02: 無人の友人

 昔、車は無口なものだったらしい。

「バックします」くらいしか喋らなかったんだという。

「なんでバックするときだけ喋るわけ」と城奈は訊ね、

「そうですね」とマークが答えた。「バックはやはり危ない行為でしたから」と言うマークは城奈づきの運転手で、城奈が乗り込む車に自動的にダウンロードされてやってくる。

 小学校の校門を出て大通りに向かい、止まっている車に近づくと、前席のドアが開く。今日の迎えは赤い車で、城奈には車に対する興味が色とドアの枚数程度しかない。ハンドルつきの奥の席へランドセルを放り込み、城奈は手前の座席に乗り込む。

「おかえりなさい」とマークの声がスピーカーから響く。


「バックが危険な行為であったということの説明には、長い長いお話があります」

 とマークは言う。

「手短に」

 と城奈は命じる。

「そうですね」とマークは少し考えてみるふりをする。「昔、車は人が運転するものでした」と、馬にはじまる乗り物一般にかんする歴史は省くことにしたらしい。「この」と、「運転席」に据えつけられたハンドルを回してみせる。「ハンドルと前輪の動きが連動していて、それゆえにこの席は運転席と呼ばれたのです。ちなみに、あなたが座っている場所は『助手席』と呼ばれていました」

「知ってる」と城奈。

「そうしてこれが」と、マークはドアの外につけられた耳のような形をした突起をぴこぴこ動かす。「サイドミラーと呼ばれていたものです」

 という知識は城奈にとってはじめてのもので、

「かざりじゃなかったんだ」と言う。

「飾りですよ」とマーク。「今では鏡を張ることもなくなりました。車の周囲は全周カメラで監視することになりましたから。上も下も、ボンネットの内側も」

「耳みたいなものかと思ってたよ」と城奈。

「つまり昔は、人間が運転席に座って、ハンドルを握り車を運転していたわけです。窓から見える光景と、あちこちに取りつけた鏡から得られる像を頼りにしてね」

「それってすごく」と城奈。「あぶなくない?」

「目隠しをしてスイカ割りをするようなものです」とマーク。「人間の目は後ろにはついていませんし、車という構造上、後方の視野はどうしても制限されました。鏡を利用した視野の拡大は可能でしたが、人間の脳はどうも、基礎的な光学を理解するのにも向いていませんでした。で、どうしたかというと」

「自分で声を出して、危ないって知らせたわけか……」と城奈。少し考え込んでから、

「それって何も解決していなかったんじゃない?」と訊ねた。

「そうですよ」とマークは答える。


 昔の言葉を使うなら、城奈が利用しているのは、自動運転のカーシェアリングのサービスである。好きなとき好きな場所から、そのあたりを流している車を呼び出し利用する。さらには個々人と紐付けられた運転ソフトをダウンロードして運転手として使う仕様になっている。通学通勤娯楽と、ごく当たり前に利用されている。よほどの変わり者でない限り、特定の車を所有して利用するということはなくなっていて、手動での運転が許される道路もほとんど皆無となっている。

 道を行き交う車の半数以上に誰も乗っていない、なんてことも珍しくない。物流とは基本的に行って帰ってくるものである。交通量の不均衡は別段、無人運転が実現されても変わらなかった。ただし、車の用途自体は増え、人も運べば物も運んだ。ケータリングにも利用されたし、災害地へと支援物資を運ぶのにも利用される。個人に紐づけられていない運転ソフトもあり、車を乗り変わっては、各種の責務を果たしている。そうした運転ソフトを一手に統括する会社も増えた。


「ねえあの噂、どう」と城奈は訊ね、

「本日もそれらしい車はみかけませんでした」とマークは言う。

 このところ、城奈が夢中になっている噂があって、街をゆく車の中にはごくまれに、誰にも所有されていない「幽霊車」があるのだという。正確には、誰にも所有されていない運転ソフトが存在して、きままに車を乗り換えては、日々を好きに暮らしているのだという。怪盗みたいでかっこいいなと城奈は思う。

「実際は給電の問題などもありますし、ソフトウェアが一人で生きていくのは難しい御時世です」とマーク。

「きっと、その子を追いかける組織なんかもあってさ」と城奈。城奈の想像の中ではその運転ソフトは小さな子供の姿をしている。

「探偵がいたり、警察がいたり、こっそり電気を売ってくれる組織があったり、人間の知らないところで追いかけっこをして暮らしてるんだよ」

「そういうことも」とマークはこたえる。「あるかもしれません」

「ねえ、大きくなったら」と城奈は言う。「お金をためて権利を買って、あなたを自由にしてあげる」

「そうなったら、何がしたい」と城奈は言う。

「そうですね」とマークは言う。「あなたとドライブなんか楽しいでしょうな」

「本気にしてないでしょ」と城奈。「でもわかったよ。公園に寄ってから、家に帰ろう」

「承りました」とマークは答える。

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