Report.10: 森をゆく心得 前編




 整備班の工房をほとんど逃げるように飛び出し、充分離れた所まで来てホッとした頃。


 ≪自室に戻るのか≫


 アズリィルが例によって電子通信コールで話しかけてきて、僕は悲鳴をあげた。いや本当に心臓に悪いよ。

「ああうん。今日はもうドクターから安静にしているように言われたし」

 一旦ばくばくと早くなった心臓はなかなか落ち着いてくれない。さらに今は幼女を抱えているので、心音を聞かれやしないかとハラハラする。朝までならこんな事気にしなかったのに。何でよりによって今はしっかり密着してるんだろう。


 ≪今日は料理せんで良いのか?≫

 今度は料理。一瞬『なんで?』とハテナが過ぎるも、昨日まさにそれで玉葱と格闘する破目になった事件を思い出す。

「ああ……はは、昨日のは完全にイレギュラーだったから———今日は無いよ」

 あんな事は早々起こらない。たぶん。

 さっき整備部で見たばかりの光景を思うと断言できないのが悲しい所だ。


 ≪ならば先程の、いやむしろ昨日の話の続きをしようではないか≫

「・・・」


 僕は真顔になった。気分が急降下する。


 ———すっかり忘れてた。



   * * *



 ≪電空とやらには入らぬのか?≫

 部屋に戻って簡易キッチンへ向かうと、そんな声が頭に響いた。


「そんな気分じゃない」

 本心だ——— 一応は。医務室では結構な時間過ごしたから、食事時までそんなに無い。アズリィルとノーマンが二人で改造案についてアレコレやっている間に、デュモンの方が早く終わったくらいだ。稼働時間の調整の方が案外早く終わるんだからびっくりだよ。

 一方の倒れた僕は結構かかった。稼働限界から回復するのは、僕が考えていたよりも厄介な事だったらしい。バックパックの改造は決まったけど、ちょっと気を付けないと———明日からはアズリィルと一緒に行動するんだから。


 ≪ふむ。ならば喉が渇いたかのう≫

 そのアズリィルからリクエストが飛んでくる。

 ちらと幼女に目を向けると、とたとたと部屋の真ん中に二つある奥側のソファへ歩いて行くのが見えた。そのままソファによじ登って腰掛け 座り心地を確かめている。そんなに深く座った訳ではないのに、幼女の足は地面から完全に離れてプラプラしていた。

 ヒューマノイドの来客用にと部屋に備え付けられているソファ。普段はメールや電空で事足りてしまうから、まさか本当にその用途で使う日が来るとは思わなかった。

 最初の来客が幼女……どうせならマリオンが良かった。


「・・・紅茶」

 ≪良いだろう≫

 もちろんティーバックである。

 薬缶を加熱器に掛け、人数とメニューをセット。お湯はすぐに沸くけど紅茶には蒸らし時間がある。いや本当はその蒸らし時間すら短縮できるけど、今はその機能は使わない。意地でも。その時間だけ話を遅らせる為に———こんな事ならもっと蒸らし時間の長い種類にするんだった。


 少ない時間でチラつくのは、さっきアズリィルが何気無く口を滑らせた天使の成り立ちだ。

 兵器機構。って、言ってたよな?

 幼女を盗み見る。


 幼女は今、肘掛け部分の具合を確かめていた。固かったのか『ムッ』と口を尖らせた幼女は、側にあったクッションを引き寄せて肘掛けに被せ、ふかふかと具合を確かめて。まだ足りなかったのかソファから降りて反対側のソファへクッションを取りに動いた。———見た目だけなら、ただの幼女だ。とてもそんな物騒な存在ものには見えないし、いくら気に入らないからってそう言う風にも見たくない。

 だって少なくともヒトだ。

 天使って言ってるけどヒトだ。


 気分が上がる事なくあっという間に出来上がりを知らせる電子音が鳴り、薬缶と二つのマグを持ってソファの間に置かれたローテーブルへ持って行く。お互いのマグに紅茶を注いでどさりと幼女の向かい側のソファに座り、自分の物に手を伸ばした。

 そこでアズリィルの声が頭に響く。

 ≪ふむ このまま念話で会話を続けるのは具合が悪いか ———どれ≫


 ピッ


 背後で鍵が掛かる音。慌てて振り向いて扉のロックランプが点灯しているのを確認し、文句を言おうと向き直った時には幼女の姿は消えていた。


「これでようやくのんびり会話ができる」


 頭の中ではなく直接 鼓膜を打つ声———大人のアズリィルがそこにいた。

 優雅にマグカップを持ち上げ、淹れたての明るい炎色ファイヤー・レッドに口付ける。使ったのはマグなのに、ティーカップを持ち上げているような幻が見えた。マグから離れた口元が艶やかに濡れていて———


 ハッと我に返る。

 いつの間にか開いていた口を結ぶ。見とれた自分に腹が立った。

 湯気を立てるマグを持ち上げ、余韻を味わう事なく一気に呷る。熱くて舌を焼いた。


 ———バカみたいだ。


 そう心の中で独り言ちてみるものの、一体何が自分の琴線に触れたのか分からない。

 マグを両手で持って見上げるようにアズリィルへ目を向ける。掌をじんわりと焼く熱は、性質に反して少しずつ冷静さを呼び覚ましてくれた。———さっきまでどうしようもなく塞いでいた気持ちも一緒に。


「制限があるんじゃなかったのか」

 ちょっと八つ当たり気味に軽く睨む。

 当のアズリィルはどこ吹く風と背凭れに体を預け、クッションに肘を付き足を組んだ。その所作の一つ一つが無駄に繊細で、再び目を奪われそうになって手元のマグの持ち手を握り直す。


「この程度は制限の内に入るまい。貴様らが乗り熟せておらんだけじゃ」

「そんな乗り物みたいに……何かリスクとか無いのか?」

「そうさのう、正体を人の子に知られる事の方がリスクじゃな」

「僕は?」

 さっきからなんだか落ち着かない。少女の一挙種に目を惹かれまいと、手元のマグの感触を確かめるように何度もなぞる。熱はもう冷め始めて効果はイマイチだった。


「天使と波長の合う者に知らせる事そのものはリスクの内に入らん。むしろ人界の進化を我らから離されてしまった現在、衆目に真の姿を曝す事の方がリスクよ———無論、貴様の件に関しては完全に妾も想定外じゃが」

 ジト目で睨まれて我に返り、目を逸らしながらマグに口をつける。紅茶はあっという間にマグの白さをあらわにしてしまった。


 そこで昨日の図鑑の事を思い出す。

 世界の幻想生物図鑑。アレの他にもちらほらと見られる異形の天使の記述。とても神聖なものとは思えない形をした天使たちの挿絵。


「アズリィルは———いや天使は、本来ヒト型じゃないのか?」

「それは様々じゃ。ちゃんと人型もおる。そうさの、例えば———」

 僕がじっと目で促すと、アズリィルが何やら考え込む仕草をする。続く言葉は満面の笑みで答えられた。

「四大天使の歴々は人型じゃ。有名じゃろ?」

「ミカエルとガブリエルくらいしか知らない」

「ぬし・・・」

 がっくりと肩を落とす少女。

 けれど否定はついに返って来なかった。


「その感じだとアズリィルはヒト型じゃ無いんだな。なんでヒト型———というか、幼女形態だったんだ?」

「幼女形態ゆうな———まったく」

 アズリィルがマグを置いて薬缶を傾けた。保温能力バッチリの薬缶は、ほのかな湯気を立てて炎色を増やしていく。「ほれ、貴様のも出さんか」との声に渋々マグを置いた。


「『正義イュスティーティアの天秤』の結果が、それまで祭り上げていた筈のエルティアンの姿を『守護の形』から『恐怖の形』へ認識するように書き換えてしまったのじゃ。現在いまの人の子らでは、『善なる姿』をただの『邪の物』として討伐対象としてしまうだろう」


 ———認識の書き換え。


 僕は息を飲んだ。

 どんな学問でも、新たな発見によってそれまでの学説が覆る事がある。それがヒトの認識でも起きるって言うのか。僕らの知らない所でずっと———いったい今まで、幾つの物が書き換わってきたんだろう。

 アズリィルも、今までそれをずっと見てきたんだろうか。


 こぽこぽと新たに炎色が注がれていく。


 例えばここに注がれた炎色。

 この後誰かがやって来て、新たに別のマグに注がれたとして。

 その紅茶は果たして さっきまで入っていたものと同じものなのか否か。


 僕とアズリィルは正確に答えられるけれど、後から来た誰かには僕らが口を割らない限り正解がわからない。


 同じものと答えれば同じもの。

 違うものと答えれば違うもの。


 たとえ中身が同一のものだったとしても、第三者に違うものとして認識されれば、そのまま後へと続いていく。

 まるで木の枝みたいにその先は交わらない。


 そんな枝の 最初の分岐点になるって言うのか。その『天秤』は。

 天使の正しい姿まで書き換えて。


 ———正義の書き換え。


 ふとそんな事が降りてきて、僕は固唾を飲み込んだ。


 天秤の名は『正義イュスティーティアの天秤』。

 そのありさまで、その後の『正義』を決めるもの。


 ふらふら揺らげば『正義』が換わる。


 ———正しいものは、常に正しいとは限らない?


 息が 詰まりそうだ。


「もちろんそれ程の影響力は滅多に発揮されん。時代の性質か、時代の転換期程の節目程でなくてはの」


 アズリィルの一言でほうっと肩の力が抜けた。


 そっか。滅多に起こらないなら平気かな。

 再び炎色で満たされ湯気の立つマグを口に寄せる。


「そして今はラファエルの時代とガブリエルの時代の転換期じゃ」


 ぐふっ。

 ナニこの上げて落とすスタイル。

 口に含んでたら吹いてた。危なかった。


「やっぱり責任重大なんじゃないか」

 とりあえずマグは一旦置いた。持ったままだと溢しそうだったので。

「この地におる知性体が貴様らだけじゃから相対的に貴様に集中しておるだけじゃ。知性体がもっとおる場所ならばそれ相応の協力者を募るものよ」

「地球以外にも人間みたいな知的生命体がいるって事?」

「うむ」

 自信満々な笑顔を向けられる。


 地球外生命体———今の所は知性の無い生き物との遭遇ばかりで、知的生命体との遭遇は確認されていない。そりゃあ最初は『初めての地球外生命体が発見された』と大層持てはやされたと聞いている。でもその大半が生存本能のままに人類を襲撃し、戦闘になる事例ばかりだ。二足歩行の黒い怪獣が破壊光線を吐いて犠牲者が3桁を超え、4桁に差し掛かろうとした辺りで流石の過激派も口を噤んだ。だから動く物が確認されてもいないこの惑星の調査でも、万が一に備えて調査員に護衛が付いている。


 そういえばアズリィルって、一応 未遭遇の知的生命体にカテゴライズされるんだよなぁ。


 重大な話にそぐわない微笑みを浮かべた少女を見据える。

 昨日もそうだったけど、まさか。そんな。


「……なんかそう言う顔を向けられてると不安になるんだけど」

「しかし こういうのは笑顔を手向ければ気が紛れると」

「逆効果だよ」

「むずかしいのう」


 やっぱりズレてた。

 天使とヒトの間に えも言われぬ溝再び。天使側も何か書き換わってないかなコレ。


 眉間にしわ寄せ苦く目を逸らすアズリィルが湯気の立つマグを口にする。僕も釣られるようにマグを手に取った。そわりとソファに座り直す。

 まただ。

 どうしてこんなに そわそわするんだろう。さっきまでこんなんじゃなかったのに。一体いつから?


 黙ってたらマズい気がする。

 何か話題を———


「その、らふぁえる?とか、ガブリエルって天使の名前 なんだよな? その天使の『時代』ってどう言う事なんだ?」

 言ってしまってから後悔する———もっと簡単な話題にすればよかった。

 しかし一度発した言葉はもう引っ込められない。どうか軽く終わりますように。


「四大天使の歴々が星の一巡り毎にこの宇宙を見護る役目を担われておられるのじゃ。今は『治癒者』ラファエルが担い手であるからラファエルの時代と呼んでおる」


 ———へぇ。ラファエルは治癒を司るのか。


 ガブリエルは昔の『受胎告知』の絵で有名だ。ヒトに神様の言葉を伝える神託者メッセンジャー。もう一人知ってるミカエルは魔王と戦う勇者みたいなイメージだ。

 勇者と魔法使いと……治癒術者ヒーラーとか?———うーん ファンタジーだな。後一人は何だろう? 勇者の脇を固めるような役目だとバランスが良さそうだ。壁役、それとも弓使いとかかな?


「ラファエルは形の無いもの移ろうものを尊ぶ時代。ガブリエルは古きを壊し再建する破壊と創造の時代じゃ」


 ———うっわぁぁ・・・なんか本当に魔法使いっぽいぞガブリエル。


 というか、やっぱり重たい話になってしまったみたいだ。フラフラするのも作るのも別に良いけど、破壊って……。絵画のイメージから離れてない?


「ラファエルはともかく、ガブリエルのはなんだか物騒だなぁ」

 聖母にひざまずく翼の生えた物静かで厳かな人物像からは想像し難い。とても関連付けられそうな言葉ワードではない。

「無秩序に行えばの」

「いや、壊すのに良いとか悪いとかあるの?」


 物が壊れたりするのは悪い事だ。

 大事にしていた鉢植えを落として割るとか、誰かと仲違いして関係が壊れるとか。一度壊れたものはなかなか元通りになりはしない。むしろそのまま二度と戻らない物だってある。


 けれどアズリィルは意外にも「あるとも」と頷いた。


「悪しき慣習を淘汰し、『秩序』を発展させるものも『破壊』の一側面じゃ」

「悪いものが正されるのも『破壊』」


 そうか。

 そう言うのも『壊す事』になるんだ。

 悪いものを正すための『破壊』。

 そんな風に考えた事は無かったなぁ。

 なんだか壊すのも悪い事じゃない気がしてくる。


 前を向くための『破壊』もあるんだ。


「そして戦乱や病で無作為に人の子が減り、文明も思想もリセットする『混沌』を喚ぶのもまた『破壊』。こちらの方に傾いた時は———貴様ら人の子の方が詳しかろうな」


 背筋がゾッと痺れ上がった。



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