息を引き取る

「こんちわっす! 引き取りに来ました~」


 チャイムと共に、玄関で声がした。


 ああ、なんてタイミングが悪いんだろう、と、女は思った。たしかに廃棄家具の引き取りを一ヶ月も前に頼んだのを忘れていた自分が悪い。


 女は目の前の天井から吊り下げられた輪状の縄から手を離すと、本を積み上げて作った台からゆっくりと降りた。玄関まで行きかけて、やっぱり気が変わった。


 今応対すると、部屋の中に入れなければならない。すると、必然的にこの状況見られてしまう。それは面倒だ。正義感のある人だったら、自分が今からやろうとしていることを引き止められる恐れがある。せっかくの決心が鈍るのはもう嫌だ。業者さんには悪いけど、ここは無視させてもらおう。


 女は再び本の台に乗り、天井からの縄輪に手をかけた。


 さぁ、行くぞ。これに首を通して、えいっ、と台から飛べばそれでおしまいだ。それでようやくこの厳しく辛く悲しい世界から脱出できる。苦痛から開放される。怖くて痛いのは一瞬だ。さあ、行こう……。


 しかし、女の手と足は震えるだけで、最後の一歩が踏み出せないでいた。やはり怖い。生ある者の当然の感覚から、彼女はまだ抜け出せないでいる。


「こんちわっす! 引き取りに来ました!」


 再び声がした。しかし、それは玄関からではなく、女のすぐ隣でだった。


 女は驚いた。えっ、どうして中に!? すぐ隣に作業着を着た若い男が立っていた。玄関の鍵はかかっていたはずだ。たとえかかっていなかったとしても、勝手に入ってくるなんて非常識すぎる。


 男は微笑を浮かべている。女の状況に動じることもなく、ただ、優しげな目線を女に注ぐ。


 女はとても気味悪がった。なんでこの人、勝手に入ってきた上にニヤニヤしてるの? 気持ち悪いし怖い。ひょっとして変質者……!?


 たとえ人生に絶望していたとしても、変質者は恐ろしい。女は本能に従って恐怖の悲鳴をあげようとした、が、勢い余って女はバランスを崩してしまった。本の台が崩れ、頭が目の前の縄の輪に吸い込まれた。縄ががっちりとかかり、女の細く白い首筋を重力によって締め上げる。


「あ……がっ……ぐ……」


 そのあまりの苦しみに、女はつい先程まで望んでいた結末を早くも後悔し始めていた。この際、贅沢は言っていられない。藁にもすがる思いで、女の手が変質者へと伸びる。


 えっ……?


 女の手が男の身体を通り抜けた。

 男は微笑を崩さず、女が息を引き取るその時を待った。


 女の人生最後の呼吸が終わった。生命の息吹は最後の一息とともに霊となって吐き出された。男はそれを手でそっとすくい上げた。



「まいどあり~」


 男は息を引き取った宙ぶらりんの女の息を引き取ると、玄関を通り抜けてどこかへ去った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

文字どおりの世界へ 摂津守 @settsunokami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ