第4話 差別される仕事なのか

特別支援学校が慢性的に人手不足であるという現状を、何となく理解できるようになったのは、勤務を開始してから一年ほど経ってからだった。欠員補充は腰痛に伴う病休、産休、育休だけじゃない。特別支援学校は数が少ないからこそ、人事異動も少ない。必然的に一校あたりの勤務年数が八年~一〇年経ってからの人事異動になり、人間関係疲れからの鬱発症で、病休を取得する先生も少なくなかった。楓がひいらぎ特別支援学校に勤務してから、二年で四人の退職者も発生していた。

「特別支援の免許を取得していても、あんまり誰も希望せんやろいね、特別支援学校勤務は。だから一度こっちの勤務をOKしたら、なかなかそのスパイラルから、抜けられんがんになってしまう人もおる。あんたもたとえ講師でも、そのスパイラルに片足突っ込んどる状態やろいね。もちろん本当に特別支援教育に従事したくて、熱意を持ってやっている人もいるよ。まぁパーセンテージは少ないけどな。定時で帰れる、部活指導なし、土日勤務もほとんどなし、という労働条件に惹かれて、長年勤務しとる人もおる。あんたも、ちゃんと教壇に立って社会の授業したいな、とか少しでも心にあったら、辞令を断る勇気も大事やぞ。」

 飲み会の際、勤続三〇年を超えるベテラン教員の隣に座ったとき、そっと耳打ちされた特別支援学校を取り巻く現状。しかし楓には懸念材料もあった。一度辞令を断ったら、二度と教育事務所から辞令が来なくなったという、講師の話だ。

「楓ちゃんな、だから中には市議や県議に頼んで異動の希望を通そうとする奴もおるんやろ。正規職員の中にもおるわ。あんたもそんな噂聞いたことあるやろいね。あ、わしか?わしはな、特別支援でいいんや。残業もないし、生徒指導もない。この生活サイクルが確立されたもんやから今更無理やわ。いつも勤務終了後は、ジムに通っているし、土日は英語サークルにも顔を出しとる。仕事だけに縛られたくないげんて。特別支援はいいぞぉ。そりゃ、確かに仕事は過酷さを極めるときもあるけど、チームプレーやしなぁ。自分で抱え込むこともない。教育公務員で給料も確実ももらえる。特別支援に従事しているから、鼻くそ程度やけど、特別支援従事手当も貰える。この手当は俺のジムサークル参加代になっとるなぁ。楓ちゃん、仕事だけが人生やないよ。」

 ジョッキに注がれたビールをうまそうに飲み干す、定年退職間近の教員を見ながら、確かにこういう生き方もありだなぁ、とその時、楓は思ったのだろう。気づけば勤務開始から、ずるずると二年の月日が経過していた。


「いつまで入っとるげんて、もうすぐ夕飯やよ。」

母親の声が突然、風呂場に飛んできた。楓は急いで浴槽から上がり、シャンプーを入念に行い、風呂場を後にした。

「ちゃんとお湯を捨てたんかいね。楓が入った後、汚いんやから、ちゃんと浴槽を洗って、お湯を捨てといてや。」

 毎日、毎日汚物まみれになっていると思っている母親は、楓が入った後のお湯を極端に嫌がった。母親との接触を極力避けるようになっている楓は、浴槽だけでなく、風呂場の掃除も軽くしてから出る癖が既についていた。パジャマを着用した後、さっさと自分の部屋に行き、髪を乾かした。

 楓は髪を乾かしながら、預金通帳を確認した。自宅に毎月三万円は上納しているだけで、ことのほかお金を使わない生活をしてきたから、予想以上に預金額は膨れ上がっていた。

「あんたが帰ってきてから、水道代、ガス代、電気代がかかるようになった。」

とことあるたびごとに言われ続けてきた楓は、密かに来月から一人暮らしをしようかと計画をしていた。特別な贅沢をしなければ、講師の賃金でも一人暮らしはできることを、この預金額は証明してくれていた。

 夕飯の声がかかり、食卓に向かった。まだ父親は帰宅していないようだった。母親は珍しく、楓の好物をテーブルに並べていた。たいていこういうときは、自分の話を聞いてもらいたいという思いが伏線としてある。今日は何の話題に付き合わなければならないのか、また私の仕事に対しての不満か、亭主か、親戚がらみか・・・・・・。

 楓は好物の椎茸の煮付けをほおばりながら、日頃は下ろしっぱなしになっているシャッターを少しだけ上げた。

「今度、清花ちゃんの結納があるやろ?」

 なんだ、妹の結婚話か。適当に相づちを打っておけばいいのだから、気が楽だ。

「ん。」

「楓は出席せんでいいわ。向こうも父親と母親と息子の三人しか来ないって言うから、こっちもパパと私と清花だけで参加することにしてん。」

「わかったよ。」

参加人数を向こうの親族と合わせたいから、私の参加をしなくていい、と母は重ねて伝えてきた。そして、また好物のカボチャの煮付けも楓に勧めてきた。

「あと、八月に結婚式をするやろ。楓の仕事、中学校勤務って先方に伝えてあるから、何か話しかけられても、いらんこと話さんといてや。楓は一言余計やから、心配しとれんて。」

母はテレビのチャンネルを変えながら、本日のメイン用件を伝えてきた。

つまり、結納に奈津実が参加しなくても良いのではなく、特別支援学校勤務の娘を結納の場に出したくないのだ。それは結婚式での楓に対する芝居要請ではっきりした。母にとって楓は今や森川家の汚点でしかなかった。本当は清花の結婚式も出てほしくないのではなかろうか。

「わかったよ。」

楓は地方ニュースに夢中になっているふりをしながら、ふとこの母親について考えた。


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