第6話  パパの家族

智の退院の目処がついた。

なんのことはない、ほぼ完治しているんだけれど、足が固定されていて、筋肉が落ちて歩けなくなっているだけ。

だからリハビリとはいっても、単なる筋力トレーニングのようなもだ。

かくしてサラの帰国が早いか、智の退院が早いかという状態になっていた。

サラは国に帰る。

と思った瞬間、前に頭に浮かびながら流れてしまった思いが浮かぶ。

「そう言えばさ」

「なに」

「サラのお父さんは日本にいるんだよね」

「うん」

「会って行かないの」

「うん〜」と何だか歯切れが悪い。

「どうしたの」

「なんか、いいかなって」そんな事、絶対にないだろうと思ったけれど、これはサラ特有の強がりだ。

念のため聞いてみる。

「どうして」

「前も話したとおり、ママは決してパパのことを悪くは言わなかった。だから私はパパってどんな人だろう、もう帰って来ないのかな。パパに抱きしめられて、サラって呼ばれたいなと思っていた。でも大きくなるにつれてそれがどういうことか分かるようになると、想いは複雑よね、パパに会いたいと言う思いと、決して歓迎されないと言うのが分かる」

「どうして」なんとなく分かるけれどあたしはサラに尋ねる。

「だってパパは日本に奥さんも子供もいる。なのにママと恋に落ちて私が生まれた。フィリピンには仕事で何年かいただけなのに、その間だけママと付き合って。そしてわたしが生まれる前に日本に帰っていった」

「パパはサラのこと知っているの」

「知ってはいるらしいけど。会ったことはないらしい」

「そうなんだ、でサラはどうしたいの」

「そこがわからない。想いが複雑で」

「複雑」

「複雑なのよ、パパを恨む気持ちと、会いたい気持ち。

恨言を言いたい気持ちと、抱きしめられたい気持ち。

煙たがれるんじゃないかという気持ちと、歓迎されるかもと言う気持ち。

全部が絡みあって、本当はどうしたいのかもわからない。でもママはパパのことを本当に愛している。それは本当に見事なほど。

あそこまで盲目的に信じていた方が幸せなのかもしれない。

どうせ会えないなら」

わたしは聞いていて何も言えなくなった。

紙一重だ。

母は、日本に出稼ぎに来て、父と出会った。

そして結婚して私が生まれた。

生まれたのが日本だったと言うだけ。

母が日本にいたから、もし父がフィリピンにいたら、状況はサラと全く一緒。

私は幸運だった。

父は母と国際結婚した。

そう考えるとサラのパパの事が良くは思えなくなる。

数年いただけの寂しさを紛らすだけの関係で子どもまで作っていて、それであっけなく日本に帰ってしまう。

「なんか、ひどい」つい私は口から出てしまう。

「そう思うよね。でも子供の頃は、私たちを捨てたのは何かどうしょうもない理由があったからだと思っていた。だってママは絶対にパパのことを悪く言わなかった。だから色々想像したのよ。もし私がパパに会いにいけば、優しく抱き締められて。サラって名前を呼んでくれるんじゃないかって。


サラか、大きくなったな。ママは元気かい、すまなかった、本当はすぐにでも迎えに行こうと思っていたんだ、でも色々あってね。いつまで居られるんだ。どこか行きたいところはあるか。どこでも連れて行ってあげるよ。お土産もいっぱい買ってあげるから。


そんなパパの言葉を想像していた。でも今なら分かるそんな事絶対にないよね。もしかしたらママもわかっているのかもしれない、それで自分の心に嘘をついているだけだったりしてね」

サラの言葉は淡々としていて、だからこそサラの想いが伝わってくる。

うちの父に抱き着いて、パパ、パパ、と泣いたのは、サラのこうなって欲しいう希望で、でもそれが叶わないからこそ、サラは泣いた。



智の横であたしはぼんやり雑誌に目を落としている。

智は最後のギブスがもうすぐとれるが、それを理由に、リハビリをさぼっている。

あたしは退院する気がないのかと思っているが、どうもギブスが取れるまで入院しょうということらしい。

とはいえ智の退院も時間の問題だった。

ここまでくると、まるで夫婦が居間でくつろいでいるように、ぼんやり二人で別々のことをする。

智はあたしが買って来た文庫本を読んでいる。

「そういえば」と言って、あたしは目を落としている雑誌から顔をあげた。

そしてサラのことを相談してみる。

智にはなんとなくサラのことは話しているので、すぐに理解してくれた。

すると智は言いにくそうに、ちょっと躊躇する。

そして思い切って言うぞという風に口を開いた。

「思い出の中のパパは良い人なんだろう。だったらその思い出を持ち続ける方が幸せなんじゃないか」

「それはサラのパパが悪い人という前提で話している」

「沙羅だから言うけれど、そ言う前提」

「そうかもしれない」とあたしは言った。

そして続ける。

「そう言う考え方もあるだろうとは思う、でもサラはそれを確かめたくてここにきた、もちろんそれだけではないけれど、でも大きな目的の一つには違いない。だから確かめてもらいたい」

「それでサラちゃんが傷ついても良いのか」

「でも本当に良い人なのかもしれないし」

「そうかもしれないけれど。でも」と智は続ける。

「現実的には。そう言う遊びを目的に行く人だって多い、でそう言う人は大きな会社の駐在だったりするから、日本に家族がいたりする、そんな人が忘れた頃に、娘ですなんて来たらどうする。きっとサラちゃんのママもわかっているんじゃないか」

「そうかな」

「その方が幸せだろう」

「自分に嘘をついている方が幸せ?」

「俺は、そう思う」

そうだ、智に言われるまでもない、自分を騙すことは、心が幸せになれる事がある。

4年間のあたしたちがそうだ、自分は上手なんだ、自分より上手にピアノを弾ける人なんか、まわりにいない。

そう自分を騙すことで心の均衡を保っていたこともある。

だからサラの思いも分かる。

サラが傷つくリスク、その可能性の方が高い。

だからこそ、会いたくない。

サラだってそう言う可能性を疑っている訳だから、サラはパパに会うことを躊躇している。

それはサラが傷つきたくないから、パパのことを良い思い出にしたいから、このままそっとしておくほうがいいのか



何も出来ない。

というか、何かをしていいのか、してはいけないのか、それすら分からない状態だったけれど。

とにかく、いても立ってもいられない。

あたしは出来るだけサラを病院から連れ出した。

病院の中の方が、何かあればすくに駆けつけられるし、何もなくても、安心感がある。

いくら休みとはいえ、何かあるんじゃないかと言う不安感が何をするにしても、心の邪魔をする。

いっその事、休まない方が、心の安定を保てる。

でもそれではだめだ。

だから嫌がるサラをあたしは、出来る歩だけ外に連れ出す。

とはいっても。

近くのファーストフードくらいなんだけれど。

サラは大体どこに連れて行っても、美味しい美味しいという。

やはり日本のものは美味しいのかなと思う。

「サラは、お父さんの名前とか、住所とか知っているんだよね」あたしが食べながら、話す。

「メモをもらってきた」

「なんだ。会いに行く気満々じゃない」

「でも場所がわからないの」

「見せて」そこに書かれていたのは、岐阜の住所だった。

名古屋からはさほど遠くない。

いや、名古屋の郊外、ベッドタウンだ。

うちの実家の方がはるかに遠い。

とにかく、時間がないとはいえ、今日明日と言うことではない。

サラは何日か考えてみると言って、その話は立ち消えになった。

サラがどう言う判断を下すかだ、でもあたしはいてもたってもいられなくなって、その住所の所に行ってみた。


名古屋から電車に乗る。

あたしはこの電車にはほとんど乗ったことがない。

このまま長野最深部へと続く。

飯田も長野だけれど、山脈が一つずれているのいで、ほぼ乗ったことがなく、なんか旅行気分になった。

もっとも長野に入る前に降りるんだけれど。

駅を降りて、バスに乗換て着いたところは、本当になんてことのない住宅地だった。

そして、ここだと特定できてもそこも、なんて事の無い家だった。

それほど古い感じは受けないので、住宅ローンを組んで買った典型的なサラリーマン家庭という感じだ。

2階のベランダには洗濯物が干されている。

完全にファミリーだ。

しばらく眺めていると、2階のベランダににお年配の女性が現れて、洗濯物を取り込みはじめた。

この人が奥さんか、そして女子大生くらいの女の子が家に入っていった。

これが娘か。

顔を確認したかった肝心のサラのお父さんは、まだ昼間で普通に働いていれば、帰ってこないだろう。

ここにサラを連れてくれば、修羅場になるか。

さてどうしたものか。

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