Report.7: 昔日を回顧する道すがら




 ぐわんぐわんと世界が歪んでいる。

 まるで磨りガラスを通して乳白色のもや立ち込める景色を覗き込んでいるみたいだ。


「   ぉ、 っど! ・・・か れ  」


 何か音が聞こえるけど、水の中にいるみたいにほとんど聞き取れない。

 手足の感覚が薄い。

 自分の形がワカラナイ。

 ぼんやりと明るい所に自分だけ浮いているよう。


 いや、左手が暖かい。

 小さな物で包まれている感覚がする。


 ぽかぽか

 ぽかぽか。


 そこから自分の腕の形を思い出した。


「レッド!」


 急に戻って来た聴覚と視覚に驚いて瞬きする。次いで来るのは頭を締め付けるような痺れだ。

 そして主に背中を中心にした鈍い痛み。

 その不快感に耐えていると、頭の上で長く息を吐く音。カメラのピントを合わせていくように結ばれた像は、デュモンだった。

「体の感覚はあるか?気分はどうだ?」


 そこでようやく僕は 地面に仰向けになっているのに気が付いた。


「・・・ちょっとさむい」

 さっきまで木の上にいたのに、とか。何で寝てるのかも、何を聞かれているのかすぐに理解できなくて、返事が遅れた。返事をしてから右手をデュモンに握られている事にも遅れて気付く。じんわり痛い。

「体温低下と感覚の鈍化か」

 頭の上でそんな呟きを聞き流す。


 さっきの『ぽかぽか』はデュモンだったのか。

 あれ、でも右手だったっけ?


「まだ軽度の内に帰投するか。歩けそうか?」

 聞かれながら半身を起こされる。軽く目眩がした。腕が重くて上がらない。

「だるい」

「急いだ方が良さそうだな」

 僕の返事にデュモンの顔がそう苦々しげに歪み、そのまま自分の耳元に手を置いた。デュモンもアウインも両耳を覆うようなヘッドセットを着けている。耳元から伸びた半透明のゴーグルに、ぼんやりとした横縞模様が下へ流れて行くのがかろうじて見えた。

「でゅもん?」

「本部。こちらNo.11051219ラガー二等兵」

 通信だ。

 そう言えばあのヘッドセット、惑星軌道上に待機中の衛星とリンクしてるって言ってたっけ。確かGPSを使ったマッピングもやってた筈だ。

「護衛対象の稼動限界の兆候を確認しました。これより帰投します」


 通信の向こう側の声は聞こえなかったけれど、デュモンが喋っているのは充分聞こえた。だから余計に首を傾げる。

「稼動限界?」

「そ。はしゃぎすぎたんだ」

 そう苦笑いされてもピンと来ない。

 だってそれはおかしい。

 シリカノイドの日中稼動可能平均時間は 少なくとも20時間ぐらい。僕らみたいな惑星探査に参加する個体はもっと長くて、およそ36時間は大丈夫な筈だ。誤差があったとしても二時間が限度って習った。まだ半日も経っていないのに。


「不思議そうだな。理由はまぁ・・・これだよ」

 デュモンが片膝の上に置いていた自分の手を持ち上げ、トントンと僕の制御端末コンソール・ディスクをつつく。さっきアウインもやっていた。バリア・フィールドを展開するように言っていた時のジェスチャーだ———と言う事は。

「ばりあー・・・」


 そういえば バリア・フィールドの仕組みはシリカノイドの稼働時間を食うようになっていた。それをアズリィルにも分けて、さらに離れて行動していたから。

「もしかして過稼働? ———ぅわっ」

 突然わしゃわしゃと乱暴に頭を撫でられた。グラグラ揺らされて倒れかけ———そこを左側から支えられた。アズリィルがいる。

 目が合うと何故かバツが悪そうに顔を逸らされた。


 訳が分からずぼんやりしていると耳元でデュモンが一言。

「お姫様に気を使わせんなよ」

 さらにわしゃわしゃと頭をかき混ぜられた。ぐわんぐわんと揺らされた余韻が残る頭で、離れて行く彼を見送る。

 そこでようやくデュモンがアズリィルをおもんばかって言葉を濁していた事に気付いた———相変わらず僕は配慮が足らないらしい。よく指摘されるけど、もう性分みたいなものだ。気を付けていくしかない。


 ピッ ピッ と電子音がして顔を上げるとデュモンの腕から湧き上がるように真っ黒な物が現れた。ぶるりと濡羽を震わせる毛深い黒。最後に艶やかで大きな嘴が生えて変化が終わった。

「からす?」

「そこはレイヴンって言ってほしかったなぁ」

 デュモンが苦笑する。


 レイヴン。

 たしか、図鑑に載ってた大型の鴉だ。北半球に広く分布する種類だったと思う。ワタリガラスとも言うんだっけ。大きさはアズリィルの半分をゆうに超えている———確かに普通の鴉よりも大きいみたいだ。


「まぁドローンだよ。こいつに先導してもらうんだ」

 こちらを見ずに首を傾げながら鴉の様子を見るデュモン。同じように見つめ返す鴉は一言も鳴かずじっとしている。意外と大人しい。

 やがて「よし」と頷いたデュモンが鴉を空に放った。空に舞い上がった鴉は、ある程度舞い上がると上空を旋回するように回り出す。なるほど。ドローンだ。


「先導なら狼もいるんだが、今はそこまで非常事態じゃないしな。それに足跡作っちまったら、黒姫殿に要らない誤解させるかもしれないからなぁ」

 黒姫。

 瞬きを一つして、一体誰の事だろうとぼんやり考えた。


『姫』というから女の子で。

 アズリィルは黒くないから違くて。

 アウインも銀に近いプラチナブロンドだ。

 そうすると後は一人だけ。


「それってマリオン?」

 デュモンが今度は腰のポーチから何か掌サイズの小箱を取り出した。真ん中を押し込むとカチッと音が聞こえて、巻尺みたいな要領でロープを伸ばしていく。

「一応年下だからな———ちょっと腕上げてくれ」

「それでアズルもお姫様?」

 言われた通り両腕を少し上げると、デュモンは「まぁな」と返しながら僕の背中から両腋の下にロープを通してそのまま僕を背負う格好になる。さらに自分の胸の所でぐるぐるねじった後、再び今度は僕の両膝裏にそれぞれロープを通すと、自分の腹の位置に戻して素早く結んで固定した。後でどうやったのか聞いたけど、あっという間すぎてさっぱり訳が分からない。

 それが済んだ彼は、アズリィルを呼び寄せて片手で抱え、そのまま立ち上がった。『ロープを通した場所が食い込みそう』と思ったのは一瞬で、実際は全然痛くない。それどころか密着もしてて安定感が凄い。さらに幼女まで抱えてて———デュモンは力持ちだ。

「しっかり掴まってろよ」

 デュモンが旋回を続ける鴉を見上げると、鴉はまるで見計らったかのように進路を変えて飛び始めた。後を追うように主人も歩き始める。


 ざく ざく ざく


 背中で揺られ始めて、ようやく自分が『弱ってる』って実感してきた。ビックリするくらい力が入らないのが分かる。

 稼動限界———こんなにだるいのか。知識としてはもちろん知ってた。知らなきゃいけない事だからって、電空で疑似体験もした。けど、実際にこうなるのは初めてだ。これも知識が経験に変わっていくって奴かなぁ。


「どうした お姫様?」

 背中で揺られていくらか進んだ頃。ふと聞こえた声にぼんやりと顔を向けると、アズリィルがデュモンの額を確かめるように撫でていた。反対の手で袖を抑えて小さな手があらわになっている。

「古傷だよ。もう痛くない」

 困ったような声色だった。それで一つ思い出す。

「消さないのか?」

 普段は前髪の下になって見えにくいが、彼の額には結構大きな縫い傷がある。アズリィルの抱えられている角度からだと見えたんだろう。額の真ん中から右の米神の上にかけての傷跡———普通ならそんな傷、とっとと綺麗にしてしまうものだけど。

「ああそっか。お前はまだ知らなかったんだな」

 一度立ち止まったデュモンが 背中の僕を抱え直す。


「こいつはまぁ、俺なりのけじめだよ———まあ あんまり面白くない失敗譚さ」

 再び歩き出したデュモンは、二年前に就いたという仕事の話をしてくれた。詳しい事はもちろん守秘義務があるからって教えてくれなかったけど。


 護衛対象に怪我を負わせてしまった話だった。


「幻滅したか?」

 もちろん首を横に振る。今の話でデュモンを幻滅する理由がない。

 付き合いは、そりゃあ浅い。連携訓練を除けば、ぶっちゃけプラシオよりもずっと浅い。

 任務に選ばれる前の基礎実習インターン前にも、失敗を恐れるなと習った。たった一度の失敗でヒトを非難するべきじゃないとも。ヒトには挽回できる機会チャンスが与えられるべきだと教わった。

 現に今、僕はデュモンに助けられている。


 ざく ざく ざく


「お前さ。あー プラシオもだけど、今回の任務が初仕事だったろ」

 しばらく歩いてデュモンが口を開いた。沈黙が苦手なのかな。意外とおしゃべりだ。そういえば連携訓練の合間にも よく話しかけられたっけ。


「任務が明けたら 何かやってみたい事ないのか」

「やってみたい 事?」

 稼動限界でぼんやりしているせいか、何を言われたかよく分からなかった。

 もちろんやりたい事は今まさに来ている惑星の生態調査だ。僕は植物担当。ちょっと歩いて分かったけど、ここの生態系は地球の物と近い感じがする。かといって全く同じものが無い。森を抜けて戻って来たこのサバンナ形態の草原も、色が違う等はっきりと目に見える違いがある。

 それがって、どう言う事だろう。


「任務ってそう次から次へなんて来ないもんだぞ。その間に、何かやってみたい事とか無いのかって事だよ」

 僕が答えあぐねているのを見透かしてか、デュモンが諭すように話してくれた。顔は見えないけど、穏やかな声だ。彼の人柄が滲むような。

「そうだなぁ。例えばだが———お前の電空 めちゃめちゃ本だらけだろ。本が好きなら逆に書いてみるのもいいんじゃないか? それか……あんだけ木登りができるなら、ボルダリングなんか初めてみても良いと思うぞ」

「考えた事無いよ」


 本をたくさん集めてたのは、いろんな植物やら生き物なんかが知りたかったからだ。動物も植物も、珍しい物は大体セットで扱われる。いわば専門科目の延長線。

 幻獣が載ってる本だってそうだ。過去の記録から、『外惑星の生き物には、その手の本の記述そっくりのモノが実在している』———そんな話を聞いたから。実際僕が蔵書にしている本の基準は、それらが出てくるような物語や随筆エッセイって事だけ———肝心の中身に惹かれた訳じゃない。

 だから、そんな風に考えた事なんか無かった。

「そうか・・・まぁ ゆっくり考えればいいさ」


 ざく ざく ざく


 話が途切れてしまった。


 ざく ざく ざく


 草を踏みしめる音が一定のリズムを刻む。しばらくはそれをBGMにしながら、ぼんやりと後ろへ流れていく地面を眺めた。だるさも手伝って、うとうとと瞼が重くなっていく。

 目を閉じかけた所でふと意識が上昇し、そこでようやく気が付いた———デュモンは『プライベートでの目標は無いのか』と、遠回しに聞いていたのだ。

 それで目が覚める。


 ———目標か・・・。


 怠さの抜けない頭で空を見上げると、レイヴンが優雅に羽ばたくのが見える。

「デュモンは・・・なにか やりたいものがあるのか?」

「俺か?」


 基地に戻るまでの雑談とはいえ、任務以外の話を話題に振られた。話題にしたって事は、デュモンにはそう言う目標があると思った。話のきっかけをくれたいい機会だから、参考までに聞いておきたくなった。案の定、その答えが返ってくる。

「俺は———エアレースだ。アクロバットもいい」

 ただしそれは予想の埒外からの答えだった。ピンと来なくてどんな物か聞き返す。どうやら航空機を操ってスピードやテクニックを競う競技らしい。プロペラエンジンのレトロ部門から、高出力プラズマエンジンで大気圏外へ飛び出す広範囲部門まで色々あるみたいだ。

 さっきのドローンといい、デュモンは空を飛ぶ物が好きなんだろうな。後ろからじゃ顔は見えないけど、楽しそうなのが伝わってくる。


 ———こう言う『仕事以外でも楽しくなれる物』を探せって事かなぁ。


 デュモンみたいに夢中になれる趣味が、僕にも見つかった事を想像しながら耳を傾けた。

「趣味を作るのはいいぞ。なにせ職業を選ばない。中には『銀糸の女王ミルキー・クイーン』みたいな御仁もおられる事だしな」

「銀糸の女王?」


 ざく ざく ざく


「えっ お前ミルク様知らねーのかよっ?」


 ・・・さま?

 てゆーか誰。


「内職研究系シリカノイドでありながら、戦闘系本職を降したフェンシング剣術の才女だぞ?確かお前とほぼ年変わらねぇ筈だ。彼女の本職じゃあここでの出番は無いからお目にかかれねぇとか思ってた位なのに———」

 あれ、さっきまで結構真面目な話だと思ったのに。航空機の話から一転。今度は何故かその『ミルク様』についてデュモンが熱く語り出してしまった。勢いありすぎて今の僕にはほとんど頭に入って来ない。

 頭には入って来ないけど、何だか聞いている内に可笑しくなってきた。

「試合映像撮ってあるんだ。任務明けたら———」

 ついに吹き出してしまった。

 吹き出してさらに自覚する疲労感。無理やり笑わされた感じでぎこちない。


「元気出たか?」

 デュモンが少しだけこちらを振り向いた。僕を背負う両肩が、僅かに力を抜いたのを感じる。

「笑ったら疲れた」

「はは、ひでぇ———あ」


 いつの間にか基地が見える所まで戻って来ていた。

 正面には銃を携帯した門番役の守衛班が二人。

 その二人を従えるように見える位置で、待ち構えた男がひとり———パーカーや白衣を着込んで着膨れした衛生班長主任、Dr.ノーマンの姿があった。


 デュモンの鴉がツイーと降りて来て、分厚くなったその白い腕に留まる。

「へぇ、こいつがシリカノイド・ドローンか。なるほどねぇ」

 ふむふむと鴉を覗き込んで何やら頷くノーマン。


 そこではたと 僕は現状を省みた。


 1:今朝預けたアズリィルが脱走。

 2:多分通信で幼女の所在は事前に知られている。

 3:さらに稼動限界の僕の知らせ。

 4:問題児×2の帰還。


 結論:僕、問題児になってない?


「た、 ただいま戻りましたぁ・・・」

 あくまで『大丈夫』をアピールするためひらっと手を振ってみるも、ギラッと睨まれ不発に終わる。それどころか ぶわっと怒っているオーラが見えそうな勢いだ。レイヴンがそのタイミングで黒い粒子になって消えたせいで余計に禍々しく見える。


「おぅし いい度胸だ。てめーらどっちもポッドにブチ込んでやる———そこの嬢ちゃんもだ」


 笑顔のガスパール総隊長と、違った感じの恐怖が そこにはあった。



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