上辺りまで伸びている。

「あー…… 昔は短かったんだけど、どうも落ち着かなくってさ。伸ばしてまとめてた方がしっくりして落ち着くんだよ」

 正確には、髪を切る度に自分の一部がごっそり消える感覚が嫌だった。

 それで散髪がだんだん嫌になって、伸ばすようになったのが始まりだ。そしたら今度は勉強や食事の時に邪魔になるものだから困ってしまった。誰かに髪を縛ったら良いんじゃないかって助言されて、ようやく落ち着いたのが今の髪型だ。

 あの頃はあまり物事に集中できずにぼうっとしてる事も多くて、一体その助言を誰から貰ったのか未だに思い出せない。誰か判ったらお礼が言いたい。


 そして髪をまとめる二枚の羽飾りの付いた髪紐は、同じ班になった記念にとマリオンに選んでもらった物だ。先端にかけて黄色から黄緑色に色変わりしている羽の色のが気に入っていた。


 ≪そんな理由なら団子にしてくれても良いのではないかのう?≫

 いつのまにか足元に戻ってきていたアズリィルの声。


 そうか。その手もあったか———とはならない。

 ねぇ 知ってる?

 髪をお団子にまとめるのって、自分でやるの結構ムズいんだぞ?


 僕はそっと息を吐いて跪き———モチモチの幼児の頰でひっぱり頰した。


 上からクスクスと朗らかな笑い声が聞こえてくる。

「今日も仲が良いわね」


 ぐはっ。

 今日もマリオンに誤解された。

 解せない。

 横でデュモンも笑っている。


「しかし毎日レッドのアクロバット木登りで嫌な顔ひとつしないんだから大したものだよなぁ、お姫様は」

「いやアクロバット木登りって……僕の木登りそんなに激しい?」


 そんなに激しい木登りをしているつもりは無い。だってちょっと鞭で跳んだり枝で逆上がりしたり、枝から枝へ飛び移ったりしてるだけじゃないか。どの辺がアクロバットなんだ。


「充分激しい。あれだな———お姫様は絶叫マシンにハマるタイプだ。ジェットコースターとか、フリーフォールとか」

「ああ そんなアトラクションあったね。『遊園地』に」

 この場合の『遊園地』は電空だ。

 一回で最高24時間レンタルできるソフトだが、如何せん高額なので大抵年度末に同じ歳・クラスの30人程の大人数で楽しむものだ。僕はまだ現実リアルのには行った事ないけど、行ったヒトの話によれば『電空のは絶叫系の乗車感や、列に並ぶ待ち時間のドキドキ感が無いのが物足りない』らしい。それでも毎年予約でいっぱいになる、『動物園』や『海水浴』などに並ぶ人気レジャーソフトである。

 確かジェットコースターには足が宙ぶらりんになる奴があった筈だ。あれに近い感じだろうか。


「あったけど、あれって身長制限あったでしょ? アズリィルちゃんじゃ背丈が足りないわ」

「いやでもあれって雰囲気出す為の飾りだったんじゃないかなぁ。シリカノイドで12歳より下の子ってほぼいないっていうし」

 絶叫系アトラクション乗り場手前の辺りに『僕より低い子は乗れないよ』とか書いてあるアレ。全員余裕で高いから、完全にただのなんちゃって看板モニュメントだった。むしろ『やっべー俺低いわwww』とかおどけて記念撮影する為の代物だった。


「こらお前たち、気を緩めるんじゃない。家に帰るまでが遠足だぞ」

 まるで子供に言い聞かせるアウインに三人でビクッと肩を揺らす。返事をしようと顔を上げた所で前方の大岩群が動き出した。


 巨大な食虫植物セファロタスだった。



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