04: カード・シャッフル

 カードのセットをふたつ、静かに混ぜていくようなもの。

 その人物が記憶にはじめて登場するのは、小学校時代の写真を整理しているときで、引っ越しにあたり、紙袋に突っ込んであった写真をまとめようとするときだ。床に広がるたくさんの子供たちの笑い顔の中、成人済みの人物を写したその一枚のポートレイトは異質なものとして目を惹きつける。豪華客船の浮かぶ青い海を背景に、麦わら帽子を手に持った人物が一人立っている。

 家族の誰もその人物が誰かを知らず、背景にも心当たりがない。どこかへの旅行の最中ではあるようだ。多分、恋人が撮影した。どうしてそんな写真がという問いに答えは全然見当たらない。

 わたしだけがその人物のことを知っていた。


 やがてその人物は、夢に現れてくるようになる。ただし、先方もこちらのことは知らないのだ。夢の中でお互いに、どこかで見かけた相手だなと感じる程度だ。どこですれ違ったのかを考えるのだが、いつのことと示すことは難しい。あとになってみると当然なのだが、その頃のわたしたちは夢の中で頻繁にすれ違っていた。何かの夢の中で起こった出来事を、別の夢の中から思い出すことは難しい。だってそれは夢の中の出来事なのだし。


 わたしたちはやがて少しは言葉を交わすようになる。

 会える時間はそう多くない。夢はいつ終わるかわからなかったし、何かの夢の中で他の夢の話をするのはどこか危険なことに思えた。

 実際問題、お互いにお互いを知っているという以上の話題は続けがたかった。あるときはこちらはまだ幼い子供であるのに、あちらは老人でありえたし、逆も起こった。わたしたちはお互いの未来や、当人も忘れた過去を垣間見ていた。今現在のものではない相手の姿を伝えることにどんな危険があるかはわからなかった。だから、伝えないようにしようと約束した。夢の中の出来事だから、そんなことを約束したということも、目覚めると忘れてしまった。

 お互いに目線が合ったとき、今回は一緒にいてもいいなと思うときには、その時間をともに過ごした。

 夢の中の出来事だから、場所なども色々変わったが、観光地で行き違うことが多かった。オープンカフェで読書中の相手の前を通り過ぎたり、通りでみかけたバスの中に姿を見かけることが多かった。時代設定なども様々だったはずなのだが、だいたい現代くらいの設定が多かったように思う。

 現実の場所と対応することはあまりなかった。想像で描いた街といった程度のものだ。夢の話だから、まあまあそんなものだろう。


 あるとき、夢の中で目覚めると、青い海をのぞむ高台にいた。

 目の前には例の人物がおり、こちらに笑いかけていた。

「これは、あなたの記憶?」

 と訊ねられて見回しても、海原に切り立つ崖の上につくられた小さな街に、別に見覚えというものはなかった。ただ、豪華客船の浮かぶ海と光の具合は記憶の中の写真そのままだった。

「麦わら帽子は」と訊ねてみるが、相手に心当たりはないようだ。自分の胸元を確認すると、カメラが一台下がっていた。カメラはなんだか奇怪な風体で、レンジファインダーのように見えたが、インスタントカメラみたいな雰囲気もあって、素人の描いたカメラのようだった。

「ちょっと街でも歩こうか」と誘ってみると、

「そうしようか」と相手は応えた。

 タオルミナは崖の上の小さな街で、通りを行って戻ると、見るべきものは見終えてしまう。通りの行き詰まりの広場にはジェラート屋があって繁盛していた。

「今日はなににする」とジェラート屋のおやじが問いかけ、

「ここに来たのははじめてなんだ」と返答する。

 おやじは笑って相手をしない。馴染み相手にするように勝手にジェラートを盛りつけていき、きちんとその分の料金を請求してきた。

 カウンターの上には見覚えのある麦わら帽子が置いてあり、それは幾らかと訊くと、売り物ではない、と言われた。この暑さの中、帽子なしでは家に帰れないとのことだ。少しの間貸して欲しい、幾らだと訊ねてみると、返してくれるならもっていってくれていい、と手を振られた。


 胸元に帽子を抱えて、ポーズをとってもらう。

 なにかそうしておかなければいけない気がするのでそうする。

 あの写真を撮ったのは別に恋人でもなんでもなかったことをわたしは知る。


 それからもわたしたちは何度か出会った。

 あれだけの時間、あれだけはっきり出会うことができたのならば、それが夢かどうかなんてことは最早どうでもよいと思える。でもあの夏の日が、二人で一緒に歩いた最長の記録となった。

 相手を夢の中で見かける頻度はどんどん落ちていき、やがてさっぱりなくなった。

 カードのセットがふたつ、きちんとそれぞれの山に分けられ直していくようにして。

 タオルミナの海を背景にした写真はもう、わたしの手元にはない。いい加減な設定のカメラがジージーと音を立てながら吐き出したその一枚をあの日、きっと相手に渡してしまったからだと思う。

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