Report.8: 書架の森の傍らで
僕、ドクターにお世話になるの2度目だ。
医療ポッドの稼働音と、上下に動く青林檎色のスキャニング・ライン。その向こうの殺風景で真っ白な天井を眺めながらそんな事を考えた。
昨日と違うのは ちゃんと一人で医療ポッドを使っている事だろう。
なんと隣にアズリィルがいない!
いや正確には隣のポッドに入っている。大人が入るサイズだから、幼女が普段よりもずっと小さく見えた。やけにおとなしくて、まるでよくできた人形のようだ。
ベッドは昨日と同じく少しだけ起こされていて、疲れや怠さで弱った体に心地いい。ノーマンがモニターを叩く電子音にすら癒される。
そこで僕は瞬きした。
———ノーマンがモニターを叩いてる?
きょろきょろと見える範囲へ視線を巡らせる。
ノーマンとタッグを組んでいる筈のラドンの姿が無い。
「ドクター、ラドンはどうしたんですか?」
「んん?———あぁ ちょっと今 別の部署に出向中だ」
モニターをいくつも展開したノーマンが、デスクサイドに置いていたマグをすする。白い湯気がほんわりと揺れて宙に消えていった。
「どうも失敗が込み入って来ててなぁ。何か他にできそうな仕事探さしてんのよ。ひょっとしたら、
「へぇ そんな事あるんですね?」
ノーマンと目が合った。
「ん ———まぁ・・・ 稀に な」
モニターに向き直ってマグを置いた僕のよりも骨ばった手が、口元を覆うように頰を撫でる。無精髭が昨日より濃く見えるのは気のせいかな。
ゴォォ と低く唸るポッドの稼働音が幽かに響く。
不意にノーマンが顔を上げた。
「そういえば 電空どうした」
———ぐはっ
「い、一応 バグ出しは終わってマス」
うっかり声が裏返ってしまった。変に間があったからてっきり何か……。いやそれにしても。
———この質問、何回目かなぁ。
僕が悪い訳じゃないのに居心地が悪い。
何となくノーマンの顔が見れなくなった。
「バグってたかぁ……」
当のノーマンは背もたれに寄りかかって大きく体を逸らす。ガリガリとあちこち毛がハネ出た頭を掻いて再び口元を覆い———何だか悩んでいるようにも見える。
やがて「よしっ」と手を叩いてくるりとこちらを向いた。胡散臭い笑顔付きで。
「落としてやるから 今できる所やっちまえ」
そうしてモニターに向き直ったノーマンに僕は「でも」と言い淀んだ。
ここは医務室。
横になっているのも医療ポッドだ。
自室にある個人用ポッドじゃない。
個人サーバーはあっちにある物なんだから。
なのに今 電空のバグ修正?
「いいから落ちろ」
やけに大きく聞こえた電子音で、僕の意識は闇に落ちた。
強制入眠 ヨクナイ。
# # #
目を開けると真っ白な空間———『
同時にさっきまで感じていた疲労感や倦怠感がすっかり消えているように感じる。これは
『よっ 入ったな』
空中にエア・スクリーンがが展開され、軽いノリで手を振るノーマンが映し出された。
そのドクターの後ろには、
ノーマンのようなヒューマノイドは、シリカノイドが構築する電空に入って来る事はできない。内外でコミニュケーションを取るのに必要な機能の一つが、今こうしてノーマンが映し出されている『エア・スクリーン』だ。
この『スクリーン』と『モニター』との違いは主に用途にある。電空を始め、あらゆる機器の操作を『モニター』、映像用の物を『スクリーン』と呼んで区別しているのだ。空間を 機材のスペックが許す限り『画面』として使えるようになって、そう自然定着したと習った。昨日使われていた『エア・カルテ』は、もちろん『モニター』の類である。
『まぁ いつもと勝手は違うだろうが、個室のポッドよりゃあ新型だ。処理落ちにゃあなるまいよ』
気さくに接してくれる胡散臭いおじさん。バグ修正する時間を貰えるのは良いんだけど……問題がある。
「でもドクター、ここは僕の部屋じゃありませんよ。どうすれば———」
ノーマンの眉間にシワが寄って行ったのに気付いて思わず口を噤む。あれっ嫌な予感。
『お前さん、電空の基礎理論サボってたの?』
「うっ」
その一言に思わず息が詰まる。
座学は苦手だ。特に淡々と話を聞かなきゃならない系の奴は途中で眠くなってしまう。そして毎回同じ範囲を教科書で引っ繰り返す羽目になるまでがデフォルトだ。
どうせ『基礎』なら最初っから
『「ライブラリ」と「サーバー」の違い。知ってるよなぁ?』
スクリーン越しの隔たりも何のその。有無を言わさぬ凄みにたじろいだ。こう言う所、いかにもガスパール総隊長と近しいって感じがするなぁ。
「ええと 電空を組み立てるデータを管理・蓄積するのが『
『何だちゃんと分かってるじゃないか』
スクリーンの向こう側のノーマンから迫力が退いた。ひとまず名誉は挽回されたみたいでこっそり胸を撫で下ろす。
『電空を構築するためのサーバーは、確かにシリカノイドの所有する調整ポッドに入ってるモンだが、それを走らせる為のデータが存在するライブラリは、シリカノイド本体に蓄積されるモンだ』
ありがたい事にドクターの
『つまりシリカノイドさえいれば、本来ポッドはどれ使ってもおんなじなんだよ。ただ ゼロから実行すると時間とメモリを喰うから、専用のポッドで再実行した方が効率が良いのさ。言うだろ———
———いやそれは知らない。
『電脳空間技術自体はネットワーク黎明期からある代物だが、電空で得た経験データも
「じゃあ『幻痛』の仕組みは———」
電空内で受けた衝撃が
『痛いのも経験の内さね』
「……あまり嬉しくないです」
がっくりと肩を落とした。
すごく簡単に片付けられてしまった・・・。
『ま、そういう訳だから。終わったら声かけてやるよ———まあガンバレ』
そう言ってノーマンはスクリーンに映らない位置に移動していった。
僕は何とも言えない気持ちで長く息を吐き、モニターを展開した。
電空のファイルを呼び出すと、確かに見慣れた文字の羅列が並んでいる。スクロールに少しもたつきがある所はなるほど、ノーマンの言った通り初めて読み込むからなんだろう。
僕は手始めに一番バグが多かった大聖堂図書館から取り組む事にした。
普通に行き先を選んで実行するのはバグっているので、一番大きい容量の電空を呼び出して実行する。レーダーみたいな円が出てきてくるくると回った。うーん待ち時間。ちょっと不便。
なぜか太った狸がモニターの隅をトコトコと横切って行ったけど……ローディングアニメかな? 職場の備品にカスタマイズとか———いくら主任だからってこんな事やっていいのかなぁ・・・。
# # #
ここからはスクリーンの向こうの話だ。
ノーマンがスクリーンを落とさなかったので、そのやりとりをスクリーン越しに眺めていられた。ちょうど良いので作業用環境BGM代わりにさせてもらおう。
僕はと言うと、今ようやくローディングが済んで 所々実像にノイズが混じった図書館入り口のポーチに移動できた所だ。扉に手をかけるとドアノブの所でローディング中を示す円が再びくるくる回り出す。当然扉はびくともしなかった。いらないと思っていたこだわりワンクッションも、こうして段階的にロードするのに役に立ったみたいだ。
ようやく図書館内に入れた所で、スクリーンからノーマンの声が聞こえてきた。
「さて、お次はお前さんの番だが———ラガー・デュモン隊員」
モニターを展開しつつ、スクリーンをチラ見する。
スクリーンにはアズリィルを挟んで僕の反対側に並んだポッドに、完全に寛いで暇そうにするデュモンの姿が映っていた。
ちなみに森で踏みまくって樹液で白く汚れていたブーツは、バックパックの機能でとっくに除去済みである。
「お前さん稼働時間 72時間しか無いのはどういう事?」
持ち運びもできる小さなスツールを出し『さあ始めるぞ』とモニターに触れる頃。思わぬ台詞が聞こえてきて思わず手が滑った。ビープ音が鳴る。慌てて修正。
デュモンの稼働時間 ながっ! 僕の倍じゃんか。
なのに 短いって ?
当のデュモンは別の意味で慌てていた。
「ドクターそれは機密———」
「悪いが言わせてもらう。戦闘職がこんな時間しか稼動できないようだとミイラ取りがミイラになる。現に今回、もうちょっと遠い所からの帰還だったら共倒れだっただろう」
押し黙るデュモン。その沈黙がすべてを物語っていた。
そう言えば、災害やなんかのドキュメンタリー番組で言っていた。『72時間が生死を分ける』と。国によって出動する部隊は微妙に違うみたいだけど、最後の最後で頼りになるのは戦闘職のヒトたちだ。
シリカノイドの専用装備は、例えばバリア・フィールドがそうであったように、装備者の稼働時間を喰うものだ。災害救助なら重機やら工具やら、あらゆる
ただでさえ時間との勝負な極限級の場所で、救助する側がさらに時間に追われるなんて、そんなの満足に仕事なんかできないだろう。設備や装備だって常に供給し続けられるとは限らない。
そうか。
僕もアズリィルの分を肩代わりしてあっという間に稼働限界が来てしまった。ならば確かに長い筈の72時間も『少ない』となってしまうんだろう。
「俺は その・・・」
言い淀むデュモンに眉を寄せたノーマンがモニターを何度か叩く。
するとモニターが通常の青ガラスのような半透明から、シャボン液のようなマーブル模様の
「———ああ、この経歴でその稼動時間。なるほどね」
表示された物は見えなくなったけど、僕には何となく 何が表示されているのか分かった気がした。帰り道でデュモンが話してくれた昔話———それが詳細に表示されている。きっと僕が聞けなかった事まで細かに。
「ドクターってそんな権限あるんですか」
現にデュモンが自嘲めいた表情になっている。
対するノーマンはモニターを覗いたまま事も無げに言い切った。
「あるよ。何たってこの第一次恒星エデン第四惑星探査隊、衛生班主任だからね。隊員たちの体調管理に関わる事は全部 俺の管轄事項ってワケ———ああ口外はしないから安心してくれよ」
「そこは一応 信用しますが……」
モニターから顔を上げたノーマンはが再び顔を上げてデュモンを正面から見据える。
「そんな訳だから。調査も碌に始まってないような未開惑星の任務で、こんなんじゃ仕事させらんないのよ。医者として」
医者として。
その一言が、ドクターの仕事に対する矜持を感じさせた。見た目はスーツの上にパーカーやら白衣やら着込んで着ぶくれ、後ろに撫で付けた髪があちこち撥ねて無精髭も生やすような胡散臭いヒトだけど———しっかり芯があるヒトなんだと。
・・・いや、やっぱ身なりきちんとしようよ。何か損してる気がする。
「よし!」
ノーマンが小気味良い柏手を一つ叩いた。
「稼動時間増やす。カール防衛部隊長殿には事後報告だ。報告書も作っとくから 後で持ってけよ」
「……了解ッス」
ノーマンがモニターを操作する。数回の電子音の後、デュモンのポッドを上から下へ流れる緑の1本線が、黄色の3本線へと変化した。ポッドの唸る音が少しだけ大きくなる。
そこでちょうど最初のバグがあった場所の修正が終わった。次の場所へ移動する為、再びスツールを持って移動開始。スクリーンが付いて来る。
「さて お嬢ちゃん」
僕はぐるんとスクリーンへ振り返った。ついにノーマンが、アズリィルと僕の入るポッドの間に回って来ていた。幼女に迫るドクターと、そのドクターの迫力に身動ぐアズリィルがスクリーンに映っている。向こうのスクリーンは今、アズリィルが入ったポッドの足元側にあるみたいだ。スクリーンの隅にいるデュモンもまた、その様子を横目にしているのが見える。
「勝手に消えた言い訳を聞こうかね」
僕は内心『よっしゃ』と胸元で拳を握った。
いいぞ。その無謀な天使に、存分にお灸を据えてやってくれ。
「ドクター、あまり小さい子に詰め寄るのはどうかと思いますよ」
が、それを
「いやぁ 7歳ならそろそろ自分の事もしっかり説明できないと、なぁ?」
いやいた。味方が。
いいぞ、もっとやれ。
「7歳? 総隊長は4〜5歳くらいって言ってましたが」
「うん?あいつそんな事言ってたの?」
デュモンの指摘にいっとき顔を上げたノーマンは、そこで椅子にもたれるように体を逸らし顎を撫でた。視線はアズリィルに固定されたまま。ちょっと首を傾げているようにも見える。
そこで僕はようやく思い出した。
———そういやデュモンって、昨日最初に診てもらった時は居なかったっけ。
総隊長の豪快な性格やら——— その後のあれこれやらで僕、全然気にしてなかったや……。昨日心配して
「・・・あー 確かに。———そう言われりゃあ上の子と同い歳くらいに見えなくもないかぁ」
やがてノーマンはそんな風に頷いた。総隊長とのやりとりで親しそうとは思っていたけど、そこまで面識あるのか。
あのガスパール総隊長の子供(ふたり)かぁ・・・。
うーん、想像できないなぁ。
ノーマンが新たなモニターを展開した。彼の肩越しにヒト型の図形がかろうじて見える。
「細胞から割り出したこの子の年齢は確かに7歳よ。けどこの子の身長は99cmだからまあ……確かに平均よりはそこそこ小さい子だねぇ」
『ちなみに普通はどのくらいなんですか?』
ついスクリーン越しに声をかけてしまった。シリカノイドが『生まれる』時の体格は通常12歳相当———どうもそれ以下の年齢の子がどんな感じなのか、イメージが掴めない。
「だいたい120cm前後が平均だったかねぇ?」
アズリィルが目に見えて撃沈した。今にも頭の上を天使の光輪の代わりに『がーんがーん』という擬音が回り出しそうな程に。ちょっと落ち込みすぎな気もするけど・・・ああ、大きい方が良いって価値観あったっけ。共感はできないけれども。
「ひょっとして気にしてる感じ?」
スクリーンに思いっきり近寄って来たノーマンが、まるで耳打ちするような格好で話しかけてきた。
『小さいって言ったら反撃をもらう位には』
僕が頷くとノーマンは「そっかぁ・・・」とため息交じりに離れて行った。頭の後ろで手を組んで、椅子ごとくるくる回り出す。目は閉じない方がいいと思うなぁ。見てて何かハラハラする。
「そういやぁ お姫様が喋ってるの見ないが・・・レッド、お前は?」
デュモンがぽつりと呟くように声をかけてきた。ノーマンの回転がピタリと止まる。
『あー苦手そうにしてたよ。思いっきり噛んでたと言うか……』
嘘は付いてない。だって実際、幼女形態ではまともに喋れなかった。思い出したら腹が痛い。スクリーンに映らない位置の腹をさする。
「ふむ。言語野に障害でもあるのかねぇ? ちょっとデータ取るか。もうちょっとじっとしててくれよ、嬢ちゃん」
ノーマンにそう声がけされた幼女は、未だ落ち込んでてちゃんと聞いているのかどうか怪しい。微かに頷いて見えたけど・・・あれ、無意識っぽいなぁ。
それきりしばしの間 沈黙が続いた。
スクリーンから流れてくる音も、時折ノーマンが叩くモニターの音や椅子の軋む音ばかり———まさに環境BGM(執務室バージョン)って感じだ。
僕はその間 自然と作業に集中できた。大聖堂図書館の中を移動しながら、時折スツールに腰掛けながらバグを直していく。
図書館に入った頃に目立っていた空間のノイズは、もうあまり見られなかった。時折 本棚や柱の輪郭をなぞるような銀色のラインが走る程度だ。
いくつかバグを修正した時———
「・・・どうしてもこいつと一緒に行動したいってんなら」
静寂が占めていた空間に、ノーマンが波紋を落とした。
「整備部のトコに行ってバックパックの改造を頼むのも手だねぇ」
ビ———ッ
思いっきり手を滑らせた。
何故……何故そこでそんな打開策を出してしまうんだドクターッ。
ああもう何かほらっ、幼女が期待の眼差しを向けて来てるじゃないか———くっ 断り辛いなその目。
「ははっ、目は口ほどにってか。じゃあ一緒に改造案練ってみるか?———後で整備部の工房んトコ寄ってけよ、レッド」
目をキラキラ輝かせて頷くアズリィルの前にモニターを展開させつつ、僕には有無を言わさない感じ。朗らかに笑った声すら胡散臭い。ドクターめ。
けれどここで抵抗は無意味なんだろう。
スクリーンにはノーマンに頭を撫でられているアズリィルの姿が映っている。
「りょーかいです・・・」
僕は渋々と妥協した。
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