琴座のαとマーメイド・その3

 立方体にもたれかかるアシタバは、金属光沢を帯びた中世風の鎧を着込んでおり、胸甲には三条の掻き傷がある。

「このところゲーム空間の設定がファンタジー系に移行されることが多くて」と言う。「こちらとしては飛び道具の方が有り難いのに」

 こうして鎧を着込んでいるアシタバだが、そのアシタバ自身も外装である。几帳面に毎度、自分自身をメンテナンスし、いちいち装備を調える。プレイヤーの多くはプレイグラウンドに合わせて自分の姿を切り替える。アシタバのように特定の外装を自分自身として使い続けて、装備の方を変更するスタイルはかなり古風なものに分類される。外装の上にさらに鎧という外装を着るよりも、鎧自体を外装としてしまった方がなにかと手軽であるのは間違いない。仮想空間でのできごとだから、鎧の強度は分子構造ではなく設定で決まるし、整備の手間も大いに省ける。キャンペーンで配布されるオールインワンの外装も豊富であって、コレクターズアイテム的な外装にも事欠かない。

「外装っていうのは自分の体そのものだ」というのがアシタバの信条である。「使いやすいようにチューンして、バグ出しして、ようやく思ったとおりに動くようになってくる。腕や脚の長さをはやりで変えるなんて信じられない」とストイックなところをみせる。

 一見、初期外装に見えるので、大人数が集まる場では、同じ顔をいくつもみかけることになる。それでもただそこに立っているだけで、アシタバはアシタバだとわかる。風格とも威厳とも違う何かで、アシタバらしさであるとは言える。

 細かな工夫や調整は、見かけではなく、外装の内部やソフトウェアに入っている。

 アシタバは物惜しみしない性格であり、自らのスペックを詳細に公開している。トップ四桁オーダーに入るプレイヤーの情報を求める者の数は多く、そのままコピーして使うものもいるのだが、アシタバ以上の戦績を上げることのできた者はまだいない。まともに動かすことさえ難しい。

「コピーするなら」とアシタバは自分の頭を指さしてみせる。「思考も一緒にコピーしなきゃ」

 つまり、アシタバの体の動きはアシタバの思考に合わせてチューンされていて、思考様式が一般とは少し異なる。当人の言では、足を前に出そうとして、足を前に出しているわけではない。足を前に出すときに、足を出そうと意図するなど余分なことだ、となる。

 好一としては、

「剣豪か」

 という感想を抱くに留まるが、感覚としては一応わかるところもある。荒森を奥に進むと、抽象度がどんどん上がり、物質がそのままでは生存できない、情報の世界に移行する。その手前では体の操作感が変化してくる。

 ハンドルを切るという操作は、そこにハンドル然としたハンドルと腕があるからできるのであり、直線二本で円を回すにはまた別のコツが必要となる。腕力で、双曲線のグラフをエックス方向に移動させることはできない。抽象度が高まると、因果関係がどんどん透き通っていくというのが好一の感覚である。気まぐれな動きが難しくなり、普段意識している以上に、事前の気組みが重要となる。

 仮想空間における移動とはつまり、その場の法則に従った運動であり軌道なわけなので、意思が介在できる余地はどんどん狭まっていく。落下する木の実が何を思ったところで落下の軌道は曲がらない。荒森の奥では、牛を球体と仮定して構わなかったし、英雄は立方体の抜け殻でありえた。

 そういう意味では、アシタバの言うこともわかるのである。剣で誰かを切ろうとするとき、剣を抜いてから考えるのでは遅い。剣を抜くはるか以前から、その剣で相手を斬るという運命を手元に引き寄せ、その瞬間のために自分を研ぎ澄ましておく必要がある。

「そういうことだろ」と好一は訊き、

「人を勝手に人斬りにするな」とアシタバは言う。


 二人の趣味は荒森のマッピングであり、労多くして実りの少ない趣味である。なんといっても荒森内の地形の移り変わりははやい。数日から数週間で地形が一変することも珍しくなく、そのくせダレカノ社や廃公園のように、何十年と同じままの地点もある。廃公園はその安定性を買われて何度か造成の手が入ったものの、廃公園として再生するという頑なさを備えていた。

 変化にはパターンがあり、パターンがないというパターンがあり、パターンをつきとめたと思ったところで変化するというパターンがあった。遊ばれているように感じることもしばしばなのだが、荒森はそもそも人間を相手になどはしていないと感じることの方がよっぽど多い。

 マッピングの間には、様々な物品も手に入る。特殊な物性を備えた新素材とか、高度に暗号化されているらしい情報だとか、人間にはパース不能な記号列など。金に替えられるものもあり、こちらに危害を加えてくるものもある。アシタバは一人のときには積極的な採取、採掘活動を行っているらしいのだが、好一と二人のときはただ散策するだけであり、むしろ道を外れようとする好一の手をとり引き戻す役だ。

「君は、ひどくあぶなっかしい」とアシタバ。

 実仮想空間内での負傷は、好一の側にリスクが高い。アシタバは外装であり、外装はデータとの互換が前提に作られていて、データが多少損傷しても、バックアップと全く同じ形で修復することが可能だし、損傷の場所も一瞬で特定可能だ。

 好一の側はそうはいかない。好一のどこかが傷ついたとして、場所を特定できるかどうかは不明だ。たとえば心の傷であるとか。好一は森の奥に踏み込むたびに、ゆっくりと粗視化されていく。体から微細な情報が飛び去り、大雑把な構造体に変化していく。からっぽの箱の集まりに変化していき、そのまま進めばただの変数の集まりにまで還元される。元きた道を再びたどり、現実世界側へ移動していくと、飛び去ったはずの細部がまた空き箱に宿り直して、物質としての充実と気まぐれが取り戻される。

 取り戻されるという保証はない。

「だからそのへんのものに触るなって」

 とアシタバはなにかと口うるさい。保護者をもって任じているらしい。奥へ進むときは一緒と約束もさせられている。

 好一には、ずっと探しているものがある。

 その何かを見出す前に、アシタバに発見されたことがある。

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