ピグマリオン・ロミオ・ジュリエット

ピグマリオン・ロミオ・ジュリエット・その1

 好きだなあ、と思うのだ。

 スタイルも無論抜群だが、なにより顔が好きなのだ。

 自分の好みで作ったのだから当然だ。

 当然ではない、と当のミハルノは言う。

「なかなか、自分が思うとおりに絵なんて描けやしないものだよ」

 正確に欲望することだって難しいのさ、と深遠っぽいことを涼しげに言う。


 岬は小学校を卒業してから、突然絵が得意になった。紙の上のデッサンなんかはいまいちだったし、絵の具も言うことを聞かなかったが、自由になる仮想空間を得ることで、その才能は開花したのだ。

 指をひとつ鳴らせばそれだけで、まっさらな空間が出現する。形をつくり、色をのせていくにはただ、腕を振るだけでよかった。岬の体の運動はリアルタイムに位置情報へ置き換えられて、腕を伸ばせば線が追いかけ、手を滑らせれば曲面が生まれた。三次元空間での造形は岬にとって、実空間での生活よりもよっぽど性に合うものだった。パレットの上で色を混ぜ合わせる必要はなかったし、特定のストロークだけをやり直すことも、わずかに具合を変えることも簡単だった。

 いっそ最初から仮想空間に生まれたかったと岬は思う。


 荒森の出現以降、立体の造形データの作製は容易になった。

 荒森というのは旧市街を食い散らかしているあれで、いわゆる禁足地に指定されている。「入れば二度と出てこられない」というのが禁足地だが、荒森に入り込むのは簡単で、出てくるのにも、入ったとおりの道を戻ればいい。道を変えると、やや面倒なことになる。それとも単に、仮想空間を経由して入ってもいい。ある意味では、仮想空間とは荒森で、荒森は仮想空間の謂いである。

 荒森を利用すれば、あらゆるものをデジタル化し、好きにデフォルメすることが可能だ。誰かが森に歩いて入っていけば、やがて自分がなんだか「角張って」きていることに気づく。体自体がいつのまにやらポリゴンっぽく構成されていて、奥へ進むと急速にローポリ化する。

 さらには、机上や携帯端末の端末から、オンラインゲームに参加するのと同じ感覚で、荒森に入り込むこともできる。そこが現実空間の荒森である証拠には、そのオンライン環境では、「荒森に歩いて入ってきた相手と出会う」ことができる。


 そんな便利な荒森なのだが、岬にとっての荒森はただのスキャナーみたいなもので、何かを変換してくれる装置にすぎない。複製や加工はしてくれるが、原型を勝手に作り出してくれるわけではないし、イメージをそのまま伝達できる相手でもない。平面のスケッチを自動的に3Dのデータにしてくれるわけではないし、デッサンをうまい具合に塩梅して、3Dっぽくしてくれるわけでもなかった。

 仮想空間と現実空間はとても似たものであると同時にひどく異なるものであり、現実空間のポットをそのままデータに置き換えて仮想空間に持ち込んでも、あんまりポットに見えなかったりする。形は確かにポットなのに、ひどく場違いになったりする。色も大きさも質感も正確に再現されているはずなのになぜかその場に馴染まないのだ。

 岬にもどうしてそうなるのかはわからない。でもなぜだか直すことはできて、岬が触れて曲面を修正すると、ポットはポットに、ティースプーンはティースプーンに見えはじめるのだ。

 誰にでもできることではないらしい。

「演出みたいなものだな」

 とミハルノは言う。

「役者を輝かせるのは演出の力だ」

 と言うミハルノは岬の目に、無駄にきらきらしく輝いて見える。


 ミハルノは岬が仮想空間に描き出したキャラクターである。

 自分好みの外観を、顔と体を採算度外視で描いた。百パーセント自分の好みで作り、百二十パーセント自分の好みに合致していた。完全に趣味の存在である。

「顔はいいのにな」と思う。

「性格だっていいじゃないか」とミハルノ。

 ミハルノは、喋る。 

 自分の理想をひそやかに実現していく作業に目鼻がついて、一旦休憩をとろうとしたところで、この三次元データは口を開いた。

「やあ」

 と軽薄な調子で呼びかけてきた。

 岬の方は反射的に環境設定に跳びついて、入出力デバイスの接続先を確認していた。マイクはオフ。カメラもオフ。スピーカーもオフ。作業環境はスタンドアロンで、開放しているポートは限られていて、セキュリティは自分は万全に機能していると主張していた。

「やあ」

 と再びミハルノは言い、

「『うれしい』の表情を選んでもらえないかな」と岬が作成中である表情の選択肢からひとつを選んで指定してきた。岬がつい言われるがまま表情を切り替えると、ミハルノは心底嬉しそうに笑った。

 そうして、

「表情のバリエーションが十種類しかないのは不便だな」

 と文句を言った。

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