第4話 工面せよ、ドーナツ!!
ドーナツの差し入れをしてから、数日たったころ。エリーシャがいつも通り着替えて朝礼前の準備をしていると。
「――――――エリーシャさん、ちょっと、いいかしら?」
「……? アーネットさん?」
「ギルドマスターが、お呼びです」
「……え!?」
鳥肌が、エリーシャの全身に立った。あのギルドマスターが、一体自分に何の用なのか。何か、彼の怒りに触れる行為など、しただろう、か……?
(……まさ、か……)
思い当たることが、ないことはない。むしろ受付嬢たるもの、マスターにバレたくない秘密の1つや2つあるものだ。
アーネットに連れられ、エリーシャはギルドの上階へと上がる。
ギルドマスターの執務室は、巨大な扉で隔てられていた。受付嬢の間では、「地獄の門」と呼ばれていたりする。
扉をアーネットがノックすると、音を立てて扉が開いた。内開きの扉が開き、部屋の中にいる巨大な人影から、鋭い眼光が迸る。
「……おう。来たか。エリーシャ」
「……っ!!」
比喩ではなく、巨大な体躯。傍らに置かれた、エリーシャの身長より倍も大きい戦鎚。隆起した筋肉に、申し訳程度のギルドの紋章付きのマントを羽織っている、屈強な男。
ダンジョン都市グランディアの冒険者ギルドマスター・ガルバニスだ。
非常にデカく、そして怖いため、ギルドの仕事場に出てくることはほとんどない。だが、デカいので街を歩いたりすると、異様に目立つ。エリーシャが彼に会うのは、ギルドの面接で会った時以来だ。
「……お、お疲れ様です……」
「……お前、なんで自分が呼ばれたか、わかるか?」
ぎろりと、ガルバニスの眼光が飛ぶ。それだけで、エリーシャの全身は押しつぶされそうなプレッシャーに襲われた。
彼女の中で、今までに仕事でやってきたことがフラッシュバックする。いったい、何をもって呼び出されたのか。自分もシェリアのように、裸でギルド前に晒されるのだろうか。それとも、殺されるのか。嫌な予感ばかりが脳裏をよぎる。
「……あ、あう……!」
「――――――マスター。意地悪が過ぎますよ」
「あん? ……そうか、グハハ、こんな感じでしかコイツらに会わんから、癖になってたわ」
アーネットの諫める言葉に、ガルバニスは笑う。その瞬間、エリーシャの全身を覆っていたプレッシャーが、幾分か軽くなった。
「何、今回はお咎めとかじゃねえ。ちょっと、頼みがあってな」
「……頼み、ですか?」
「お前こないだ、菓子を配ってたろう。……アレ、まだあるか?」
「え?」
予想外の言葉に、エリーシャは首をかしげた。
「今度王都に行くからな。総長への手土産に、ちょうどいい」
彼が言っているのは、王国内の冒険者ギルドすべてを取り仕切っているギルド総長だ。定期的にガルバニスは、王都に赴いて定時報告をしている。
「で、あるか?」
「な、ないです……。みんなでもう食べちゃって……」
「あ”ん”!?」
エリーシャの発言に、ガルバニスの機嫌が悪くなる。それだけで部屋の重力が増すのだから、勘弁してほしい。
「も、もらってきます! すぐもらってきますからぁ!!」
「……よし。今日中に頼むわ。明日の朝には出るからな」
ガルバニスの部屋を出たエリーシャは、今までロクに吸えなかった空気を、思いっきり吸い込む。
「ぶはぁああああぁああ……! 怖かった……」
「お疲れ様。ごめんなさいね、こんな用件で」
知っていたのであろうアーネットは、いたずらっぽく笑う。
「もう、先に言ってくださいよ! 何のことで怒られるかと思ったじゃないですかぁ!」
「マスター、あのドーナツを気に入ると思ってね。思った通りだったわ」
じゃあ、アーネットがあの時たくさんドーナツを持っていったのは、ドーナツをマスターに差し入れるためだったのか。
「で、どうするの? ドーナツ」
「あ、そうだ! 今日まででしたっけ!」
今からリング村に行って、ドーナツを作ってもらって……? ぎりぎり、間に合うか。
いずれにせよ、時間がない。
「アーネットさん、ごめんなさいちょっと行ってきます!」
「ええ、気を付けてね」
ギルドを走り去るエリーシャの表情に、アーネットは思わず笑ってしまう。
(……いい顔しているじゃないの)
********
「……え、ドーナツ?」
息絶え絶えでやってきたエリーシャに、ルイの母はぽかんとしていた。
「ど、どうしても欲しいっていう人がいて……の、残ってませんか?」
「それは嬉しいけど……ごめんなさいね。作り置きは、今ないのよ」
「そんなぁ!?」
今から作ってもらう、さすがにそんな時間はない。いったい、どうすれば……。
「……あの、良かったら。レシピあげましょうか?」
「え?」
「自分で作ればいいのよ。普通のキッチンがあればできるから。私はもう、レシピなくても作れるしね」
「……いいんですか?」
「あのドーナツ、ルイの好物だったのよ。ほかの人も食べてくれたら、私も嬉しいわ」
「……あ、ありがとうございます!!」
ルイの母にレシピ本をもらい、慌ててグランディアへと引き返す。どたばたと冒険者ギルドに駆け込むと、軽食の食堂スペースへと飛び込んだ。
「ちょ、ちょっと今から、厨房貸して! 緊急よ!」
「ええっ!?」
当然、厨房にいる調理師は面食らう。だが、エリーシャは最強の呪文を唱えた。
「――――――ギルドマスター案件!!」
「「「「……なんだって!!??」」」」
その言葉で、調理者は慌てて厨房を空ける。エリーシャはレシピ本を開くと、片っ端から材料を用意し始める。
「――――――うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
鬼気迫る勢いで、受付嬢はドーナツを作り始めた――――――。
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