琴座のαとマーメイド・その2

 というのが、アシタバと城戸好一の馴れ初めである。

 現在、ふたりはつきあっている。

 つきあいはじめたのはいつの時点かという事実認定については食い違いがある。


 好一は仮想空間向きではなく、アシタバは実空間へは出てくることができないので、逢瀬は自然、実仮想空間内、荒森の中間領域でということになる。

 ダレカノ社か、廃公園の英雄像あたりで落ち合う。互いの連絡先は知らず、日時を約束するわけでもなくて、気が向けば行く。相手がいることもあり、いないこともある。いないことの方が断然多い。

 ダレカノ社とは、ダレカノ様なる神性を祀る社で、荒森の中間領域に鎮座している。見かけとしては古い社で、いつからあるのかよくわからない。様式は古く見えるが、専門家に言わせると「色んな時代の継ぎ接ぎです」ということになり、時代を特定する役には立たないらしい。様々な様式をとりまぜて新しく建てられたものかもしれないし、色々修理するうちにそうなったということかもしれない。当座のところ、こぢんまりとした建物である。少なくとも大浸透の時期には存在した。その頃に生えたという説もある。

 このあたりから森の外縁側へ向かうと、だらだら坂と鳴瀬川の形成する境界に達し、奥へ進むと仮想空間とつなぎ目なしに接続する。荒森は現実の森であると同時に仮想空間を形成しており、全体として実仮想空間をなしていて、幽冥の境はぼんやりしている。

 そのあたりの感覚は理屈よりも体験した方がはやい。

 荒森は昔、粗森といった。

 奥へ進むとあらゆるものが粗視化され、情報化されていく。視覚的には立方体の積み重ねになったりする。現実世界から進んでいくと、鳥肌が立つようにして体中にポリゴンの角が立ってくる。鳥肌は表面だけではなくて中身にも及ぶ。多くの者はこのあたりで引き返す。ダレカノ社は多くの者の侵入限界領域に位置する。


 ダレカノ社にはファイルが一つおいてあり、物質的なファイルでもあり、情報的なファイルでもある。

 いつ頃からか、縁結びの効用があるということにされた。

 なにかその気のある者は、こっそりと社にやってきて、ファイルに願いを暗号で記す。そのまま後ろを振り返らずに元来た道を、同じ歩数で戻るべしというのだが、他の伝承が混じってしまった気配がある。その間、他人に姿を見られてはいけないともいう。桃を持参した方が良いらしい。

 内容によらず、その暗号がダレカノ様の気に入れば願いは叶う。ダレカノ様が退屈するので平文で書いてはいけないらしい。そのため、縁を切りたい場合には、平文でそのまま書き込むというハックも生まれた。

 好一とアシタバの連絡手段はほぼこのファイルを利用したものに限定される。

 用事があれば、とりきめておいた暗号でその旨を記す。現代暗号理論などは利用せず、共通の本を決めた。何ページの何行目の何番目の単語、という指定を並べて文章をつくる。単純な方法ながら、もとの本がわからない限り、解読は絶望的であるといってよい。この頃は紙の本を持つ者などもめっきり少なくなっていて。何ページの何行何番目という発想がほぼなくなった。

 現実空間側から社まで訪れる者はそう多くもないが、仮想空間側からは一種の観光地とみなされており、ファイルへの一日のアクセスは万のオーダーになる。記される願いのほとんどは単純な換字暗号で、伝承が正しいならば、実現の可能性は低い。

 好一は渦巻く縁結びの願いの中から、

「英雄像で」

 という手短な暗号文を解読する。解読が可能であるのは、同じ本を暗号表として利用する者だけなので、書き手はアシタバで間違いなかったが、これだけ短い文章では暗号化する意味はほとんどなかった。文面はあくまでそっけなく、日時を示すものもなかったが、前後を埋める人々の書き込みからみるに、アシタバの書き込みはそう以前のものではなさそうだった。


 荒森が無限の広さを持つことは、誰もがみんな認めている。

 問題はどの程度の無限なのかということなのだが「想像よりかなり大きい」というより以上の統一見解はない。人間が利用できているのはそのほんのうすい周縁部である。その内部に巨大企業群による演算プレイグラウンドであるゲーム空間が設けられ、他の場所には荒野が広がり、虚空が口を開け、かつて存在した森の残骸がある。取り込まれた何かの記憶が増殖している領域があり、悪夢としか形容できないエリアがある。何箇所かは外装を利用して訪れる観光地として整備され、調査、研究のための保護区とされている地域も多い。

 荒森の中には、固有の動物や昆虫の姿があり、細菌がいてウイルスがいる。植生も独自の変化を継続中で、現実世界由来のものと、仮想空間由来のものが入り交じっている。幸い、現実世界まで出てこられるものは皆無とされる。


 「廃公園」は観光地のひとつなのだが、こちらはダレカノ社ほどの人気がなく、ひっそりしている。もともと公園として作られたものではないのに、さびれた公園に見えるということで有名になった。中間領域のあれやこれやが作用して、改札型のゲートがひと連なりに、周囲をぐるりと取り巻いている。アミューズメントパークの入り口のようにも見えるが、中は石畳が無表情に敷き詰められて、中央にただ、人の背の高さほどの彫像があるだけである。

 彫像は相互に陥入する大小二つの立方体からできていて、ただそれだけだ。大きな方から小さな方が生えてくるところのようにも、大きな方が小さな方を捕食しているところのようにも見える。この彫像が英雄像と呼ばれる理由は伝わらない。

 アシタバに言わせると、

「本当にただの立方体だ」

 ということで、データの指定としては、互いの辺の長さの比率と、陥入の角度があるだけらしい。マテリアルや光源などの情報はすっかり消えてしまっている。相互の大きさの比率は決まっているが、絶対的な大きさの指定さえ、時の流れに失われている。もはや何かの情報を担えるような代物ではなく、情報の入れ物としてはとうに役目を終えてしまった。

「でもさ」と好一は手のひらを小さい方の立方体に押しつけて言う。「こいつらは寄り添ってるみたいにやっぱり見えるよ」

「それは別に否定しない」

 とこたえるアシタバは、大きな方の立方体に背中を預けて周辺地図を広げている。

 このあたりでは、好一の手のひらは数千個オーダーのメッシュに粗視化されて分割されて、アシタバと好一の素材としての差異はほとんどなくなる。どちらが実空間から、どちらが仮想空間からやってきたかは弁別しがたい。どちらもただの、誰かに操られる外装に見える。

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