第5話 星巡り

一度あたしはサラを実家に連れて行った事がある。

たまたまサラが本当に珍しいことに、連休をもらった時のことだ。

あたしはそのとき飯田の実家に帰る予定だった。

サラにも連休が取れたらどっか行こうよと言っていた。

でも正直サラに連休なんてあるのかと言う感じではあった。

サラの休みは遊びに行くためにあるものではなく、本当の意味で休むためのものだった。

連休の話を聞いて一瞬あたしは困った、その日は実家に帰ろうとした日だった。

実家に帰るのを止めて、さサラに付き合おうと思った瞬間、あたしは一つのことを思いついた。

「サラ、今度の連休うち来ない」

「うち?」

「そう。うち、飯田のあたしの実家」

「それは泊まりってこと」

「うん、うち泊んなよ」

「本当に」

「うん」

「私、日本に来て泊まりで、どこかに行くなんて、そんなことしたことない」

「ならちょうどいい」

と言うことであたしたちは、朝イチ、栄のオアシス21というバス停からバスに乗った。名古屋に来る方は満席だったりするが、飯田に行く方は客もまばらだった。

あたしにとっては、飯田、名古屋は、通学のような感じだったので、いつものバスだったが、サラにとっては、オアシス21に来ること自体が、旅行を象徴するらしく、サラの胸の高まりが聞こえるようだった。

バスは、名古屋高速から中央高速に入る。

すると急に山が多くなり、起伏に飛んだ中を高速を縫うようにバスは山の中に吸い込まれてゆく。

サラは初めての旅行と言うことで、窓の景色を子供のように目を耀かせて見ていた。

そのうちにサラが鼻歌を歌う。

そんなサラを見たのははじめてだった。

あたしにとっては家に帰ることだけれど、サラとしては旅行なので、楽しんでくれていると言うことで、あたしもすこしだけうれしくなった。

「えっ。なにその歌」とあたしはサラに尋ねた。

「わからない。ママがいつも歌っていたので覚えたの、日本の歌だと思うんだけれど。むしろ私がなんて歌か知りたい」

「じゃあ、もう一度歌って見て」

「知ってる?」

「いや、ちょっと音符にしてみょうかなって」

「そんなことできるの」

「まあ、一応、音大生だから」初見楽譜落としという授業があるのだ。

「すごいね」

そしてサラはもう一度鼻歌を歌った。

あたしは持っていたノートに音符を書いてゆく。

結局サラに3回くらい歌わしてしまった。


父と母はそれはそれは驚いた。

特に母の驚きは凄まじく、大喜びでタガログ語でサラと話をしている。

あたしも、母の影響でタガログ語が出来るつもりになっていたけれど、サラと母の会話にはついていけなかった。

大人になってからの語学は、やはり限界があると言うことだ。

今だに母が何を言っているかわからないことがある。

結局飯田につれて帰っても、どこに連れて行くでもない。

諏訪くらいまで行けば観光地もあるけれど、車で巡っただけだった、でもここは中央アルプスと南アルプスに囲まれた街で、間近に山が迫っている。

山肌に這うように広域農道が走り、諏訪湖まで続く、その一番高い所を走る農道は、同じように走る、中央高速よりの高いところを走り、そこにある展望台で車を止めた。

そこは伊那谷が見渡せる場所で、中央高速も下を走っている。

そもそも中央高速も用地買収が大変だったのか、かなり高いところの山肌を走っている。

向かいに中央アルプス、北を向けば両アルプスに囲われた伊那谷が諏訪まで伸びる。

サラはその風景が珍しかったらしく、伊那谷をいつまでもながめていた。

みんなで焼肉を食べにいった。

飯田は何かといえば焼肉だ。

人口比に対する焼肉屋の数が全国一位らしい。

大体どこの家庭も行きつけがあるし、なんかの集まりは焼肉屋だ。

その焼肉屋さんも、うちの行きつけで、ご主人も知っている人だ、ご主人はあたしと、サラを見てとても驚いていた。

娘が増殖したと思ったらしい。


焼肉屋さんから帰って来ると、リビングのソファーに座った父がお酒を出してきた。

母はとにかくサラに話しかける。

母は今まで見たことがないくらいの速さのタガログ語でサラと話している。

サラとあたしの風貌はほぼ一緒なので、そう考えると母はあたしとこんなふうにストレスなく話がしたかったのかなと思う。

「あっ、さっきの歌」とサラが思い出したようにいう。

「ああ、わすれていた」あたしはノートのメモ書きを出すとリビングのピアノの蓋を開けた。

さて調律がされているかが問題だ。

このピアノで練習することは、このところないから、おそらく調律もされていないだろうな、と思ってちょっとだけ弾いてみると、ビックリしたことに、あまりくるっていない。偶然なのか、あたしの知らない間に父が調律をしおいてくれたのかわからなかったが、ほぼズレて無かった。

「ねえ、パパ。この歌なんて歌かわかる」

と言ってさっきサラにいいわれた譜面起こしをした曲を弾いた。

一曲聞くでもなく父は

「ああ、これは星巡りの歌だよ」と言う。

自分で聞いておいて、知っているのか、とあたしは思った。どうせ分からないだろう言う気持ちがあった、と言うことか。

「星巡りの歌」とあたしは聞き返した。

聞いたことが、あるような、無いような。

「宮沢賢治の。知らないか」

「うん、どこかで聞いたことがあるような、ないような」

「紗羅もう一度初めか弾いてごらん」そしてあたしはもう一度弾いた。

すると父が、歌いそうなそぶりを見せた。

歌うのか?と思った瞬間、歌いはじめた。

これが意外と上手で、我が父ながらあっぱれと思う。

その歌は、優しく、暖かく響いた。

どこか懐かしいような。

すると急にサラが大粒の涙をこぼした。

そして小さく咽び泣いた。

「サラ」とあたしはピアノの手を止めた。どうしていいかわからない。

でも父はそのまま歌い続ける、その声と目には今まで見たこともない優しさが宿っていた。

まるでパパをサラに取られた見たい。

「こんな。歌だったんですね」すると父は、咽び泣くサラの肩に手を置いた、まるでサラが本当の娘ででもあるかのように。

そして、なにを勘違いしたのか

「サラ」と声をかけた。

するとサラは急に父に抱きついた。

そして

「パパ、パパ、パパ」と泣きながら、叫ぶ、いや叫んでなど、いなかったかもしれない。その感情の爆発はあまりに些細なものに聞こえた。

でもだからこそサラの心が伝わる。

パパがいない寂しさ、今までの生活の中で、パパがいないことのママの苦労、そしてある程度大きくなりパパに捨てられたのではないか、もう二度とパパは帰って来ないのでは、自分の中に芽生えた思い。

自分とママを捨てた。

と言う思い。

それなのにママはパパを信じて、そして今でも本当に愛していて、そんなママを見続けることのことの辛さ、そしてパパの事を疑いながら、でもパパに会いたい、優しく抱き締めてもらいたい。

そんなサラの思いがあたしの中に流れ込んでくる。

父にもそれは伝わり、きっと父は、自分の対応次第では、あたしがこうなっていたはずだと思い、サラが他人に思えなくなっていたのだろう。

父の手は少しづつ伸びて、サラを強く抱きしめた。

まさに、パパを取られたようだった。

でも、その切なさにあたしも泣く、そしてそこには、あたしのパパを取るな、というちょっとだけ芽生えた気持ちはあっけなく消し飛んでいた。

でもそれはサラに対する、同情とかではない、断じてない。

ましてや、一つ間違っていたら。

あたしがこうなっていた、という安堵でもない。

絶対にない。



結局あたしとサラは一泊二日の旅に行ってきただけだった。

本当はもっといろんなところに連れて行ってあげたかったんだけれど、サラがそんなに休めなかったし、智のことも心配だった。

たった一泊二日の旅行だ。

でもサラは本当に満足してくれた。

サラは

「楽しかったよー。ありがとう、良い思い出になった」とあたしに言う、でもサラは、また行こうねとか、この次は二泊でどこかに行きたいとか、普通に言いそうなことは一切言わなかった。

次がないことはサラ自身が一番良く分かっているのだ。

研修生は遊びにきているわけではない。

自由な時間などほぼないようなものだ。

それにサラはフィリピンに帰る日が近いと言うこともある。

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