【短編】この手よ、月に触れろ!~月じゃなくて、太陽に触れたい
菓子ゆうか
距離感が狂わす気持ち
月の輝きがいつもより明るく、僕は今日が小望月の夜と気づいた。
控えめな夏の風が肌に染みつく汗を吹き飛ばす。
周りは見渡せば、木、山、木。雑木林と山しかない田舎に僕の足音だけが響く。
ここでは午後八時を越えると外に出歩く人はほとんど存在しない。街灯は少なく懐中電灯を持参しなければ闇に飲み込ませそうな場所だからだろう。
前に行った都会の深夜でも、これほど静まり返ってなかった。
だからといって別に寂しいとは思わない。夜に散歩するような人間なら、静謐な方が心地よく感じるものだ。
たまにあるんだ。いきなり月夜に照らされて散歩したくなる時が。
それは、世界の有り様を考えるように。
それは、宇宙の始まりの想像するように。
それは、神の証明を考える哲学者のように。
答えがなく、どこまでいっても思考の外に出ない妄想。
そんな大げさなことを考えてみるけど、結局はただ夜風に当たりたかっただけなのかもしれない。かもしれないって他人事かも? そうなんだよね。
足を進めていると次第に、アスファルトで舗装された道が土に変わっていく。
ここからは、森の中、山のふもと。
緩やかな傾斜を上がれば、廃墟化したホテルが現れる。昔は観光客で溢れていたらしいが、現在の無様な姿を見るに想像もつかない話だ。
ツタに覆われ、窓ガラスは全て割れて破片が散らばっている。ロビーの扉は役目を忘れたように横たわっていた。
一歩廃墟に踏み込むたびにガシャッとガラスが細かく砕け、吹き抜けの廊下に響く。鈍色のコンクリートで構成されたホテルの中は、ひんやりと冷気を醸し出している。
この廃墟は地元の人ですら近づかない心霊スポットだったりする。おかげで考えごとをする際は、落ち着いて思考に耽ることができるので、僕は好きだ。きっと僕以外に訪れる者はいないのだから、少しはおもてなしをして欲しいものだよ。
ホテルの高さは五階と屋上、一般的なビルで例えると八階ほどだと思う。
今日も僕は屋上に向かう。階段を上る、段を踏むたびに金属音が建物を震わせる。非常用の階段しか残ってないのが、また廃墟らしい。
人がいるはずの場所に人がいない。そんな不思議な雰囲気が好きなのだろう、僕は。自分のことながらハッキリと分からないこともある。生理的に無理って言葉があるんだ、生理的に好きということもあるはず。
放課後の夕焼けに染められた廊下のように、淋しくて、切なくて、不意に窓を開けてしまうような感傷めいた瞬間が恋しい。
手を伸ばしても届くことのない太陽に、それでも憧れて自分のモノにしたくなる。
おっと、かのじょのことを考えてぼーっとしていたみたいだ。
僕はいつの間にか屋上に続く扉の前に立っている。厚い鉄の扉は見た目通りに重量級だ。僕の力だと全体重を使わないと到底開けることができない。引き戸じゃなかったことに感謝でしかない。
錆びついたドアノブに手をかけ、持てる全霊を扉にぶつけた。
扉が僕に負けて、ギギギッと悲鳴を上げながら徐々に開く。隙間から夏にしては涼しい風が頬やふくらはぎなどの露出した肌を撫でる。
月明かりが僕を待っていたかのように、屋上を照らした。
なんって思っていたのは気のせいだったから、僕の心臓は鼓動を速く打つ。
月の光は屋上に座る女子を照らしていたのだ。屋上の輝きはただの副次的な恩恵だった。
彼女。烏羽色の長い髪が照らされて天使の輪が生まれている。僕を誘うように揺れ動くそれは、小悪魔的な誘惑を帯びていた。
扉の音が響いて彼女にも聞こえていたのだろう。ゆっくりと肩越しでこちらを見てきた。
僕は彼女の姿に顔が強張っていると……思う。
この廃墟で人に会うなんて初めてだ。なので、幽霊という考えが頭に過る。けれどここまでハッキリと輪郭をお持ちなのか? 幽霊とは。
驚きで動けなくなった僕とは別に、彼女は立ち上がった。
彼女が一歩後ろに下がれば屋上から落ちてしまう。それほどギリギリな場所に屹立しているのだ。その現状と異なって、彼女は姿見の前で新しいワンピースを確認するように回転し、僕に体を向けた。
「君、幽霊じゃないよね?」
ふざけた調子でニヤニヤと質問を投げかけてきた。彼女からしても僕の存在は予想外だったのかもしれない。幽霊と疑われるのもわかる、が、僕は違う。
「いや、普通に人間だけど。反対にあなたは幽霊なんですか?」
彼女のおみ足はある。堕落を知らないふくらだ。
すると彼女は瞳に涙を溜めて、お腹を抱えながら笑い出した。
「ハハハハハッ――、私たちの質問って、こんな場所じゃないとおかしいよね」
「そう、だね」
町で出会った人に「幽霊ですか?」と質問するのは確かにおかしな話だ。僕も内心で想像してしまい、笑ってしまう。
こんな田舎の夜で人と出会うのも稀だというのに、それが廃墟で彼女に会うなんて。
コツコツとスニーカーの音を弾まして近づてくる。間違いではないようだ。彼女の格好は僕と同じ高校の制服を着ている。首元に飾られたリボンが青色なので、一つ上の先輩。
スカートをなびかせながら彼女は進む。そこから露出する太ももが月光で反射する。
僕は彼女の圧力に後退りしてしまう。このまま彼女に襲われれば、確実に僕の負けだろう。
暑さのせいか、頬に汗が伝わったのがわかる。
彼女は、何食わぬ顔でこのまま屋上から出ていくのかもしれない。
そう思った時、彼女は僕から50センチの場所で止まった。近い。
予想通り、彼女は僕に用事のようだ。
ニコニコと三日月のような笑顔を絶やさない彼女は何も語らない。沈黙に耐えかねて僕の方から声をかけることにする。
「こんな場所でなにしてるんですか先輩?」
「別に――君こそどうしてここに」
「……ただの散歩ですけど」
嘘をつく必要がないので素直に答えた。
「だよね。じゃあさ、ちょっと付き合ってよ」
「はぁ……別にいいですけど」
特に用事もないし、断ることもない。それに拒絶してしまったらどうなってしまうか嫌でも予想できてしまう。だって、彼女の手元が月で反射したのだから。
先輩は「やった!」と両手を広げて、その場で回転する。そんなに回転すると――引き締まったふもとと、黒が見えてるよ。特に興味なんてないけど。
半眼で先輩を見ているうちに回転は止まる。
先輩が伸ばした手がにゅ~っと僕の手首を掴む。力が強く逃げ出せる気は全くしない。僕は彼女に引っ張られるまま、歩く。
連れられた場所は、先ほど先輩が座っていたところ。風が吹くたびに鬱蒼とした雑木林がざわざわと囁いているようだった。それは誘い言葉なのかもしれない。
「座って」
「……」
僕は逆らうことなく腰を下ろす。足がぶらぶらと浮き、下を覗けば一寸先先まで暗闇に覆われている。ここから飛び降りば簡単に死んでしまうだろう。それほど感情をかき立てる凄みがこの場所にあった。
すぐ横から黒のアンクレットソックスとスニーカーが姿を現す。先輩も僕と同じように座ってぶらぶらと空中を踏んでいる。
「夏なのにここだけまるで冬の寒さがあると思わない?」
冷えたコンクリートにお尻を置いているし、下からも横からも風が吹き荒れているから、寒気を感じるのだろう。それに――。
「夏でも夜は気温が下がりますから。それに、その寒さは恐怖の感情から来るものではないですか? こんな高い場所で命綱なしですし」
恐怖で血の気が引くという話も聞く。
はたから見れば、自殺前の二人に映るのだろうか。早くこの場所から離れたい。
「別に怖いとか感じないよ。それよりも幸せな気持ち!」
彼女は僕の顔を色っぽくみながら、そう言った。
僕には、先輩が幸せな気持ちを抱く理由はさっぱりわからない。この人はそんな人だ。
「今日は月が綺麗だよね」
内容がガラリと変わった。
「ですね。満月は三日後だったと思いますけど」
たまたま見たニュースでやっていた。
これだけ丸く見えるのに満月ではない。しかし、この月と満月を並べたらきっと誰もが満月の方を綺麗だと思うのだろう。画竜点睛なんて言葉もあるし、完成と未完成には絶対的な差が見える。
「これだけ認識できるのに届かない。手を思いっきり伸ばしても触れることができないんだ」
彼女が月に手を伸ばす。僕の視点からだと月が彼女の手のひらに乗っているみたいだ。現実的にそんなことはないのだけど。こういうのを遠近法って言うんだっけ。
「月に手を届かせたアームストロング船長は、どんな気持ちだったんだろうね」
「アポロ11号ですか?」
「おう、そうだよ」
僕がアームストロング船長を見聞していたことに、彼女が驚きの声を上げた。僕は馬鹿だと思われているのだろうか。
「君は、アームストロング船長がどんな気持ちを抱いたと思う?」
「どうでしょう。案外、近くの公園と変わらんと思ったりして――」
これほど輝いて眺める月も、近くで観賞すれば学校の運動所と大差ないのかもしれない。
「そんなものかな?」
先輩は小首を傾けた。きっと僕の意見に納得いかなかったのだろう。人が他人の気持ちを理解するのは不可能だ。だいたい理解できれば、僕は毎日かのじょを思って悶々としまい。
「地球から手を伸ばせば、月が手に収まるように感じる。けれど、月って大きいんだよね。人の手には収まりきらないぐらいに」
「はぁ……」
富士山のてっぺんを五合地点から見上げれば、頂上なんて走ってすぐに着きそう感じるみたいなものだろうか。実際に猛ダッシュで行くのは無謀だ。
僕には彼女言いたいことが、なんとなくわかる。その比喩めいた意味がなにを指すものかは知らない。だが、僕なりの解釈で心に染みていく。
月に伸びていた彼女の手が落ちる。支えられていた月は落ちない。
彼女は僕の方に顔を向けた。優雅さを持ち合わせた微笑みは、人からすれば淋しさのこもった表情に感じられるかもしれない。第三者から閲覧した場合のことだ。僕は、二人称である。だから彼女の殺気混じりの恋が伝わってくる。ああ、それは僕がかのじょにとれる手段の一つと思ったことがあるから、かもしれない。
「人の心も同じだと思うの。遠くからだと彼女を私のものに出来ると思っていた。しかし、彼女と触れ合うたびに、私は避けられていると。友達という皮を脱いで、君の心には届かない」
「…………」
「だから…………ねぇ、地球から月に届くようにすればいいんだよ」
先輩が誰のことを言っているのは明確だ。だけど、地球に住む我々からでは、月に手は届かない。どれだけ願っても、
小さい時に読んだ竹取物語に書いているじゃないか。僕たちの頂上は富士山で終わり、と。
馬鹿げている。僕は帰ることにした。今なら、走って逃げられる。
そんな僕の心情を読み解かれたように、先輩は勢いよく立ち上がった。
僕も手首を掴まれて、強引に立たされた。
ああ、やはり、そう来るのか。
「この手よ、月に触れろ!」
彼女は飛んだ。
僕も飛ばされた。
月へどんどん飛んでいる。
このまま行けば、彼女も僕も月に辿り着くかもしれない。
いや、ただの戯言だ、幻想だ。
先輩の涙が月に吸い取れられていく。そんな顔で、僕に接吻してきた。
僕は緩んだ彼女の手から離れ、月に手を伸ばし、掴む。
田舎のバスとは一時間に一本とお決まりだ。遅刻すれば重役出勤の確定に判を押すことになる。
そのため、眠気たっぷりの目を擦りながら、僕は急ぐ足でバス停に向かう。途中でパトカーが数台止まっているのを目の端に映った。廃墟にはしばらく行けないかな。
いいタイミングで到着したバスに乗り込んで、一番後ろの席を目指す。
「さよちゃん、おはよう~」
友達の桜子が手を突き出して挨拶してくれる。いつもと変わらない光景。
「おはよう」
椅子に腰をかけながら僕も挨拶を返す。
セミロングの綺麗な黒髪に幼さを残す同顔。小柄な体格は抱きしめると幸せな気持ちになっちゃう。特に僕が桜子の好きなところは、全部なのだが、その中でも優しい瞳が好きだ。
「そう言えば、朝から不穏だけど、三年のかなえ先輩が転落事故で亡くなったらしいよ」
「ああ、うん」
どうでもいい。
「反応薄いね。さよちゃん、結構仲良かったんじゃないの?」
「別に、ただの知り合いレベル」
桜子の目からは、あの故人と仲良さげに見られていたとは最悪の極みだな。まあ、知り合いと言い切るには少し違和感がある。なんせ、一緒に心中させられそうになったんだから。
もしもあの廃墟じゃなかったら僕も死んでいただろう。あそこは僕の行きつけだぞ。落下防止用に策は練っている。石橋は叩いて遊びたい。
まあ、さすがに昨日の出来事は以外だった。三日前に彼女から告白された時に受け入れるべきだったのか…………ないな。
窓からの光景を眺めるふりをして、桜子の横顔を拝む。
そういや、あいつ。僕のファーストキスだけ奪っていきやがって。その分ちゃんと成仏してくれよ。
僕は憂鬱にため息を漏らす。
「どうしたの?」
「えっ⁉ いやなにも」
「大きなため息だったよ? もしかして、恋煩いかあ~」
そうだよ、桜子にだよ。
「そんなんじゃないよ」
悠然な態度で返した。
僕の手ではまだ太陽に触れることはできない。
だけど、焦らない。誰かさんの二の前はごめんだ。そんな自分よがりのハッピーエンドは嫌いなんだよ。
けど、あいつのせいだから。今日だけは少し、気持ちは伝えてもいいかも。
僕は、桜子の頬に触れて、紅色の唇に接吻した。
「////……」
イチゴジャムの味がする。これでいい、これが僕のファーストキスだ。
「ちょっ⁉ さよちゃん、いきなりなにするのよ⁉」
桜子の顔を真っ赤にして叫ぶ。うん、とても可愛い。
僕は誤魔化すように腰を上げる。
「女の子同士だしいいじゃん。ほれ、着いたよ」
「も~う、私の反応見て楽しんでるでしょ」
僕は微笑みながら、桜子から目線を切ってバスの出入口を見る。
「さよちゃん! スカートめくれてるよ」
「えっ……マジ?」
今日のパンツダサくなかったか? あ、白か。
【短編】この手よ、月に触れろ!~月じゃなくて、太陽に触れたい 菓子ゆうか @Kasiyuuka
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