第29話 なつかしいまち 懐かしい友

(あっ、そうだ。歩君、お盆って、どうするの)

 歩が出かけようと、玄関で靴を履いていると、明美のそんな問いかけがあった。

 (一度、田舎、那智勝浦に帰ってみようと思うんです。ちゃぁんと、父親と話しをしないと!)

 歩は、そんな言葉を返した。自分の夢を見つけた人間の前向きな発言に、明美は、表情を緩める。

 (あっ、そうね。それがいいかもね。)

 ある程度、歩の事情を把握していた明美は、笑みを浮かべて、歩を見送る。

 少しずつであるが、歩という人間の未来に、光が射し込んでいる。カオル、省吾に続いて、明美という光が差し込んでいた。


 明美と歩が、会話を弾ましている頃、省吾は横浜にいた。横浜駅南口五番街。一階に、大手電器量販店がある大きなビル。ライブBARの看板を掲げる店内に、省吾の姿があった。喫茶メニューで、賑わう店内のテーブル席に、ポツリと座る。五年前、自分が働いていた店内を見渡していた。

 「そんなに、懐かしいか。」

 聞き覚えのある声が、後方から耳に届く。組んでいた足をほどき、振り向きながら立ち上がると、懐かしい顔が視界に入ってくる。

 総一郎

省吾は、思わず、握手を求めていた。五年前、大喧嘩して以来、逢っていない十年来の旧友。

 省吾、ちょっと太ったか

ガッチリと、手を重なり合わせながら、視線を上下させる総一郎は、そんな言葉を口にする。

 「一発目から、それか、お前は…」

 そんな一言を発して、一つのテーブルに向かい合って座る二人。正直、省吾は、緊張をしていた。五年振りの旧友、総一郎が、自分を素直に受け入れてくれるのかが、不安である。

 元気みたいやな

ああ、お互いにな

 椅子に深く座り、足を組む総一郎に対して、省吾は、浅目に椅子に座っている。省吾の視界に映る総一郎は、全身ブランド物に包まれていた。

 「あれから、どうしていた。」

 「有難くも、苦労をさせてもらったわ。あの時の俺が、どれだけ、お前に甘えていたか、思い知らせた。」

 お互いに、笑みを浮かべている。二人とも、年を取ったのか、丸くなったのか、嫌味の一つも言わない。

 「何言っているんだか。お前は、やりたい事やっているじゃねぇか。すごいよ。」

 「ありがと、どうにか、こうにか、やらして貰っているよ。」

 今日、ここに来た目的。省吾のジーンズのポケットには、歩のMDがしまってある。総一郎に聞かせて、この店のステージに立たせてもらう事が目的であった。省吾が、MDを取り出し、目的事を言葉にしようとした時、総一郎がこんな言葉を発した。

 「どうよ、省吾。この店、懐かしいだろう。お前の提案で始めた昼の営業もうまくいっているよ。」

あの当時、この店は(ライブBAR)の看板を掲げている様に、夕刻からの営業しか、していなかった。このビルには、シアターも入っている。昼間の客層を目当てに、喫茶メニューの昼間の営業を提案したのが、省吾であった。

「ああ、そうやな。これだけ、入っていれば、成功やろ。」

手の中にあるMDを軽く握り、そんな言葉を口にする。目的事が、言いそびれてしまう。

「あの時分、良くも悪くも喧嘩もしたけど、よく飲みもした。俺こう思うんよ。省吾は、現場をよく仕切ってくれていたし、信頼も得ていた。五年前、あの大喧嘩で、お前が辞めた時、数人の従業員が、退職したいと言い出した時、お前が止めてくれたんだろ。」

確かに、そんな事があった。喧嘩をした翌日。省吾のアパートに数人の仲間が訪ねてきた。

<省吾さんが辞めるなら、私達も辞めます>そんな言葉を持ってくる。<もう、退職届も出して来ました>そんな言葉も、口にしていた。そんな時に、省吾が、訪ねてきた仲間に向かって、こんな言葉を発していた。

<何で、俺が辞めるから、お前らも辞めるねん。それは、おかしいやろ。これは、俺と総一郎の喧嘩や。お前らには関係あらへん。俺は、総一郎に不満があるから、辞めるねん。お前らにはあるんか。お前ら、辞めて、明日からどないするねん。よく考えろ。次の仕事が見つかったとしても、また、一からやねん。一からやり直さなあかんねん。信用も一から築いていかなぁあかんねんぞ、わかるか。俺が言うのもおかしいけど、総一郎に付いていけば、間違いない!あいつはな、出来る奴やねん。お前達を、絶対、裏切らへん。今から、会社に戻って、頭を下げてこい!>

そんな命令口調で、言葉を発した事を覚えている。

「今では、その退職を志願した数人が、うちの主力だ。東京の二つの店は全面的に、そいつらに任せてある。あの時分は、俺も尖っていたし、経営の事で、頭がいっぱいだった。省吾、お前がよく言っていた、会社は俺のものではなく、そこで働く従業員のものだと云う事を、わからして貰った。」

そんな話しをしてくる総一郎に対して、省吾は、目的事を言葉にしたがっていた。総一郎が、どんな意図で、こんな話しをしてくるのかは分からない。しかし、今の省吾にとっては、手を握る歩のMDの方が大事なのである。

「総一郎。お前に、頼み事があるねん。黙って、これを聞いてくれんか。」

浅く座っていた椅子の中心を、さらに前に移す。テーブルの上に一枚のMDを置き、そんな言葉を口にして、勢いよく頭を下げる。

<これは、いいんよ>総一郎は、視線を下に向けてといて、MDの上に三本の指を添えて、省吾に差し返した。そんな総一郎の発した言葉が、頭を下げる省吾の耳に届いた時、拒否されたと思った省吾。

「総一郎、頼む。一回でいいから、聞いてくれんか。この子には、才能があるねん。一度、聞いてくれれば、わかると思う。だから、頼む。お前の力を貸してくれ!」

店内の人間が、二人の座るテーブルに視線を向ける。省吾は無我夢中で大声を上げ、懇願をする。店内のBGMが、一瞬、掻き消されるほどの音量。

「オイオイ、省吾、お前、なにか勘違いしてねぇか。」

一瞬にして、多くの人間の視線を浴びる総一郎は、軽く、紅色に顔を染めて、そんな言葉を口にする。

えっ

そんな総一郎の言葉に、両手をテーブルに付けたまま、頭を上げ、見上げる形になる省吾。

「お前らが、夢中になるだけあって、面白いよ。俺も逢ってみたいよ。この子に…」

思わぬ総一郎の言葉に、今の状況が理解できない。言葉を失ってしまう省吾。

(これは、いいんよ)という言葉は拒否したものではなく、(聞いたよ)という事であった。

「お前ら、いつから、スカウト始めたんよ。亨から、色々聞かせてもらったよ。今のお前といい、昨日の亨といい、相当、その子に惚れこんでいるんだな。五年振り、俺に逢いに来た理由が、これだもんよ、妬けるよ。」

総一郎は、そんな言葉を口にして、テーブルの上のアイスコーヒーに手を伸ばす。

ごめん

思わず、そんな言葉を発してしまう。

「まぁ、考えてみれば、その歩って子と、お前が出会ったから、俺の前に姿を出すきっかけになったんだから、それはそれでいいのかもな。」

そんな言葉に、笑みを浮かべながら口にする。総一郎は、単に、昔話がしたかったのだろうと感じる。

「お前、変わったな。」

「ああ、変わったよ。お前のおかげだよ。省吾が、居なくなって色んな事を考えさせられた。お前の小説の作風が変わった様に、俺も変わったよ。」

この言葉に、総一郎の想いが集約されているように思えた。作風が変わったという言葉に、温かいものが込み上げてくる。事業を成功させた総一郎の事を、色眼鏡で見ていた自分を、恥ずかしく思う。

「省吾、こんな店をやっているから、ミージシャンの卵によく会う。そいつらは、ギラギラしている。尖ったものを全身に出して、向かってくるんよ。昔の俺も、こうだったんだなぁって考えると、自然と一歩下がって、周りが見られる様になった。五年前のお前の様にな。本屋でな、お前の名前を見つけた時、正直びっくりした。何気に手に取り、読んで見ると、またまた、驚かされたよ。俺が知っているお前の文章ではなかった。全く違うものに感じた。ゆったりと云うか、ホンワカしたと云うかな、その時、何か自分が背負っているものが軽くなったように気がしたんよ。」

少し、照れながらも、そんな言葉を口にする。自分の本音を、目の前にいる旧友の省吾に、わかってほしかった。そんな総一郎の気持ちが省吾には、伝わっている。

「ホンマ、ありがとうな。お前から、そんな事を言われると思ってもいなかったわ。」

少し、潤んでいる瞳。それだけ、総一郎の言葉がうれしかった。五年前は、お互いに尖っていたのかもしれない。受け入れるよりも、負けたくないと云う気持ちの方が大きかったのであろう。二人にとって、五年前の大喧嘩をした事が、いい方向に転がっていた。

「なんか、照れるな。省吾にこんな事を言うなんて…あっ、そうだ。今度、歩って子に逢わせろよ。お前と亨が、一押しするそのこの歌を生で聞いてみたい。」

そんな言葉を口にするとお互いに笑みを浮かべる。そして、しばらく、会話を楽しんだ。五年振りの再会、時間を忘れて、色んな話しをした。時間が経つにつれ、アイスコーヒーが、ビールに変わり、バーボンに変わっていく。日暮れ時には、少しほろ酔い気分の省吾の姿が、横浜駅のホームにある。気分爽快、晴れ晴れとした表情で、東京方面の電車を待っていた。

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