Report.2: 幼女のお世話を任された




 明るい金色と目が合って、無性に『何か言わなければ』と言う衝動が湧き上がる。


 こういう時、何て言えばいい?

 初対面だから『はじめまして』?

 いや 目が覚めた子に掛けるならむしろ。


「おはよう?」


 まん丸だった明るいハニーイエローは、次の瞬間 鋭い鷹の目に変化した。「あれっ?」と思ったのも束の間、顎に強烈な一撃が極まる。見事なロケット頭突きだった。理不尽に痛い。


 痛みで悶えているとプラシオが僕の肩に手を置いてきてサムズアップ。いい笑顔だった。

「気に入られたな?」

「お前の目 劣化してんの?」

 顎を打たれてちょっとクラクラする。

 しかしそんな痛みの感覚はすぐに薄れていった。顔を上げればエア・モニターを叩くノーマンの姿。「まだ稼働したままだったからな、ついでだ」と肩を竦めて見せられる。ありがたい。


「可愛いお嬢さん、お名前 言えるかな?」

 僕がお礼を言っている間にマリオンが両膝をついて幼女と目線を合わせていた。幼女は何やら喋ったようだったけど、稼働音もあって僕にはよく聞き取れない。小首を傾げたマリオンが頷くのが見えただけだ。

「あず ? ———アズリィルちゃんね」

 流石マリオン。凶暴な幼女相手でも打ち解けるのが早い。

 この時、立ち上がる彼女を目で追う金色が 再びまん丸に開かれているのに、僕は気付かなかった。

「名前も判った事だし、この子の事だが」


 短い電子音が鳴って医療ポッドが止まり、ようやく解放された。

 さっさと降りて立ち上がる。ずっと同じ姿勢だったせいか 体があちこち固まっていた。背筋を伸ばしたり肩を回したりして軽く体を解していく。

「本星へ連れ帰るにしても許可が要る。帰還までしばらく時間が掛かるだろう。その間の面倒は———レッド、お前に任せる」

 思わず「えっ!?」と声を上げた。

「僕 思いっきり嫌われてるみたいなんですが!?」

 こういうのって女の子同士のマリオンの方が良さそうだけど。

 現に今だって———

「いやぁ そんな状態で言われても説得力に欠けるっていうか……」


 彼の視線の先を追いかけて ハッと自分の足元を見ると、いつの間にか僕の足に隠れるように立つ幼女。当の本人は自分に注目が集まった事にきょとんと周囲を見回した後、マリオンと僕を交互に見て———痛い!!今度は蹴られた。

 僕が足を抱えた所で幼女はマリオンの後ろに回り込み、こちらを威嚇するように睨みつけて来た。蹴る位なら最初から引っ付くなよ。


「僕 一応男なんですよ?」

「幼女相手にどうこうする気なんて無いだろ」

「? どうこうって何ですか」

「ナンデモナイ」

 カタコトで返された。何でだ。

 ノーマンが新たにモニターを立ち上げて文字がスクロールする画面に目を通し始める。

「一番の理由は、この子の発見された状況だな」

 何事も無かったかのように話を再開されてしまった。何だろう この話を逸らされた感。


「下手に他の奴のポッドに入れて両方死亡、なんて事になっちゃあ目も当てらんねぇ。偶然だったとしても、同じポッドに放り込まれて無事だったんなら、なるべく離さねぇ方がまだ安全なんだよ———うん? ……おい、数値間違ってるぞ。危ないな」

「ひえ?———・・・あっ」

 立ち上がったままのモニターを見直したラドンは、指摘された間違いを修正しようと慌ててモニターを叩く。叩く。

 連続するビープ音。

 青ざめる僕ら。

 その惨状に額に手を当て もう片方の手でモニターをタップするノーマン。ラドンの前にあるモニターが山吹色に変色してフリーズした。真ん中に黒い帯に白文字で『ERROR』と表示されていた。

 噛み締めた口の中に血の味の錯覚を覚える。


「さて レッドよ」

 事態が落ち着いてノーマンが向き直る。両手を組んで顎を乗せ、まるで机に肘をついたポーズだ。もし眼鏡があれば光りそうな感じの。

 僕は———正確には僕らは———次に続くであろう言葉が予想できた。


「多分大丈夫だと思うが・・・この後は お前は、自分の部屋のポッドで、サーバーの挙動を 確認しておけよ。流石に個人ライブラリの中身まではどうにか出来ないだろうが、多分、きっと、大丈夫な筈だと思いたいが・・・念の為な」

「りょーかいデス」


 到着から続きっぱなしの連続トラブル———憂鬱すぎる。



   * * *



「気が重い」

「まあ元気出せよ。多分大丈夫だよ きっと ……もしかしたら……奇跡的に」

「チェックなんてやらないで このまま外に出たいなぁ」


 チラッと通りかかった窓の外を見る。

 淡く紫がかった青い空と、地球にはあり得ない植物の森らしき物が見える。事前に撮られた衛生写真と同じ、予測通りの光景が広がっていた。

 パッと見えるだけでも新発見の宝の山だ。シルエットだけでもテンションが上がる———トラブルさえ無ければ。


「ダメよ。言われたでしょう? ちゃあんとチェックして」

 ピシャリと現実に引き戻され、渋々窓から目を離す。

「幸い今日1日は予定通り休憩を兼ねた各自チェックのみ。本格的な実地調査は明日からよ。時間はあるんだから しっかりね。貴方だけが使うんじゃないんだから尚更よ」

 マリオンが僕の足元に目を移す。視線を追いかければそこにはまたも僕の足元にしがみつくアズリッ———たたたた!?

 連続で叩かれた!

 地味に痛い!

 僕が面倒見るの絶対間違ってるだろこれ!

 丁度横を通り過ぎた誰かが「仲良いな」と笑って去って行く。完全に他人事扱いだ。覚えてろよっ。


 クスクスとマリオンの鈴を転がすような笑い声がする。

「多分ざっと見た感じじゃ判らないバグもあるでしょうから、協力するわ———プラシオもいいでしょ?」

「ああ〜そうだな。レッドん所の奴にも俺の手が入ってない訳じゃないし」

 ぽりぽりと頬を掻きながらプラシオが頷く。この一言でちょっと希望が見えてきた。ありがとう親友。

「じゃあ 電空内で会いましょ」

 ここでちょうど女子寮との分岐路の一つに差し掛かり、マリオンと別れた。すぐ側の下へ降りる階段では「じゃ、俺下だから」と言ったプラシオとも別れる。


 後には当然 僕とアズリィルが残される訳で。


 ふと視線を足元に落とす。

 ぼーっとマリオンが去って行った廊下を眺めていた幼女だったが、ハッと我に返ってこちらを見上げた。ナニその曇りあるまなこ

 駆け出そうとして転ぶ幼女。あぁ……。


 そういえばさっきまではマリオンが手を引いて歩いていた気がする。小さい子と歩く時はああするのか。

 でも彼女ならともかく、僕にはちょっと小さすぎて逆にこっちが転びそうだな……。


 僕は立ち上がったばかりのアズリィルを抱き上げた。

 軽い。

 小さい子って軽いんだ。

 姫抱きにした筈なのに、ほとんど片腕で抱いていられそうだ。


 だが さっきまで散々嫌がってきた相手に、幼女が大人しく抱えられている筈もなく。僕は今 叩かれるのではなく腕を張って胸を押さえられ……ってこれ見た事あるぞ———猫が嫌がる時にやる奴だ。ガチか。

 またも通り掛った誰かが「キャー可愛い」とか手を振りながら去って行く。可愛く無いこんなの。


 さらに数組すれ違った野郎供に揶揄われつつ、僕はようやく自分の部屋に戻ってきた。


 部屋に入ってアズリィルを降ろす。飛び降りるように腕から離れた幼女。既に閉まった扉の前に立つも、個室の扉や設備は あるじである僕の許可が無いと動かない。反応の無い扉に幼女が恨めしそうな顔をして———おっと。

 ふっ 残念だったな。もう無抵抗で蹴られたりしないのだ。

 攻撃を防がれた幼女は、部屋の右手にある 開いたままになった扉の方へスタスタと走って行ってしまった。


 それを見送って僕は部屋の奥の壁に近づいた。ポッドが埋め込まれたその前に立ち、モニターを宙に展開する。そうして表示された画面をスクロールしていった。

 ざっと見た感じ 個人サーバーの方は無事みたいだ。後はさっきマリオンが言っていた通り、中に入って実際にバグが出ているかどうか確かめた方が早いか。


 ちらっ

 室内をきょろきょろと見て回るアズリィルを見る———悪戯心がくすぐられるって、こういう事かな。


 僕はお気に入りかつ渾身の電空やつをセットした。これで後はポッドに入って目を閉じるだけだ。

「アズリィル」

 声を掛けたが一向にこちらを振り返る気配が無い。金太郎飴コピペ式のノーマル個室なのに、どこに興味を惹かれているんだろ。もう一度呼んでようやく幼女はこちらを向いた。


 何かあったら怖いので、アズリィルを先にポッドへ入るよう促す。 もちろん一悶着あったけど———バリアシールドが降りて観念したのか、渋々大人しくなった。

 このシールド機能、コールドスリープモードの時には さらにもう一枚———こちらは物理的なシールドが降りて、ポッド内は完全密封状態になる。まあ普段は必要無い物だから今はこのバリアシールドのみなんだけど———そうであるならば、だ。


 ぽんぽんと軽く背中を叩いてやると、金色をとろんと瞼が覆っていく。


 ———本当、アズリィルはどっから来たのかな……。


 小さな寝息を聞きながら 僕も目を閉じた。



   # # #



 目を開けると、僕らの前に真白な空間が広がっていた。

 いわゆる『初心の白スターター・ホワイト』。この何も無い空間こそが、シリカノイドが最初に触れる電空であり、慣れるための補助輪空間だ。ログアウトする度にリセットされるので、作成した物を保存セーブしたい場合は 出る前に個人ライブラリへ避難させておく必要がある。

 そして当然 そんな空間はお気に入りとは言えない訳で———


「ったくラドンの馬鹿。セット番号変わってんじゃんか」

 悪態吐きつつ利き腕を胸の高さまで掲げて軽く振り、宙空にエア・モニターを表示させる。

 ピッ


 展開したモニターに触れると、静寂が消えて今度は翠の梢の音や湧水流の音が溢れ出した。時折 鳥のさえずりさえ聞こえてくるここは、手軽に楽しめる森林浴空間ネイチャー・フィールドだ。

「違うな」

 時々 読書しには来るけど、配置したベンチ以外ここはあんまり弄っていない。当然違うのでさっさと次へ。

 ピッ


 今度は真っ暗な空間に縦横のラインが3D状に広がる空間に出た。太さも性質も異なる線で構成されたここは、まるで僕らが特撮の巨人に見える位の規模感の模擬都市を形成している。こちらは背景の黒をとって『階層の黒レイヤー・ブラック』。レイヤーによる造形技術を学ぶのに使われる空間である。


 僕は眉を寄せて宙を睨んだ。

 まだ幾つかセットがある。このまま普通に選択しても、またハズレのような気がした。こんな時は。

「各電空のサイズを表示———あった これ!」

 ピッ


 さらなる電子音の後、重厚な大扉が目の前に出現した。前後を石造りの柱や壁で仕切られた空間。モデルとなった聖堂の屋根付き玄関のデザインをそのまま残した場所だ。ようやく慣れ親しんだ空間に出て、僕はホッと息を吐いた。

 ここだけは飛び抜けて大きな容量を割いているから判りやすい。本当はこんなワンクッション空間も必要無いんだけど、こういう場所があった方が雰囲気があって好きだ。


 咳払いを一つ。

 こういう時物語で、女の子を案内するのに大げさに使われていた言葉があったぞ。


「お待たせしました。お嬢様」


 態とらしくそれらしく。

 僕は両開きの扉を思いっきり開いてみせた。


「我が自慢の電空———個人用模擬電脳空間プライベート・シュミレーターへようこそ」


 そこは壁一面、否、見える場所すべてを埋め尽くす勢いのが空間を占めていた。

 その本棚に到達する為の梯子や通路、階段さえ小さく見える広大な空間。

 そんな空間を支えるのは 何本もの重厚な石柱の数々だ。天井や梁の継ぎの部分は精巧な彫刻レリーフで彩られ、その曲面には彫刻だけでなく壁画フレスコまでも描かれている。しかし空間はそれほど暗くは無く、柔らかな光が天井近い高所の隠し窓や最奥に聳える無数の窓から降り注いでいた。


「デフォルトの大聖堂カテドラルを改装して図書館にしたんだ。軽くジャンプすると」

 そう言って軽く地面を蹴れば、ふわりと重力を離れる体の感覚。

「こうやって弱・重力状態になるから、天井まで一気に飛べる。スピード上限も規定してあるし、床や壁面の硬度も再設定してあるから、こんな着地をしても電空内で痛い目に合わ———痛い!?」


 軽く弾むつもりで尻から着陸したら一瞬で重力が帰ってきた。


「ラドンッ!」

 悪態とともにダンッと床を叩けばしっかり『痛い』。

 痛覚を感じるような衝撃は弾むよう掏り替えてあった筈なのに、何故その数値が現実リアルに戻っているのか。

「もう あいつ! 変な方向で奇跡を起こすの 本当どうなってんだよ!」

 普通 医務室からポッドにアクセスして個体調整用の数値は弄れても、その先の電空用個人サーバーに入るには部屋と同じく所有者(この場合は僕)の許可が要る。どうやってセキュリティを突破したのか。とんだファンタジスタだ。


「まずはバグ・リスト作って———修復は後だ。今日中に終わるのかコレ……」

 モニターを出してリストを作成していると、半透明のモニター越しをフワフワと浮遊していく小さな影。目の前を横切って奥の方へ飛んで ———って!?


 いやいやいやいや!

 僕は慌ててアズリィルを捕まえた。


 小さい子から一秒でも目を離すと何するか分からないって本当だったのか。


 とりあえず空中遊泳は無事らしい事は確認できた。でも今の状況でもし、現実リアルで怪我するのと同等の衝撃を受ければ後で幻痛が出る。生まれて間も無いシリカノイドがそれで電空恐怖症とかになったら生きていけない。それくらいシリカノイドと電空は切って離せない技術だ。


 僕はアズリィルを連れて中央の読書スペースへ走った。


 小さな四阿あずまやが存在する三段低くなったそこで、もう一度モニターを展開。大きめのクッションを選択して『呼び出し』を実行する。モザイク張りの床に人一人が座れるビーズクッションが出現した。僕の髪の色より若干落ち着いた赤い色の単色で———確か『蘇芳』っていう色だったかな。ちなみに僕の髪は毛先にかけて紅玉色から目の色と同じ淡い煤竹色に変色している。

 とにかく無事に呼び出されたクッションを見てホッと一息だ。

 大人が座ってもゆったりできるサイズ———小さなアズリィルなら充分だろう。


 クッションを片手でサッと整えてアズリィルを座らせれば、その体重分だけ沈み込んで居心地の良いソファーの出来上がりだ。ちょっと離れてみれば ソファーと幼女の体格差もあって、玉座に座る者にも見える。

 アズリィルもクッションを軽く叩いて具合を確かめ———ようやく気に入ってくれたようだった。


 後は適当にこの歳の子が気に入りそうな本を検索だ。どんな本がいいか分からないけど。

 絵とか多い奴かな? 図鑑とか。いや昔フリーの図書館を体験ロードした時は絵本って奴が多かったな。その次は児童書とか小説、エッセイ、伝記・・・学問系は基礎以外の専門書が有料だった。


「聖書は無いのか?」

「ああそれならそこの机に置いてある。ここは元々大聖堂だったか ら———」

 はた、と本を選ぶ手が止まった。


 今喋ったのは誰だ。


 ここには僕と、アズリィルしかいない。

 しかもアズリィルは幼女だ。

 今聞こえた声は。

「確かに」と今 尊大に呟いたのは。


 明らかにもっと年上の女性の声。


 それこそ僕やマリオン、プラシオと同じくらいの———


 恐る恐る振り返る。

 そこにアズリィルの姿は無かった。


 代わりに———幼女を座らせた全く同じ場所に———はらりはらりと優雅にページをめくる女性の姿。肘を付いて聖書をめくる紙の音が 静寂に波紋を描く。


「制限だらけで碌な身動きも出来ぬものと思っておったが、人間はまったく 面白いモノを作るものじゃ」


ゴクリと唾を飲み込む。

そんな筈がないと祈りながら、カラカラの喉から声をひねり出す。

「アズリィル さん?」

「違う!」


 パタン、と耳を突く 本を閉じた音。

 ふうっと長いため息。


「全くあの娘、妾の名を聞き違えるとは無礼千万。それもこれも波長が合わなかった影響か」

 やれやれと首を振ったその女性はおもむろに立ち上がり、ふわりと飛び上がった。


 するとその背後に 歯車の歯ような幾何学模様の描かれた萌黄色リーフ・グリーンの円環が輝きながら実体を顕し、さらにそこから二対の羽が光の粒子を振り撒きながら生え広がるように出現した。金色のショートボブの頭の向こうには、太陽の色サンシャイン・イエローの円盤が光を放つ———まるで聖書に描かれる人物たちの、頭上で輝く光輪のように。


 もちろん そんなエフェクトアイテムなんか 実装した覚えは無い。


「心して聞くが良い! 我が名はアズラエル! 主より魂の管理を仰せつかりし天の使いが一翼———死の天使アズラエルじゃ!」



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