第5話 「呪(のろ)い」と「呪(まじな)い」
「年甲斐にもなく……いや、年取ったからだな、あの子にあんな意地悪をしたのは」
酒をあおりながら、レグレットはつぶやく。
ここは街の酒場。女の子が酌をして、おしゃべりできるだけの、ただの酒場である。そして、酌してくれているのは、あのミーティアちゃんだった。
「でも、正解でしょ? こんな街にいたら、どんな不幸に遭うかわからないもの」
「まあな」
もうこの女にセンサーが反応することはない。何より、薬で股間が痛すぎて、センサーどころではなかった。あの藪医者め。
「親と喧嘩なんてな、思いっきりすればいい。できなくなってからじゃ、遅いからな」
「あら。レグレットさんは、心当たりがあるの?」
「……ああ」
遠い昔の、家族との記憶。今でも夢に見る。
グランディア勤務になる前、王都の憲兵として働いていた、若いころの自分。
突如グランディア勤務が決定し、絶望した。
なにしろ、悪党が集うと有名な街だ。家族など連れていけば、人質にされる危険がある。守り切れるかと言われると、そんな自信はない。
愛する妻と6歳になる娘、それか憲兵としての職務か。自分は悩みに悩んだ。
結果、妻と子、さらには実家すら捨てて、憲兵の道を選んだのである。
それがどうだ。10年ですっかりこの街の悪に染まり、こうして汚職憲兵としての道をまっしぐらに進んでいる――――――。
(……
喧嘩などいくらでもしていいから、父と母、そして子は、一緒にいるべきなのだ。
今頃、彼女と同い年くらいになっているであろう娘。ほかの男が父親になっていれば、どれだけよいか。こんな最低な父のことなど、忘れていてほしい、とさえ思うこともある。
だが、どういうわけか、あの子はこんな自分を忘れることはなかった。
*******
「……レグレットさん、また、お手紙届いていますよ」
「うん? ああ……」
青い封筒を見るたび、レグレットの胸がチクリと痛む。見なければよいのに、見ずにはいられない。そんな不思議な引力が、この手紙にはあった。
それは、娘から定期的に送られてくる手紙だ。母のこと、最近の事、学校で覚えたことなどを、昔から欠かさずに送ってきてくれる。
父の事を、別れてからもずっと思ってくれている、と言えば、よい娘かもしれない。だが、グランディアで汚職憲兵と呼ばれるレグレットにとっては、もはや「
特に彼の胸を貫くのは、最後の一言だ。
『私も、父さんのように、立派な人間になりたいです。――――――』
(やめてくれ! 頼むから!)
良心をえぐるような、純粋な娘の信頼が、レグレットの心をひどく蝕んでいる。
だが、それは同時に、潤いでもあった。
汚職憲兵となった彼には、とてもではないが言えない「正義」という言葉。
娘の手紙が、レグレットという男に、その言葉を楔として、胸に打ち込み続けている。
彼女が信じている、純粋な「立派な人間」であるために。
彼は汚職憲兵という「悪」の鎧を脱ぎ捨てて、戦うことができるのだ。
――――――己の胸をちくりと痛める、「正義」のために。
********
「……あなた、また手紙書いているの?」
「うん」
グランディアから遠く離れた町、王都にて、一人の少女が黙々と机に向かっている。したためているのは、1枚の手紙だった。
「あなたも飽きないわねえ。10年も、向こうは連絡すらよこさないのに」
呆れる女性の中で、愛した夫が背を向けて去っていく悲しみはだいぶ風化されていた。
「あのグランディアでずっと働いているのよ? ……きっと、悪い遊びでも覚えちゃったんだわ」
女性の聞いた噂では、グランディアの憲兵は悪いことをまずは覚えなくてはならない。毒を以て毒を制す、悪を知らねば悪を倒せない。だが、そのうちに自分も悪に染まってしまうのだとか。
「……そうかもね。パパ、真面目だったもんね」
手紙を書く少女の手が、一瞬止まる。だが、すぐに再び書き出した。
幼いころの、厳しくも優しかった父親の、ごつごつした手をつないで一緒に歩いていた感覚を、彼女はいまだに忘れていない。
「だからね、パパが忘れないようにしてるんだ。パパは正義の憲兵なんだぞ、悪者なんかになるなよー、って」
そう、これは「お
夕食のために部屋を出て行った少女の机の上には、青い封筒に結ばれたリボンが、夜のそよ風に揺れていた。
<第2章 汚職憲兵レグレット 完>
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