Report.11: 森をゆく心得 後編




 戦乱。

 病。


 どちらも歴史の再生シミュレーションの中の話でしか知らない。

 ぶっちゃけ今こうして話していても現実感が無い。

 失敗したらそう言うものが流行るのか?

 そんな大事な分岐点に関わるなんて荷が重い。

 そもそもどうして———


「どうして、ヒトの協力が必要なんだ?」

 僕は絞り出すように言葉を吐いた。

「何度か失敗したんだよな。きっとアズリィルたちだけで頑張った方が上手く行った事もあったんじゃないのか」


 だってアズリィルは言っていた。『天秤』のせいでヒトの進化が天使から離れてしまったって。それって天使に協力してたヒトが———ヒトも、失敗したって事だよな? 天使にとっても望まぬ結果だった筈だ。そうじゃなかったら僕の所にアズリィルが来る事なんて無いんだから。


 こちらの緊張を知ってか知らずか、アズリィルが目を伏せる。

「『正義イュスティーティアの天秤』に懸けるべき『供物』は半物質でできておっての」

「反物質……」


 物騒な話が出てきた。

 地球上の自然界にほとんど存在しない高エネルギー体だ。昔のヒトの手になら尚更余るだろう。宇宙航行技術にだってまだ———


「この半物質は精靈体と物質体、両方の性質を併せ持つ物なのじゃ。故にまずは人界の者と天界の者、もしくは複数の次元を超越する目で対象を目視する必要がある———? どうした」

「いや別に・・・続ケテクダサイ」


 アンチじゃなくてハーフだった。

 耳が熱い。重い話が続いたからてっきりもっと物騒な話かと———ううっ 顔まで熱い気がする。お茶飲んで誤魔化そ。


「術式を扱う上で『視る事』は太古の昔より重要な手順の一部であり基本じゃ。視る事で実像を結んだ『供物』には精靈体の『核』が発現し、それを護る物質体の『殻』ができる。我らはこの精靈体の『核』を壊さねばならぬのじゃが———それを護る『殻』は、我らには壊せぬのじゃ」

 幸い少女はこっちの挙動に気づいておらず、続きを語ってくれた。気を取り直してまとめると。


 1:二人で『供物』を見つける。

 2:『殻』を壊す。

 3:出てきた『核』を壊す=終了。


 2が邪魔だなぁ。というか二人で見つけるって何で?


「それって天使だけで見つけたらどうなるんだ?『核』を壊せば良いなら『殻』ができないようにすれば良いじゃんか。何か手は無いのか?」

「無い。そもそも我らの目で目視しただけでは『供物』として実体化せん。故に貴様らのようなエルティアンではない人の子の目が必要なんじゃ。全く忌々しい仕組みよ」

 アズリィルは乱暴にマグを置いて腕を組み足を組んだ。


 ———本当に忌々しそうだなぁ。


 でも、そうか。だからアズリィルが地上にやって来たんだ。

 天使だけでは解決できない問題に対処する為に。

 ヒトと協力する為に。


「二つの次元から『供物』を視る事。物質体の殻を破る事。顕となった精靈体の核の破壊。『供物』の破壊はこの一手しか無い」

「破壊って簡単に言うけどさぁ———その『供物』ってヒトみたいな生き物の可能性は無いのか?」

 猫とかひよこ、兎みたいな小動物が『供物』だったら壊すの嫌だなぁ。つぶらな瞳で首を傾げる栗鼠リスとかと目が合ったら絶対に負ける自信がある。


「無い事もないが……大抵は意思の無い無機物である事が多い。まあ稀に適合率の高い者じゃと潜在意識内に入り込む事はあるかのう。そうなると外から破壊する術は無い———適合者ごと消すなら話は別じゃが」


 適合者ごと、

 僕はギクッと身を乗り出した。


「そんなの!———他に方法は無いのか?」

 小動物どころの騒ぎじゃない。もしかしたらヒトを殺めるなんて事態になるかもしれない。万が一それがデュモンやプラシオ、マリオンだったとしたら———

 腹の底が一気に冷える。

 そこから先は想像したくなかった。


 アズリィルがずいっと腕を伸ばす。指は『右手の法則』のように三本立てられていた。

「そもそも供物の回収方法は三つじゃ。『破壊』と『封印』、そして『反転』」

「反転?」

 『破壊』は分かるけど、『封印』と『反転』? 裏返すのか? オセロみたいだ。

「その『封印』や『反転』ができれば、誰か殺さずに済むって事か?だったら———」

「残念ながら『封印』も『反転』も、共に4つ目の次元へ到達する必要がある。おそらく未だ物理法則のみに縛られておる貴様らでは熟せんじゃろう。故に『供物』は見つけたら迷わず破壊じゃ。何を犠牲にしても、の」


 犠牲。

 ゴクリと喉の鳴る音がした。

 じゃあ本当に、誰かが『供物』になってしまた場合はそのヒトを———そんな事って。

 手が震える。

 体が冷える。

 僕は俯いた。


 祈るしかない。誰も、何も犠牲になってほしくない。

 濡羽色の髪が優美に流れるイメージが過ぎる。


 失いたく、ない。


「まあ人の子の潜在意識に入り込む事は滅多に無い。近年は特にの。なので貴様が危惧するような事態にはまずならんじゃろう」

「……わかった。そう言う事なら一先ずそれは横に置くよ———けど、じゃあ一体どう言う物を探せば良いんだ」

 起こるかどうか分からない事まで気にしてられない。ならばどういう物を目標にするかだ。脳裏の黒は横に置く。意識を切り替える。

「良い質問じゃな———判らん」

「わからない?」

 怪訝に思って顔を上げれば、足を組み替え考え込む鮮やかな金色が目に飛び込んでくる。

「供物のカタチは毎回異なるのじゃ。前回は何かの絡繰の一部だったらしい。此度は果たして何に宿るものやら」

「探しようが無いじゃないか」

 目星がつかなければ探せる物も探せない。

 協力しようにも手が出せない。

 無闇に動いて足手纏いになったりでもしたら? それこそ洒落にならない。


「まあ大凡は予想できるぞ。少し外を歩いた感じじゃと、おそらく植物か鉱石の類になるだろう」

「それ調べる為に黙って付いて来てたのか」

 いくら『供物』を探す為だからって黙って付いて来るなんて。

 結局、アズリィルが転んだ場所には、毒性の植物とか無かったみたいだったから平気だったけど、一歩間違えたら大惨事だった。マリオンたちにも迷惑かけちゃったし、ラグナの話じゃノーマンだって探し回ってたって聞いた。いくら天使で、大丈夫だって言われても、周りの目にはそうは映らない。バレたくないなら、ないなりに もうちょっと考えてほしいと思う。

「それもある、が……」


 そこでアズリィルは袖で口元を隠しそわそわと目を泳がせ始めた。自信に満ちたさっきまでの態度とは打って変わり、まるで年相応の女の子だ。彼女が小柄だから余計に。少女の変化に僕は眉を寄せた。


「実を言うとの……人界の地上と云う物は 妾には物珍しくての」

 言い澱む少女の頬が染まっていく。口広のトーネックに顔が埋まった。髪型的に見えない耳も 赤くなってそうな勢いだ。

「珍しい? 地上が?」

 まさか。ファンタジーよろしく雲の上に乗れるって訳じゃあるまいし。


「天界には物質体の地上が無いのじゃ」

「ガス惑星って事?」

 ガス惑星の調査も記録があるみたいだけど、生命体との遭遇記録は確か無かった筈だ。そもそもそう言う星は有人調査が困難で、衛星軌道上から望遠カメラを使うしかない。

 そんな所に天使が、生命体が存在している? 本当なら盲点だ。


「それは人界から見ているからじゃ。地面はあるぞ。構造が三次元を飛び越えておるから貴様らに観測できぬだけじゃ」


 ———三次元を飛び越える。


「じゃあ四次元?」

「有り体に言えばそうじゃな」


 じゃあ四次元を解き明かせば天使の住む星へ行けるんだろうか。

 神話の存在と接触。

 できたらスゴい。


「だが貴様らはまだ真那マナを扱う準備ができておらぬじゃろ。だから———」

「はっ? いやいやちょっと待ってくれ———マナ?」


 小説に出るようなファンタジー単語が出てきた!


 え? 四次元の話だったよな?

 縦横奥行きに時間を足して四次元じゃないのか?

 何でマナ?


「それってファンタジーとかで出てくる奴だよな? 魔法とか使うのに必要とかのアレの事だよな?」

「うむ。三次元が物理物質世界、四次元が真那マナ物質世界で———」

「いやいやいやいや。四次元って時間を加えるんじゃないのか? 四次元に、マナ!?」

 そんなファンタジー分野、物書きとか何かのシナリオ書くヒトくらいしか扱わない。事実だったら真面目に研究している偉いヒトが報われないじゃないか。頼むから間違ったと言ってくれ!

 僕の台詞に顔を上げた少女が眉を寄せ首を傾げる。

「うん 時間? いや、時間を操るにはもう幾つか上の次元が必要じゃが———ああ なるほど、主らそこを心得違いしておるから中々三次元の壁を突破できんのじゃな」


 ———真面目に研究している偉いヒトッ!


 僕は掌で顔を覆って項垂れた。宇宙は無慈悲だ。


「4つ目の次元の扉を開くには真那マナが要る。真那こそが4つ目の次元を識る為のことわりじゃ。真那を識り、真那を喚び、真那を生んで初めて時間を超越する次元へ到達する」


 銀河を飛び回る技術革新があっても。

 人造人間の技術を生み出せても。

 時間旅行がいつまでも実現されない。

 その理由が———まさかのマナ。


 常識が崩れる音が聞こえる。


「なんぞ随分がっくりしておるのう?」

「いやその———天使とヒトが離れてしまったって言う実感を噛み締めてる」


 沈黙が流れた。


「何か言ってくれよ……!」

「ええい妾にそんなフォローを求めるでないわ!」

 鼻息荒くアズリィルがマグを呷るように傾ける。残りを一気に飲み干し、大きくため息を吐いた少女。少し落ち着いたのかチラとこちらに目を合わせた後、フッと気を緩めた。

「……まあその。アレじゃ。貴様らは既に次の次元へ片足を突っ込んどるようなもんじゃろ。このアメトリア銀河も、四次元の扉が開く日は案外近いやもしれんぞ」

 それは不器用なフォローだったのかもしれない。

 でもこの時の僕は聞き慣れない名詞に顔を上げただけだった。人類はまだ銀河の外を航行する技術は持っていない。聞き慣れない銀河の名前に反応してしまった。

「アメトリア銀河って?」

「むっ 貴様らは天の川と呼んでいたんじゃったか」


 アズリィルの反応を見て僕は瞬きした。

 そうか、呼び方が違うんだ。そういえば自分たち『天使』の事を『エルティアン』って呼んでたもんな。何だかややこしいけど、僕らが知ってる色んな物の名称は地球の誰かが付けたものだ。『猫』に『キャット』、『空』に『スカイ』みたいに狭い地球内でも同じ物を別の名で呼んだりしてるんだ。異星人には別の名前で呼ばれていたって可笑しくはない。


 そこまで考えて気が付いた———これから破壊する『供物』も、僕とアズリィルとじゃ認識する名前や形が違うかもしれない。


「なあ『供物』になりやすい物ってあるのか?」

 ハニーイエローに怪訝な色が浮かぶ。

「ほら、アズリィルって人間の事を『人の子』とかって呼ぶだろ。一口に植物とか宝石って言っても色々あるじゃないか。植物なら食べられるかどうかとか、宝石ならどんな色だとか。そこから何か法則とか分かればいいなぁ、なんて」

 慌てて身振り手振りを交えながら補足すると「なるほどの」とアズリィルが頷いた。無事に伝わってよく分からないままにホッとする。


真那マナと共鳴する石と云う物ならある。たしか人界では・・・ん、何じゃったかの?」

 そこ 肝心じゃんか。

「基本は透明で様々な色も存在する価値の高い物とは聞いておるが……」


 ———透明で高価。


「ダイヤモンドとか?」

「そう じゃったかの」

 破壊するのも難しそうだな。

 たしかダイヤモンドは炭素の結晶体だ。地球上では最も固い。どっかの星で何とかって石が見つかって、それがダイヤモンドより硬いってニュースになってたような———プラシオあたりに聞けば何か分かるかもしれない。


 ミ”———ッ


 突然の電子音に腰が浮く。扉のロック音だ。


『あれ、レッド〜?』


 扉には斜め上から撮っている扉の前の景色が映し出され、マイク越しの音声がスピーカーから聞こえてきた———噂をすればプラシオだ。コンコンと扉を叩く姿がバッチリ映っていて、僕は頰が緩むのを感じた。

 時計を見ると食堂が解放される時間を過ぎている。今日の献立は何だっけ。いつの間にか空になった薬缶と二人分のマグを簡易キッチンへ戻しに立ち上がった。

 一気に現実の生活が戻って来た感覚。

 そんな気はしなかったけど、随分 気を張っていたらしい。


「今日の所はここまでじゃな」

 ちょいと肩をすくめたアズリィルが、そのまま光に解けるように形を失くした。キッチンに薬缶を置いて戻って来て、目の当たりにした光景にドキッと心臓が跳ねる。僕の心を置き去りにして、光は瞬きする間に小さな形を結んで弾け。

 後には見慣れた幼女がソファに座っていた。


「ほれ」

 袖が大きく余った両腕を伸ばして催促される。僕は一つ息を吐いて幼女に応えた。抱きかかえた幼女は僕よりちょっと体温が高いのか あたたかい。きっと話に聞く子供体温って奴だろう。


 あたたかいと言えば。


「そういえば僕が倒れた時、何かした?」

 ≪何かとは?≫

 返ってくる会話は既に電子通信コールになっていた。


「いや、意識が戻る直前 暖かかったから」

 ≪鴉では無いかえ?≫

 一瞬本物の鴉かと思ったが、すぐにデュモンの事だと気が付いた。アズリィルの認識って独特だなぁ。

「意識が戻ってから気付いたよ」

 僕はゆるりと首を振った。稼働限界で感覚が鈍ってて、デュモンがノーマンに僕の状態を説明する時に、初めて彼が手を強く握っていた事を知ったくらいだ。

 ≪妾は知らぬぞ≫

 幼女はフイと目を逸らした。


 ———アズリィルじゃなかったのか。


 じんわりと肩を落とす。

 じゃあやっぱりあれはデュモンだったのかな。

 でも。


 僕は森で意識を取り戻した時の事を思い返した。


 あの時自分を———自分のカタチを 思い出すきっかけになったあの『あたたかさ』は、気のせいじゃなかったと思うのに・・・。


 ぼんやりと扉へ向かう。ロックを解除しようと手を伸ばした時———


 ≪……人界でそう力を使えるものか。回復できたのは貴様自身の力じゃ≫


 ぽつりと声が降りてきた。

 びっくりして目を向けるとかち合う、大きなハニーイエロー。

 ぶかぶかな右袖で軽く抑えて露わになった小さな左手———伸びてきたそれは僕の頰に重なった。


 ≪よく がんばったのう≫


 すぐに下げられてしまったそれは、確かに僕を連れ戻してくれた てのひらだった。


 幼女の顔も既に見えなくなっていたけれど、一瞬だけ重なったあたたかさは確かに残っていて———

 僕は幼女を抱え直した。


 なんだかくすぐったい気持ちが心に差していた。



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