ロッキング・ユー・その3

「まったく一体誰なんだよ」というのが、珍しく楓と肩を並べて帰宅することになったモミジの言い分である。「とっとと脅迫してこいっての」

「でもさあ」とこたえる楓は鞄を二つ提げていて、これはモミジに「病人だから」と押しつけられた。「ランサムウェアって、要求に応えてもデータが戻ってくるもんじゃないんだってよ。ずるずると身代金をとられ続けたりして」

「卑怯な」

「卑怯なんだよ。端から返す気がないんだったら、消しちゃった方がいっそすっきりするのに、もしかしたらって気持ちを人質にするわけだから。だからここは」と楓。「いっそすっぱり諦めたら?」

「いや……さすがに……だって、誰かを好きだったっていう気持ちらしいし……」

「憶えてないわけでしょ?」

「まあ」とモミジは詰まる。「いや待て、騙されないぞ!」と盛り返す。「そうやって忘れるくらいだから、いい加減な気持ちだったとかどうでもよかったとかそういう方向に持っていこうとしてない!?」

「それでも別にいいんだけどさ」と楓。「もう一度同じ相手を好きになればいいだけの話じゃないの?」

「だから、それがわからないんだって」

「一目見ればわかるはずじゃない?」と楓。

「一目惚れだったんならな」

「一目惚れだったの?」

「わからん」とモミジは言う。「楓からはどう見えた?」

「知らないよ。何も教えてくれなかったんだから」

「ううむ」とモミジは腕を組み、自分はあまり一目惚れというタイプではないと思うものの、一目惚れとはそういうタイプにこそ訪れる気もするとか口の中で呟いている。そこから先は聞き取れないが、ひとしきりもごもごを続けたところでモミジの足が突然止まった。「あ」と一声発して立ち尽くし、その背中に楓の鼻がぶつかる。

「どうした?」と顔をさする楓がモミジの正面へと回り込む。

「もしも、もしもだよ」とモミジは言う。「間違っちゃったらどうしよう」

「間違えるって、なにを」

「相手をだよ」とモミジ。両手で強く、楓の肩を掴んで揺さぶる。「間違って、昨日まで好きだった相手とは違う、他の人を好きになっちゃったらどうしたらいい!?」

「……それはそれでいいんじゃないの」と楓は揺さぶられるまま呆れ顔でこたえている。

「よくはないだろ! そのときはどっちを選んだらいい?」

「それはさ……」と楓がモミジの両腕を使ったロックを内側から腕を伸ばしてこじり開けるようにして外す。今度は楓の両手がモミジの肩を押さえ込んだ。「そのとき好きな相手を、好きになればいいだけだよ」

 坂のてっぺんにバスが姿を現し、二人の横を揺れながらのんびりと通りすぎていったのが先週である。


「だが、いない」というのがその後、全校生徒の顔を正面からのぞき込み続けるという荒行に挑んだモミジの結論である。生徒の中に自分が好きだった相手はいない気がする。

「モミジはなんだか、ガラスの靴を持ってさまよう王子様みたいだよね」と朝食代わりの小麦粉菓子をつまみながら歩く楓。

「ちょっといいかなと思える瞬間があっても、いやこれじゃなかった、とか、もっといいのがいるんじゃないかって気になるんだよな」

「第三者の証言は?」と楓。

「訊いてはみた」とモミジは言う。

 楓とモミジは朝こそこうして肩を並べて歩いているものの、他の時間はほぼ話をすることもない。ネットワーク越しにもつながっていない。当然、他の人々に見せている顔は今とは違うものであり、そちらにはそちらの客観世界というものがあり、客観的な意見というものがあるはずだった。具体的にはそちらにならば、モミジがノロけ倒していたという可能性は低くなかった。

「それがいないんだよな」とモミジ。「学校にも旧市街にも新市街にも」

 モミジ自らが友人たちに訊いて回ってみたところ、「そもそもモミジが浮わついていたことに気づかなかった」という者がほとんどだった。なんだか面やつれしていた様子については、「食べすぎかと思って放っておいた」「縄跳びのしすぎかと思った」といった、小学生相手のような応答が多数を占めた。

「確かに言われてみれば、ダイエットはしてたんだよな」とモミジ。

「急にはじめるって言い出したんじゃん」と楓。

「腰痛がさ」というのがモミジの記憶で、

「気になる相手ができたとか言ってたくせに」と楓。

「でもいないんだよ、老若男女学生スタッフ犬猫テントウムシみんなまとめて、ピンとくる相手がほんと、いないんだ」

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