ロッキング・ユー・その2

 情報部、というのはその名の通り、情報を扱う部活であって、現在は放課後の理科実験室に間借りしている。スパイ活動などはしていない。

 しているという噂もある。

 情報全般を対象とするが、主には荒森関連の事象を扱う。生徒たちからはなんとなく「情報技術が得意な人たち」くらいに捉えられている。携帯端末の調子が悪いときの持ち込み先として使われたりする。

「というわけなわけ」

 モミジを引っ張ってきた楓が、その背中へ向けてこれまでのあらすじを締めくくったところでようやく、情報部部長、氷野三月はラップトップから顔を上げた。

 三月はそのまままっすぐ、正面の黒板へ向けて口を開いた。

「うちは別に探偵事務所ではないわけですが……」

 と、虚空へ向けて呟いている。

 放課後の理科実験室にはラップトップを前にした氷野三月と、その後ろに離れて仁王立ちする楓とモミジがいるだけである。三月はたいていいつも理科実験室にいるのだが、理由は単に「涼しいから」ということらしい。そういえば他の部員は見たことがない。

「大丈夫なわけ?」と、モミジが小声で訊ね、

「わりと大丈夫」と楓が請け合う。

 その間も三月は二人に背中を向けたままである。

「専門は、ナノセンサです」と三月が言うのは、モミジへ向けた自己紹介であるらしい。「楓さんとは、とあるトラブルに巻き込まれて、そこから抜け出すためにトラブルに巻き込んでしまったっていう縁です」

 言いつつ、右肩越しに指先を振ってみせる。

「例の『緑の切り株事件』でさ」と楓は言うが、モミジの方に聞き覚えはない。

 モミジの差し出す封筒を三月が受け取る。ことの発端となった封筒の表と裏を確認し、中の手紙を取り出し、蛍光灯にかざしてためつすがめつする。手紙の側面に指をすべらせ、人さし指と親指をこすってみつめた。

「ふつうの手紙ですね」とあくまでふつうなことを言う。「ありきたりな茶封筒に、ありきたりなコピー用紙。文面は明朝体系の書体でプリンタ出力。紙に模様が漉き込んであるわけでもないし、暗号を仕込んだ感じの文面でもない」

「手がかりはない?」と楓。

「ないですね」と三月。「──これが、機能的には、あれみたいに働いた、と」と三月は気のない様子でまた肩越しに、モミジに手紙を返しつつ言う。「ランサムウェア」

「え」

 というのが楓とモミジの返答である。


 ランサムウェアというのはあれで、暗号技術の利用法の一種であって、「暗号技術によって人質をとる」ソフトウェアの総称である。そこになにかのデジタルデータがあったとして、それを暗号化したとする。暗号化されたわけだからそのデータは「他の人には読み取れない」し「暗号化した者にしか解読方法はわからない」。理想的な暗号ならばそういうことになっている。そこで「他人のデータを勝手に暗号化し」、「元に戻して欲しければ身代金を払え」という商売が生まれた。

「まあだから」と解説を施す三月。「この手紙の差し出し主は、何らかの方法で木下さんの記憶の特定の部分を思い出せないように封じたわけですよ。思い出せないというか、暗号化して読み出し直せないように加工した」

「なにそれ危ない」とモミジ。

「……その手紙がきっかけ?」という楓の問いに三月の頭がわずかに右へ傾く。

「今のお話だけからでは、それ以上は筋のつけようがないので」

「……わたしやあなたがその手紙を読んでも、別になんともない理由は?」と楓。

「さてそれは」と三月は傾きを戻し、「手紙の機能が特定の記憶だけを消去するものだったのかもしれないし、木下さんだけに効果を持つように特化されていたとか、手紙は単に別の仕組みが発動するためのトリガーだったとか」

 いくらでも考えようはありますが、と三月。

「ともかくもこれがランサムウェアだったなら、身代金の要求があるはずです」と三月。

「まだない」とモミジ。「いや、大事なのはそこじゃなくて!」

「そうだよ」と楓も追いかける。「そんな、他人の記憶を好きにロックできる手紙なんて大問題じゃない!? ただの手紙でそんな、人の気持ちを封じたりとか動かしたりとか……いや、それはまあ、熱烈な恋文とかなら……あり……うる?」

「こいぶみ」と三月。

「ラブレターでもいいけどさ。そういうことじゃなくて、別に名文でもなかったでしょ、あの手紙! それでどうにかなっちゃうモミジってどれだけ単純なのかって話じゃない!?」

「他人にはなんでもない文章でも、誰かにとっては特別なものかもしれないし、草原を見て涙する人もいれば、青空に胸の張り裂ける人もいて、うまさなんてわからなくても情感に訴えかける歌もあるし、通人にしかわからない絵だってあります。そのあたりは主に木下さんの文学的感受性の問題になります」

「別に感動なんてしてない」とモミジが手をひらひらと振る。「意味ないっていうか、漠然としてるっていうか。いや、だから、そうじゃなくてさ!」

 と一歩前に出たモミジを押しのけ、楓が三月の肩を後ろから両手でつかむ。

「とにかく、モミジの記憶が書き換えられたっていうなら!」と椅子に座る三月をガクガク揺らす。「それってセキュリティホールなわけでしょ!? アップデートとかパッチとか」

「いえ」と無抵抗に揺さぶられながらも三月の口調は変わらない。「ランサムウェアっていうのはあくまでたとえで、任意の人間の好きな記憶を消すことができる手紙なんてものは、現代のセキュリティ技術的にはありえません。インジケータは平気なわけでしょ」

 モミジが誇らしげに青色表示の携帯端末を掲げてみせるが、二人はそちらに振り返らない。無視されたかっこうになったモミジが、実験室の机に大きく音を立てて右手をつく。

「いや、だからそうじゃなくて!」

 二人の視線がようやく自分に向けられたことを確認してからモミジは言う。

「一番大事なのは、わたしが好きだったのが誰だったかじゃない?」

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