File.U: Lifestyle in the Paradise

Report.6: 前人未到の未知の森




 翌朝。

 アズリィルをノーマンに預けて基地を出発した僕は今、絶賛腹痛の最中にあった。


 いや緊張ではなく。

 もちろん体調不良でもない。

 原因はもっと 単純だ。


「レッド」

 僕の後ろを歩くデュモンの声がきこえる。

 ああそうとも。続く言葉は予想できた。


「お前ひょっとして 昨日あのまま寝落ちした?」

「・・・しました」


 僕は素直に白状した。

 見えなくても分かる。きっとデュモンは今、ジト目で僕のうなじを見つめている。なんか視線が痛い気がする。

「お前昨日 あんだけあちこちガンガンやってて・・・」

 ぐうの音も出ないとはこの事だった。


 ———幻痛って どうにかならないのかなぁ。


 そう、原因は昨日 横着して寝落ちた為に、朝起きて一気にぶり返した幻痛である。

 アズリィルにやられた最初の腹パンだけではない。動作確認の為に行ったあらゆる行動の果て。それはもう頭は打つは痺れるは何もない所で躓くはで——— 一体どういう事なんだのオンパレードだった。

 一部始終をデュモンも目撃していたのだから、後ろから聞こえた溜め息も そりゃあ大きくなろうと言うもの。


 本来なら、初めて入った前人未到の森に喜び勇んで進んでいる筈だったのに。


 視界の端に人の背丈より高い草花の姿を捉えて、ついそちらを向く。

 天辺で細かな花の円盤の群れをいくつも咲かせるあれは、樹液に失明の原因になる成分が含まれてる奴にそっくりだ。違うのは葉っぱの色くらいだろうか。

 あっちの幹の根元の黄色と緑の奴は、某有名アクションゲームに登場するワンアップキノコに似てる。いつも思うけど現実リアルで見かけたら研究以外で絶対に採集しない奴じゃないかなぁ。あれもたぶん毒がある。


 気になり出したらむくむくと感情が湧き上がってきた。

 ちらりと先頭を見る。

 ちょっと先を行くマリオンとアウインの姿が見え隠れしている。そう離れた距離ではない。初めての場所でも森の中なら人を見失わない自信もある。

 僕は足を止めた。後ろから聞こえていた足音も止む。


「デュモン」

「駄目だ」

 食い気味に却下される。


「まだ何も言ってないよ」

「駄目だ」

「ちょっとくらい」

「駄目だ」


 どこかでゴングが鳴った。

 ぐるんと振り返ってデュモンに向き直り訴える。


「何でだよ! ここにあるもの全部きっと固有種だぞ!?ちょっとくらいサンプリングさせてくれよ!!」


 思い返せば基地を出発してからここまでの道すがら、一体どれだけの物をやり過ごして来た事か。

 基地周辺はまだ岩石地帯だったからほとんど岩だらけだったけど、それもあっという間に浅葱色や薄紫色の草むらに入り、しゃがむ間も無くヤドリギのような丸い形の地上の木を横目に通り過ぎ、てっぺんが平たいのに白樺のような木肌のザ・サバンナ的な形のアカシア系の木も通り過ぎて今、天井を表裏が緑と白の色の違う葉で覆われた樫の木オーク系にそっくりな林の中を進んでいる。

 お分りいただけただろうか。

 形は似ているのに色が違う、あるいはそっくりなそれはもう垂涎ものの生態系が広がっている事に。


 今だってほら、振り返ったら見えた。あっちの枝に絡まってるのは野生の藤にクリソツじゃないかっ。赤いのと青いのが同居してる感じは紫陽花に似てる。紫陽花は土壌の性質によって色を変える———プラシオの出番だ。ちょっとサンプリングするから後で確認してほしい。


「駄目だ。しばらくはまず近隣の探索範囲の安全確保が優先だ」

 なのにこれである。一歩も譲歩してくれない。まずは安全確保、そればかりである———もう我慢の限界だった。


「それって防衛班の仕事じゃないのかよ!?」

「そりゃ守衛班。基地周辺の安全確保が主な行動範囲だ。衣食住の確保ができなきゃ研究もクソも無いだろう」

「デュモンだって防衛班だろ!?」

 言っててそろそろ支離滅裂になって来ている事に気付いたが、止まれない物は止まれないのだ。

「俺は護衛班で、お前の身の安全確保が最優先事項だ。訓練でもそれがいかに大事な事か、やっみて解ったろ?だからまずは行動範囲の地形や環境の把握と安全確保。サンプリングはその後にしろ」

「友達じゃんか、ケチ!」

「悪いが公私混同はしない」

「何かやってた方が痛みとか吹っ飛ぶって言うだろ! 集中させてくれよ!」

「駄目だ。つーかそこは自業自得だろ。それより———」

 デュモンが自分の肩越しに後ろをちょいちょいと指差した。

「アレどうした」


 怪訝に眉を顰めてデュモンが指差す方———彼の体を避けるように身を乗り出し、その斜め後ろを覗き込む。ちょうど茂みの向こうへと慌てて隠れる金色を発見した。発見、してしまった。

 眉間にさらに力が入っていく。

 無言でザクザクと茂みへ近づき、おもむろに手を突っ込んで猫の仔のように襟刳えりぐりを引っ掴み———それを引きずり出した。


「何やってんの?」

 襟首を掴まれぷらんとぶら下がる、袖と裾の長さの揃った白いワンピースの幼女。今朝ノーマンに預けてきた筈のアズリィルだった。金色に引っかかっていた小さな葉が、何枚かはらはらと落ちる。

「僕、ドクターの所で待っててって言ったよね?」

 中身が暴力天使アレだろうと、外見はどう取り繕っても幼女である。この形態の時は何もない所で転んだり体力が無かったりまともに喋れなかったりと、危ないので着いて来ないように言明した筈である。

 それにそもそもこの惑星の大気の組成状態は、まだ明日明後日以降の気象調査班の結果待ちだ。一応机上論として大丈夫クリアと出ているだけ。生身で出歩ける確固とした保証はまだ無い。その為のスーツであり、バックパックだ。

 なのにこれである。


 ツーン。


 そんな擬音が聞こえそうな仏頂面で口を尖らせるアズリィルに、僕はムキになった。

 フーッと息を吐いて幼女の前に膝をつき。幼女の頰を左右から掴み。くらえっ ひっぱり!———おお 伸びる。そしてやわい。もちもちか。


「ちょっとレッド、何やってるの?」

 マリオンに叱られて肩が揺れる。

 アズリィルの頰をみょんみょんと引き延ばすのに夢中で、戻って来ている事に気が付かなかった。うう 気まずい。

「もう、小さな子をいじめちゃダメじゃない」

 そして引き剥がされる。くそう、幼女め。


「おはよう アズリィルちゃん。今日も会えたわね、吃驚したわ?」

 マリオンに抱き上げられて笑顔を向けられ、よしよしと軽く背中を叩いてもらって幼女はご満悦そうだ。あれが、猫を被るって奴か。


「俺 お前と一緒に今朝、あのお姫様をドクターん所に預けて来たと思ったけど———よく付いて来られたな?」

 幼女を威嚇する勢いで睨んでいた僕は、デュモンの一言で「あ”っ」と我に返った。ここはおそらくもう基地から3kmくらいは離れた地点だ。いや本当よく追い付いて来られたな?

 よく見れば彼女の服は所々汚れが目立っている。おそらく何度か転んだのだろう。僕らの後をまっすぐ付けたのなら大丈夫だと思うけど———後でどこで転んだか聞いておかないと。怪我とかあった日には脇目も振らずに帰らないといけない。じっとアズリィルを上から下まで眺める。


 見た感じ服の汚れだけで幸い怪我は無さそうだ。

 ひとまず最悪は避けられそう かな?


 大きなため息が聞こえて顔を上げた。アウインだ。

「着いて来てしまったものは仕方がないか。予定より少し早いが本日はこの辺りを拠点としよう———ラガー隊員は本部へ状況を報告してくれ」

「うっす」

 デュモンの足元を這う草のような蔦の、踏まれて折られた枝や葉っぱから乳白色の液体が滲み出るのが見える。地球のはもっと暖かい所に自生する奴だけど、ここのは寒さに耐性があるのかな。


「さてスコッチ隊員」

 名前を呼ばれて思わず背筋が伸びる。アウインの方が背は低い筈なのに、迫力に圧倒される。うぅ……戦闘職のヒトってこうして対面すると迫力がスゴいんだなぁ。

「この星の生態系環境はヒトが行動するに充分な安全確保がまだできていない。そして本件は君の管轄と聞いている」

 そこでアウインは、自分の手首付近をトントンッと叩いた。護衛職の彼女のは手甲に隠れて見えないけど、出立前にやった連携訓練で習ったジェスチャーだ。すなわち今回の探査隊全員に支給された『スーツの制御端末コンソール・ディスクを操作せよ』。

「バリア・フィールドの対象を この子の分まで拡張することを命じる。しっかり守ってあげるように」

「りょーかいです……」


 渋々と腕の端末をタップしてエア・モニターを展開する。モニター越しに マリオンがアズリィルを下ろして僕の方に寄せるのが見える。その景色をディスプレイ代わりにして、背中に背負ったバックパックの設定を呼び出し、バリア・フィールドの対象を『僕のみ』から『僕とアズリィル』に追加変更。

 すると背中のバックパックから微かに唸り出す音が聞こえてきた。すぐに僕と、次いでアズリィルを包むように淡い光が展開する。アズリィルが自分を包む光を物珍しそうにキョロキョロと身動いだ。


 アウインの声が降ってくる。

「それができたら探索を許可する———頑張りなさい」

 その一言で僕は顔を上げた。珍しい、薄く微笑んだアウインの顔。バリア・フィールドの設定変更が完了して光が収まっても、しばらく何を言われたのか分からなくてポカンとしてしまった。艶黒子つやぼくろのある右の口角を上げて、アウインが僕の肩を軽く叩いて離れて行く。

 そこでようやく意味を理解した。理解した瞬間、今度はそれが喜びに変わっていく。現金な事に、こちらはあまり時間が掛からなかった。

「了解です!」

 さっきとは全く違う了解を応えると、『完了』の文字が躍るモニターを消した。マリオンも嬉しそうにやって来てくれる。

「良かったわね、レッド」

「マリオンはどうするんだ?」

「私? 私はアウインともうちょっと先まで見て回るわ」

 そう言って彼女は落ちてきていた黒い髪を耳にかけた。ちょうど吹いた風がさらさらと長い髪を梳いていく。

「これだけの規模の森だもの。動物や昆虫類がいれば何処かにコロニーを作っていても可笑しくないと思うの。何かしらの痕跡でも見つけられれば良いのだけど———」

 そこでマリオンは一旦切って花が咲くようにほころんだ。

「新発見はあなたの方が早そうね。私も負けてられないわ」


「じゃあ後でね」とアウインの元へ向かう彼女を目で追いかける。

 マリオンと別行動になってしまうのは残念だけど、ここはアウインの言う通り———お待ちかねの調査タイムの始まりだ。この瞬間をずっと待っていた。


「良かったな」

 通信を終えたデュモンが緑をざくざくと踏み鳴らしながら戻って来る。戦闘職が履く頑丈そうな濃い色の靴は、すでに所々白い汚れが目立っていた。

「ああ! ———あっそうだ、早速だけどデュモン」

「なんだよ」

 僕はすごく良い気分だった。

 相手を気遣うのも忘れて、思った事をそのまま口にする程に———


「その辺の足元の奴多分、有毒植物だから気をつけろよ」


 デュモンがピタリと足を止める。

「・・・それは、もっと 早く言え」


 微妙になった表情に 僕は笑った。



   * * *



 鞭とは、音を立てる為の道具である。


 大きな音を出して猛獣を寄せ付けない、あるいは芸事を覚えてもらうなんて言うのが使い道だ。しかし道具が道具である以上、これはほんの一例の話である。

 何事もというものがある訳で———


 僕は、それを見つけて腰に下げた黒い鞭を手に取った。

 握り手グリップに付いたシンプルなボタンをカチリと押し込むと、長さ約1M程の編み込まれたロープの先端に銀色の粒子が集まってくる。その粒子が鞭の先端に青白いリボンを形成しながら伸び、さらに1M程長くなった。

 回転は2回でいいだろう。ヒュンヒュンと頭上で2度輪を描いた鞭を目標目掛けて振り下ろす。


 パシィ・・・ンッ


 風で騒めく森の音に負けない乾いた音が空気を切り裂く。

 鞭の先端がゴムのように伸び、目標の枝に絡みついている事を確認した僕は、ちょっと膝を屈めて軽く地面を蹴った。それだけで僕の身体は宙を一直線に跳ぶ。

 勢いよく跳んで行った先はもちろん 鞭の先が絡まった枝だ。そのままこの勢いを利用して、枝を支点にぐるんと半回転。その上に着地する。

 そこからさらに目の前の枝に飛びついてしなりを利用してもっと上へ。これ位なら鞭もいらない。枝を渡り幹を登り降り。それをいくつか繰り返して目的のブツがある場所に到達する。


 そうしてその枝に絡みついた特徴的な大葉をかき分けて———ついにそれを目の前にした。


「これは!」

 疎らに付いた紫紺や若草色の球体群にテンションが上がる。


「すごいぞデュモン! 多分これ、葡萄の野生種だ!地球のは低木だけど、これは蔦かな?枝から枝へどんどん伸びてる。いや待てよ?そもそも葡萄には蔦みたいな枝を広げる習性があったな。ならこれを辿れば主幹に着くんじゃないか? そうと決まれば———」

「うぅーい あんま高い所登るなよー」


 鞭を振りかぶった所で届いたデュモンの気の抜けるような声に、僕は思いっきりがくんっと出鼻を挫かれて「えええぇぇ?」と抗議の声を上げた。

 見下ろせば足元の遥か下に小さく見えるデュモンとアズリィル。この高さはたぶん3階のフロア位だろうか。

「せっかく登ったのに……」

 そう、せっかく登ったのに、だ。


 すぐに降りるなんてもったいない。もっと見たい。時間いっぱい合流するまでずっとここにいたい。木の上最高。デュモンも来れば良いのに。その隣にいるアズリィルも、遠目にも判るくらい目を丸くしているのが見えて気分が良い。

 

「初日からハッスルすんなっつってんだ。ただでさえ今おまぇ———」


 ———あ、れ・・・?


 デュモンの声が消えた。

 いや 声だけじゃない。

 風の音も。

 耳元を揺れる梢の音も。

 何もかも。


 足元に空が見える。


 ———あおい。


 天地が ひっくり返った。



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