第4話 サラと紗羅
サラはあたしと驚くほど共通点があった。
まず名前。
あたしは沙羅、そして彼女もサラ。
同じ名前だった。
そしてお父さんは日本人、お母さんはフィリピン人、年も同じ。
でも一つだけ決定的に違うことがあった。
それは、あたしは、日本生まれの日本育ち、小学校も中学も、高校も、大学も、日本。
サラはフィリピン生まれの、フィリピン育ち、ネイティブランゲージもあたしは日本語、サラは、フイリピン英語とタガログ語。
サラのお母さんは日本からの駐在できたお父さんと恋に落ち、サラが生まれた。
でもお父さんには日本に家族がいた。
困り果てたおとうさんを見るに見かねたお母さんが、自ら身を引き、お父さんは、いつか迎えにくると言い残して日本に帰っていった。
そこからサラとおかあさんの極貧生活が始まる。
せめてもの救いは、家族、親戚が多く、なにかと助けてもらえたことだった。
いくら飯田が外国人が多い土地柄といっても、あたしは風貌が母似なので、ともすれば日本人に見られないこともあり、明らかにいじめられることはなかったけれど、どこか異彩を放っていたのかなと思う。
自分で言うのもなんだけれど、父はあたしのことが大好きで、あたしは父に溺愛されたと思っていた。
でもこの歳になり、考えてみれば、父は全力であたしを守ってくれていたのかなと思う。
はじめのうちは、あたしとサラは風貌が似ているいうことで、話す事が多かったと思っていたけれど、おそらく同じ状況なのに、はじめのちょっとした事情の違いで違った人生を歩んだ、そのせいでどこか心が通じあってしまったのかなと思う。
あたしはフィリピンには生まれてすぐくらいに行ったきりで、ほぼ記憶はない。
母方の親戚は多く、顔も知らない従兄弟が30人くらいいるらしいけれど本当のところはわからない。
おそらくあたしの風貌は日本より、フルピンの方が違和感はないんだろうなと、漠然と思うけれど、だからといってフィリピンに暮らしたいかといえばそんなことはない。
フィリピンと日本を比べれば生活水準などは絶対に日本のほうが上だろうけれど、日本に居たいというのはそういうことではない。
人間は生まれ育った地域で人格が形成される。
だからフィリピンの血が半分入っていようが、日本で育っているから日本にいたい、例えばあたしが純粋の日本人であってももしフィリピンで生まれ育てば、フイリピンにいたいと思うだろうと思う。
同じ風貌だからというわけではないのだけれど、本当にサラとあたしは気が合い、二人でいることに、なんの抵抗も無かった。
まるで双子が、ある一点で、離れ離れになり、別々の人生をおくっていた二人が再び出会った、そんな錯覚があった。
一度聡子が智のお見舞いに来たことがあった。
聡子としてはこの病院にあたしを送り込んだ張本人だから、様子を伺いに来たのだろうと思う。
サラと並んで立つあたしをみ見て、聡子はあたしとサラの視線を行ったり来たりさせていた。
「あんたたち背格好、風貌そっくりだね、まるで双子のよう」
「よく言われる」とあたしが返す
「いや、ビックリだわ沙羅ににナース服着せたら、区別がつかないね」
「足直ったら栄にナース服でも買いに行く」と智がわけのわからないことをいう。
そんな智を無視して、あたしとサラは、鏡に映ったように好対照のポーズを作る。
聡子は手を叩いて、ウケていた。
この時からサラにはもう一人の友達ができたのだ。
暇なあたしは、サラの休みの日に一緒に出掛けることがあった。
今にして思えば、どこかに連れてゆきたかった、日本はこんなに良いところなんだよ、と自慢したかったのかもしない。
でもその時は本気でサラのため何かしたかった。
何しろサラは看護を学ぶという名目でかなり、条件悪く働いていた。
同僚たちが悪い人でなかったおかげで、そんなに辛い目に遭うことはなかったけれど、免許もなく、研修という立場を差し引いても、日本人の看護師にくらべれば、休みも少なく給料も少なかった。
さらに実家に仕送りもしている。
あたしと出会う前まで、お金のないサラはどこかに出かけるといことが、ほとんどなかった。
だからサラはどこに連れても本当に喜んでいた。
そんなサラを見るとあたしも嬉しくなった。
その思いは、境遇がほぼ同じで名前も一緒、歳も一緒、離れ離れになっていた双子のようだったからとあたしは思っていた。
「紗羅は、フィリピンに行ったことはあるの」とサラは私に尋ねた。
私は正直に言う。
「生まれて間もなくのころ、お母さんに連れられて行ったことがあるよ」
「最近は」
「ない」
「なぜ」と聞かれて、私は口ごもった。
それがなぜなのあたしにもわからない、お母さんは、二、三年に一度フィリピンに帰っている。
山のようなお土産に、フィリピンコミュニティーの人達からのお土産で、さながら行商人のようだ。
そして日本に戻る時は、向こうの人からのお土産でこれまた行商人のようだ。
一度荷物持ちで一緒にフィリピンにいこうと言うことになったけど、さまざまな理由で 流れた。
その時漠然とお父さんはあたしをフィリピンに行かせたくないのかなと思った。
真意のほどは未だにわからない。
サラは私と違って一本スジが通っている。
それまでもあたしと同じ境遇でありながら、あたしの方が恵まれているのは明らかで、そこに優越感があったのだと思う。
でもそんなことを思えば、思うほどあたし自身が恥ずかしくなるほど、サラは毅然と生きている。
看護師になってフィリピンで家族を養いたいという。
私とサラは何もかも同じだ、ただ違うのは、日本で生まれ育ったか、フィリピンで生まれ育ったか。
それだけの違いだ。
運命というものは、たったそれだけの境遇の差で大きく変わる。
あたしは音楽について、もっと才能があったらとか、いい先生に付けたらとか、そんなことばかり考えているいた時期がある。
そんな物何の意味もないんだけれど。
そう思い、音楽が鳴かず飛ばずなのを、不幸だ、運がないなんて思っていた。
でもサラから見れば、この年まで何不自由なく育ててもらい、お金のかかる音大にまで行かせてもらい、何が不幸だ。
そんな風に思っていた自分が恥ずかしい。
「私は、ラッキーだ」とサラが言う。
二人で栄をクレープなど食べながら、ブラブラしている時だ。
「なんで」とあたしは垂れそうになったクリームを舐めながら、尋ねた。
「だって日本で看護師の研修を受けられた、沙羅にも会えて、友達になってくれた」
「いやそんな大したことじゃないよ」
「大したことだよ、今まで留学でプライベートの友達が出来たなんて話は聞いたことがない」
「そうなの」と私は驚いたように言った。
「ここは、私にとって、ハレルヤプレイスだよ」そのときはじめてサラの口からハレルヤプレイスという言葉を聞いた。
「そして、お父さんの国を見ることができた。帰ったらおママに言うことができる、おパパの国はステキな所だったよって、友達もできたしって」
その時あたしはサラはパパに会いたくはないのかなと漠然と思った。
でもその想いはそのまま流れてしまった。
そしてあたしは「いやー」と頭をかいた。
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