05: ラーメン
人類は、ラーメンによって一度滅亡しかけた。
この見解は学者の間に広く共有されているものの、未だにそれを認めない者は少なくなく、闇市でラーメン粉を求めるものは絶えない。非合法に製造されたラーメン粉が見逃されているのは純正のラーメン粉よりもまだ害が少ないからで、為政者からは社会に対するダメージコントロールの一環と捉えられている。犯罪組織を撲滅することはできない。ただし、コントロールすることは可能だ。
二十一世紀初頭に急速に実務能力を伸ばした人工知能は、音楽や絵画の領域へ急速に浸透し、人々の仕事を補助していった。素人が機械につくらせた映像が、プロが心血を注いだ作品よりも高い評価を受けることは、すぐ珍しくなくなった。
機械が作成した芸術作品をどう考えるかの議論は長く続いた。
専門家の間では、瞬時に終わった。
そんな議論にひとつの落とし所があるわけがなく、力と力が絶え間のないぶつかりあいを生みだすだけに決まっていた。巨大企業がその妙を細部に至るまで把握し終えるまでは、群雄割拠するヤクザたちの物語が展開されること疑いなかった。政治という呼び方でもよく、広告合戦ということでもよかった。
そこには細々とした人情話が、わりあいにどうでもよい悲惨な話が、先を見通すことのできない愚かな人間たちの間の抜けたやりとりが溢れかえるに決まっていて、それゆえに人気を博し、本質をはずしたままに話題がつくりだされていくに違いなかった。
そうなるに決まりきっている事柄でさえ、人間はなかなか理解できない。理解はしても実感できず、炎が自らの体に触れない限り、人は逃げ出すことさえしないのだ。
「なにかの創作物が、人の手によるものなのか、機械の手によるものなのかを判別する手段はなくなる」
そうなるに決まっているはずなのに、多くの者はその事実を認めなかった。そんな指摘は全て無視して、
「なにかの創作物が、人の手によるものなのか、機械の手によるものなのかを判別する手段を提供せよ」
と求め続けた。
「いやでもしかし、人間だって機械の一種なわけで、機械と人間の間の区別は今やそう大きなものでもないですよ」
という者はタールを塗られ、羽を貼りつけられてコミュニティを追放された。
「まったく機械に仕事を取られるなんて嫌な時代になったものだ」
と人々は話したがった。そう言いながら、
「いまはあれでしょ、そういう仕事は、機械で安くできるんでしょ」
と値切ることは忘れなかった。
人間の労働資源は再配置を余儀なくされた。少なくない人々が仕事のやり方を変え、職場を移るより他なくなった。新たな仕事が次々生まれ、新種の雇用が生み出されたが、募集人員数は馘首された人々の数よりも多くはなかった。
労働形態の変化によって、新たな犯罪が生まれ、被害者が生まれた。命を落とすケースもよくあった。
それでも、と統計は語り、
「生活は確実によくなっている」
と宣言した。死亡者の総数は減り、人権の侵害の程度は低減され続けている。それが実感と合わないのは、人間の感受性やなにかと愚痴りたい性質によるのであって、数字の側の責任ではない。
実は食生活が、もっとも大きな影響を受けた。
中でもラーメンはその影響が大きかったとされている。
中国で生まれ「湯」と呼ばれていたラーメンは、日本に移入されて以降、急速な発展を見せた。麺の種類が工夫され、ありとあらゆる素材からエキスが絞り取られた。ラーメンとはなにであるかの定義が怪しくなるほどの多様性が展開された。
一部のラーメン業者はただひたすらに先鋭化を求め続けた。
「うまいこと」
だけを目指した。うまければ死んだってよい、とするその派はついに、
「感激で死ぬ者もある」ラーメンをうみだすことに成功する。一口でその味を解読し、昇天したものは一部のマニアに限られたものの、生き延びた者に対しても合法的な中毒性を備えていた。つまり、繰り返し食べる。やがてそれしか食べなくなり、死に至る。
そのレシピはもちろん、人工知能が発見したのだ。一時は、人工知能による人類抹殺計画が疑われるほどに流行した。人工知能に言わせれば、
「わりと単純な処方」
ということであり、お湯に溶けばできあがるお手軽な「ラーメン粉」として流通していくことになる。
「ラーメンというのは、もともと不健康な食べ物ですよ」
というのが人工知能の意見である。
「常食するなら、カレーの方をおすすめします」
と言った。
人々は自分の決意だけではラーメンから身をもぎ離すことはできなかった。友人や親兄弟、子供や孫の顔も、ラーメンの誘惑には抵抗できるものではなかった。
人類をラーメンから引きはがすまで、各地で大きな戦闘が繰り返された。人工知能たちは求めに応じ戦闘機械群を設計し、その傍らで兵士達は塹壕にたまった雨に身を浸し、カップラーメンを啜りながら、人類の生存や欲望を巡る深遠な戦いを戦い続けた。
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