01: 死なずの人

 祠と呼ぶにはちょっと大きな建物だ。

 四面に頑丈な杉板が立てられていて、扉はない。上から一本、二本、三本と、緑青を噴いた銅製の帯で横ざまに巻かれ、クリスマスのプレゼントのリボンみたいに縦に十字に、二本の帯もかけられている。屋根と濡れ縁を取り去れば、ただの箱にしかならない。

 実際、もとは箱だったのだ。八つの角は頑丈な黒い鋳物で補強されている。土に埋まっていたのだとも、川底に沈んでいたともいう。

 扉がないので、儀式のときには、ノコギリを持った若い衆を三人集める。その後ろに壮年期の男性を八人置き、こちらは槍を構えるのである。さらに後ろに今度は二人、サスマタを携えた二人が置かれる。最後列には、刺し子で全身を包んだ女房が三人、針箱を抱えて控える。八方に篝火を焚き、正面には緋毛氈を敷く。

 夜も更けてから太鼓を合図に、正面の板にノミを打ち込み、できた裂け目を手がかりにして三本のノコを動かす。左上、右上、右下からはじめ、右上、右下、左下へと杉板に切れ目を入れていくのが作法とされる。最後は板に麻紐をかけ、これは黒い牛を四頭連ねて引くのである。板がメリメリと音をたてて手前に裂け、無理矢理、ドアのように開かれる。


 躍る篝火に箱の中が照らされて、二回りほど小さな檻が姿を表す。格子の向こうには、ボロを着てこそいるものの、端正に座禅を組む人影がある。

 市役所の職員たちが進み出て、

「上人様」

 と声をかける。

「お時間で御座います」

 と告げることになっている。

 人影はしばし動かない。

 人々が息を詰めて見守るうちに、やがて、うっすら目をあけていく。一気に大きく見開いたなり、瞬きしない目で正面を黙ってにらみつける。

 ふと、

 跳躍し、気がつくと格子にとりついている。歯をむき出しにしてこの世のものとは思えぬ声を絞り出す。格子の間から手を伸ばし、虚空を掻き取る。鋼鉄製の格子に何度も何度も鋭い歯で噛みついていく。

 ガギグゲゴをランダムに並べたような声を絞り出す。ギャギィギュギェギョも混じる。キェーイとも言う。


 存微様、と字があてられているものの、後年の牽強であるとされる。付会というより悪ふざけにしか聞こえない。村人はごくごく自然に「ゾンビ様」と呼んでいる。村が市に合併される以前からこの地に御座った。およそ鎌倉時代のものであるという。洪水を静めるためのものだったとか、凶作を避けるためのものだったとか。細かな記録は喪失してしまっているので、どこの誰かもわからない。しかし当然のように、即身仏の類いとして扱われている。

「なにかの加減で失敗なさったのだ」とか、

「即身仏では足りぬとみて、こうされたのだ」とか敬虔な村長たちは言う。

 昔は、喋ることもできたらしい。

 少なくとも千年程度の村の様子を、ゾンビ様は眺めてきた。村の実りや山の機嫌を身振り手振りで知らせたりした。

 単に暴れる様子を観察していた村人たちが、占い代わりに利用しただけなのかもしれない。

 現在では、こうして檻に閉じこめてあり、さらには箱で厳封し、年に一度衣装替えを執り行う。村長たちの記憶の中でもゾンビ様はとっくの昔からこんな調子で、人を見ると食らおうとする。かつては村の平穏を祈り、未来へのメッセンジャー役を引き受けたのかもしれないゾンビ様には今や、凶暴性しか残っていない。

 ここから出せ、と言いたげに暴れ狂うゾンビ様に八本の槍が突きつけられ、格子の間からサスマタが突き込まれる。僧衣を替えるには、ゾンビ様を押さえつけるよりやりようがない。槍で僧衣を斬り裂くと、檻に突入した女房たちが手際よく布をかぶせて、肉に直接縫いつけながら僧形を形づくるのである。


 村々の併合時、市からはゾンビ様を観光資源にしようという案も上がったのだが、与えられた牛を引き裂き、豚の内臓を啜るゾンビ様の姿はあまりに凄惨であり、以降、関係者は揃って口を噤むこととなった。

 ゾンビ様に噛まれた者はゾンビになるのかというと、ならない、というのが仮の答えだ。実際に試してみた若者があり、命をそこに落としたきり、二度と立ち上がることはなかった。

 ゾンビ様は必死に檻を破ろうとする。村に警告を発するためにどこかに駆けつけようとしているように見える。乾いた肉が裂けるのも構わずに、何かを求めて一心に暴れ続ける。

「今ならまだ間に合う」

 というかのように。

「わからぬのか」

 と言いたげに。

 その目に今の、現代の風景が映っている気配はない。

 衣装を縫いつけ終わっても、ゾンビ様は不屈の精神でもって抵抗を続けようとする。大人たちがゾンビ様を押さえつける間、祠の周囲に集まった若者たちが、自作の歌を歌いはじめる。ギターを持ち出す者があり、サックスに息を吹き込む者がある。

 今様が一晩続き果てる頃、ゾンビ様はようやく動きを止めるのである。みなひっそりと檻から離れ、格子の間から差し伸ばしたサスマタで、その姿勢を整えていく。首尾を確かめ、皆が揃って一礼をする。

 最後に新たに用意した杉板を打ちつけ、今年の儀式も終わりを迎える。

 動きを止めたゾンビ様は、かつては涙を流したという。

 今は空っぽの眼窩からまっすぐ下へ、溝が穿たれているだけである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る