ピグマリオン・ロミオ・ジュリエット・その4

「もしミハルノさんが幽霊なら、過去の記憶は?」

 というのが「専門家」からの問いである。

 ミハルノという案件をどこに持ち込んだものか悩む岬が結局たどり着いたのは、「情報部」の部室であって、これは理科実験室を間借りしている。なにとなく電子関係のトラブルはここに持ち込むことになっており、ミハルノは電子系のトラブルと言えば言えた。名前はいかめしいものの「情報」一般を扱う「部」にすぎない。

 三次元へは移動できないミハルノは、岬の携帯端末のディスプレイの向こうで「こわい」の表情を浮かべている。

 ミハルノの自己紹介に、「聞こえますよ」と情報部部長、氷野三月はこたえた。「確かに声が聞こえます」と繰り返した。「不思議」というより「興味深い」という表情である。

「音声信号では……ない」

 と三月は傍らのラップトップに目を走らせる。三月のアシスタントが「マイクからの入力は確認できません」と言う。「でも聞こえます」と三月のラップトップも言う。

「まあなにか」というのが三月の意見で、「心霊現象っていうことでいいのでは?」

「いいんですか」と岬は問い、

「何か問題が?」と三月が問い返す。「まあここに理屈は不明な現象があるわけですが、それはどうやら第三者にも共有できるものであるらしい。あなたが確認したかったのはその点で、自分は正気であることが、少なくとも、自分だけがおかしいわけではないことが今わかったわけです。とりあえずの問題は解消されたのでは? ミハルノさんがどうやって喋っているかというのはまた別の問題です。ミハルノさんは確かに幽霊みたいなものではある。でも、幽霊なんでしょうか」

 ということで、最初の問いへと戻る。

「生前の記憶はあります?」と三月が訊ね、

「ないね」とミハルノ。「なんにもない」

 幽霊ならば「誰の」幽霊なのかという三月の疑問を岬は考えたこともなかった。

「別にそういうものでもないのでは?」というのがミハルノ自身の見解で、「自分がもともと人間だったとか、何かの人工知能の幽霊って気はしないなあ」と長閑に言う。「気がつくとふとここにいた、転生していた、みたいな感じ」

「転生前や、幼少期の記憶は?」

「ないね」とミハルノ。

「設定されていません」と岬のアシスタント。

「考えたことがなかった」と岬。

「でも、箸は持てる?」と三月。

「持てるね」と丼から麺を啜りあげる動作をしてみせるミハルノ。

「順に成長してきたわけじゃないんなら、日常生活を送れるくらいの情報はどこから湧いてきたんでしょう」と三月。「言葉を教えることがそうであるように、日常の行動全てをあらかじめ指定しておくことは困難です。咄嗟のときの不意の行動、そういうところで何かと齟齬は出るものです。何かの文化の中で暮らしていくには、当の文化の中で育つ必要がある。でもミハルノさんはそこを簡単にクリアしているわけです。日常生活で、ミハルノさんが『人間っぽくない』行動をしたことは?」

「ない……かな」と岬。

「それも不思議なところです。どこでも実行されていないらしいミハルノさんの内面が、日々の経験からしか生み出されない行動を生み出している……。あるいはふつうの行動が、ミハルノさんには内面があるというわれわれの確信を生み出している……」

 岬と三月の視線がミハルノの表示されている携帯端末の表面に集まる。

「生きるのって不思議なことだね」とミハルノは言う。


 三月と、岬のアシスタントの見解としては、ミハルノは物理的な実体はおろか、情報的な存在でさえない。基本的に存在しておらず、ただ声だけが頭に響く。表情と連動したりはする。

「でも」と岬。「ミハルノのデータを消せば、ミハルノの幽霊も消えるわけでしょ」

 岬の問いに三月は意外に考え込んで「ある種の随伴説を採るならそうなります」と言う。岬の表情を観察してから「岬さんの思考と脳の活動にどういう関係があるかは別として、脳を壊せば、思考は消えるって考え方です」

 岬は頷いて先を促す。

「それと同様に、ミハルノさんのデータを消せば、ミハルノさんはいなくなるはず、というのが先ほどの岬さんの見解です。でも、そうなんでしょうか」

「はい?」と訊ねる岬の声が裏返る。

「脳が消えても思考が消えないってこともありうる?」

「それはやってみないとわからないんですが」と指を空中でさまよわせる三月の言葉を、岬のアシスタントが引き継いだ。

「コピーを作成してみたんです」とアシスタントは言う。「これは生物のコピーみたいなものではなくてですね。電子データは常にバックアップされています。データとしては同一でも、そのデータがどこのアドレスに保存されているかは、毎瞬間変化しうるわけです。空き領域をつくるためにメモリ空間を移動してもらったりとか。メモリの移動にはまず、コピーを作って、それからオリジナルを破壊します」

「それで」と岬にはどこが問題なのかが見えてこない。

「ええと」とアシスタント。「テレポートを考えてみてください。あなたという情報を火星に送り、そこであなたを組み立てたあとで、地球にあるオリジナルは破棄します。火星にいるあなたはあなたですか」

「どうかな……」と岬。「いや、意外にそれは自分に思えるんじゃない?」

「人工知能のバックアップは本質的に、テレポートの過程と同じです。ミハルノのコピーを作製するとき、ミハルノの霊はどうなるのか? コピーが増えれば増えていくのか? 魂の数は保存するのか? どうです?」とアシスタントが問う。

「まあ、そういう実験を続けるうちに、気づいたことがあってさ」と三月。「いいかな」と自分のアシスタントに命じ、傍らのラップトップに、ミハルノの姿が現れる。

 ミハルノそっくりの姿なのだが、目を上げてこちらを見ても、まるで生気が抜け落ちている。岬は慌てて自分の携帯端末をとりあげ、携帯端末の方でもいそいでスリープから復帰する。アプリケーションを起動すると、眠たそうなミハルノがあくびをしている。けだるげに体を伸ばし終えてから、

「やあ」

 といつもどおりに軽薄な挨拶を投げる。

「二人はデータ的には完全に同一の存在です」と岬のアシスタント。

 岬は携帯端末を、三月のラップトップに突きつける。

「なるほど」と携帯端末からミハルノの声が聞こえる。「よくできてる」とミハルノが言う。

「同一のデータですから」と岬のアシスタントが言う。

「でも、こっちの方が美人だな」とミハルノは笑う。「岬もそう思うだろ」と何も疑う様子はない。

「……不安になったりしないわけ?」と岬の方が落ち着かない。

「どうして?」というのがミハルノのこたえで、「こっちとそっちは別人じゃん」と断言する。

「意識を、あっちのデータに乗り換えたりはできないの?」と岬。

「岬も、相手がそっくりに見えるってだけで、別の人間に乗り移ったりはできないだろ」とミハルノ。「幽霊とかじゃないんだからさ」

「つまりですね」と三月が言う。「ミハルノさんはやっぱり、データとイコールの存在じゃないわけですよ。同じ物理構造から、同じミハルノさんが生まれてくるわけじゃないんです」


 好きだなあ、とミハルノを見るたびに思う。

 ため息が出る。それだけでよかったのにな、と思う。

「でも幽霊かあ」

 と考える。コピー不能な、個性を持った幽霊だ。幽霊ではないかもしれない。

「やあ」とミハルノは今日も軽薄な調子で出現する。「さあ」と優雅に手を差し伸べてみせる。

「こっちにおいでよ」

 という微笑みを浮かべる顔には、白い歯が並んで輝いている。

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