ロッキング・ユー

ロッキング・ユー・その1

 奇妙な「手紙」ではあった。

 時候の挨拶にはじまり、とりとめもない時事に雑感が続き、それではお邪魔しましたという挨拶でおわる。かしこ。

 手紙自体は放課後ひっそり、下駄箱の上の段に置かれていた。縦長の茶封筒に宛先はなく、フラップも折り返されないままだった。端からは三つ折りにされたA4の用紙が、ほんのお知らせという風情で顔を出していた。切手もなければ消印もない。

「変なの」というのがモミジの感想であり、一瞥ののち鞄に放り込んでそのままとした。

 でもなにかしら読む前と、周囲の空気が変わったような気配があった。肩からなにかが下りた気がして、胃もたれもどこかへ消えていた。こころなし、陽射しさえもが明るく見えた。モミジは自身の変化をそう捉えた。


 どうやらそれは思い込みではなかったらしい。

 次の朝顔を合わせた楓が開口一番、

「あれ、今日は元気そうじゃん」と告げたからである。「顔色もいい」

 モミジと楓は一緒に登校する仲である。校門のところで別れ、学校の敷地内ではあまり顔を合わせない。クラスも違い、属する集団も異なっている。一緒に帰ったりもしない。ただなんとなく小さな頃からのなりゆきとして、楓が朝迎えにくるという習慣だけが今に残った。

「この頃どんどんひどくなってたもんね」と学校への坂道を歩きながら楓が言う。「頬はこけるし、髪は痛むし、足も遅くなるし」

 寝ぼけ頭のままのモミジは髪に手櫛を入れながら、

「足は前から遅い」

「そんなことないよ。ふつうに歩くのだって遅くなってたよ。いつもより余分に遅刻してたじゃん」

 そんなことがあったのかとモミジは思う。確かにどこか体は軽く、気がつくと荒森を左手にしていつのまにか楓の前を歩いていた。

「ってことはやっぱり」と楓。「やっと解決したんだね」

「なにが」とモミジが言い終えると同時に楓がすっと横に並んで、右肩を左肩に押しつけてくる。「どうなったのさ」と額に額をくっつけてくる。

「だからなにが」とモミジは問う。

「はいはいはいはい」と大げさに頭を振りながら楓はモミジから離れ、薄く四角い鞄を大げさに振ると左肩ごしにはね上げ、背負う。

「めんどうくさい駆け引きとかなし!」と宣言する。

「だからさ」とモミジの方には全く心当たりがないのであって、友人の振る舞い全てが腑に落ちない。

「そりゃまあこちらは、王様の耳はロバの耳とか吹き込まれるだけの路傍の葦みたいなものですけどね」と楓はすいすい踊るようにして先をいく。ピタリと止まるとクルリと音を立てるように振り返り、モミジをズバリと指さしてみせた。「どうなったかくらい教えてくれていいじゃないのさ」

「だからなにが」とモミジの声に苛立ちと不安が混じる。これはまずいなとモミジは思う。モミジが楓かどちらかがおかしくなってしまって、立ち位置がズレてしまったようだと思う。

「そんなに焦らさなくても!」と楓は路上で地団駄を踏む。地団駄というものを随分久しぶりに見たなとモミジは思う。「だから、結局、どこの誰と、どううまくいったわけ!?」と楓。

 モミジは少し考えてみて、楓の問いのほとんど全てが未知のエックスからでき上がっているなと思う。


 楓の証言を総合すると、ここ数週間、モミジは露骨に恋をわずらっていた。恋い焦がれる有り様だったが、心を寄せる相手が誰なのかを楓に明かすことはなく、日に日に恋やつれていった。浮かれるようでありながら苦しげな表情を浮かべため息をつき、という百面相が続いたが、では何かを語るというものでもなかった。

「キニナルアイテガイルノデアルカ」

 という設問には、

「イルノデアル」

 と返答した。

「ソレハカナウモノデアルノカ」

 という問いには、

「ミャクハアル」

 というこたえが戻った。

 その他の問いに対しては、

「ヒミツ」

 と微笑むだけで埒が明かず、楓の方ではかなりのところ、バカバカしい気持ちを抱いた。

「そんなことあった!?」とまるで身に覚えのないモミジは言い、

「あったんだよ」と楓はこたえる。

「記憶にないなあ」

「ほんとに憶えてないの?」と楓。「切なくて夜眠れないとかいって毎朝遅刻しかけてたのに?」

「ほんとに?」

 これじゃなんのために毎朝早めに迎えに行ってたんだかわかんないな、とため息をつく楓。「学校まで引っ張って行ってたのになあ」

 とぼやく楓にとりあえず礼は言っておき、しかしそれってまずくはないかとモミジは思う。細かいことはおくとして、記憶が飛ぶっていうのはかなりのおおごとなのじゃなかろうか。立ち止まり、頭を押さえて誰にということもなく問う。

「あ、これってもしかして病院案件?」

「インジケータは?」と楓。

 モミジは鞄から携帯端末を取り出し、自分では確認せずに楓に示す。

「青」と楓。「青じゃ、病院には入れてもらえない」

 入院ではなく、入り口をくぐることができない。

 体をめぐるナノセンサと脳幹部に仕込まれた支援知能のハイアラーキが織りなす診断能力は、大浸透以前の人間の医師の能力をはるかにしのぎ、インジケータが黄色を示さない限り、病院の方も受け入れない。赤が出るとすみやかにヘリのお迎えがくる。

「え、でもいやまじ怖いんだけど」とモミジ。両手が宙を泳いでいるのは、無意識に何か支えを求めているのか。

「そりゃまあ、不安だよね」と楓は受けて、そのまま二歩、三歩と踏んで進んだ。そうして突然、右の拳を左の手のひらへと打ちつける。

「ここは一発、探偵に頼んでみっか」

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