第2話 STAMPEED

 2年前の、ちょうど今頃の時期だろうか。グランディアのダンジョンは、大きく揺れていた。

 ダンジョンとは、巨大な地下空洞である。まるで生き物のように、岩に囲まれた大洞おおあなが震える。その深奥からは、幾重もの眼光が光り、どんどんと地上を目指す。


 大量発生スタンピード。ダンジョンでは定期的に発生する、魔物の大繁殖によっておこる氾濫。アルム・サロク学院の賢者によれば、ダンジョンもほかの生き物同様、発情期のような周期があるらしいが、地上に暮らす人にとってはいい迷惑だ。


 反面、冒険者にとっては、かつてない稼ぎ時である。何せ、普段はお目にかかれないダンジョンの魔物ども。討伐時の素材も、貴重なものが多い。そんなのが勝手にあふれ出てくるのだから、この時期になると冒険者たちは、こぞってダンジョンに向かうのだ。


 だが、この時グランディアの冒険者たちは、誰一人ダンジョンに向かうことはなかった。


 理由は単純。――――――、死にたくなかったのである。


 グランディアの街とダンジョンを挟む荒野の一郭。そこに、一組の男女が立っていた。

 一人は、通常の人間の数倍もあろう大男。同じく、人よりもはるかに大きな戦鎚を携えた、異様なまでのプレシャーを放つ男。


 一方の女は身長こそ普通なものの、放つプレッシャーは男に引けを取らない。全身黒の様相に、目立つは鋭い眼光と、肩で支えた漆黒の鉄パイプ。


「――――――逃げずに来たな。バカ娘」

「そっちこそ。クソオヤジ」


 互いに減らない口を叩き合い、じりじりとプレッシャーがぶつかり出す。


 遠くで、魔物たちの大進撃が始まった。目指すは冒険者たちのいる街。暴れたい本能のままに、異形たちは狂乱めいた行進を始める。


 ――――――だが。


「――――――どんな目に遭っても公開するなよ?」

「こっちのセリフだわ、ハゲ」


 男の、剥き出しのハゲた額に、青筋が浮かぶ。


「――――――――――――クソガキがぁぁああああぁぁあああああああああ!!」

「死ねオラぁぁあぁぁあああぁぁぁぁああぁっっっっ!!!」


 戦鎚と鉄パイプが、ほぼ同時にぶつかり合った、その瞬間。


 荒野周辺に、岩が丸ごと吹き飛ぶ衝撃波が巻き起こった。


 ギルドマスター・ガルバニスと、その娘、アドレーヌ。


 2人の喧嘩の始まりは、大量発生した魔物の3割を消し飛ばしてしまった。


********


「おおおおおおおおおおおおおお“おおおおおお”おお!!!」

「うあああああ“ああああああああ”あああああ“!!」


 互いの激突は、想定以上の鍔迫り合いとなっていた。普通ならば、アドレーヌの華奢きゃしゃな身体など、一瞬でぺしゃんこになりそうなものだが。


 全身の血管を走らせ、犬歯を剝き出しにするアドレーヌの思わぬ膂力に、父は思わぬ動揺を見せる。


(……コイツ……!) 


 だが、所詮は小娘。片手の戦鎚に、この程度では、自分を倒すなど片腹痛い。

 ――――――そんなことは、アドレーヌだってわかっている。この筋肉ダルマに、正面から力押しすることが間違いだ。


 ならば。


 アドレーヌは鉄パイプを滑らせると、ひらりとガルバニスの腕の上に舞い上がった。抑え手のいなくなった戦鎚は、地面を容赦なく叩き割る。岩盤は悲鳴を上げて、大きな亀裂を作った。


「……ちょこまかと!」


 巨体とは思えぬ早さで、ガルバニスは反対の手を伸ばす。アドは宙返りしながら、鉄パイプでその指を叩いた。骨とは思えぬ硬度に痺れつつ、打った勢いでさらに上に舞い上がる。


「――――――おらあああああああああ“っ!!」


 宙返りしながらの、鉄パイプの振り下ろし。勢いと膂力を全て込めた、渾身の一撃。それを、ガルバニスの剥き出しの額に叩きつける。


 戦鎚とぶつかり合った時と同等の衝撃破が、荒野にほとばしった。岩が砕け、迫る魔物たちを巻き添えにしながら粉みじんにしていく。


 アドの体が、不意に掴まれた。ガルバニスの、大きな大きな手である。


「がっ!」

「……いてぇな、このガキ……!!」


 額から血を垂らし、ガルバニスはぎろりとアドを睨む。


「うううううおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉお!!」

「うわあああああああああああああああああああ!?」


 ガルバニスは、街の反対側へ、大きく振りかぶると。


「―――――――らああああああああああああああああああああああああっ!!」


 アドを、魔物たちの方向へ、思い切り投げ飛ばした。


********


 亜音速で飛んできた物体に、魔物たちは反応できなかった。おまけに、吹っ飛びながら、向こうも身体をくるくると回し、姿勢制御をおこなっている。


 ダンジョンから出てきた大悪魔グレイター・デーモンの頭蓋を粉砕しながら、アドは勢いを殺して止まった。


「――――――やべっ」

「おおおおおおおおおおおお“ああああああああ”あああああ!!」


 その瞬間には、投げ飛ばされた自分以上のスピードで、ガルバニスがハンマーを構えながら迫ってくる。とっさに、横っ跳びに跳ねた。


 大悪魔を含む、大量の魔物たちの中心で、戦鎚の衝撃が炸裂する。

 周囲の魔物は、さながら蒸発のように吹き飛んでいった。


********


「……あー、い”ってぇな。クソオヤジが」


 魔物の残骸を蹴り飛ばしながら、アドレーヌはよろよろと立ち上がる。一方のガルバニスは、爆心地で涼しい顔をしていた。


「……生きてたか、アド」

「テメーに名前、呼ばれたかねぇんだよ」


 再び、互いに閉口して睨み合う。そして、互いに獲物を構えた。


「……アタシはアンタの手は借りない。自分の力で生きていく」

「――――――ほざくじゃねえか、所詮は居候が」


 そして、再び両者は獲物を振りかぶる。


 地上で生きている魔物など、もういなかった。

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